性格について

 HCIIといわれる精神的対照は、人が目標を設定する時に用いる有効な戦略ですが、それはまた、自分のためのルールを作る方法のひとつとも言われています。最近、「過食にさようなら」を書いたディヴィッド・ケスラーは、誘惑に負けないために、なぜルールが機能するかというと、ルールを作ると前頭前皮質を味方につけることができるからだと言います。つまり、本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できるというのです。ルールは意志力と同じものではなく、メタ認知を利用した意志力の代用品であると言います。ルールを自分の中に作ることによって、決意と誘惑、欲求とその欲求に抵抗する固い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避できるのです。

 アメリカの哲学者で、心理学者でもあるウィリアム・ジェームズは、私たちが「美徳」とよぶ特質は単なる習慣であると言います。その言葉を取り上げ、ダックワースは、KIPPの教員に、「よい子どもと悪い子どもがいるわけではなく、よい習慣を持った子どもと悪い習慣を持った子どもがいるのです。そんなふうにいえば、子どもたちにも理解できるはず。なぜなら習慣を変えるのは大変かもしれないけれど、不可能ではないと子どもたちにもわかっているからです。わたしたちの神経系は、一枚の紙のようなものである、とウィリアム・ジェームズは言っています。繰り返し折れば、折り目が付く。KIPPで皆さんがしているのもそういうことだと思います。生徒たちがKIPPを出ていくとき、あとの成功につながるような折り目が彼らについていることを確認してください。」と説明します。

 このルールについての考え方は、まさに日本語で、しつけ糸と使われるように、「しつけ」なのでしょう。折り目を付けることが「しつける」ということであり、後で、その糸を抜いても、形がそのまま維持されることが「しつけられた」ということになるのでしょう。そして、それが「習慣」となるのでしょう。

 KIPPでは、性格にまつわる様々な用語が飛び交っているようです。子どもたちは、「無限大の性格」というロゴの入ったトレーナーを着ていますし、Tシャツには、自制心に関するロゴが入っています。壁にも、「自制心はある?」とか「自ら進んで参加する!」というような標語で覆われています。掲示板のてっぺんには、「性格が大事」とあり、掲示板には「発見!」カードやメモカードが貼り付けられています。このカードは、友だちの強みを示す行動に気づいたらいつでも書き込もうというものだそうです。

 私の園の学童クラブの部屋には、「ひらめきの木」という掲示版があります。hiramekiその端にはカードがつりさげられており、子どもが何かやりたいことを思いついたら(ひらめいたら)、そのカードに何がしたいかを書いて、掲示板に貼り付けます。それを他の子が見て、自分の同意した場合には、そのカードに画びょうをつけ、賛成を表明します。賛成者が多いカードに書かれてあることを、みんなで話し合って、次の月の月案に反映します。このカードのほかにも、いろいろな子どもへのメッセージが壁や掲示板に張り出してあります。それは、少しうるさいくらいです。

 KIPPでも、そのような状態について、ちょっと行きすぎではないかという問いに対してレヴィンは、「これを成功させるためには、人の口に上る言葉から、授業計画、認められ称賛される様子、壁の標語まで、校内のすみずみまで行き渡らせなければだめなんです。組織のDNAに組み込まれるくらいにしないと、小さなインパクトしか与えられない。」と説明しています。

 私の園の職員も同じようなことを考えたようです。

性格について” への9件のコメント

  1. 性格の善し悪しには、「習慣」が直接的に関係しているため、変える難しさがあると同時に、性格は変えられないといった、初めから無理だと決めつける思考に対しては、変わることは決して不可能ではないことにつながり、且つ子どもたちもそれに関わる大人も根気強く取り組もうとする意欲にも進んでいきそうですね。以前、子どもはなぜ言葉や文字が使えるようになるのかという疑問に対し、幼い頃から生活として、習慣として、日常としてそのものに関わったり触れる機会が多いからだと学んだことを思い出します。逆に、これを大切にしてほしいとか、これを伝えたいとかがある場合は、そのものを日常に組み込み、習慣的に目に止まるような環境を構成すればいいということになりますね。そのため、テーマが決まっている場合は、装飾や年間行事、日常会話などを通すことにより、一層そのテーマを深められるということになるのですね。ダックワース氏の「よい子どもと悪い子どもがいるわけではなく、よい習慣を持った子どもと悪い習慣を持った子どもがいるのです」という言葉を、今後振り返っていきたいと思いました。

  2. 「ルールを自分の中に作ることによって、決意と誘惑、欲求とその欲求に抵抗する固い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避できるのです。」とありました。ここでのルールと私の想像しているルールが同じものなのかという自信はありませんが、ルールを作って何かに取り組むと怠けにくかったり、取り組みやすくなるような感じはあります。それを何度も繰り返していると習慣になっていくのかもしれません。ある程度習慣になるとこちらのものですね。それをするのがどこか楽しくなって、それがないとなんだかモヤッとした気持ちになったりもします。性格もそのように繰り返し意識することで、変えることができるということでもあるのでしょうか。まだまだ自分の性格を変えていきたいと思っています。日々の積み重ね、繰り返しですかね。時に、ルールに縛られ過ぎて本質を見失っているなや、こなすだけになっているなと思う時は気をつけるようにしています。

  3. 「空想」と「思案」の組み合わせである「精神的対照」(HCII)は確かに「メタ認知」すなわち「自分の思考を思考する」ことですね。「ルールは、・・・メタ認知を利用した意志力の代用品」という考え方はおもしろいですね。私自身も自分に「ルール」を作ります。まぁ、それはたいてい自分の好きなことややりたいことに関するルールです。そしてどうしてそうしたルールを設定するのかを考えてみると、今回のブログに紹介されたように「決意と誘惑、欲求とその欲求に抵抗する固い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避」するためだと思い当たります。そして今回のブログから学んだもう一つのこと、それは「習慣」ということです。KIPPの教員が言っているように、「良い子悪い子」ではなく「良い習慣の子悪い習慣の子」、と言われれば確かに子どもたちのみならず私たち大人の理解も容易にできるようになります。そうした習慣をもたらすのが環境です。「ひらめきの木」という環境があれば、自分からさまざまなことを考えつくという習慣を子どもたちは手にすることができるのですね。

  4. 精神的対照は自分のためのルールを作る手段の1つでもあるのですね。正に自分ルール。それには個性が滲み出るイメージです。意識はしていないものの自分にも些細ないくつかの自分ルールがあることに気付けました。メタ認知を利用した意志力の代用品という解釈はすごくわかりやすく伝わってきました。ただ、その自分ルールを他人にまで押し付けてしまうことには注意しなくてはいけませんね。
    しつけからの習慣への流れ、なるほどです。繰り返しは大事ですね。ふとサッカーの練習を思い出しました。練習と言えば実践で使うためのスキルやチームプレーの下積みですが、それを毎日のように繰り返すことによりやって実践で実を結ぶます。そして習慣となった練習をその日の練習時間に行わなくてもその後の自主練習で必ず補おうとします。今まで意識したことは全くありませんでしたが、今日のブログでしっくりきました。
    今年度から学童職員となり、学童にある「ひらめきの木」は子どもたちの自発的な案を引き出すのにこの上ないものであると感じています。自分の案が月案として組み込まれたとき、その発案者にはリーダー役を任せています。そうすることでこの案に賛同した仲間たちのやる気の向上に繋がり、良い意味で周りを巻き込んで良い一体感を生んでくれます。この取り組みは今後とも続けていきたいです。

  5. 折り目をつけ続けることや組織のDNAに組み込まれるくらいにすることなど、極端なくらいの表現ですが、実際に何かを変えるときはそのくらいする必要があるんでしょう。そしてそれは変えることができるという意味でもあり、そう理解することで勇気が湧いてきます。よい習慣を持った子どもと悪い習慣を持った子どもがいるという表現も同じです。希望を感じることができるだけで、自分との向き合い方も変わってくるはずです。大事なことがたくさん書かれていますね。しつこいくらいやり続けるというのは粘り強さとは少し印象が違いますが、習慣をつくるの大切さはしっかりと覚えておこうと思います。

  6. 「決意と誘惑、欲求と、その欲求に抵抗する固い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避できるのです。」とあります。精神的対照というルールがここまで活躍するのですね。自分なりのルールがあることで確かに誘惑などに負けることなくスムーズにそのルールに取り組めるようになってきていることを思い出します。良い習慣というのは身についたら強いのですね。子どもたちにも習慣にしてほしい大切にしてほしいことがあればそれは日常の中に組み込み毎日触れたり、見れたりすることが大切になってきそうですね。「良い習慣を持った子どもと悪い習慣を持った子どもがいる」という考えは参考にしていきたいと思います。ひらめきの木というのはおもしろいですね。自分の考えたことを表に出し、その表に出した物にみんなが賛同してくれるという経験というのは自信にも繋がります。そんな経験を幼い頃から積めるというのは貴重ではないかと感じます。よって自発的に色々なことに取り組めることにも繋がりそうですね。

  7. なるほど、良い習慣もを持った子ども、悪い習慣を持った子どもというのは確かに分かりやすいですね。そうなると自然と良い習慣を身に付けようと子どもは心がけるでしょうね。
    私は給食のあとに年長さんと食事スペースを掃除するのですが、まずは箒とちりとりの使い方を教えて、雑巾がけ、そして机と椅子の並べ方など、年長さんが年度で変わるごとに伝えています。最初はルールも知らないので、そうじをするにあたってのルールを毎回の伝ようにえますが、子ども達の中でそのルールが自然と身に付けば、その確認も無くなり、それが習慣となります。藤森先生の話し中で、子どもの事を怒ってきちんとさせるのは、そのへんのおじさんでも出来る。怒らなくても子どもが自然と自制できるようにすることが保育の専門性と言われたのを思い出しました。

  8. 「誘惑に負けないために、なぜルールが機能するか」
    ディヴィッド・ケスラー氏の「過食にさようなら」といった書籍では、過食のルールとして、「1日何食食べるか」、「何時に食事をするか」を決める。こういったルールは、ただ何かをダメと決めるというよりも、目標を達成するイメージを付けやすくしてくれるようにも感じました。

    「ひらめきの木」は本当にいいアイディアだと思います。やりたいこと、気づいたことを見やすい形にすることで自らの達成や成功のイメージを付けやすくし、また他の仲間と共有することでより、実現に近づけていく。

    人の気持ちを動かすほどのインパクトを与えられるものを作る。それは目標達成への近道にもなるのですね。

  9. 「ルールを自分の中に作ることによって、決意と誘惑、欲求とその欲求に抵抗する固い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避できるのです。」そう捉えるとルールとは大切なことですね。一つの習慣を身につけるためにそのルールを持つことで、冷静に自分を見つめる機会になる。また、客観視できる指標になるということでしょうか。そのルールを伝えるためには何度も伝える機会が必要であろうと思います。また、自分たちでルールを決めることも一つだと思います。こういったことが「習慣」になるのであろうし、それが結果「しつけ」に繋がるのだと思います。
    ルールにしても、なにか行おうとしたときにしても、「子どもたちから引き出す」ということを忘れてはいけないように思います。そんなときに「ひらめきの木」という発想はとてもいいですね。それが「自らやろう!」という気持ちにさせ、主体的な活動に繋がっていくのだと思います。そんな次に繋がる「習慣」を作っていけるような保育を考えていかなければいけませんね。

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