大学卒業の力

 学生が大学をきちんと卒業できるかどうかを予測する指標は、入学のために受ける二つの共通テストのスコアではありませんでした。最難関の公立大学でなあいかぎり、入学視点の成績は大学卒業できるかどうかとはあまり関係なかったのです。それよりも、はるかにデータとしてあてになったのは、高校時代の評点平均だったのです。これは、大学入学のプロセスに関わる人々にとっては、ちょっとしたショックだったようです。それは、20世紀後半のアメリカ社会に行き渡っていた能力主義の精神に反するからです。
 アメリカで、SATという大学入学共通テストが開発されたのは、第二次世界大戦後、高校の成績で先を見通すのは無理ではないかという懸念が大きくなったからです。それは、高校の評点で比べるとなると、平均の高い高校と低い高校の生徒はどうやって比べたらいいかということになります。ですから、大学でやっていくことができる能力を、一つの明白な数字へと純化する客観的なツールとしてSATは作られたのです。

 しかし、大学卒業するためには、実際はこの数値は指標にはなりませんでした。たしかに、評点平均の高い名門校の生徒の方が教育困難校の生徒よりいくらか卒業できる可能性は高かったのですが、その差は意外とささやかだったのです。ボーエンらは、「高校の成績が非常によかった学生の大多数は、たとえその高校が困難校でも、どこであれ入学した大学をきちんと卒業した」と言っています。
 様々なデータ、研究によっての調査結果から驚くべき結論に到達しました。「ある学生がまっとうなアメリカの大学を卒業できるかどうかは、当の学生の頭の良し悪しとはあまり関係がない。むしろ中学や高校で高い評点平均をとるための性格の強みと関係がある。」ということでした。

 ボーエンらは、この結果について、「わたしたが見たところ、高校の成績は学科の習熟度以上のものをあらわにしている。モチベーションと粘り強さ、そしてさらに、良い学習習慣と時間管理能力の有無を明らかにしている。これは当の生徒が大学の教育課程を修了できるかどうかを判断する大きな材料となる。」と書いています。

 ここで、新たな問題が起きます。それは、そうしたスキルや習慣を教えられるのは思春期では無理であるという見方があります。そうなれば、その時点でそのようなスキルがあるかないかによるだけの問題になってしまい、そうしたスキルや習慣を持っていれば卒業でき、持っていなければできない、それだけのことになってしまうのです。そこで、本当は、幼児教育の大切さと、幼児教育でやるべき内容が見えてくるのですが、問題を多く抱えている人たちに、幼児教育が大切ですと言っても、ではもう手遅れなのかと言われてしまいます。そうではなく、ティーンエイジャ―のために出来ることを探る必要があります。

 その時に、チェスの選手たちの考える力を育んだ方法、また、人生観を変える手助けをしたときの方法を思い出す必要があるのです。
 チェスの選手たちは、ヘックマンの言う「非認知的スキル」、レヴィンの言う「性格の強み」を使うことによって、すばやく予想外の変化を遂げ、教師や助言者は生徒たちの変化を助ける方法を見つけたのです。その方法で、チェスの上達を助けるだけでなく、あるいは学校でけんかをやめるように説得するだけでなく、まさに彼らが大学を卒業するのに必要な知的技能や性格の強みを伸ばす手助けができるのでしょうか?