質の難しさ

 改革には、困難が伴うものです。保育を見直そうとすると、「では、今まで私たちがやって来たことを否定するのですか!」と詰め寄られることがあります。私は、最初のころは、「いや、否定するのではなく、皆さんの積み上げてきたものがあったからこそ、新しいものが見えてくるのです」と答えていました。しかし、それだけではないと思い始めました。それは、時代の要請によって左右される教育、保育の分野においては、時代が変わることによって価値が変わってくることがあります。

 例えば、野菜を育てるときに、1年中、大量に、形のいいものをつくろうとして農薬をたくさん使うことをしていたところ、少しぐらい形がまずくてもいいだろう、旬のものをなるべく食べるようにしてもいいから、農薬はなるべくつくのを予想としたときに、「私たちが今までしてきた農業を否定するんですか!」と言われても、過去の事情を責めるのではなく、その教訓を生かして、「新しい農業の在り方を考えましょう!」と言ってもいいはずです。

 改革者たちのコンセンサスをよそに、教員の質に関する国の支援策は、かなりの異論があるようです。教職員組合は、自分たちがこれまで数十年かけて勝ち取ってきた職業上の保護の多くを露骨に侵害する試みであると危惧しているそうです。このようなことは、どの世界でも、どの国でもあるのですね。しかし、組合に関する意見はどうであれ、教員についての研究はまだ立証はされていないのです。立証されていない大事な部分は、与えられた期間内にどの教師が高い成果を上げることができるかを判断する確実な方法がわかっていないことです。怠慢に見えた教師が生徒とともに突然大きな進歩をとげることもあります。有能な教師が突然坂を下り始めることだってあります。それに優秀な教員の一団なら低所得層の生徒の成績に効果を積み上げていけるのかどうか、本当のところはわかっていないといいます。

 アメリカの現行のシステムでは、上手に教えることの最も必要な生徒たちに最も能力の低い教員が割り当てられる事態が長年続いてきました。しかし、これらに対しての取り組みは深刻な問題ではあるのですが、貧困をめぐる議論が教育改革の議論へと融合して消えた過程で、もうひとつの重要な事実も見失ってしまったとポールは書いています。それは大きな成果を上げているチャーター・スクールを含め、最も普及している学校改革の多くが、低所得層のなかでも上層の子どもたちの間でもうまく機能し、最下位の子どもたちの場合には機能しないことがたびたびあるということです。連邦の教育省が経済的な援助を必要とする対象を決める際の大ざっぱな方法では、この事実が覆い隠されてしまうとポールは言います。こんにちのアメリカにおける公立学校の生徒の経済状況を示す公式指標は、昼食のための補助金を受けているか否かだけだといいます。

 しかし、このときの対象者は年間の収入が貧困ラインを基準として185%の線を下回る家庭に提供される政府の福祉の一つですが、特定の改革や学校で低所得層の生徒の成績に改善があったと喧伝されるとき、教育省の低所得層の定義にはアメリカの子どもの40%が含まれることを考慮すべきとポールは言います。彼らは、学業への障害に数えきれないほど直面しているというのです。それは、何を買えるか、買えないかといった問題を超えた深刻なものである可能性が高いのです。こうした子どもたちが猛烈に助けを必要としているのです。