人間関係

 最近、保育園における離職率が高いようです。その理由に職場環境があるのですが、その主な理由が、「職場における人間関係」と「保護者対応」だそうです。それに対して、都会では保育者の派遣による就業が増えてきています。ここに、最近の保育園における事情が見えてくる気がします。

 保育関係者は、最近の保育者不足に対して「職員の処遇改善」を訴えます。確かに、保育者の給与は、一般労働者の中ではかなり低いのは確かです。また、その中でも私立への就職希望が少ないのは、公立に比べて給与が低いだけでなく、福利厚生、持続的な勤務への補償、定年時、その後の保障の低さにも関係があります。基本給だけでなく、そのほかの保障においても、公私の格差をなくしていくことは必要です。

 しかし、最近の保育士不足は、それが原因というよりは他にある気がしています。その一つは、最近の若者事情にあるようです。離職の主な理由の二つは、どちらも「人間関係」に対する困難さです。例えば、職場における人間関係ですが、私はどうも大学生活環境から職場環境への切り替えがうまくいかに若者が多い気がします。大学生まで、自分の身の回りにいる友達、一緒にだべったり、食事に行ったり、旅行に行ったりする仲間は基本的に気が合う人を選びます。そして、年齢が同じか近い人同士の場合が多く、そこでは楽しい会話が多いでしょう。好きな歌、好きな芸能人、好きな映画、好きなスウィーツ、会話の内容も、それほど相手を否定するようなことはありません。

 テレビで、渋谷の歩道橋の上でたばこを吸っている高校生の女の子に「たばこを吸ってはいけない!」と注意したら、「えっ?タバコなんて、みんな吸ってるよ!」と答えていました。彼女らは、高校生からたばこを吸っている人同士で仲間を作っているのかもしれません。無意識のうちに、気が合うどうしで仲間を作り、いつもその仲間と行動をしていたら、世の中の人の多くはそういう人だと思ってしまうかもしれません。

 しかし、職場における仲間は、初めて自分がきめた、自分の価値観から決めた集団ではないのです。それは、趣味が違うだけでなく、考え方も、年齢もそれぞれ違う集団です。しかも、その人たちと一緒に仕事をするとなると、彼らを無視するわけにもいかないのです。その中で人間関係を構築していくことに、今の若い人は抵抗があるようです。かつては、いやでも一緒に行動しなければならないことがありました。

 私は、あまり人付き合いのいい方ではありませんでした。かなり人見知りで、無口の方でした。(今は、多くの人はそれを信じてくれませんが)ですから、保育関係者以外の人たちとの付き合いはそれほど多くありませんでした。私の住んでいる地域は、旧市街化地域で、市内でも1、2を争うほど古い町会組織がありました。町内に鎮守様があり、町民はみな氏子になります。そして、組があり、交代制の組長がその組の住民の朝会費を集めたり、組に葬式があると、分担を決めたり、葬式を仕切ります。そして月1回、町会議に出席をします。ある年、私が組長の役割が回ってきました。すると、町会長と、顧問をしている女性が訪ねてきました。そして、その女性がこう私に言いました。「あなたは、たぶん自ら町会に参加するようなタイプではないですよね。しかし、どうせ組長として月1回会議に出なければならないのであれば、いっそ、副町会長になりませんか?その経験は、きっとあなたにはプラスになりますよ。」ということで、30歳代後半で、突然、広報部長、副町会長になったのです。この経験は、びっくりすることだらけでした。

距離感

 日本では少子化になってだいぶ経ちます。厚生省(当時)がまとめた89年の人口動態統計で、合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)が過去最低の1.57となったことが発表されました。これがいわゆる「1.57ショック」です。このショックから様々な手を国は打つようになりますが、それは、親子の関係にも影響してきました。現在この子たちは25歳くらいになっていますので大学を卒業し、社会に出始めた年齢です。そこにいろいろな問題が起き始めています。それに対して開成ではどう考えているのでしょうか?

 柳沢氏は、保護者の問題をこう捉えています。「今は一人っ子が多いこともあり、どの親も子供に対してすごく手をかけて育てます。ただ、そのせいで、子離れや親離れができていない家庭が増えているのは問題ですね。僕がよくお母さん方に言うのは、“子供に干渉しすぎないで欲しい”ということ。身の回りの最低限のことは自分でさせて、できるだけ手出しをしないでくださいとお願いしているんです。子供が中学生になったときにうまく母親が子離れをしないと、子供がゆがんでしまいます。」

その“ゆがみ”についてこう説明しています。「中学生であっても生徒たちには“オレは大人だ”という自意識があります。でも、家に帰ると母親がいて、べったりと乳飲み子のように世話を焼く。すると、どうなるか。子供の価値観が、学校と親の間で、股裂きのような状態になって、バランスが崩れてしまうんです。ここでスムーズに移行できればしっかりとした子供に育ちやすい。」

私は、少子化になると、親子の距離感が問題になるであろうと思ってきました。しかし、以前のブログにもありましたが、子どもにとってはある程度の逆境が必要であるとわかっていても、なかなか逆境にさらすことには抵抗があります。しかし、親子の距離感は夫婦の距離感にも影響すると柳沢氏は考えています。「昔は平均寿命も短かったから、子育てが終わる頃には人生の終焉を迎えていたけれど、今は子育てが終わった後、もう1回分くらいの人生がある。そこをどうハッピーに過ごすかを考えると、夫婦のあり方を見直して、うまく関係性を作っていくことが大事じゃないかと思うんです。そのためには、“子供がすべて”と考えるのではなく、“子どもは夫婦の闖入者”というイメージを持っておく。すると、子育てが終わったあとも、夫婦がハッピーでいられるような気がしますね。」

開成校の生徒の話から、親子、そして夫婦の関係に対談の話題は変わってきました。そして、夫育てになりました。そして、ほめ方に移ります。

柳沢氏は、「人間誰しも褒められたらやる気が出るし、伸びていきますからね。それは夫婦でも、子供でも、会社の部下でも同じ。いくつになっても褒められるのは単純に嬉しいものです。ただ、褒めるのは、実は難しい。上手に褒めるためには、褒める側に明確な価値観がなきゃいけない。“私はこれが望ましいと思っている”という価値観がないと、思いが伝わらない。だから、みんな褒めるのが下手なんです。」とただ褒めるのではなく、上手に褒めることが必要といます。「漠然と“いいね”と褒めるのではなく、具体的に“この項目がこんなふうに良かった”と伝えることです。叱ってばかりでは、“やっちゃいけない”というメッセージしか伝わらないので、“それならやらないほうがいい”と指示待ち族を作ってしまうんです。」

年齢は違うとしても、この考え方は、乳幼児にも言えることのような気がします。

自己発揮

 高橋氏と柳沢氏との対談での開成の生徒とのやり取りの話は、ずいぶんと理屈ポイと思えますが、そこに流れるものの中には、教育の原点を感じるものがあります。

柳沢氏は、「我々は方法論を教えないんですよ。それは自分で導き出すほうが、最終的には自分のものになる。経験ある人が教えた通りにやれば、もっと上達するかもしれないけれど、それは教育ではないというのが我々の考え方ですね。」

開成の巨砲、長江くんが、柳沢氏に「僕はメジャーリーガーになります。なれますか?」と聞いてきたときに、柳沢氏は、彼に「ああ、なれるよ」と答えます。それは、「目標を掲げて、それに挑戦していく。その過程で無理だとわかったら、新しい目標を設定すればいいから。開成の生徒だって、やってみなきゃわからないからね。」と答えています。「自分らしさの飽くなき追求が開成イズム」ということです。

また、開成の運動会の話は、全く私の出た高校と同じようです。ただ、開成と違って高校生だけですのでそこが少し違いますが、自分たちでつくり上げるという点はそっくりです。私は1年生の時に体育祭準備委員演技係でしたから、体育祭が近づくと、自分の授業には出ないで、各クラスに演技指導に行きました。そのために、体育の先生に授業を借りに行くのです。体育祭には、一切先生は口も手も出しません。すべてを生徒たちだけでやりました。そして、体育祭が終わると、次の日から文化祭準備委員会が発足します。そんな1年でした。

開成でも同じようなことが行われているようです。「開成では、毎年5月に行われる運動会の準備を1年間かけてやるんです。中1から高3まで学年を超えて、1組なら1組、2組なら2組と、組ごとに合計8つのチームに分かれて準備を重ねる。そして、運動会を仕切るのは高3の役目。彼らが競技指導も行います。1年かけて準備しなくてはいけないので、開成では高校2年と3年はクラス替えがないんですよ。そういう意味では、運動会を中心に回っている学校といっても過言ではないかもしれません。畳24畳分の大きな壁画を作ったり、応援歌を作詞・作曲して、みんなで練習したり。準備は組ごとにやりますから、壁画の原画を作れる子、作詞や作曲ができる子が最低8名ずつ必要になるわけです。ほかにもパンフレットを作る係、庶務係、記録係、衛生係など、全員が必ず何らかの役割を兼任します。」

私が、高校でのこのような体験から学んだことは、自由とともに自己責任ということ、そして、自分の得意分野に気がつくことでした。開成でも、柳沢氏は、「我々が一番気をつけているのは、生徒たちになるべく早い段階で自分の“居場所”を見つけさせること。そして“これがやりたい”と思えることに出会わせることです。」と言っています。そして、「自分の自信が表現できるような場所を見つけることができれば、必ず伸びる。だから課外授業や部活動、運動会といったさまざまな場を用意しているんですね。」

そういったことがきっかけになって、芸大や芸術系に進む学生もいると言います。なかには東大の理三に進学してもおかしくないくらい優秀だった子のなかには、画家になった卒業生もいるそうです。「開成=東大進学と思われがちだけど、実は結構ユニークな進路を選ぶ子も少なくないんです。競馬の調教師や花火職人になった子もいますしね。」そこには、それぞれの得意分野を尊敬し合う風潮があるからだそうです。

自己選択

 テレビ番組で、いよいよ2014年4月12日(土)から始まったドラマ「弱くても勝てます」が最終回を迎えます。この原作は、髙橋秀実の『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞しています。この開成高校とは、あまりに有名な東大合格者数1位を長年維持している超進学校ですが、本当に甲子園を目指しているとのことです。

 この原作を書くために高橋さんは、開成高校の野球部のメンバーに取材をしました。その時の話を、開成学園校長・柳沢幸雄さんと対談しています。この対談が、「ダイヤモンド・オンライン メールマガジン」に掲載されているのですが、その中で柳沢さんのプロフィールをこう紹介しています。「東京大学名誉教授。開成中学校・高等学校校長。シックハウス症候群、化学物質過敏症に関する研究の世界的第一人者として知られる。1947年、疎開先・千葉県市川市の母の実家で出生。1971年、東京大学工学部化学工学科を卒業後、日本ユニバック株式会社にシステムエンジニアとして勤務し、激務のかたわら、週15時間英語の勉強に打ち込む。1974年、水俣病患者を写したユージン・スミスの写真に衝撃を受け、化学工学を勉強すべく、東京大学大学院工学系研究科の修士課程・博士課程に進学。この頃、弟と一緒に学習塾の経営を始める。東京大学工学部化学科の助手を経て、1984年にハーバード大学公衆衛生大学院環境健康学科の研究員の職を得て、家族を連れ渡米。その後、ハーバード大学公衆衛生大学院環境健康学科の助教授、准教授、併任教授として空気汚染の健康影響に関する教育と研究に従事、学生による採点をもとに選出される「ベストティーチャー」に数回選ばれる。1999年、東京大学大学院新領域創成科学研究科環境システム学専攻教授に就任。2011年より現職。」

 このプロフィールを読むだけで、このような人を開成中学校・高等学校の校長を招聘した開成のすごさを感じます。また、開成の生徒の話は、私たちが目指している保育に通じるものがあります。また、私が出た高校に通じるものがあります。それを、取材した高橋氏はこう書いています。「お二人の対談を通して見えてきたのは、“開成っ子”の意外すぎる一面でした。“エリートの卵”“神童”と世間からいわれる“開成っ子”の知られざる強みとは、一体どこにあるのでしょう?」

 それは、「印象的だったのは、みんな“自分なりの回答”をしようとすることです。みっちり中身の詰まった話が非常に速いスピードで繰り出されるので、メモが間に合わないことがしばしばありましたね。エラーばかりしている子に“野球は苦手なの?”と聞いたら、“いいえ、苦手ではなくて下手なんです。下手と苦手は違います”と返ってきたり、“野球は好きですか?”という質問に、“僕は野球以外のことを野球と同じくらい長時間やったことがないので比較できない”と言う子がいたり。きちんと考えて自分の言葉で質問に対する答えを見つけようとする。その姿勢がとても好印象でしたし、素晴らしいと感じました。

 この答え方を一見すると、いかにも頭の良いこの理屈のように聞こえますが、実は、開成では「自分なりに」という姿勢を、一番重視している結果であると柳沢氏は答えます。そして、「“これをやりたい”“こうなりたい”と、生徒が自己選択ができるようになれば、我々の教育は終わったも同然。選択された生徒の意思に合わせたアドバイスは惜しまないけれど、“○○大学に行きなさい”というような指導は一切しません。だって自分の人生ですから。その結果、みんな“自分なり”に深く掘り下げて考える癖がついているのだと思いますよ。」

焼津

 日曜日、園内研修のついでに、全国有数の遠洋漁業の基地として知られる焼津港に寄ってみました。この漁港は、遠洋漁業の中でも、カツオの水揚げ高は、押しもおされぬ日本一です。日本全国のカツオの水揚げ量は約31万トンで、その中でなんと13万4865トンもの冷凍カツオが焼津港に水揚げされているそうです。特に冷凍カツオランキングは堂々の全国一位だそうで、なんでも焼津のカツオ漁は、徳川時代にはすでに相当の規模を誇っていたらしく、27隻のカツオ漁船に幕府から船艦札が与えられていたといいます。カツオの水産加工業も昔から盛んで、今なお、カツオを無駄なく全部食べる(利用する)習慣は、受け継がれているそうです。
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この日は、日曜日なので魚市場は休みでしたが、港に停泊している船の多くは、先端に二本、竿が伸びています。それは、カツオといえば、遠洋一本釣りが有名です。この竿で釣るのでしょうか?カツオと言えば初夏の味「初ガツオ」がおいしいという人や、カツオは秋の「戻りカツオ(トロカツオ)」に限るという人もいます。焼津のカツオの多くは「初ガツオ」であることが多く、今の時期が旬です。そこで、どこかでカツオを食べてみよということになり、店を探したのですが、なかなか見つからず、やっと漁港の近くのすし屋を見つけました。カツオといえば、「刺身」や「たたき」だけでなく、焼津鰹節、なまり節、塩辛、へそ(心臓)、はらも、角煮等として食されています。

店に入ってカツオをどのように食べようかと迷っていたら、お店の人が、「今このようなイベントをしていますが、予約制ですが、もし今日、いいカツオがあったらそれが出せますが、聞いてみましょうか?」と言っていただいたので、カウンターの板前さんに聞いてもらったところ、用意できるということで、それを頂くことになりました。それは、刺身で、少し味付けをした大根おろしとともにショウガ醤油につけて食べます。非常においしかったです。
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ほかに焼津で見学したのは、「焼津小泉八雲記念館」でした。小泉八雲といえば、かつて訪れたことがあるのは松江と熊本の居住地跡でした。しかし、小泉八雲は水泳が得意だったために、夏休みを海で過ごそうと、家族を連れてよい海岸を探していたのです。それは、彼の生い立ちに関係があるようです。彼は、ギリシャのレフカダ島(ギリシャ本土に接して西側のイオニア海に浮かぶ美しい島)で生まれました。そして、2歳の時、母と、父の実家のあるアイルランドのダブリンへ移ります。この二つの地で、彼は一生の趣味となる水泳に親しんだのです。
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そこで、彼は家族と夏過ごす地を探したのです。まず八雲一行は舞阪の海を訪れたのですが、海が遠浅で海水浴には適しているが水泳には適さないと気に入りませんでした。その後、海の見える駅で降り、順番に見て行こうということになり、降りた最初の駅が焼津だったのです。焼津の深くて荒い海が気に入った八雲は、海岸通りの魚商人・山口乙吉の家の2階を借り、以後、亡くなるまでほとんどの夏を焼津で過ごしました。

 海で過ごす八雲の姿を子どもたちに水泳を教えた後、「美しい景色に囲まれたこの海で、八雲はプカプカ浮かびながら、煙草をふかしたそうですが、とても気持ちよかったでしょうね」と見ていた人が話しています。この姿から、私は父親の姿を映していました。私は小さかったころ、よく父親に海に連れて行ってもらいました。父は私たち子どもと砂浜で遊んだあと、私たちが休憩している間、沖の方まで、姿が見えなくなるほど遠くまでひとりで泳いでいきました。そして、私たちに、「水泳は、速く泳ぐことなど何の意味もない。長く泳ぐことができることだ。」と言って、「抜き手」や「のし泳ぎ」を教えてくれました。戦争で、海に投げ出されて、何日も海の上で過ごした経験があったからでしょう。ですから、私は今でもクロールは苦手です。

我々がなすべきこと

 「性格の強み」に関する最近の研究では、科学によって示されるのは、典型的な保守派の議論とも、リベラルな人々とも全く異なった現実です。若い人々の成功にとって極めて重要な役割を果たす性格の強みは、生まれながらのものではないのです。幸運や良質な遺伝子の結果として魔法のように現れるものではないのです。また、単純な選択の結果でもないのです。脳内の化学反応に根差し、子どもが育つ環境によってかたちづくられるため、ある程度は計測、予測が可能なのです。

 つまり、社会全体としての私たちにも多大な影響力があるのです。誕生から大学を出るまでのあいだ、どういう種類の支援策が強みやスキルを伸ばすかについては、いまやたくさんのことがわかっているのです。親は格好の媒体ですが、唯一の媒体ではないと言います。私も常々、「親は子どもにとって最も大切な存在だが、それは親だけでいいということとは違う」ということを主張しています。ポールも、強みの形成を助ける力は、ソーシャルワーカーからも、教員からも、聖職者からも、小児科医からも、近隣の住人からも発することができると言います。

 助けとなる支援者は、どこから提供されるべきか、政府からか、非営利団体からか、キリスト教団体からか、あるいはこの三つの組み合わせかを議論することもできます。しかし、われわれに出来ることは何もないとは、もう言えないとしています。

 子どもと不利な状況について新しい考え方を提唱している人々が自説を主張する時、経済の話をすることがよくあります。私たちは国家的な規模で子どもの発達へのアプローチを変えていくべきだとポールは提案します。なぜなら、それが資金の節約にも経済の改善にもつながるからです。ハーバード大学内の児童発達研究センターの所長であるジャック・ションコフは、低所得層の親への効果的な支援プログラムを子どもが小さいうちに実施すれば、あとになってからの治療教育や職業訓練をする現行のアプローチよりは、はるかに費用が掛からない上に効果もずっと高いと主張しているそうです。ジェームズ・ヘックマンはもう一歩計算を進め、ペリー・プレスクールは1ドルの投資に対して7ドルから12ドル分の利益を確実にアメリカ経済にもたらしたとしています。

 このことは、ぜひ日本でも参考にしてほしいですね。現在の対策、支援策は、後手後手に回り、多額な費用をかける割にはたいして効果が上がりません。それどころか、鬱患者、引きこもり支援などの行き詰まり感がある中、できるだけ、乳幼児期に対しての取り組みを見直し、そこに費用をかけることは、結局は全体で費用の節約になるのです。

しかし、このような経済の話は確かに説得力があるかもしれませんが、保育、教育は経済的効率だけを考えて行うものではないのです。私の園でソーラーによる電気を起こすシステムを作った時に、「採算は合いますか?」と聞かれました。その時私が答えたのは、「保育、教育は採算があうからするのではなく、子どもにとってどのような意味があるかを考えてするものです。」と答えたことがありました。

ポールは、本の最後にこんなことを書いています。「避けられない運命と見えたものに背を向けてより良い道に行くという、苦痛を伴うはずの困難な選択をする若い人々を見たとき、私が感じるのは賞賛と希望だ。真剣に勉強し、自分を作り直すために、自分の人生を好転させるために、そうやって毎日もう一段、さらには成功に満ちた未来へと向けて梯子をのぼる。まわりにいる私たちは、彼らの努力に拍手を送り、いつかはもっと多くの若者が彼らに続いてくれることを望むだけでは十分とは言えない。彼らだって、ひとりでその梯子に身を引き上げたわけではない。彼らがそこにいるのは、誰かが最初に一段をのぼるあと押しをしたからだ。」

家族の影響

 なぜ、貧困がかかわる学業不振の根本的な原因を探す時に、間違った犯人に焦点を合わせ、科学が教えてくれる最大のダメージを無視してしまうのかというと、ポールは三つの理由があるのではないかと推測しています。この三つは、日本において、教育、保育を改革しようとするときの障害も同じようなことを感じます。
第1に、当の科学的な見方そのものがあまりよく知られていないからではないかと言います。あるいは、あまり理解されていないからではないかと言います。難解な理論は、濃い霧のようで、なかなか向こう側を見通すことができないからです。言いたいことを説明するのに「HPA軸」のような用語を使うときにはいつも苦労するとポールは言います。たしかに、知能について、IQについて、脳の問題などの科学的知見が、ある方向をきちんと指し示しているのに、なかなか理解してもらえません。大脳新皮質といって、ミラーニューロンといっても、だんだか専門用語に聞こえ、難しく思ってしまうのです。どうも、その難しさを、建前として捉えてしまい、具体的に改革しようとしないことが見られます。

 第2に、低所得の家庭に暮らしていない者は、貧困家庭における家族の機能不全について話すことに、当然ながら少しばかり落ち着かないものを感じるからと言います。他人の家庭を取り上げて公然と批判的に議論するのは無礼ではないか、とくに、自分が持っているものを相手が持っていない場合、その相手のことを話すのは失礼にあたるものではないか、論評するのが白人で、論評の対象となる親が黒人ならば、誰もがさらに落ち着かない気持ちになるとも言います。これは、アメリカ人の政治と心理にとってタブーに近い問題を否応なく掘り起こす話題なのだとも言います。これは、日本においても、アメリカほどの格差社会ではありません、どうしても差別問題と捉えがちになってしまうために、避けようとすることは多くあります。衛生の問題にしても、同じようなことが言えます。

 第3に、新しい逆境の科学は複雑に絡み合ったもので、その中には根深い政治信念に反する難題が、左右どちらの派閥にとっても、含まれるからだと言います。リベラルにとっては、保守派がある大事な一点において正しいことが科学的に示されてしまったのです。それは、「性格が重要である」という点です。ポールは、貧困に対抗する手段として、不利な状況にある若者に差し出せる最も価値あるツールは、「性格の強み」を置いてはほかにないと言います。キーサ・ジョーンズやケウォーナ・ラーマやジェームズ・ブラックが見事なほど多く持っていたもの、つまり誠実さ、やり抜く力、レジリエンス、粘り強さ、オプティミズムなのです。

 しかし、この「性格」が厄介です。それは、どうしても日本でもその大切さの話になると、道徳の大切さ、それが道徳の教科化につながり、道徳を教える、道徳を覚えるというような方向に行ってしまい、結局解決につながらなくなってしまう恐れがあるかです。ポールは、こう危惧します。「貧困に関する典型的な保守派の議論が一歩及ばないのは、“性格が重要である……以上”で止まってしまうところだ。貧しい人々が成長して気質をよい方向に伸ばすために社会にできることはあまりない。彼ら自身の力でそうなってもらうしかない。いって聞かせることはできるし、罰則を設けることもできるが、われわれの責任はそこまでだ、というわけである。」

 やはり、これでは解決しませんね。

幼児期から高等教育へ

 アメリカでは、幼児教育について親たちはとても悩んでいるようです。そして、不安を抱えています。その不安は、ニューヨークのような大都市ではより強く、人気の高い幼稚園に入るための競争はまさに戦いのようです。最近になって、カリフォルニアの大学の経済学者が、国中で起こっているこの幼少期の成績競争に「ちびっこレース」とよび名を付けました。年を追うごとにレースの開始年齢は早まり、より苛烈なものになっていくようでした。

 しかし、ポールは取材の中からある確信を持ちます。それは、幼児教育の大切さと、たとえば、機能のブログで紹介したような、知能至上主義ではなく、「心の道具」のようなプログラムを使い、その後いい学校に進めることであると確信します。その学校とは、子どもたちを矯正クラスに追い込むのではなく、彼らにあえてレベルの高い課題を課す学校であるとしています。そして、教室内で受けている学力向上への助けがどんなものであれ、それを補うかたちで教室の外からの社会福祉、心理学的な指導、性格形成のための指導による支援策が必要になるだろうとポールは言っています。それは、たとえば、エリザベス・ドージアがフェンガー高校に取り入れたものや「ターンアラウンド・フォー・チルドレン」というグループがニューヨーク市やワシントンDCのいくつかの低所得地区の学校に提供しているものがそれに近いと言います。

 そして、高校になると、彼らをより高い教育へ導くプログラム、学業だけでなく、感情面、精神面でも大学進学への準備をさせてくれるプログラムが必要になります。それは、ワンゴールやKIPPスルー・カレッジが実施しているプログラムの組み合わせたようなものがあれば、生徒たちが恩恵を受けられるであろうと言います。

きちんとパイプのつながったこうしたシステムを、失敗のリスクの最も高い10~15%の生徒を対象として作ったら、間違いなくかなりの費用はかかることになるだろうと言います。しかし、現行のその場しのぎのシステムよりは安く上がるに違いないのです。いくつもの人生を救えるだけでなく、資金の節約にもなります。しかも長い目で見た場合だけでなく、今すぐにでも行うべきであると提案しています。

こうして見てきたときに、貧しい子どもたちの成功と失敗に関して家族の影響が大きいと話すのは、ときに居心地の悪いものであるとポールは言います。それは、誰でも同じで、多くの教育改革の関係者は、成功への主な障害は学校のシステムの中にあると思いたがります。そして、生涯を克服するための解決策もまた教室の中で見つけようとするのは、彼らの信念に近いものとしてポールは感じています。

これに比べて改革に懐疑的な人々は、低所得層の子どもの成績が悪い原因を学校の外に求めたがります。そして、それは家庭の機能とは関係のない項目を選ぶ傾向にあると言います。例えば、環境中の毒素とか、食の安全が保たれていないこと、ヘルスケアや公営住宅が不十分であること、人種差別といった、個人の力を越えたものであると言います。たしかに、それらの問題もすべて現実に存在し、重要でもあります。しかし、それは実際には貧しい子どもたち、とりわけ極度に貧しい子どもたちが直面する最大の障害ではないのです。障害は、やはり高いレベルのストレスを生み出す家庭やコミュニティであり、そのストレスに子どもがうまく対処するのを助けるはずのアタッチメントが欠けていることだというのです。

では、なぜ、貧困がかかわる学業不振の根本的な原因を探す時に、間違った犯人に焦点を合わせ、科学が教えてくれる最大のダメージを無視してしまうのでしょうか?

心の道具

 ポールは、幸福と成功に満ちた人生を示すほかのしるしを、やりがいのある仕事や健全な家族、安定した家庭などとしています。このような人生を送るための具体的な提案をポールはしています。例えば、総合的な子ども健康センターのようなもので、心的外傷に焦点を合わせ、社会福祉による支援も織り込んだケアがすべての患者に行うようにする。これは、望ましいアタッチメントを築くための親への支援策にもつながっていきます。

 ここで、ポールは、就学前の幼児教育にも触れています。それは、幼い子どもの実行機能の能力と、自制心を育てる『心の道具(ツールズ・オブ・ザ・マインド)』のようなプログラムを使うこともいいのではないかと提案しています。ポールがこの保育に出会ったのは、彼の息子が生まれた数週間後、取材のために訪れた時です。このときの印象が、「成功する子 失敗する子」の序章に書かれてあります。

 「最初にざっと見たかぎり、教室は普通の様子だった。壁は明るい黄色に塗られ、ホワイトボードの横にアメリカの国旗が立てられていた。4歳児たちは部屋中で就園前の児童がよくやる遊びを楽しそうにやっていた。レゴブロックで塔をつくったり、サンド・テーブルでトラックを動かしたり、何人かで一緒にジグソーパズルを組み立てたり。」このような保育の風景は、アメリカではほとんどの園で行われている様子です。この保育室は普通の様子だとポールは言っていますが、実は日本ではまだまだこのような保育を行っている園は少ないようです。先生が前に立ち、子どもたちが椅子に座り先生の話を聞くか、先生によって指示された課題を一斉に行っている園が多いような気がしています。しかし、ポールは、数時間この保育室にいることによって、ここの保育の普通と違うところを目にします。

 「まず、子どもたちが非常に静かで行儀がいい。この日は泣く子もいなければぐずぐず言う子も癇癪を起こす子もおらず、けんかもなかった。だが意外にも、ミズ・レオナルドという名前の黒髪の若い教師は秩序を保つためにわざわざ何かをするようなことはなく、あからさまなやり方で子どもたちの行動を誘導しているふうでもなかった。お説教もなければ、金の星もなし、休み時間もなし。“ケリアンヌはちゃんとお話を聞いていてえらいわね!”といった言葉もない。実際、行儀の悪い子への罰も全くなかった。」

 ポールが出会ったこの保育は、『心の道具(ツールズ・オブ・ザ・マインド)』というプログラムだったのです。幼稚園児童と就学前児童のための比較的新しいカリキュラムで、デンバーの二人の教育者によって従来とは違う児童発達論に基づいて作られたものです。こんにち、アメリカの早期教育プログラムのほとんどは学習準備のための特定スキルを伸ばすように作られています。特定スキルとは、大半がテキストを読み解くことと数字を操ることに関係したものです。これに対して、この保育は、読み書き計算にあまり重きを置いていません。手助けをするのは、それとは異なるスキルを子どもたちが身につけようとするときなのです。衝動を抑えること、手元の作業に気持ちを集中すること、気を散らす罠を避けること、感情をコントロールすること、考えを整理すること、こうした「自主管理能力」の範疇にあると考えられるスキルが、従来のメニューどおりの学習準備よりも1年生以降の成果につながると信じているのです。

有効な支援

 アメリカでは、統計的に見て保護者はあまり教育を受けておらず、一度も結婚したことのないシングルマザーである確率が高いのです。また、保護者は虐待、あるいは育児放棄の疑いがあるとして児童福祉局に報告された可能性も統計的に高いのです。神経科学者や心理学者の研究からわかっているところによれば、こうした家庭に育っている生徒はACEのスコアが高く、保護者との安定した愛着関係を築いている可能性が低いのです。これによって、実行機能の能力も平均より低くなる傾向が強く、対人スキルに欠け、じっと座っていれなかったり、指示に従うことが出来なかったりするのです。それが、教師の目には問題行動に映ってしまっているのです。

 こうした子どもたちが猛烈に助けを必要しているにもかかわらず、学校改革で作り出された方策はきちんと機能しているとは言えないとポールは指摘します。低所得層の中でも比較的余裕のある、年間収入41000ドル前後の家庭の子どもについてはかなり有効な支援策が講じられてきました。しかし、さらに深刻な状況にある子どもたちに手を貸す確実な方法は、実際のところまだ誰も見つけていないとポールと言います。さらに、現在つくり上げてきたのは政府の機関やプログラムによるバラバラな、その場しのぎのシステムにすぎないと指摘します。それでは、子ども時代の一部、思春期の一部を断片的に支援することしかできないというのです。

 なんとも、日本においても耳の痛い話です。この学校改革においての問題点は、幼児教育においても然りで、少子化問題、待機児解消、後のひきこもり、現代うつ病の増加などの問題も対策が功を奏しているよりも、悪化している感があります。どうしていったらいいのでしょうか?

 このようなとぎれとぎれのパイプラインの問題は、同じようにポールは何もこの時期だけの問題ではなく、メディアケイド適用のクリニックの慢性的な混雑から始まって、児童福祉局を含む様々な社会福祉事業や病院の救急救命室まで続いていると言います。そして、ひとたび子どもが学校に上がれば、このシステムによって特殊教育や矯正クラスやオールタナティブ・スクールに回されるかもしれませんし、その後ティーンエイジャ―になればGEDプログラムやオンラインで行える単位回復のコースがあり、まともなスキルを身につけないまま高校を卒業してしまうようなこともしばしば起こっているとポールは言います。このようなことは学校内だけでなく、里親家庭や少年院、保護観察官なども含まれると言います。

 ポールは、「このような機関が特にうまく運営されていたり、そこに力のあるスタッフが集められていたりすることはほとんどない。TFAが送り込んでいるような新卒の教師に相当する、若く熱意のあるスタッフは皆無だ。そして彼らの仕事ではたいてい連携不足が起こっている。」ずいぶんときついですね。しかし、ポールはあらゆる所への取材と、熱心に取り組んでいる教師と知り合う中で感じたことなのでしょう。さらに、私が常々感じていることと同じことを感じているようです。

 「子どもやその家族について言えば、これらの機関とかかわることでストレスがたまり、疎外感を覚え、屈辱すら感じるというのはよくあることだ。システム全体を眺めても、莫大な費用がかかる割にひどく効率が悪く、成功の度合いは極めて低い。」それは、このシステムを通過して育った子どもに大卒者はまずいないし、幸福と成功に満ちた人生を示すほかのしるしもほとんど見られないからというのです。