ドイツ報告2014-7

bia3 ドイツのミュンヘンでは、ビール好きにはたまらないほどビールを昼間からよく飲みます。道をある糸いると、いたるところにビアガーデン、ビアホール、オープンカフェでビールを楽しんでいる人たちを見かけます。しかも、昼間からよく飲んでいます。仕事はどうしているのか疑うほどです。しかし、ほとんど、いわゆる「酔っ払い」には出会わしたことはありません。気分を悪くして道の端にしゃがみ込んでいたり、人に絡んだり、フラフラとぶつかりながら歩いている人を見たことがありません。私の園のある高田馬場駅周辺は、学生の街ということもあるかもしれませんが、そんな人を多く見かけます。ドイツのビールは度数が低いのかと思うとそうでもないのです。
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 今回、こんなにビールを飲むのに、どうして酔っ払いが少ないのか観察してみると、オープンカフェやビアガーデンで飲んでいる人を見ると、意外とビールではなく、ソフトドリンクを飲んでいる人も多いのです。ジュースやコーラ、ドイツでよく飲まれている飲み物に、自転車ビールといって、ビールを炭酸で薄めた、アルコール度が少なく、これを飲んでも自転車に乗ってもいい飲み物や、オレンジジュースをコーラで割ったものや、ある場所では、ごっつい男性の多くが、こってりとしたパフェを食べているのを見ました。ドイツ人は、ビールも好きですが、炭酸、甘いものを好きなようです。
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 ですから、あまりアルコールには強くない人は、きちんと自己管理ができていてビールは控えているようです。無理して、付き合いだからとアルコールに弱かったり、悪酔いをするような人が飲むようなことはしないのです。これは、幼児期から自制心と自律をつけている成果かもしれません。もう一つ、特徴があります。このように人が集まる場所で、スマホとかゲームをしている人を見かけたことがありません。それは、電車の中でもスマホをいじっている人を今まで一人も見たことがありません。一度だけ街中で見かけましたが、アジア系の人でした。以前、韓国に行った時には、日本以上に電車の中でほぼ全員スマホを触っていました。ドイツは、直接話したり、議論をしたり、談笑したりするのは好きな国民なので、ひとりでゲームをやっている姿は見たことがありませんが、子どもたちはどうなのでしょう。
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 そんな、人との関係を学ぶ保育がドイツでは行われています。月曜日、火曜日の月案を見ると、4種類の顔の表情が書かれてあるカードがあります。これは、「感情教育」と呼ばれる保育です。ます、子どもどうしの関係や、何かに遭遇した時、悩んだ時などを表わす写真が入ったボックスがあります。2014hyogen2そこから1枚を選んで、保育者がその場面についてこの子は、どのような気持ちかを子どもと考えます。2014hyogen32014hyogen4私の園にも、感情パネルというものが3,4,5歳児の部屋にあり、子どもたちが自分の感情が整理できないときに、そこに行って、自分の今の気持ちをあらわしているパネルに自分の名前の書いた洗濯ばさみを取り付けるものです。そのパネルは、「怒っている」とか「眠い」とか「疲れている」という負の状態だけでなく、「楽しい」とか「うれしい」などの正の状態を表わすパネルもあります。

 このようなパネルを他の園で見ましたが、そこは表情が3種類だけでしたが、感情教育では、もっと細かい感情表現を一人一人の子どもに対して考えさせているようです。
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ドイツ報告2014-6

 ドイツに来ると、書類に関係しての違いにびっくりします。日本では、保育者が作成する書類の多さに、どの園でも大変になっていますし、その多さが、保育者へのなり手のなさの原因の一つになっていることがあります。それは、子どもは好きなんだけれども、書類が多いので、契約保育者、派遣保育者を選ぶのをよく聞くからです。それは、文章が苦手な人はもちろん、多くの書類は、時間外や休憩時間に作成しなければならないからです。また、そのように苦労して書いても、その後多くは活用されないどころか、読み返されない書類が多いことに、なんだかむなしさを感じることが多いからです。

 まず、ドイツでは、保護者へのおたより帳はありません。送迎の時に、保護者へその日あったことなどを伝えることもありません。投稿園時に、特に子どものチェックもしません。保護者は、勝手に?つれてきて、勝手に?連れて帰ります。なんとなく、職員と目配せをする程度です。それは、保護者もスタッフであるとか、園の職員の良きパートナーであるという関係である気がします。サービスの提供者と利用者という関係ではないのです。ですから、当園時にゆっくりとコーヒーを飲んでいくこともありますし、子どもたちと遊んでいくこともありますし、私たちのような見学者がいると、一緒に接待をしてくれる保護者もいます。

 それに代わるものとして、一つはポートフォリオと呼ばれる子どもの成長記録です。もう一つが、週案と同時に掲示されているその日の活動報告です。週案の形は園によって違いますが、日本のように、書類として残すような週案はどこにもありません。これは、私の園でも見直しているところですが、3歳以上児の保護者に今週、何曜日にはどのような活動予定であるかを掲示するのです。ドイツでは、それを子ども用と、保護者用と分けて掲示している園がありました。しかも、ドイツでは活動によって、年齢別で行ったり、異年齢で行ったりと内容によって集団を変えるので、どの活動を、どの年齢で行うかを同時に掲載するのです。
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 この園では、下の方に絵で表されているのが子ども向け週案で、右上の方にあるのが保護者用週案です。しかし、週案といっても、みんな一斉にそれをするのではなく、私の園でいうと、その日には、そのゾーンが開いているというような意味なので、同じ日に何種類もの活動があるのです。これらの週案の中で日本にはない活動が、いくつかあります。
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月曜日の活動の中で、背中に手を当てている絵です。これは、マッサージ活動です。その活動は、電飾があり、ゆったりと落ち着く部屋の中で、寝ころびながらお互いに背中をこすったり、突起があるゴムボールを背中に転がしたりします。2014iyasiこの活動は、日本の学校でも取り上げられている「体ほぐし」と趣旨は同じような気がしますが、一つは、「リラックスする」という効果がありますが、もう一つは、お互いに体を触りあうということがあります。2014karadahogosi最近はあまり言われませんが、子どもどうし体を触れ合うと、脳の前頭葉が活発になると言われています。少子化になると、子どもどうし体を触りあう遊びや、じゃれ合うという機会が少なくなってしまっています。

あと、とんがり帽子のような絵があります。ドイツでは、もうすぐ卒園(7月)です。卒園の時には、このとんがり帽子みたいな入れ物に、たくさんのプレゼントを詰めてもらいます。その入れ物を作る活動です。作りかけのものが、部屋に置いてありました。
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ドイツ報告2014-5

 ドイツと日本を比較してみる時に、当然文化の違いを感じることがあります。しかし、今回は私の園のベテラン男性保育士と一緒だったのですが、彼の感想としては、日本の他の多くの園よりも、ドイツのすべての園の方が私の園と同じであるという印象を受けたという話をしました。しかも、私としては、特にドイツを研究して保育を構築したわけでなく、ドイツを訪れて、ドイツの保育に影響を受けて保育を考えたわけでもないのに、説明を聞いていると、全く同じように保育を説明するのを聞いていると不思議な気がします。

 保育に対する考え方は共通する部分は多いのですが、制度とか、行政のあり方はずいぶんと違います。その時に、今後、日本がドイツのようになっていくのか、ドイツが日本のようになっていくのかを考えることがあります。例えば、保育時間です。私の園は、7時30分から20時30分までの開園ですが、ドイツでは、どんなに遅くても17時から17時15分までの開園です。今後、日本でも職場が考慮して乳幼児を持った保護者は育児時間などが充実され、17時までの開園ですむようになるのか、逆にドイツでも、働いている保護者が多くなり、閉演時間が次第に遅くなっていくのでしょうか?

 また、書類などですが、ドイツではどの園でも様々ではありますが、子どもの成長の記録であるポートフォリオというものが個人別に作られています。2014potoforioずいぶんと丁寧に、個人別にすべての年齢の子どものために作られているので、ドイツでは、保育者は子どもが帰る時に一緒に園を出るということを聞いていたので、この書類はいつ作成しているのかを聞いてみました。すると、保育中に書くということでした。ドイツでは、子どもは自分たちだけで遊び、何か用があるときにだけ保育者のところに来るために、保育中に書類が作れるのでしょう。しかも、ほとんどあとで読むことがない保育日誌のようなものはありませんから、数か月ごとにか、書くだけであれば、ポートフォリオの方がその後も、保護者も読むのでいいような気がします。ただ、これは、保護者がいつでも見るための物であって、保護者には渡さないそうです。もらえるとわかれば、途中で見ない保護者もいるのかもしれません。ドイツでは、基本的に保育者が作る書類は、ほぼそれだけのようですが、今後、日本でもそうなっていくのか、ドイツでも書類が増えてくのでしょうか?

 今日、面白いことを聞きました。昨日のブログで、保育者不足の理由に、激務になっているためということに対して、子どもと一緒に帰れるのに、どこが激務なのかというコメントがありましたという話をベルガーさんにしたところ、こう答えました。保育者の数が少なくなると、どうしてもみんな一斉に、保育者から指示するような保育になってしまい、それが嫌で、そのような保育は激務と感じてしまうということでした。子どもと一緒に、生き生きと、子どもたちが自立し、自律していく姿を見守ることが本来の保育であり、心地いいことなのに、保育者が少ないと、指示したり、怒ったり、注意したりする毎日は、辛いものだということなのでしょう。
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 また、ドイツでは園不足で、毎年何園も新設されているそうで、そのために場所の確保が難しい中、どの園でも園庭が広く取られていました。それは、ミュンヘンでは、園庭の広さがすべての子ども一人当たり最低5㎡だそうで、しかも、それは、本当の最低であって、ほとんどそれを上回る広さを持っているということでした。ちなみに、日本では3歳以上児に対して一人当たり3.3㎡です。今後都市化が進むと、ドイツのようになるのか、日本のようになるのか気になるところです。。
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ドイツ報告2014-4

 今日は、ミュンヘン学校局の局長さんであるグレッチェさんに夕食の招待を受けました。その時の話題で、昨日の保育者不足の話で、足りない保育者は1000人にも上っているという話です。そこで、葉書を二枚貰いましたが、1枚は、保育者の資格がありながら、退職した人とか、働いていない人向けに「450ユーロの仕事」という保育の仕事を「月450ユーロ(約6万円)で働きませんか?」という誘いの葉書です。doitusaikoyouしかし、退職後といってもドイツでは67歳定年なので、この写真のようにずいぶんと高齢の職員ですね。日本のように、体力勝負のような保育をしているところで働くのは大変でしょうね。

 もう1枚は、学生向けで、保育者の資格を取ろうとして学んでいる人に向けて、同じように「月450ユーロ(約6万円)で働きませんか?」という誘いの葉書です。doitugakuseikoyouこの葉書への反応は、100件くらいあったそうです。1日にどのくらいの時間働くかわかりませんが、ある効果はあるようです。

 ドイツにおける保育について今回、印象的なのが、「オープン保育」と呼ばれる保育です。25日の午前中に見学した園と、今日の午前中に見学した園では、「オープン保育」を行っていると謳っている園でした。25日に見学した園では、まず、こんなメッセージカードを頂きました。そこには、「人生という名のじゅうたんは、出会いという糸で織られている」と書かれてありました。この言葉を日本語に訳したのは、日本人の保護者だそうです。このメッセージのように、この園の園長先生は、10年前に私の園に来たことがある方でした。それ以後、日本が好きになったという話です。

 「オープン保育」という保育にはっきりした定義はありませんが、私たちが目指している保育にとても近いものを感じました。その名の由来は、「子どもたちの遊び空間を開放するとともに、子どもたちの心を開放していく」ということからつけられています。大まかに言うと、「自主性を育てること」に重点を置いています。子どもたちは自分で選んだことにしっかりと責任を持ち、自立、自律を遊びの中から学んでいくというものです。保育者は、子どもたちが自分で判断し、行動することを促していきます。何かしたいと思った時には、子どもたちが話し合いをして、何がしたいのかを先生にアプローチします。25日の園では、3~6歳児までの異年齢児25人が3グループある75名定員の園です。
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 この園のコンセプトは、大きな樹木に表されています。地面の下は、保護者による育児をあらわし、まずここがしっかりすることで、しっかり根を張ることができ、そののちの育ちが太い幹になっていくということを表わしています。そして、その幹を支えるのが保育者なのです。そして、枝葉は、子どもたちが経験するであろう様々な体験、遊び、生活などの広がりを表わします。そして、それは、バイエルン(陶冶プログラム)における領域を表わしています。

一番左端においてあるのが「バイエルン」。どの園にも置いてあります。

一番左端においてあるのが「バイエルン」。どの園にも置いてあります。


 子どもたちは地中から地上に芽を出します。それは、保護者という土の中から、広い世界へ出ていくという意味での保育のスタートです。そして、子ども集団という社会から、まずパートナーを子どもたちが自由に選びます。そして、子ども自ら子ども集団に参画し、保育に参画することで民主主義を学んでいきます。その際、異文化の中で、個々に社会性、個別性を考慮します。(この園では、外国人、移民家庭は90%以上在園しています。)そして、違いを受け入れるために、お互いを観察し、共有し、話し合いをしていきます。

 こうやって、枝を伸ばしていきながら、次第に幹は太く高くなっていくのです。
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ドイツ報告2014-3

 ドイツに来て、まずいろいろと気になるところを聞いてみました。幼保一体化については、幼稚園、保育園だけでなく、学童クラブも含めて一体化を進めているようです。キンダークリッペ(0~3歳児)、キンダーガーデン(3~6歳児)、ハウス・フェア・キンダー(0~6歳児)、ハウス・フェア・キンダー(6~11歳児)、ホルト(3~11歳児)というような様々な形態の施設があります。
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 このようにさまざまな施設がある中、バイエルン州では昨年8月に1歳以上児において、もし入園希望があれば、すべての子どもを入園させなければならないという法律が制定されたことについて、その後どうなっているかを聞いてみました。確かに、それに合わせて次々と開園しているそうです。そんな時に、日本では現在場所が何しろ足りません。ビルの一室、狭い敷地の中、ガードの下、開園するために様々な場所を探しています。ドイツでは、どうかと聞いてみると、30年先まで建物の計画が立てられているそうです。建設予定の建物の場合、その1階を保育施設にする計画を合わせてしているそうです。今、なくてどうするという話はなく、きちんと先の見通しを立てて街づくりをしているようです。

 しかし、ここで問題が起きています。それは、日本と同様、「保育者不足」です。毎年お世話になっているベルガーさんの勤務している園の近くに、昨年3園建設されたそうですが、保育者不足のために実際に開園できたのは、1園のみだったそうです。何しろ保育者のなり手がないようです。ミュンヘン市で400人を超える保育者不足だそうです。以前は、どの園にもフリーと呼ばれる人たちがいましたが、今は、そのような立場の人たちはいないそうです。そこまで深刻なため、様々な手を打っています。

保育者不足の理由の一つには、処遇があるのは、どの国でも同じだと思いますが、そのなかで、給料の低さがあると言います。学校の先生のほぼ6割だそうで、それでいて引かれる税金は4割くらいだそうです。それでいて、保育者不足のために、現在の保育者は非常に激務だそうです。激務のためやめてしまい、さらに激務になるといった悪循環だそうです。

その対策として、まず、再雇用です。資格があるのにもかかわらず家庭に入ってしまう人に、再就職しないかという手紙を出しているそうです。次に、「ミニ・ジョブ」といって、67歳で退職した人に450ユーロ払って、短時間来てもらう制度を作ったそうです。もちろん、彼女らの税金は免除だそうです。次の対策として、外国人の保育者を増やす試みです。本国で保育者の資格を持った彼女らは、さらに1年間ドイツ語をみっちり勉強します。その後1年経ったときに、こんどは現場で1年間実習をします。そして、保育者になります。

このあたりは、ずいぶんと日本と事情は同じようですが、離職率に関しては日独では違います。ドイツでは、離職はほとんどないそうです。それは、まず、この道に専門職として就職するために、他には潰しがきかないそうです。あと、ブログでも紹介しましたが、保育者養成校は5年制で、そのうち2年間は実習ですので、そこで、保育者に向いているのか、保育者としてやっていけるのか判断するため、就職してからやめる人はほとんどいないそうです。ただ、在学中の実習で自分はやっていけないと思ってやめてしまう子が6割るくらいはいるそうです。

こんな事情もあって、全入させることができないため、家庭で育児をする場合には月100ユーロ支給するそうです。(今年の8月から150ユーロに値上がりするようです。)ただ、これも、家庭で支給金をどのように使うかは心配だという話が出ているそうです。

ドイツ報告2014-2

 毎年同じドイツを訪れる理由の一つは、変化を見たいからです。数年前に、ドイツの保育関係者に、「お互いに連携を特にとっていないにもかかわらず、なぜか藤森さんの考えていることと同じような課題に対する動きを感じます。」と言われたことがありましたが、今年もまさに私が課題と思っていたことがいくつか説明されました。

 ドイツでは、ブログに書きましたが、2011年10月に学校局と生活局が「陶冶局」に一体化されました。それが、昨年、通訳の方が
「Bildung」という言葉を「陶冶」と訳していたのを「教育」と訳したことについて、それはどのような意図からだと聞いたところ、「日本人に、陶冶といっても、なかなかイメージが難しくて通じないため、教育と訳すようにした」と言ったのです。しかし、「教育」と言った方が認知能力を学ぶとか、学力を高めるようなイメージにならないかというと、もちろん、「Bildung」とは、人格形成のようなもので、子どもたちが自ら見たり、触ったり、体験を通して学ぶことを指していて、それが幼児教育であると言うのです。このように、やはりドイツでも「陶冶」という概念は難しいようですが、かつての教育とは一線を画している言葉のようです。

 また、ドイツでは、大きく分けて、0~3歳までのキンダークリッペ、3~6歳までのキンダーガーデン、それに対して、0~6歳までのコープ(コーポレーション)という施設がありました。それに対して、コープという施設が少し変わりました。まず、名称が「Haus für Kinder(子どものための家)」に変わりました。そして、その施設は、キンダーガーデン(3~6歳児)+キンダークリッペ(0~3歳児)=0~6歳児の施設か、キンダーガーデン(3~6歳児)+学童(6~11歳児)=3~11歳児の施設のことを指すようになりました。

 今日の午前中に訪れた園は、このハウス・フェア・キンダーという施設で、3~6歳児まで66名、6~11歳時まで24名、合計90名の園でした。いわば、幼稚園と学童クラブが一体になった施設です。また、ここには、養護保育対象の子どもが5名在園しています。ということで、インテグレーショングループです。また、ここには外国人・移民家庭が90%以上もいます。
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 まず、最初の説明を園長先生と養護の先生がしました。その時に、「皆さんの園に養護の先生がいる園はありますか?」と聞かれ、日本では、養護の先生というと保健の先生を指すことを言うと、ドイツでは、障害児担当職員を指すそうです。保育者の資格を持った後、2年間の研修を受け、養護の資格を取るのだそうです。このような配置は、1990年以降、行政指導により各園5名の障害児を入園させるようになったからだそうです。それは、学術的研究により、障害児との統合保育は、すべての子にとって、発達にいい刺激が与えられることが分かったからだと言います。そのために、この養護の先生のほか、言語、運動機能の専門家と連携を取っているということでした。

 もう一つ、この施設で興味深い話を聞きました。この施設は以前「就学前施設」だったそうです。「就学前教育」というと私たちはどのようなイメージを持つでしょうか?10年前に、義務として就学を迎えたこの中で、まだ1年生になるのは無理だと判断した子15名を、午前中の8時から12時まで保育する施設が、シュールキンダーガーデン(こどもの学校)という就学前学校と言っていたそうです。現在は、就学をその年齢になっても見送りたいという家庭では、そのまま園に残るのだそうです。ですから、ここは、ハウス・フェア・キンダーという施設に変わったそうです。

玄関わきにある、保護者が自由にコーヒーが飲めるコーナー

玄関わきにある、保護者が自由にコーヒーが飲めるコーナー

ドイツ報告2014-1

 こちらは朝の8時です。これから今日の見学先に向かいます。その報告は明日からになるので、その前に私が常々思っていることを書きます。

日本では、現在認定こども園についての形が作られてきました。そして、その保育内容として「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」が示されました。この言葉は、「幼稚園教育要領」の「教育」と、「保育所保育指針」の「保育」を採って、「教育・保育」と列挙したと思いますが、実は、昭和23年に幼稚園だけでなく、保育所や家庭における保育の手引書を目指した試案として刊行された「保育要領」というものがあります。しかし、それが1956 (昭和31)年には、「幼稚園教育要領」として刊行されます。ここで、「保育」が「教育」という言葉にとって代わるのです。

どうして「保育要領 (試案)」が改訂される必要があったのか、また、「幼稚園教育要領」の作成するにあたって、どのような議論があったのでしょうか?その経緯については、どこかで考察してみたいと思っていますが、それは置いておいて、私は、子ども園が幼保一体化の施設であるのであれば、「保育要領」でいいのではないかと思います。それは、「保育」という概念がドイツにおいての「陶冶」に似ているような気がするからです。ドイツが「教育」から脱し、「陶冶」とう概念に移行したことは、参考になります。

しかし、何回もブログにも取り上げ、その解説を書いてきましたが、やはり「陶冶」という概念は非常に難しく感じます。それは、日本人にとってだけでなく、当のドイツ保育関係者の中でも説明するのが難しいようで、昨年からは、単純に「教育」と訳すようになりました。しかし、もともとは「教育」とは併記されていたもので、OECDで取り組んでいる、ECEC(early childhood care and education)という、「ケアと教育」に、ドイツの規定では、付け足して、教育(Erziehung)と陶冶(Bildung)と保護(Betreuung)としています。

ドイツの保育が大きく変わるきっかけは、東西が統一された時に、それまで異なる保育システムを構築してきた新旧連邦州に統一の保育を行おうと、1990年に児童青少年福祉法22条の規定によって枠組みを作ったことから始まっています。ドイツでは、幼保一体という作業だけでなく、国内統一という作業が課題だったのです。

ドイツのタクシーは、8割がベンツ、1割がBMW、そのほかがアウディーなど

ドイツのタクシーは、8割がベンツ、1割がBMW、そのほかがアウディーなど


この1990年の児童青少年福祉法では、3つの概念は「保護と陶冶と教育」を示しています。その時には、「保護」という言葉が最初に出されていましたが、その後2004年の法律改訂で「保護」と「教育」が入れ替わって、「教育と陶冶と保護」として援助の課題が規定され直されたことを表わしています。(齋藤2011による)それは、これまで「社会教育」の施設として捉えられてきた保育施設を、学校教育システムの基礎段階として位置づけ、それにふさわしい内容を行うようにしたということです。

というのは、もともと「陶冶」というのは、日常用語としての陶冶は、学校教育、知的教育を意味してきたからです。しかし、ここでいう学校教育を表わすBildungという用語には、知識の詰め込みといった、否定的な含意もこめられて使われることもあるのです。当時は、この動きについて、幼児教育の専門家のなかには、保育施設が一般の学校や職業学校、大学などと「同じセグメント(クラブ)」に属したことを意味すると歓迎した人もいたそうです。

ドイツの街並み

ドイツの街並み


このような動きは世界中で起き始め、そのきっかけは、私が少し前に取り上げたアメリカにおける「ヘッド・スタート計画」であり、貧困の悪循環を断ち切る鍵が、教育に、とりわけ就学前教育の充実にあるとしたからです。それが次第に学力の問題ではないとわかってくるのですが。

ドイツの課題

「親元暮らしという戦略――アコーディオン・ファミリーの時代」の作者キャサリン・S。ニューマンは、現在、ジョンズ・ホプキンス大学教授であり、専攻は社会学、社会階層論です。この本の内容は、目次をみるだけでも察しがつきます。「第一章“大人になる”とはどういうこと? 第二章 広がるアコーディオン・ファミリー 第三章“大人”の実家暮らし 第四章 私は大丈夫、問題はあなた―アコーディオン・ファミリーをどうとらえるか 第五章 “巣”が空にならない時――親のジレンマ 第六章 パラダイスにだって悩みはある 第七章 出生率の低下と“移民の脅威” 終章 アコーディオン・ファミリーと政治――泥沼化か、それとも転換か」

保育者の離職率の高さ、保育者の人手不足には様々な問題がありますが、子どもの自立も問題のひとつです。私の本の2冊目が、今月中国で発行されました。タイトルは、「0,1,2歳児の保育」です。一人っ子政策における子どもたちが社会に出るにあたって、いろいろな課題が見えてきました。その一つが、1冊目の「見守る保育」ということで、親子の距離感に対しての施設保育の役割についてです。2冊目が、乳児から子どもの自立、社会の形成者としての資質を備えていくことを課題にしています。これらの問題は、日本、中国にかぎらず少子国家では大きなテーマです。

今日から、ドイツ研修が始まりました。ドイツでも保育者不足です。昨年、ドイツを訪れた時に、保育者が足りないので、保育者数に合わせて入園できる子どもの数を減らしているという話を聞きました。今年は、もう少し突っ込んで聞いてみたいと思っています。また、なり手がないだけでなく、離職率はどうなのでしょうか?

もう一つ、ドイツ訪問の意図として、私はあと、大きくふたつ持っています。ひとつは、2年前にミュンヘンでは0~3歳児を預かるキンダークリッペを管轄する生活局と、3~6歳児を預かるキンダーガーデンを管轄する学校局が一元化され、スポーツビルド局になって、その後どうなっているか。また、ビルドという言葉を、一昨年までは「陶冶」と訳していたのを、昨年から「教育」と訳すようになったことから、エデュケーションとの区別はどのようにしているかです。

もうひとつは、昨年8月に、ミュンヘンは「乳幼児施設への入園希望がある場合は、すべての子どもを入園させなければならない」という法律ができたと聞いたのですが、どうなっているかです。ドイツでも0~3歳児までの待機児は非常に多いと聞きます。その時に、どのような施設整備を進めているのでしょうか?また、入園申し込みが多いことに対して、保育所整備だけでなく、子育て支援センターのような施設を多く作り、在宅育児へ手厚くして、入園希望者を減らしていると聞いたことがあります。それは、入園希望者が、保護者の就労など保育に欠けることが要件にないからです。

日本とドイツは、国民性や気質において日本と近いものを感じます。ですから、少子化の原因の一つに、乳児期は、親の元で育てられるのがいいと思っている年配者が多いことも挙げられています。そのために乳児施設の整備が遅れてきました。また、そのためかわかりませんが、小、中学校ではいまだに半日制です。そこで、放課後児童クラブの整備も課題です。今回の研修では、この放課後児童クラブ施設を二か所見る予定になっています。

これらの課題について報告できるかわかりませんが、明日からの見学先について、考えたことを報告したいと思っています。

セイフティーネット

こんな本が出版され、話題になっています。「親元暮らしという戦略――アコーディオン・ファミリーの時代」(キャサリン・S。ニューマン著)というものです。この本の内容紹介では、このように紹介されています。「いま先進諸国では、成人した若者たちが安定した雇用に就けず、親元で暮らす現象が広がっている。アコーディオンのように、家族はその蛇腹を広げて舞い戻ってきた子どもたちを受け入れ、彼らが家を出ていくと蛇腹は縮む。日本、アメリカ、南欧、北欧で300人ものインタビューを実施し、グローバル化時代の家族の生存戦略を考察した労作。」

また、この内容について、訳者である萩原 久美子と桑島 薫は、あとがきで説明を加えています。「成人した若者が安定した雇用に就くことができず、親元で暮らすことを余儀なくされる。長引く不況の中で、先進諸国で広がっているこの現象を、著者は“アコーディオン・ファミリー”と名付けた。」とあります。そして、このような現象について、「成人期、高齢期のあり方も変容を迫られている…。」としています。さらに、その変容について世界中が共通の問題を抱えながら、日本の若者についての問題をこう語っています。

「20歳、30歳を過ぎても親元で暮らす若者たち。そんな成人した未婚の子どもと親が同居する家族のあり方は、現代日本社会に特有の現象だと一般に思われている。直系家族という日本の伝統的な家族にその要因を見る人もいれば、家事も生活費も親にまかせ、稼いだお金を自分の消費に回す若者の増加を指摘した1990年代末の“パラサイト・シングル”論を思い出す人もいるだろう。現在では子どもの貧困、失業や不完全雇用、社会的排除といった若者をめぐる複合的な問題と、親元で暮らす若者の多様な実態が意識されるようになり、自立できない若者や結婚しない若者に対する単純なバッシングは下火になってはいる。とはいえ、一般論として、親から早くに自立する欧米の若者と、親にいつまでも依存する日本の若者という対比は今なお健在だ。ところが、この成人した子どもと親からなる世帯――キャサリン・S・ニューマンによるところの“アコーディオン・ファミリー”は、日本特有の現象ではない。1990年代以降、グローバル競争の激化と労働コストの削減圧力にさらされた先進諸国に共通に見られるものだという。しかも、若者への住居政策、教育政策、雇用政策が充実したスウェーデン、デンマークなど北欧諸国を除き、親子の同居期間は長期化する傾向にある。」

ニューマンは本の中で、読者に対し、最後に三つの選択肢を示しています。一つ目は、アコーディオン・ファミリー現象が見られない北欧の福祉国家のように、納税者が連帯し、若者のセーフティ・ネットの構築を図ることです。二つ目は、緊縮財政による社会保障費の徹底的な削減とそれによる財政健全化を選ぶかです。そして、三つ目は、移民の積極的受け入れ政策へと舵を切り、労働力人口の減少による生産性の低下を反転させ、社会保障制度の支え手を増やすことで現在の維持困難を克服するのかです。どうも、保育者不足、保育者の離職率の増加は、単純な話ではないようです。もっと広く、考える必要があるようです。それは、少子化の進行による危機感というよりも、納税者減少という、次世代のあり方の見直しが求められてきます。しかし、私は、同時に、保育、教育の見直し、人材育成のあり方の見直しが必要だと思っています。

人間体験

 私が副町会長を務めた町会は、かなり大きな朝会で、総会は小学校の体育館で行います。体育館がいっぱいになるほど町民が集まる総会です。壇上には、国旗が貼ってあり、役員が順に事業報告、事業計画、予算、決算などを報告します。その総会の私は司会をしたのです。私は、いろいろな団体に出ますが、総会というのは、形だけのところが多く、出席者も役員だけのイメージでしたが、こんなに町民が町会運営に関心があるとは思っていませんでした。しかし、出席者の中では、私は一番若かった気がします。

 その後、広報紙を発行するのですが、そのほかにもいろいろと企画をしました。その相手は、高齢者です。今考えると、ずいぶんと高齢者に翻弄されました。町会の旅行も、私が感じで取り仕切るのですが、一人のお年寄りが朝、集合時間が来ても待ち合わせの場所に来ません。当時、携帯電話がありませんから、自宅に迎えに行きました。すると、まだ寝ているではありませんか?そこで、もう出発すると告げると、自分もどうしても参加したいとぐずるので、支度を急がせて、バスに乗り込みホッとしたのもつかの間、あまり私がせかすので、朝顔を洗っていないので、パーキングエリアにバスを止めて顔を洗わせろと要求します。ただでさえ、時間が押しているのにと思っても、譲りません。仕方ないので、運転手さんと相談をして止めることにしました。

 このときの経験で、普段はきっと付き合うことのないようなお年寄りとも、いろいろなことを経験しました。例えば、町内ゲートボール大会に、出場したときのことです。みんなお年寄りですが、ゲートボールの試合となると、リーダーシップを取る人がいつもと違ってきます。いつもは、静かに目立たない人が、突然、あれこれ指示します。それは、他の場面でも、リーダーが変わります。祭りのときはこの人、町内清掃の時はこの人、避難訓練の時はこの人、様々な得意分野を持った町民が集まり、町会が運営しているのだということを知りました。当然その中には、偏屈と呼ばれる人や、クレーマーといわれる人や、常に上から目線で人に指示する人たちもいます。しかし、なぜか、それらの人たちが微妙なバランスを取っているのです。それは、いくら文句ばかり言っても、頑固でも一人では生きてはいくことができないことを知っているからでしょう。

 また、町民はみな村の鎮守様の氏子になるということで、日本の神道に於ける多種多様性を認め合うことに根差しているのかもしれない気がしました。それは、宗教というよりは、拠り所なのです。それは、様々なことで思い知らされました。その前では、理屈が通らないことが多かったのです。どんなことでも「鎮守様は悪いことなどするわけはない。」ということで片付けてしまうのです。

この経験から、長い間人類が生存してきたのは、理屈でも、科学でもなく、お互いの緩やかなつながりであり、その微妙な距離感、多様性であることを知ることができました。それは、決して、学校の授業だけ、書物の中だけ、仲のいい友達の関係からだけでは学べないことなのです。このような経験なしに、今の若い人は突然職場という場で様々な人と出会うことになるのです。しかも、その職場が営利を目的としていたり、明確な、誰もが合意するような目的を持った組織であればいいのですが、非営利組織であったり、人を対象にするような仕事である時には、人間関係に悩むことが多くなるのです。悩むだけであれば、いいのですが、それに打ちのめされたり、傷ついてしまう若者が、最近多いことが気になります。その傾向が、最近保育園において離職率が高いことの原因の一つの気がします。そして、派遣とか契約社員としての働き方を望む人が増えている原因にもなっている気がします。