ドイツ報告2014-1

 こちらは朝の8時です。これから今日の見学先に向かいます。その報告は明日からになるので、その前に私が常々思っていることを書きます。

日本では、現在認定こども園についての形が作られてきました。そして、その保育内容として「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」が示されました。この言葉は、「幼稚園教育要領」の「教育」と、「保育所保育指針」の「保育」を採って、「教育・保育」と列挙したと思いますが、実は、昭和23年に幼稚園だけでなく、保育所や家庭における保育の手引書を目指した試案として刊行された「保育要領」というものがあります。しかし、それが1956 (昭和31)年には、「幼稚園教育要領」として刊行されます。ここで、「保育」が「教育」という言葉にとって代わるのです。

どうして「保育要領 (試案)」が改訂される必要があったのか、また、「幼稚園教育要領」の作成するにあたって、どのような議論があったのでしょうか?その経緯については、どこかで考察してみたいと思っていますが、それは置いておいて、私は、子ども園が幼保一体化の施設であるのであれば、「保育要領」でいいのではないかと思います。それは、「保育」という概念がドイツにおいての「陶冶」に似ているような気がするからです。ドイツが「教育」から脱し、「陶冶」とう概念に移行したことは、参考になります。

しかし、何回もブログにも取り上げ、その解説を書いてきましたが、やはり「陶冶」という概念は非常に難しく感じます。それは、日本人にとってだけでなく、当のドイツ保育関係者の中でも説明するのが難しいようで、昨年からは、単純に「教育」と訳すようになりました。しかし、もともとは「教育」とは併記されていたもので、OECDで取り組んでいる、ECEC(early childhood care and education)という、「ケアと教育」に、ドイツの規定では、付け足して、教育(Erziehung)と陶冶(Bildung)と保護(Betreuung)としています。

ドイツの保育が大きく変わるきっかけは、東西が統一された時に、それまで異なる保育システムを構築してきた新旧連邦州に統一の保育を行おうと、1990年に児童青少年福祉法22条の規定によって枠組みを作ったことから始まっています。ドイツでは、幼保一体という作業だけでなく、国内統一という作業が課題だったのです。

ドイツのタクシーは、8割がベンツ、1割がBMW、そのほかがアウディーなど

ドイツのタクシーは、8割がベンツ、1割がBMW、そのほかがアウディーなど


この1990年の児童青少年福祉法では、3つの概念は「保護と陶冶と教育」を示しています。その時には、「保護」という言葉が最初に出されていましたが、その後2004年の法律改訂で「保護」と「教育」が入れ替わって、「教育と陶冶と保護」として援助の課題が規定され直されたことを表わしています。(齋藤2011による)それは、これまで「社会教育」の施設として捉えられてきた保育施設を、学校教育システムの基礎段階として位置づけ、それにふさわしい内容を行うようにしたということです。

というのは、もともと「陶冶」というのは、日常用語としての陶冶は、学校教育、知的教育を意味してきたからです。しかし、ここでいう学校教育を表わすBildungという用語には、知識の詰め込みといった、否定的な含意もこめられて使われることもあるのです。当時は、この動きについて、幼児教育の専門家のなかには、保育施設が一般の学校や職業学校、大学などと「同じセグメント(クラブ)」に属したことを意味すると歓迎した人もいたそうです。

ドイツの街並み

ドイツの街並み


このような動きは世界中で起き始め、そのきっかけは、私が少し前に取り上げたアメリカにおける「ヘッド・スタート計画」であり、貧困の悪循環を断ち切る鍵が、教育に、とりわけ就学前教育の充実にあるとしたからです。それが次第に学力の問題ではないとわかってくるのですが。

ドイツ報告2014-1” への10件のコメント

  1. 様々な国で就学前教育としての保育施設のあり方に注目が集まり、またその重要性にも注目が集まっているようですね。ですがその就学前教育が将来のための先取り教育や詰め込み教育ではないということをはっきりさせて進んでいけるといいのですが、日本はまだまだなのかもしれませんね。教育と陶冶と保護ということですから、陶冶と教育は似ているが違うんだということだと思うのですが、私なんかにその違いというより、陶冶そのものがまだまだ理解できていないので、どう考えていいのか悩むところであります。ドイツの保育関係者の方でも説明が難しいということですが、私にもそれが分かる時がくるのでしょうか。理解したいという好奇心は持っていたいと思います。

  2. 日本語のもつ繊細さや複雑さは日本固有のものであると思います。Bildungという言葉を陶冶と訳したのも日本人であるだろうという推測から、初めて陶冶という言葉を当てはめた人もBildungは“保育”とは異なる、と解釈をしたのでしょう。ドイツにおける保育、すなわち、当時の日本人から見たBildungの在り方は、陶冶と表現することが適当と思えるものだったのでしょう。
    保育、という、教育の枠組みを越え、幅やゆとりをも含んだこの言葉。この言葉を生み出せるところに日本人の繊細さ、日本語の繊細さを見ることが出来るように思います。日本人の気質、日本人のもつセンスを感じます。その上で、“見守る”という言葉もまた、似たような形はあれど、どの国にもない保育の手法、定義であると思うのです。
    その昔、短大を卒業した記念に、アフリカへ旅行をしました。ケープタウンという街の夜景があまりにも美しく、この街に住んでいる人が羨ましいです、という内容の言葉を現地の人に言いたくなりました。日本語のわかるガイドさんに通訳を頼んだところ、「うらやましいという言葉はここの言葉では表現できません。」と言われたことがありました。気持ちを表す手段として言葉が存在しているのなら、その国にはそういった感情がないということなのかと思い、驚いたことがありました。
    様々な感情や行動に、名前をつけ、言葉へと昇華させていくことのできる日本。和食や歌舞伎などに代表される日本の文化のように、見守る保育も日本の文化として、日本の保育として、誇れるものへなっていくと信じています。

  3. 教育・陶冶・保護・保育・保育要領など、言葉ひとつで多くの意味が含まれ、そういった言葉から、何を重点的に行うかの意味を感じ取れてしまうこともあったり、逆に、方針が違うとなればまずその言葉を変えるなど、変化の始まりには、必ず言葉の変更もある気がします。日本でも、認定こども園の動きによって、様々な言葉の変化があると思います。そこで、その始まりの言葉を間違えてしまうと、ずるずると本質や仕組みが崩れていく危険性があることを感じます。そのため、慎重にならざるを得ないのですね。また、ドイツでは、幼保の一体化だけでなく「国内統一」という、より大きな視点や目標があったのですね。日本も、認定こども園を、ただ幼稚園と保育園が一体になったということではなく、「保育・教育の質の統一」といったようなイメージでいくといいのかもしれません。全国の子どもたちにとって、よい影響となるような動きを、これから作っていく段階であるということで、そんな激動の時代のうねりを、直接肌で感じていきたいです。
    そして無事に、ドイツへ到着されたようですね。ドイツの息づかいを感じれると思うと楽しくなってきます。

  4. 私もかねがね、幼保一体のあかつきには、幼稚園でも保育所でもない「保育園」が良いと思ってきました。そして、この「保育園」で行われる保育内容に関するガイドラインあるいはカリキュラムの名称は幼稚園教育要領でも保育所保育指針でもない「保育要領」で良いとも思ってきました。従って、藤森先生が「私は、子ども園が幼保一体化の施設であるのであれば、「保育要領」でいいのではないかと思います。」と仰ることには全く賛成であり、さらに「「保育」という概念がドイツにおいての「陶冶」に似ているような気がするから」という見解にも全く同意です。素直に考えると、以上のようなことになると思うのですが、素直さがないと名称も長たらしいものになりますね。ドイツ語のBildungは単純に訳すと「人格形成」となります。私たちが真似て学び、選択して自分を作り上げ、やがて社会の一員として「共生と貢献」によって私たちの住む社会を形成することが「人格形成」ということでしょう。これには教育も養護も包括されます。Bildungに「知識の詰め込みといった、否定的な」意味が込められていることについては注意が及ばなかったのですが、やはり素直にこの語を解すると「人格形成」になるだろうと思った次第です。

  5. 内容はドイツの保育の歴史が書かれていてなかなか難しいのですが、写真がドイツのタクシーと街並みであったため、少し和みながら読むことができました。日本での保育と教育の関係、もう1つ養護との関係は、ドイツの教育と陶冶と保護の関係と似ているようで、少し違っているように感じます。陶冶という言葉が入っていることからわかるように、知識の詰め込みとは一線を画しているようですが、日本の場合は知識の詰め込み型の考え方が未だにチラホラ出てくるのが現状です。どこから見直す必要があるのかわかりませんが、きちんとアピールすべきことはしていきたいものです。ドイツも気になりますが、やはり日本の流れも気になります。

  6. 国が大きく変わる時に合わせて、保育の形態も変わる。
    近年比較的、国が安定している日本に置いては、想像もつかないような変化なのかもしれません。
    他国の文化を学ぶ際にその言葉をどう訳すか、留学の様に長くいる場合は、そのニュアンスの違いにも少しづつ気づくのかもしれませんが、短期の場合はその訳し方、重要性を感じます。その点、ドイツ研修では毎年同じ方、それも保育に精通している方が担当してくださるということで本当に心強いですね。
    「陶冶」と「教育」今年度はどのような形になっているのか楽しみです。

  7. 「ヘッドスタート計画」修学前教育が世界中で注目されてきている中でやはり気をつけなければいけないのが修学前の「教育」という訳し方が難しいように思いますね。教育となるとやはり教え込むようなイメージになってしまいます。訳し方一つで捉え方も様々な方向に行ってしまいます。そういった意味では国レベルで動いている分訳し方も慎重にならざるおえないと感じます。ドイツの報告を色々と聞かせてもらっていますが、やはりまだ陶冶という意味を深く理解はできていないように感じてしまいます。訳し方の難しさを感じると共にこれは適切ではないと判断してからどれが正しいのかと追及していくドイツの姿勢に驚かされます。どう変わっていくのか楽しみにしていきたいと思います。

  8. 今日からのドイツ報告を楽しみにしています。
    さて「陶治」という言葉は何度もブログ、藤森先生の講演から聞いて学んできました。人格形成というのは生きて行く上で重要な役割を担っていると思います。数年前から藤森先生から陶冶という言葉を聞き、なんだか当たり前のように捉えていましたが、今夏のブログではドイツが過去に東西で統一をした際に、両方で異なる保育システムを構築してきたことに対して、統一したプログラムが必要であると考えた末の「保護と陶冶と教育」です。また保育施設が学校教育の基礎を培う場として捉えている。という事がまだ2004年という、ごくごく最近の出来事です。そうなると日本で保育施設が学校教育の基礎を培う場として認知されるのは、まだまだ先のような気がします。

  9. ドイツ保育環境視察に同行させていただいて初めて知ることが多く、驚きがいっぱいでした。写真でありましたがまずドイツに来て日本で高級車として位置付けられるベンツやBMWがいたるところで見られたのは第一の驚きですね。ですがそんな驚きが消え去るぐらいにバイエルン州の陶冶プログラムに驚かされました。何よりその陶冶プログラムがドイツ国民に周知され、今回視察した施設の全てがその陶冶プログラムに則って保育にあたっている。バイエルン州は言わば独立国家であるとおっしゃっていたことを思い出しました。1つの国家として保育の基盤が確立されている。藤森先生が「12年間連続でドイツ保育環境視察を行っているが、根本的なところは何も変わっていない」とおっしゃっていたことがその表れですね。基盤がしっかりしていればブレることもないし、子どもたちがみな同じ保育を受けてきたとなると共通した意識を持ち合わせての大きな協調性をも生み出すのではとも思えました。

  10. 「陶冶」という言葉と「教育」という言葉、その違いや正確なとらえ方は非常に難しいですね。ドイツでも教育改革の中でいろんな思案が出てきたと思いますが、その始まりの時期から「陶冶」というものが追求され、研究されている様子はいかに「人格形成」というものに重きを置いているかということを感じます。「教育」と言われるとやはり学力先行な考えになっていく昨今ですが、日本でも保育指針や教育要領には「人格形成」ということは言われています。今後教育をしていく上で、もう一度学力ではなく、こういった「人格形成」を目的にしてものに見直していく必要があると思います。同じ目標をもった国に対して、こうも教育の進め方が違うということはとても悩ましいことですが、ドイツから学ぶ姿勢はとても大きいですね。

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