コントロール可能領域

 「どうせ、何をやってもダメなんだ。」「どうせ自分なんて」悲観的になるのは、自分が無力であることに気がついた時です。無力とは、自分がどんな選択をしようと、これから起こることに影響を与えることはないという状態です。

 しかし、セリグマンは、人の一生は無力のところから始まり、無力で終わると言います。生まれたばかりの赤ん坊は自分では何もできません。それと同じように、人生最後の数年間も、歩くこともできなくなるかもしれませんし、悲しいことに腸や膀胱をコントロールする力を失いかもしれません。言いたい言葉が出なくなるかもしれません。話す能力を失い、考えることさえできなくなるかもしれません。無力な状態に戻ってしまう場合が、人生の終末を迎えるころにやってくるかもしれないのです。

 だからと言って、悲観的になる必要がありません。セリグマンは、もともと人生には自分でコントロールできないことがたくさんあると言うのです、目の色も人種もそうだと言います。しかし、自分でコンロロールできないところだけを見ていても仕方ありません。実は、コントロール可能でありながら、いまだ手の付けられていない広大な領域が残されているというのです。これらの領域を自分の支配下にいれるか、他の人々や運命の手に委ねるかは、自分次第だと言います。それは、私たちがどのような人生を送るか、他の人々とどう付き合うか、どうやって生計を立てるかというような、私たちがある程度選択の余地を持っているすべての分野に、私たちの行動にかかっているのです。

 自分がこれらの領域に関してどのような考えを持っているかによって、実際にその領域をコントロールする能力が減りもすれば、増えもするのです。私たちは、様々な事柄に反応してものを考えるだけでなく、考え方によって結果を変えることもできるのです。セリグマンは、こんな例を挙げています。例えば、もし私たちが子どもの将来に何の影響力も持てないだろうと考えていると、何かしなければならないときにやる気が起きません。「どうせ自分が何をしても状況は変わらない」という考えが行動を起こすことを阻みます。そして自分が子どもに対して持っているはずの影響力を、子どもの仲間や、先生や、その時々の状況に委ねてしまうことになってしまうのです。

 適度の悲観主義はうまく使えばメリットもありますが、セリグマンは25年の研究で確信を持ちます。それは、「不幸は自分の責任であり、永続的で、運が悪いから自分は何をしてもうまくいかない、と常に信じている人は、そう思っていない人よりもさらに不運に見舞われることが多い。」ということです。また、こういう見方にとらわれていると、うつ状態に陥りやすく、能力以下の業績しか上げられず、病気もかかりやすいのです。悲観的な予測はその通りの結果を招くことになるのです。

 セリグマンは、過去20年間における心理学の最も目覚ましい発見の一つは、個人は自分の考え方を選べるということだろうと言っています。それまでは、人々はそれぞれの環境の産物だと考えられていました。人間の行動は内部からの動因に、“押し出される”ものか、あるいは外部の出来事によって“引き出される”ものだという考え方が一般的でした。“押し出し”と“引き出し”の詳細はそれぞれの信じる理論によって異なっていましたが、当時流行していた理論はすべて原則的にはこの考えを採用していたのです。

 いまだに、保育の世界では、この時代の心理学の考え方を適用していることが多い気がします。

無力

 セリグマンは、二通りの見方をする人たちの研究をします。ひとつの種類は、楽観主義者といわれる「オプティミスト」と、悲観主義者といわれる「ペシミスト」と呼ばれる人たちです。25年間研究を続けてきた結果、それぞれに特徴があることに気がつきます。ペシミストの特徴は、「悪いことは長く続き、自分は何をやってもうまくいかないだろうし、それは自分が悪いからだ」と思い込むことです。一方、オプティミストは同じような不運に見舞われても、正反対の見方をします。「敗北は一時的なもので、その原因もこの場合だけだ。そして、挫折は自分のせいではなく、その時の状況とか、不運とか、他の人々によるものだ」と信じます。オプティミストは敗北してもめげず、これは試練だと考えて、もっと努力をするものです。

 セリグマンの研究によると、挫折の原因を考える時、どちらの見方をするかによって結果が変わると言います。数百例の研究結果から、ペシミストの方があきらめが早く、うつ状態に陥りやすいことを証明しました。まあ、これは当然のような気がしますが、それをはっきりさせたのです。しかも、これらの実験から、オプティミストの方が学校でも職場でもスポーツの分野でも、良い成績を上げることもわかりました。オプティミストは適性検査でも常に予想よりも高い点を取るし、選挙に出ればペンミスとよりも当選する可能性が高く、健康状態も良くて、上手に年を取り、生活習慣病にかかる率もかなり低いのです。平均よりも長生きするという推測さえも、ある程度の根拠があると彼は言います。

 それでいながら、驚くほど多くの人々が悲観主義に深く染まっているか、そうでなくても、かなりの割合で深刻な悲観主義的傾向にあることが、何十万人もの人々をテストしてみてわかったと言います。しかし、自分がペシミストかどうかを知るのは簡単ではないと言います。ですから、自分ではそれと知らずに暗い人生を送っている人も少なくないと言います。そして、それはうつ病につながっていく可能性が大きいのです。
しかし、悲観的な態度は根深いもので、一生変わらないものだと思っている人が多いかもしれませんが、セリグマンは、悲観主義から逃れる方法はあると言います。ペシミストはオプティミストになることができるというのです。

生まれたばかりの赤ん坊は自分で何もできません。ほとんど反射だけで生きています。赤ん坊が泣くのは、痛みや不快さに対する反射であって、自分で泣くことを選択しているわけではありません。かろうじて自分の意志で動かしている筋肉は、吸うときに使う筋肉だけです。

セリグマンは、発達からこう捉えています。それが、3~4か月で手足の初歩的な動きをコントロールできるようになります。腕をバタバタ動かすだけだったのが、何かを取ろうとして手を伸ばすようになります。そして自分の意志で泣けるようになり、母親に来てほしいときには大声でわめいて、両親を困らせるようになります。1年後には、二つの奇跡的な自己コントロール能力が備わります。最初の1歩と最世の言葉です。すべてが順調にいき、子どもの精神的・肉体的ニーズが最低限満たされれば、それから先の年月で無力さはどんどん失われていき、自己コントロールの範囲が増していきます。

悲観主義現象の核にあるのは「無力」であるとセリグマンは言います。しかし人の一生は無力なところから始まるというのです。

自尊心

 マーティン・セリグマン教授は、ポジティブ心理学の創始者の一人として知られています。1998年、この新分野の提唱により、彼を心理学の第一人者に押し上げ、全米心理学会会長になり、現在では、米・ペンシルベニア大学大学院教授でいながら、ポジティブ心理学分野の研究の支援・発展と次世代のポジティブ心理学者の育成にあたっています。

彼が、なぜこのような分野を提唱するようになったのかというと、病が原因で肉体的にも精神的にも無力になった父親を見たときのショック体験が動機だったのです。この動機により、彼は「学習性無力感」の研究をします。その研究をしているうちに、彼は、対象者の中にどれほど失敗やストレスに直面しても、立ち直りが早い人がいることに気付きます。失職・失恋・病気・離別などつらい経験をした後、絶望に打ちひしがれるのではなく、めげずに再起し幸せに生きていく人がいるのです。どうしてなのかという疑問が彼を「楽観性」の研究へと導いていきます。そして、無力感の研究から楽観性へ、そしてさらに包括的なポジティブ心理学へと、研究領域を拡大し続けます。

彼は、TED会議に招かれ、講演しますが、その講演の中で、「心理学は人の短所と同じように強みにも関心を向けるべきである」と語ります。そして「通常の人々の人生をより充実させること」にポジティブ心理学の研究は貢献出来るとしました。そのような考え方の詳細が書かれてあるのが、「オプティミストはなぜ成功するか」という本なのです。
その本の再販のための序論の中で、彼は、「私は自尊心には反対ではないが、自尊心は心身の状態を示すメーターにすぎないと思っている。それ自体が目標ではない。学校や職場でうまくやっていて、愛する人々との関係が良好で、遊びが上手にできていればメーターは高い値を示すだろう。うまくいっていなければ値は低いだろう。」

彼は、自尊心に関する様々な文献、研究を調べ、若者の間で自尊心の高いものが好成績を挙げ、人望を集め、10代の妊娠や生活保護依存をしないという証拠を見つけようとしましたが、そのような現象は見つかりませんでした。自尊心はその人が世の中でどれほどうまくやっているかの相関現象にすぎないことに気がつきます。彼は、自尊心はメーターに過ぎず、何かを引き起こす原因になることはほとんどないだろうと信じますが、それはある事件のレポートによって覆されます。

このレポートは、違う意味で私にとってはショックでした。日本人は自尊感情が低い、どうやって自尊心を高めるかといった課題が保育の中で多く語られているからです。このレポートとは、1996年、ロイ・バウマイスターと彼の同僚による研究で、大量殺戮、殺人者、ギャングの親分、暴力犯罪の犯人たちに関する文献を精査した結果、これらの犯罪者が高い自尊心を持ち、彼らの不当な自尊心が暴力を引き起こすのだという論文です。

この研究は、子どもたちに不適切に高い自尊心を教えると問題が起きることを示唆していることにセリグマンは気がつきます。さらに、これらの子どもたちの中には、利己的な性格を持つものも現れ、そんな子どもたちが実社会と対決した時、自分が教えられていたほどにはえらくないことを思い知らされると、暴力で襲いかかるようになるというのです。

 一方、このころのアメリカにおける心理学における課題は、うつ病患者の増加です。アメリカの若者たちの課題は、「双子の流行病」と言われている「うつ病」と「暴力」ですが、どうもこれらの問題は、間違った心遣いからきているかもしれないとということに気がつき始めるのです。

競争

アメリカ心理学会の会長に選ばれたセリグマンは、まず、それまでの心理学を見直します。「心理学は、病気について、苦しみについて、悩みについて多くのことを分析し、悲しみや不安と戦う方法を見つけ出してきた。しかし、もっと幸せになる方法の見つけ方は、遊園地や、ハリウッドやビールのコマーシャル任せになっていた。科学は何の役目も果たしてこなかったのだ。」そう彼が言うように、心理学が教えてくれるのはどうすればみじめさから抜け出せるかであって、人生で何がベストか、そのように生きるにはどうすればいいのかではなかったと言います。そのために、彼には、心理学は不完全なものと見えてきていたのです。

彼は、“幸せ”は科学的に扱いにくい観念ではありますが、追求していくと三つの異なった形になると言います。第1に、“心地よい人生”のために「大切なのは幸せになりたいという意欲」と信じ、 ポジティブな感情を拡大するためのスキルを学ぶこと。第2に“物事に没頭する人生”のために「あなたにとっての強みと美徳」を発見し、職場、恋愛、友情、子育て、娯楽に最大限に使えるよう人生を練り直すこと。第3に、“意義のある人生”のために「幸せというゴールを目指して」、何か自分よりも大きな存在に帰属し、奉仕するため、自分の才能と力を再考の形で使うこと。の三つです。

この本「オプティミストはなぜ成功するか」で提案するのは、三つの幸せの中でどれか、あるいはすべてに向かって歩みだすきっかけとなるように書いたとセリグマンは言います。この本を読むことで、それぞれの人が持っているポジティブな感情は強化され、持続するであろうと言います。

そして、「楽観主義は人生にはなり知れないほどの価値をもたらすと言います。ポジティブな将来を強く信じれば、国や神や広い意味での家族など自分よりも大きな存在のために、一心に力を尽くせるようになるだろう」と序論の最後に付け加えています。

また、再販した時の序論の中で彼は「自尊心運動」について書いています。よく保育界でも「自尊感情」がテーマになります。しかし、自尊心について少し違ったとらえ方をしているのではないかと指摘しています。自分の体験からこう振り返ります。彼には4歳から28歳まで8人子どもがいます。ですから、「丸々1世代にわたって毎晩子供に本を読み聞かせる機会に恵まれ、この25年間で児童書に大変変化が起きたのを見てきた。」と振り返ります。その変化とはこのようなものです。

25年前は、子どもの本といえば「ちびっこきかんしゃだいじょうぶ」に象徴される、社会でうまくやっていく、頑張って障害を克服するというものだったそうです。現在の児童書は高い自尊心を持たせ、自信にあふれさせ、気分をよくさせるものだと言います。これは、自尊心運動の現れであると言います。この運動は、1960年代に何かにつけ先進的なカリフォルニア州で始まりました。1990年、カリフォルニア州議会は、薬物依存、自殺、生活保護偉人、10代の妊娠、うつ病に対する「ワクチン」として、自尊心をすべての教室で教えるべきとする報告書を指示しました。

そのために、IQテストが消滅します。それは、点数の悪い子どもたちが気を落とすといけないからの理由です。公立校では、能力別クラス編成もこの運動の影響で廃止されます。それは、下のクラスに入れられた子どもたちが気分を悪くしないようにという配慮です。この運動は、「競争」という言葉を忌まわしいものとしたのです。

なんだか、日本でもある時期の学校教育を思い出します。

悲観

ランドルフは、ゴールマンの「こころの知能」といわれるEIに関する著書に興味を持ちます。また、彼は「オプティミストはなぜ成功するか」を読み、ポジティブ心理学に興味を持ちます。そして、その著者であるセリグマンに会うことを決心し、そこでレヴィンと偶然と出会い、長く実り多い協力関係が始まりました。私は、ゴールマンの「こころの知能」という本は読みましたが、セリグマンの「オプティミストはなぜ成功するか」は、まだ読んだことがありませんでした。しかし、ランドルフとレヴィンが影響を受けた本となると、読みたくなりすぐに取り寄せ読んでみました。

「この本を読んでほしい人」について、帯封にこう書かれてあります。「失敗すると“自分のせいだ”と思ってしまう」「いやなことがずっと続いている気がする」「世の中、自分にはどうしようもないことが多すぎる」「自分は運が悪い」「すぐにあきらめてしまう」私は、この歳になったせいか、これらはどれも当てはまりませんので、読む必要がないかもしれませんが、たぶん、このように思ってしまう人が多いのでしょう。また、この本は1990年に発刊され、日本では1991年に発行されていますが、昨年新装改訂され出版されているところを見ると、いま、この考え方が必要なのかもしれません。また、「成功する子 失敗する子」という本に対して、この本は成功するために「オプティミスト」ということがキーワードなのでしょう。

著者のセリグマンは、「無力感は学習によって身につくのではないか」という研究に取り組んでいたのです。臨床心理学の研究者はほとんどみんな、患者のどこが悪いのか、そしてどうしたら治せるのかに焦点を当ててきたため、セリグマンは、自分は悲観主義について研究しているのかと思ってきたそうです。ですから、もともと良いのはどこか、どうしたらもっと良くなるか、という点には少しも考えが及ばなかったと振り返ります。

しかし、のちに生涯の友人となるリチャードから「あなたの研究は悲観主義についてではなく、楽観主義についてですね」と言われたことをきっかけに、本を書き、ベストセラーになり、「ポジティブ心理学」という言葉が生まれ、1996年、史上最多の票を集め、アメリカ心理学会の会長に選ばれます。しかし、皮肉にも、当時彼は心理学は不完全なものに見え始めていたころでした。悩み、苦しみ、精神病、トラウマについては心理学でもこれまで十分に研究されてきた分野です。そして、その研究はそれなりの成果を上げてきました。

しかし、臨床心理学者たちは、治療がある気になる現象を生み出していることに気づきました。それは、治療がとてもうまくいき、患者がうつ病、不安、怒りから抜け出す助けはできても、患者が幸せになれるとは保証できないことに気がつきます。治療で得られたのが幸せではなく、空虚感であることは珍しくなかったからです。そこで、彼は、なぜだろうと考えます。

それは、マイナスを直しても、プラスにならないのです。不思議なことに、同じひとりの人がうれしくて、悲しいことがあり得るのです。同時ではありませんが、実際、女性は感情に動かされやすく、男性よりも喜びも悲しみも大きいようです。ということで、幸せになるためのスキルは、悲しみや不安や怒りを抑えるためのスキルとは全く異なることがわかったのです。

それは、どのようなことを意味するのでしょうか?

体育会系

 よく、「体育会系」ということが言われます。学生時代に体育会系のクラブ活動をしていた人のことを指すのでしょうが、それは、彼らにある特徴があるからでしょう。まず、体育会系と言うと運動部のことでしょう。しかし、最近、クラブ活動で文化部というものがあるのでしょうか。私は、運動は好きですし、自分でいうのも変ですが、運動音痴ではありません。どちらかと言うと、得意な方です。しかし、運動部に所属したことはありません。小学校の時は「算数部」、中学の時は「科学部」、高校の時には「生徒会」、大学の時は「帰宅部?」でした。

 クラブ活動では運動部ではありませんでしたが、中学1年生の時には、毎朝授業の始まるまで1時間友達と卓球を体育館でやっていましたので、息子が小学生の時に、PTA卓球大会で優勝しました。また、中学3年生の時には、クラスメイトにバスケット部のエースがいたので、彼から毎日バスケットボールの特訓を受け、小学校の教員試験の時に、バスケで好成績を取りました。また、高校時代には、やはりバレーボールクラブの友達といつもバレーボールをして、彼とクイックの練習をし、園長になってから、市内保育園バレーボール大会でエースアタッカー(まだ、9人制)としてまあまあ、活躍しました。と言うことで、私のイメージの体育会系とは、運動が得意な人ということではありません。

 では、どういうイメージかと言うと、偏見かもしれませんが、縦社会の中で、礼儀正しく、返事がよく、上下関係をきちんと守る人というイメージです。ですから、何かを頼んでもいやと言わず、いろいろなことに率先してやるというイメージで、会社や、組織の中では、好まれ、就職に有利と聞きます。しかし、以前のブログにも書きましたが、私は、あまり体育会系が好きではありません。それは、物事を考えないですぐに返事をしてしまうとか、心から信頼するというよりも、地位や歳が上だから言うことを聞くというようなところがあるからです。実際はそうではないのでしょうが、どうも、物事に対する分析力に弱いような気がしていたのです。

 最近、上場報道で注目を浴びるリクルートホールディングスの活躍を目にすることがあるのですが、この会社における人材登用のあり方が変わってきたと言います。同社の好調を支えるのは「データサイエンティスト」集団であると言います。今まで、元気でノリが良い「体育会系集団」とされていたのが、ここ数年は、マーケティングや物理学など多様な分野で分析力を磨いた人材を登用するようになったと言います。いわゆる、「体育会系」から「分析集団」へ変化してきたというのです。

リクルートは、分析力を武器に、ネット分野でさまざまなサービスを展開する会社です。今までは、「足で稼げ」「体力勝負だ」と言ってきた働きから、現在の時代は、データ分析力が必要になってきたからです。そこで、中核となるデータサイエンティストの採用、育成に積極的に取り組み、博士号を持つ「超高学歴」人材も登用しはじめているそうです。

数年前、マイクロソフトやグーグルなどが統計学の重要性に気付き始め、分析人材の需要が高まってきました。それは、情報系ではもちろん増えてきていますが、他の分野でも、たとえば、医療系などでも次第に求められ始めているようです。もしかしたら、教育、保育分野でも、分析力が必要になってきているかもしれません。

職場環境

最近、他の職場同様、園でも精神的に病んでしまう職員が多くみられます。離職率の高さを生んでいる原因に、職場における人間関係によるストレスが大きく影響しています。「人が宝」と思うのであれば、職員のメンタルヘルスにもっと関心を払う必要があると尾崎氏は指摘します。その具体的な対策として第4のポイントとして、そのストレス要因をいかに低減するかを職場全体で考える必要があります。最近は、「職場環境改善会議」と称し、職場ストレスを低減する方法論の研究も進められているそうです。それは、「生産性の向上」という観点ではなく、「ストレス低減」という観点から改善活動を行うことが必要であると言います。ですから環境といってもハードである環境や仕事の進め方だけでなく、人間関係や権限委譲、働きやすさなどの目に見えないソフト面にも目を向ける必要があるようです。

第5番目として、メンタルヘルスに問題があるとして休職者に対して、復職を期に改めて本人の「強み、弱み」を振り返る機会をつくることが必要だと言います。ドラッカーは、「強みを生かす」ことを繰り返し述べています。そして、『経営者の条件』という本の中で、「知識労働の時代においては、強みをもとに人事を行うことは、知識労働者本人、人事を行うもの、組織そのもの、社会にとって欠くべからざることである」と述べています。

一見、管理職から見れば、「確かに人を大切にすることが重要であるのは間違いないが、そんなことをしていたら生産性が上がらない」と思いがちですが、実際は違い、かえって、ヒトを大切にすることによって、会社の業績とメンタルヘルスの両方が向上した例があるそうです。例えば、オリンパスソフトウェアテクノロジーでは、社員個々を把握するための「コミュニケーションシート」やスキルアップのための「スキルシート」と「社員教育」を充実させました。そして、管理職と社員の距離を縮める制度改革やイベントを実施し、メンタルヘルスの専門部隊を社内に設置してメンタルヘルス不調を個人ではなく会社の問題として解決する姿勢を積極的に示し続けたそうです。

その結果、メンタルヘルス不調による休職者、退職者が減少しただけではなく、自己都合退職率0%、開発生産性32%向上を達成したといいます。人を中心に据えた経営が、メンタルヘルスにかかわる問題だけでなく、生産性や離職率にも影響したということです。園でいうと、職員はいろいろと困難にぶち当たることがあります。たしかに、そんな時に突き放して、それを乗り越えさせることで立ち直らせることが行われてきました。しかし、それは物がなく、貧しい時代の話で、今の若者たちは共感してあげることが必要です。誰かが自分のことをわかってくれる人がいるという確信ががんばる気持ちにさせます。

やはり、ヒトは社会を構成し、その中で協力をして生き延びてきた生き物なのです。ですから、孤立には非常に弱い生き物です。他人から無視され、相手にされない、切り捨てられると感じることは、仕事へのモチベーションが下がります。それに対して、気に掛ける、理解する、共感する、励ます、共に行動する、こんな関係が職場に必要です。

人手不足は、ただ、給料を含めた処遇の低さや、少子化による人口減に原因を求めるのではなく、職員の気持ちの変化に気づき、「人は使い捨て」と思う気持ちから、心から、「人は宝」であるという思いを強く持つことが必要な気がします。

メンタルヘルス

人が宝だということの具体的な対応として、ライフワーク・ストレスアカデミー代表取締役であり、臨床心理士である尾崎健一氏は、メンタルヘルスへの対策が必要であると言います。労務行政研究所が行った「企業におけるメンタルヘルスの実態と対策」(2010年)によれば、何らかのメンタルヘルス施策を「実施している」企業は86.5%と、前回2008年調査の79.2%より増加しているように、最近企業では増えているようです。私たち保育園や幼稚園でも、その対策を参考にすべき時代かもしれません。

それというのも、「過去にメンタルヘルス不調で休職した社員がいる」企業は全体で92.7%、1000人以上の大企業に至っては100%に上っているようです。その観点からあまり私たちの職種では論じられることはありませんが、確実のそのような職員は増えています。そして、彼の中で「完全復帰した割合」は、なんと「半分程度」と「それ以下」を合わせると50%以上となっているといいます。つまり、メンタルヘルス不調による休職者の半数以上は完全復職できていなのです。

このような状況でありながら、まだまだメンタルヘルス不調が続出することを職場の問題と捉えず、個人の問題として切り捨てることで収束を図ろうとする職場が多いようです。それは、メンタルヘルスについての正しい認識と、どうしても根性論や怠け論的な考え方があるからと言われています。ですから、そのような理由で休職中の社員を辞めさせたいと思ったり、最初は、メンタルヘルス不調者に同情を寄せていた同僚も、軽減勤務からなかなか回復しない復職者や休職を繰り返す社員に不満の声を漏らすようになります。

しかし、組織の損得を優先し、メンタルヘルス不調者を見て見ぬふりをしていると、人的資産を損ない、貴重な人材の流出を招きかねないと尾崎氏は警告しています。そして、社員のメンタルヘルスが向上し、「人を惹きつけ、引き止め」「彼らを認め、報い、動機づけられる」組織にするために、尾崎氏はメンタルヘルス対策の観点から5つのポイントを提案しています。

第1は、「正しい理解の促進」です。メンタルヘルス不調に対して、「治らない」「根性の問題である」「私たちの頃はなかった」という認識を変え、会社から社員に対して積極的な教育・啓発活動を行うことにより、社員が「働く人のことを考えている会社だ」と思えるようにすることだと言います。第2に、「産業保健部門任せにしない」と提案します。「メンタルヘルス対応は産業医などの産業保健部門で対応すべきこと」という経営者の考えを変える必要があると提案します。ドラッカーは『マネジメント エッセンシャル版』の中で、「現実には、人のマネジメントに関する従来のアプローチのほとんどが、人を資源としてではなく、問題、雑事、費用として扱っている」ことを懸念しています。メンタルヘルス向上は、人という資源を生かすための経営課題として認識すべきだと尾崎氏は言っています。

第3は、「能動的な現状把握」であるとし、「会社として」現場で何が起きており、何がストレス要因となっているかを把握しなければならないのです。経営者が雲の上の人で社員の声が届かないという組織では、メンタルヘルス不調が起きやすいと言われています。これは、リーダーのあり方に関係してきます。その距離を縮める工夫・施策を考える必要があります。

個人の生き方

ドラッカーは、「プロフェッショナルの条件」という書籍の中で、「あらゆる組織が、『人が宝』と言う。ところが、それを行動で示している組織はほとんどない。本気でそう考えている組織はさらにない。ほとんどの組織が、無意識にではあろうが、19世紀の雇用主と同じように、組織が社員を必要としている以上に社員が組織を必要としていると信じ込んでいる」と述べ、社員をいつでも替えのきく存在と捉えることに警鐘を鳴らしています。これは、以前のブログでユニクロの柳井さんの見直したことと同じです。

たしかに、これまでも「人は宝」と言っている会社はたくさんありましたし、たとえば保育園、幼稚園にしても「職員は宝だ」と言う園長は多くいました。しかし、実際には、本当にそう思っているのかと疑いたくなるような職員に対する愚痴を聞くことがあります。しかし、最近の人手不足に対して、キャッチフレーズとして「人は宝だ」言うだけでは済まない時代がやってきたと言われています。ドラッカーは、さらに「事実上、既に組織は、製品やサービスについてと同じように、組織への勧誘についてのマーケティングを行わなければならなくなっている。組織は、人を惹きつけ、引き止められなければならない。彼らを認め、報い、動機づけられなければならない。彼らに仕え、満足させられなければならない」と述べています。

人を募集するのではなく、その組織が人を引き寄せる力がなければならないのです。また、そこで働いている人に対しては、その組織がそこに引き留めるだけのものがなければならないのです。それは、組織として、職員を認め、報い、動機づけが必要であると言っているのです。

ドラッカーは、『明日を支配するもの』と言う書籍の中で、「資産の保全こそマネジメントの責務である」と述べています。では、保育園、幼稚園における資産とは何かです。それは、保育の質であり、その質を支える職員などです。コンピューターがますます機能が充実し、様々なことがやれるようになってきました。そのような時代である21世紀の今、保育園、幼稚園のような世界だけでなく、知識労働者は間違いなく会社の資産となってきているのです。ですから、「流動化する資産の維持が、明日を迎えるために不可欠なのだ」と言われてきているのです。ドラッカーは、すでに30年も前から、現代は知識社会への転換期を迎えており、そこで働く知識労働者は、自分の仕事に責任を持ち、自らをマネジメントすべき存在であると予言しています。

 では、それをどのように守ればいいのでしょうか?意外と管理職は、現場を知らない気がします。現場をよく見て歩く、現場から話をよく聞いているという管理職がいますが、実は、そこで働く人たちへ耳を傾けていない人をよく見かけます。それは、子どもと同じで、具体的に口に出しては言いませんし、直接的な不満としても現れないことが多いのですが、何となく、その職場に居続けることが不安になったり、突然とやめると言ったりすることが多いような気がします。

 ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」という本は、3部作の中の1部で、「個人の生き方と働き方」をテーマとしています。我々一人ひとりがどう成果をあげ、貢献し、自己実現を図っていくかについて述べた部分を抜き出して1冊の本にまとめたものです。ドラッカーの著作というと、マネジメント、社会論に関するものという印象が強いのですが、実は多くの著作の中でドラッカーは、個々の人間がどう働き、どう生きたらいいかについてもくり返し言及しています。

働き手の変化

私の園は、新宿区で民営化を受けて丸8年を過ぎました。開園の時に新卒で採用をした職員も、次第に結婚し、子どもができました。そこで、開園のころから少しずつ働き方を見直してきました。今年度は、そんな職員のために、勤務体制、また、チーム保育のあり方を見直し、自分の子どもために休みやすく配慮した人事をします。最近、多くの園で契約社員が多くなりつつある中、私の園では契約社員は派遣社員は一人もいません。一人ずつ、それぞれの家庭を大切にし、自分で選んだ生き方を応援するような体制をとっています。

それは、スタバ日本法人も同じような状況になってきました。設立が1995年なので、入社したときに独身だった社員も結婚し、家庭を持つようになりまし。子どもや親の世話といった家族の事情を抱える社員の生活設計と、画一的なキャリア形成の人事制度にズレが広がりかけていました。そこで、それまでの制度を見直し、正社員に「全国転勤OK」「勤務地限定」という2つのキャリアパスをつくりました。そして、この2つは個人の事情に合わせて途中で変更できます。契約社員は勤務地限定の正社員に変わり、それまでの正社員は進路を選べるようにしました。その結果、どうなったのでしょうか。

すると、店舗で働く約1500人の正社員のうち、4割が勤務地限定の道を選んだそうです。荻野氏は「会社や仕事に愛着を持ってくれた社員を失えば、会社も損する。そんな事態を防ぐための先手を打てた」とみています。今の時代は、単身赴任や、祖父母の介護などのために転勤をためらう人が増えてきているのです。

今や4割にもなった非正規職員の処遇や働き方を見直すだけでなく、正規、非正規を問わず、働き手の仕事や生活への考え方を見誤れば、経営の土台を揺るがしかねません。現在、いろいろな職種でこのような状況に置かれているのです。そこで、各企業では、それぞれ何らかの手を打っています。

たとえば、ゼンショーホールディングスは傘下の牛丼チェーン「すき家」を全国7地域に分社しています。その目的は、「住み慣れた場所で働きたい」という社員や就職希望者たちの声に耳を傾け、地域の実情に合うように会社の骨格をつくり直すことだといいます。以前のブログでも紹介しましたが、「ユニクロ」のファーストリテイリングもパートらの正社員化に動き出しています。ドイツでも、2級の保育者に講習を受けさせ、その間に450ユーロジョブという制度で収入をある程度確保し、給料のかなり高い1級の保育者への移行を保障し、処遇改善を図り、保育者不足を解消しようとする試みを行っています。

働き手の会社への期待は世代や雇用情勢によって変わります。固定観念にとらわれず、働き手の変化のサインを見逃さないことが大事になってきたといいます。その変化についていかずに、ただ、処遇が悪いとか、給料が低いからだと言っているだけでは、人手不足は解消していきません。

ドラッカーは、「プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか」の中で、人を使い捨てする会社の行く末」について警鐘を鳴らしています。この本は、ドラッカーを初めて読む人のために、これまでの著作10点、論文1点からエッセンスを抜き出し、ドラッカー自身が加筆・削除・修正したものです。この中で、ドラッカーは、社会において業績をあげ、何かに貢献し、成長するにはどう考え、行動すべきかを考えています。