自己の体験

 いよいよ、この「成功する子 失敗する子」の本の最後の章にきました。この本は、フリーのジャーナリストで、子どもの貧困と教育政策を専門に多数の執筆と講演活動を行っているポール・タフによって書かれたものです。彼は、本書のために行った取材をもとに、KIPPとリバーデールと性格についての記事を書きました。2011年の9月にニューヨーク・タイムズ・マガジンに掲載されたその記事は、多くの読者からの反応が洪水のように寄せられました。その多くは、失敗と成功について、ランドルフの考えに共感すると述べたものでした。

 この反響の中には、こんな自分の体験を書き込んだ人もいました。「自分もランドルフがいうような子どもの一人だった。テストのスコアは高く、大いに褒められて育ったが、本物の難題に直面することで得られる“やり抜く力”は全く伸びなかった。私は今30代ですが、失敗を恐れることがなければ、成功の保障されていない冒険から尻込みするような性格でなければ、どれだけのことをやり遂げられただろうとよく思います。」

 記事が掲載されてまもなく、大学での持続性の調査に没頭している間、自分を振り返ります。実は、ポールは、コロンビア大学の1年生で、人生が不安定な時期にあったこと、大学を中退しているのです。彼は、当時を振り返ります。「当時は重苦しい、運命を決する選択に思われたし、それは今でもそうだ。実際のところ、ここ25年以上のあいだ何度も、しばしば後悔を伴って思い返してきた決定である。」

 そんな彼は、この本の取材の中で、真剣に大学生活から何を手に入れたいかを考え、卒業することを悲願に真剣に取り組んでいる生徒たちと触れ合っていきます。本書で取り上げてきた研究者の多くが、高校や大学を中退するのは「非認知的スキル」が低い証だとしているところも目につきます。やり抜く力が弱いこと、粘りが足りないこと、計画を立てる能力に乏しいこと。振り返ってみると、確かにやめる決心をしたときのポールは、重要なスキルのいくつかが欠けていたことは認めます。

 しかし、彼は、この本を書いているうちに自分の選択をもっと寛大に解釈する方法を見つけます。それは、ランドルフとの会話の中に見つけるのです。彼は、「失敗は、少なくとも失敗への本物の危機感は、成功につながる道への決定的な1歩になりうる。」という主張です。ランドルフが危惧していたのは、リバーデールの裕福な生徒の多くが現代アメリカのエリート階級の歯車となり、私立学校、家庭教師、アイビーリーグの大学、完全なキャリアというレールにはまり込んで、家族や学校や周囲の文化によって小さく丸め込まれ、逆境を克服して気質を伸ばす本物のチャンスを与えられていないのではないかということだったのです。「やり抜く力や自制心は失敗を通して手に入れるしかない。しかしアメリカ国内の高度にアカデミックな環境では、たいてい誰も何の失敗もしない。」

 ポールは、大学を中退したころの自分の文章を読み返してみて、そのころに自分と再会をします。彼は、高校では勉強はできたほうでした。学校の成績も標準テストのスコアもよかったようです。大学に到着して興奮し、混乱します。そして、教室に座っているのはあまりうれしくあまりせんでいた。高校のときでさえ、きちんとして生徒ではあったものの、学校教育と自分との関係については重大な疑問を感じ始めます。

 その後、どうして彼は、このような記事を書くに至るのでしょうか?