人間体験

 私が副町会長を務めた町会は、かなり大きな朝会で、総会は小学校の体育館で行います。体育館がいっぱいになるほど町民が集まる総会です。壇上には、国旗が貼ってあり、役員が順に事業報告、事業計画、予算、決算などを報告します。その総会の私は司会をしたのです。私は、いろいろな団体に出ますが、総会というのは、形だけのところが多く、出席者も役員だけのイメージでしたが、こんなに町民が町会運営に関心があるとは思っていませんでした。しかし、出席者の中では、私は一番若かった気がします。

 その後、広報紙を発行するのですが、そのほかにもいろいろと企画をしました。その相手は、高齢者です。今考えると、ずいぶんと高齢者に翻弄されました。町会の旅行も、私が感じで取り仕切るのですが、一人のお年寄りが朝、集合時間が来ても待ち合わせの場所に来ません。当時、携帯電話がありませんから、自宅に迎えに行きました。すると、まだ寝ているではありませんか?そこで、もう出発すると告げると、自分もどうしても参加したいとぐずるので、支度を急がせて、バスに乗り込みホッとしたのもつかの間、あまり私がせかすので、朝顔を洗っていないので、パーキングエリアにバスを止めて顔を洗わせろと要求します。ただでさえ、時間が押しているのにと思っても、譲りません。仕方ないので、運転手さんと相談をして止めることにしました。

 このときの経験で、普段はきっと付き合うことのないようなお年寄りとも、いろいろなことを経験しました。例えば、町内ゲートボール大会に、出場したときのことです。みんなお年寄りですが、ゲートボールの試合となると、リーダーシップを取る人がいつもと違ってきます。いつもは、静かに目立たない人が、突然、あれこれ指示します。それは、他の場面でも、リーダーが変わります。祭りのときはこの人、町内清掃の時はこの人、避難訓練の時はこの人、様々な得意分野を持った町民が集まり、町会が運営しているのだということを知りました。当然その中には、偏屈と呼ばれる人や、クレーマーといわれる人や、常に上から目線で人に指示する人たちもいます。しかし、なぜか、それらの人たちが微妙なバランスを取っているのです。それは、いくら文句ばかり言っても、頑固でも一人では生きてはいくことができないことを知っているからでしょう。

 また、町民はみな村の鎮守様の氏子になるということで、日本の神道に於ける多種多様性を認め合うことに根差しているのかもしれない気がしました。それは、宗教というよりは、拠り所なのです。それは、様々なことで思い知らされました。その前では、理屈が通らないことが多かったのです。どんなことでも「鎮守様は悪いことなどするわけはない。」ということで片付けてしまうのです。

この経験から、長い間人類が生存してきたのは、理屈でも、科学でもなく、お互いの緩やかなつながりであり、その微妙な距離感、多様性であることを知ることができました。それは、決して、学校の授業だけ、書物の中だけ、仲のいい友達の関係からだけでは学べないことなのです。このような経験なしに、今の若い人は突然職場という場で様々な人と出会うことになるのです。しかも、その職場が営利を目的としていたり、明確な、誰もが合意するような目的を持った組織であればいいのですが、非営利組織であったり、人を対象にするような仕事である時には、人間関係に悩むことが多くなるのです。悩むだけであれば、いいのですが、それに打ちのめされたり、傷ついてしまう若者が、最近多いことが気になります。その傾向が、最近保育園において離職率が高いことの原因の一つの気がします。そして、派遣とか契約社員としての働き方を望む人が増えている原因にもなっている気がします。

人間体験” への11件のコメント

  1. 藤森先生の町内会でのみなさんとの関わりにはきっと、もっと様々な出来事があったことと思いますが、旅行での出来事などから様々な人がおられる中での付き合い方の難しさを感じます。そんな場面を経験することで、いろいろな人との付き合い方、立ち振る舞いを覚えていくのかもしれませんが、いざ、自分が同じ立場になったらと考えると想像もできません。うまく対応できるかできないかではなく、自分もそのような立場になることがあれば、その関係の中に勇気を持って飛び込んでいくことが大切なのかもしれません。何かをする時についメリットやデメリットのことを考えてしまうことがあるとすれば、自分の想像をこえた体験を経験することもできなくなるのかもしれません。メリット、デメリットを考えずに大人としての責任や役割としてそのような関わりができればと今から意識しておかなければいけないなと思いました。思うだけではダメなんですよね。私の悪い所です。

  2. 実は僕も今年度、9年に1度回ってくる地区の組長をしています。(かなり規模は小さいですが)定期的に会議にも出席しなければならないのですが、年も1番若く、同年代の知り合いもいない中、普段、関わることない人たちと話し会いや、活動をするのは色々な意味で刺激的です。年齢の幅もひろく、当然、仲の良い人たちばかりが集まるわけではないので、話が前に進まないこともしばしばです。しかし、そんな人たちが集まるからこそ、馴れ合いではなく、様々な角度から意見も飛び出し、町づくりがされているのだと、今更ながら感じました。年齢や性別、性格や考え方など、多種多様な人たちとの関わりの中で学び、気づいたりすることは多々ありますし、それはかけがえのない体験、経験になると思います。そう思うと、今度から、地域の会議に参加するのが何だか楽しく感じられてきましたし、組長としての仕事の見方も変わってきそうです。

  3. 20代から30代の頃、私が基本付き合う人たちは40代から50代、60代でした。田舎に戻り、保育園勤めを始め、やがてその園の園長を仰せつかると、法人の理事さんたちは60代から70代、地方の園長さんは地域の名士?さんの序列に列せられ、結果、お付き合いする人たちが70代から80代、時に90代の方もいらっしゃいました。私は結構、どんな場所でもはきはきとモノを言ってしまうタイプなので、自治体が主催する委員会の場で、当時の町長さんが私に「60代は洟垂れ小僧、70年代で青年」と助言して下さったことに対して、すかさず、「では、私たち40代は精子や卵子ですか」と切り返してしまい、大顰蹙を買ったことをいまだに冷や汗と共に思い出します。自分と近い年齢の人たちと仕事を一緒に出来ると結構楽なのかもしれませんが、逆に、空気が読めなかった場合、年齢が近い分、辛辣ないじめや無視に繋がることもあるのでしょうね。年齢の刷り込みを廃した人間関係の構築にこれから私たちは取り組まなければなりません。

  4. 職場環境や人間関係に馴染めず放棄してしまう人、また、人と接すること自体から離れてしまうニートなどの人達は、長い間人類が生存してきた理由や方法を放棄してしまうことになるのですね。お互いの緩やかなつながりや、その微妙な距離感、多様性の大切さを認識せずに生きていくことはとても生き辛い。放棄をしてしまえばその時は楽ですが、乗り越えるような、身体で理解するような経験をしない限りは、結局同じ壁にぶつかります。その度に逃げるとするならば、自分本位でとても勝手な人間になりかねません。
    言い換えれば、つながりや距離感、多様性を大切にしていくことは、自分の子孫を繁栄させていく間違いのない方法なのではないでしょうか。お互いの妥協点を見出し、相手を認め、より良い関係を築き上げていくことに努めることが夫婦関係であるとするならば、その子ども達はきっと両親の在り方から人間関係の基礎を知り、他者との関係を構築していく際の方法として両親から得たものを実践していくはずです。自分勝手に生きれば、連れ添ってくれる相手にも恵まれず、自分の子孫も残せない。反対に、お互いの緩やかなつながり、微妙な距離感、多様性を認めていくことができれば、相手にも恵まれ、豊かな人生を歩むことができる。僕達の祖先は、本能的に、あるいは後天的にそのことを知っていったのかもしれません。
    しかしながら、僕はその環境に馴染めず、打ちのめされたり、傷ついてしまう若者の気持ちもとてもよくわかります。それをフォローしてくれる人の存在、あの人がいるからもう少し頑張ってみよう、あの人が励ましてくれるから頑張れる、といったような人の存在が若者にはとても重要だと思います。人生経験が豊富な人こそ、こういった若者をフォローし、より良い職場づくりを体現していっていただきたいと思います。
    自分から何かを決断し、実行していく体験が少ないままに社会へと出ていく若者、自分の理想ばかりが膨らみ、現実とのギャップを埋められずに苦しむ若者に、現実を逃避するような形でその職場を去っていくのではなく、そこから何かを得て、目標をもって次のステップへと進んでいってほしいと願います。職場環境によって違いがあると思いますが、派遣や契約社員などの立ち位置からでは学べないことが往々にしてあるように思います。

  5. 体育館いっぱいの町民が集まる町会。それだけでも、自分たちの町に対する思いが伝わってきます。例え、理不尽な要求をしていたとしても、町を愛しているといった根本が感じられれば、そんな相手の気持ちに寄り添おうと思えるかもしれませんね。すべてが、自分よりも年上の人々の総会を仕切るなんて、これまで使ったことがない、新たな思考回路といいますか、頭をフル回転させて、その場の雰囲気を読み取り、常に柔軟でなければいけない様子が伝わってきます。また、そんな方々には、各々に得意分野があり、周囲も自然とそれを把握していて、互いに絶妙なバランスを保っているという、普通であって普通でない人間模様が非常に魅力的に映ります。そういった経験が、「緩やかなつながり」や「微妙な距離感、多様性」の理解をもたらしたとなれば、思いきってそういった場に飛び込む勇気も必要だと感じました。多様な方々との社会経験が、人の深みや味を確立していくのでしょうね。

  6. 最近、わが子の通っている園の保護者会の話し合いだったり、役の話だったりと、新たな関わりが大切になってきている気がします。しかし、住んでいる町内の総会はまだ話すら聞いたことがありません。やはり、町内の関わりは減ってきてしまっているのでしょうか。先生のように大きな町内会の団体があり、またそれに誘ってくれる方がいるというのはとてもうらやましい環境だと思います。

    経験を重ねた方の話はとても学びが多く、その中で、「それぞれの得意分野によりリーダーシップをとる人が違う」「理屈の通らないところも納得してしまう」といった、人と人の関わりは極められたところでもあるのではないかと思います。

    そうしたことが、見守る保育の中の「チーム保育」であったり、「まるごと信じる」といったところにも活かされているのではと思ったとき、先生の貴重な体験を若くして学させていただいているようで、本当にありがたく感じます。

  7. 町会に集まる人々においてもそれぞれに得意分野があり、それを最大限に活かすために各々がその得意分野を活かせる場でリーダーシップを発揮できる。藤森先生の考えるチーム保育はこの町会での経験からも育まれてきたように思えました。様々な個性も持っている方々が大勢集まることで意見の食い違い等が起きても、それぞれの得意分野を活かすことができて、何より体育館いっぱいに町民が集まることから町を想う気持ち一緒なので最終的には一致団結して様々な事柄と向き合えるのかなと思いました。
    そしてそれは職場でも同じことですね。土台や理念を元に目標や環境構成等にそれぞれの得意分野を活かしてアプローチする。同じ土台や理念の中であればアプローチのし方は違えど向かう先は同じ。自分の考えるアプローチとは違うアプローチを知ることができたり、同じ土台や理念の元に集まる場は学びの宝庫であるなと思いました。そして自分がそういった場で日々学ばせていただいているのだなと再認識できました。

  8. 家族、学校などでの友だちの2つの場だけではなく、全く違う価値観を体験できる第3の場を自分の居場所として持っておくことの重要性を感じる内容です。また、自分ではどうにも収めることのできない出来事に出くわした際に、それをうまく処理することのできる拠り所としての宗教観も大事なんですね。多様な人との関わりや多様な価値観を持つことは、困難なことに出くわした際に簡単にくじけてしまうことのない自分を作ってくれると思います。しんどい思いをしても、それぞれのしんどさに対応できる価値観があれば、必要以上に苦しい思いを抱えてしまうことも避けられるんじゃないでしょうか。

  9. 藤森先生の若い頃のお話を聞くたびにもっと頑張らなければいけないなと感じます。その町会での体験、まさに人間体験といった感じですね。体育館いっぱいになるほど町民が集まるというのはいかに自分の町を大切にしているかがわかります。その町会に参加することがなければ、お年寄りとの関わりもなかったとするならば、それは貴重な体験に繋がりますね。普段私たちの世代ではそういった経験が出来ることは少ないように思います。実際に経験不足の状態で今に至っているので若者の気持ちはわからなくはありません。そうなるとやはり、自らそういった環境に身を置き、体験する必要がありますね。自分の知っている小さな世界だけでは狭い、もっと世間を知る好奇心のようなものが必要であると感じます。私の奥さんのお父さんとお話をした時に、なんでもワイドに物事を見なさいと言われています。その姿勢を改めて大切なんだなと思いました。

  10. 「人間体験」この言葉はなんだか新鮮です。社会に出て色々な人と出会い、当たり前ですが誰とも被らず、一人ひとりが違っています。もちろん中には自分と真逆な考え方の人もいますし、本能的に苦手な人もいます。そんな「人間体験」をしていくことで、多くのことを学んでいくのかもしれません。私の地元にも町内会がありました。お祭りなどのイベントがある時は父親たちが企画と称した飲み会をしていますが、当時小学生だった私もお邪魔することもしばしばありました。するとお寺の住職、レストランのコック、食料品の販売、学校の先生など、色々な職業の人、そして何よりも父親と同じくらいの年齢の人で、父親以外の人と関わる事が無かったので、特に理由はないのですが、なんだか楽しかった記憶があります。今でも時々地元に帰り、道端で会うと気さくに声をかけてくれます。少し、社会に出てからの「人間体験」とは違うかもしれませんが、個人的にあの時に体験した「人間体験」も貴重な時間ではないかと思います。その時の体験が自分の人生にプラスになっているのか分かりませんが、父親くらい年の離れた人と話すのが私は苦手ではないので、もしかしたら当時の経験が活かされているのかもしれません。

  11. いろんな人たちの関わりが絡み合った中での、バランスの取れた環境の中に入れることはとても自分にとって価値のあることだと思います。自分自身も以前働いていた保育園は職員の先生方のそれぞれの力が発揮できる職場だったのですが、そこで必ずバランスを取る人や良い組み合わせがあったように思います。だからこそ、そこで働くことで私は人としても一つ大きくさせてもらったと素直に思えました。今回の内容でもお互いを「尊重」している姿勢がとても見えます。職場といういろんな人がいる場所だからこそ、こういったお互いを「尊重する」ことのできる環境を作ることは必要ですね。そして、その環境がまさに「人間体験」であるのだろうし、お歳を召しているかたほど、その度量が大きいからこそ、「尊重する」姿勢がよりあるように思います。

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