失敗と規則

「成功する子 失敗する子」の本の中で、著者であるポールは、「ビジネスの分野であれ、スポーツや芸術の分野であれ、リスクの高い場所で努力すれば、リスクの低い場所にいるよりも大きな挫折を経験する可能性が高くなる。しかし、独創的な本物の成功を達成する可能性もまた高くなる。“やり抜く力や自制心は、失敗を通して手にいれるしかない”とランドルフは言っている。」と書いています。しかし、「アメリカの国内の高度にアカデミックな環境では、たいてい誰も何の失敗もしない。」と言います。

ここまで来て、なんだか少し、最近の課題が見えてきました。人生において、成功したり、幸せに生きていくためには、「やり抜く力」とか「自制心」が必要であるけれど、それらの力は、リスクを乗り越えたときに手に入れることができる。だからといって、親は子どもに意図的にリスクにさらすわけにはいかない。ですから、KIPPの生徒がリバーデールの生徒折も有利な点はここにあるのです。レヴィンは、こう言っています。「うちの子どもたちが教育を通じて日々経験している課題は、リバーデールの子どもたちとは全く違います。結果として、うちの生徒たちのやり抜く力は多くの点でリバーデールの生徒のそれよりもはるかに大きい。」というのです。

しかし、もちろんランドルフだって、生徒たちに成功してもらいたいと思っています。ただ、成功するためにはまず失敗の仕方を学ぶ必要があるとも思っているのです。

次に、性格の通知表の24項目について、どのような行動を良しとするかは、人によって違ってきます。その多くは、しつけとか規律に関する許容範囲です。それは、厳しいとか甘いという判断基準です。私も全国の園を回るときに、そこの園長や職員によって考え方が異なるとき、どれがいいかと判断に迷うことが多くあります。それは、地域によっても随分と違ってきます。KIPPの教員とリバーデールの教員とで特にはっきりと意見の分かれるところのようです。たとえば、自制心を示そうとしたら、KIPPでは、「姿勢を正して座って教師の方を見ればいい」のですが、リバーデールでは、「椅子の上で膝を抱えようが、床に寝そべろうが、誰も気に留めない」というのです。

他にも、自制心に関する項目の一つに「この生徒は、大人や同級生に対して礼儀正しい」というものがあります。もちろん、この項目は素晴らしいのですが、その具体的な行為については考え方に差が出るようです。リバーデールでは、子どもたちは先生のところにやってきて、背中を叩きながら、「やあ、誰々!」と挨拶をしますが、KIPPでは、教員は常に「ミスター誰々、ミセス誰々」と言わなくてはなりません。特権階級の文化の中にいる子どもたちは必ずしも学校では背筋を伸ばさずにいたり、シャツの裾を出して着たり、教員とふざけ合ったりすることの方が普通だというのです。

さらに、リバーデールの学校のコーエンは、「うちの学校には、ガムを噛まずにはいられない子どもたちがいます。ガムを噛んで、気持ちを落ち着けるわけです。KIPPでは絶対に許されないことでしょう。ここでは、子どもたちがすでにマナーくらいは心得ているという前提があります。だからおかしな姿勢で椅子に腰かけたいならそうすればいい。ところが、KIPPでは、駄目駄目、みんながきまりに従わなければ、と言われるんです。なぜなら規則を順守することが成功への助けになるとされているから」と話しています。