家族の影響

 なぜ、貧困がかかわる学業不振の根本的な原因を探す時に、間違った犯人に焦点を合わせ、科学が教えてくれる最大のダメージを無視してしまうのかというと、ポールは三つの理由があるのではないかと推測しています。この三つは、日本において、教育、保育を改革しようとするときの障害も同じようなことを感じます。
第1に、当の科学的な見方そのものがあまりよく知られていないからではないかと言います。あるいは、あまり理解されていないからではないかと言います。難解な理論は、濃い霧のようで、なかなか向こう側を見通すことができないからです。言いたいことを説明するのに「HPA軸」のような用語を使うときにはいつも苦労するとポールは言います。たしかに、知能について、IQについて、脳の問題などの科学的知見が、ある方向をきちんと指し示しているのに、なかなか理解してもらえません。大脳新皮質といって、ミラーニューロンといっても、だんだか専門用語に聞こえ、難しく思ってしまうのです。どうも、その難しさを、建前として捉えてしまい、具体的に改革しようとしないことが見られます。

 第2に、低所得の家庭に暮らしていない者は、貧困家庭における家族の機能不全について話すことに、当然ながら少しばかり落ち着かないものを感じるからと言います。他人の家庭を取り上げて公然と批判的に議論するのは無礼ではないか、とくに、自分が持っているものを相手が持っていない場合、その相手のことを話すのは失礼にあたるものではないか、論評するのが白人で、論評の対象となる親が黒人ならば、誰もがさらに落ち着かない気持ちになるとも言います。これは、アメリカ人の政治と心理にとってタブーに近い問題を否応なく掘り起こす話題なのだとも言います。これは、日本においても、アメリカほどの格差社会ではありません、どうしても差別問題と捉えがちになってしまうために、避けようとすることは多くあります。衛生の問題にしても、同じようなことが言えます。

 第3に、新しい逆境の科学は複雑に絡み合ったもので、その中には根深い政治信念に反する難題が、左右どちらの派閥にとっても、含まれるからだと言います。リベラルにとっては、保守派がある大事な一点において正しいことが科学的に示されてしまったのです。それは、「性格が重要である」という点です。ポールは、貧困に対抗する手段として、不利な状況にある若者に差し出せる最も価値あるツールは、「性格の強み」を置いてはほかにないと言います。キーサ・ジョーンズやケウォーナ・ラーマやジェームズ・ブラックが見事なほど多く持っていたもの、つまり誠実さ、やり抜く力、レジリエンス、粘り強さ、オプティミズムなのです。

 しかし、この「性格」が厄介です。それは、どうしても日本でもその大切さの話になると、道徳の大切さ、それが道徳の教科化につながり、道徳を教える、道徳を覚えるというような方向に行ってしまい、結局解決につながらなくなってしまう恐れがあるかです。ポールは、こう危惧します。「貧困に関する典型的な保守派の議論が一歩及ばないのは、“性格が重要である……以上”で止まってしまうところだ。貧しい人々が成長して気質をよい方向に伸ばすために社会にできることはあまりない。彼ら自身の力でそうなってもらうしかない。いって聞かせることはできるし、罰則を設けることもできるが、われわれの責任はそこまでだ、というわけである。」

 やはり、これでは解決しませんね。