確証

 少し、ブログがわかりにくくなりました。それは、心理学的用語が出てくるからです。しかし、心理学というのは、他の学問と同じように人の研究ですので、身の回りのよくあることを難しく?説明したものであって、実は、よくある話であることが多いのです。例えば、「確証バイアス」についてですが、これは、「ある仮説を確かめようとしたとき、自分が抱いてきた先入観や信念を肯定的に証明する情報を重んじて追求する」ということであり、そのために、「これに反するような情報は軽んじたり、黙殺したりする」ということをよく人はします。そのような傾向にある現象のことをあらわした心理学用語なのです。

 私がよく話をする、いわゆる「刷り込み」によって、物事を判断しようとし、その刷り込みが正しいというような意見の方を重要視する傾向が人はよくあるということなのです。「男女の役割の刷り込み」「しょうがい児の刷り込み」「子どもらしさの刷り込み」によって、判断してしまうことが多い気がします。しかし、それは、「偏見」として形成され、それが社会のいわゆる常識となると、その後、客観的な情報、科学的な知見が現れても、その修正は、なかなか困難になってしまいます。

 また、私が小学校に勤務して1年生の時に初めに子どもたちに話した「大人の言うことや本に書いてあることを、そのまま信じるな!」ということは、実は子どもたちから確証バイアスを取り除き、確証と反証による学習を行おうとしたものだったのです。それは、子どもというものは、日常の経験から自然事象に関して自分なりのいろいろな見方や考え方をつくり上げていく存在であり、その見方や考え方をより発展的で適切なものに変えていこうとするのが教師の支援であるという考え方にもとづいていたのです。

 実は、チェスのプレーヤーにとってはこの確証バイアスが大きな問題になるのだそうです。いろいろと実験をして見ると、初級者は気に入った手を見つけると確証バイアスの罠に陥りやすいことがわかったのです。勝利につながる可能性だけを見て、落とし穴は見過ごしてしまうのです。これに比べて、ベテランは、隅に潜む恐ろしい結果を見逃さないのです。上級者は、自分の仮説を反証することができ、その結果、致命的な罠を避けることができるのです。

 最近、いろいろな面でアメリカは難題を抱えています。その一つは、大学が抱える難題です。「成功する子 失敗する子」の本の中で、その現状をこのように書いています。「20世紀のあいだずっと、高等教育システムの質と、そのシステムを首尾よく通過した若者の割合においてアメリカは並ぶもののない国だった。1990年代の半ばにいたるまでアメリカの大卒者の割合は世界一高く、先進諸国の平均の倍以上だった。しかしいまや世界の教育に関する順位の入れ替わりは激しい。先進国も発展途上国も含め多くの国が前例のない大学教育ブームのただなかにあり、ここ10年だけをとって見ても、25歳から34歳までの人々の4年制大学の卒業率でアメリカは1位から12位に転落している。アメリカが遅れをとっている様々な競争相手になかには、イギリス、オーストラリア、ポーランド、ノルウェー、韓国などが含まれる。」

 ここに、日本が入っていないのは少し気になるところですが、この遅れについて、どう考えるのでしょうか?

反証

ビネの調査を引き継いだアドリアン・デ・グロートの発見によれば、チェスの最強のプレーヤーは初心者よりも多くの可能性を考えることができるのだと思われたきたのに対して、レーディング2500の選手とレーディング2000の選手が考える手の数はほとんど同じだったのです。ランキングのより高い選手が勝っているのは、理由はどうであれ結果的に正しい手を考えだしているからだったのです。経験によって得られた直観でどの手を真剣に考えるべきかわかるのです。見込みのない選択肢は考えもしないのです。

 しかし、特に映像記憶に優れているわけではないとしたら、そして駒の動きの結果を予測するスピードが速いわけでもないとしたら、最高の選手と初心者を隔てるものは何なのでしょうか?その答えは、ある特定の精神作業を行う能力と関係がありそうでした。認知的スキルと同程度の精神面の強さも必要とする、「反証」として知られるタスクであるとしています。「反証」という言葉を使ったのは、20世紀初めオーストリア人哲学者のサー・カール・ポパーです。本来、科学的な理論とは決して実証できるものではありません。ある理論の妥当性を調べる唯一の方法は、それが間違っていると証明することです。このプロセスをポパーは「反証」と呼んだのです。

 この考え方は認知科学な理論に広がっていき、科学的理論だけでなく日常生活において反証の下手な人は非常に多いことがわかったのです。ことの大小を問わず何かの理論を実証しようとするときに、人はその理論に反する証拠を探そうとはせずに、どうしても自分が正しいことを証明するデータを探そうとしてしまいます。それは、「確証バイアス」として知られる傾向だそうです。これを乗り越える能力がチェスの上達においては極めて重要な要素だったのです。

 イギリス人の心理学者のピーター・キャスカート・ウェイソンは、人にはもともと反証よりも確証を好む傾向があることを証明しようとして独創的な実験を思いつきます。被験者は、実験者しか知らない法則でつながった三つの数字を渡されます。被験者の課題はその法則を見破ることであり、自分で考えた三つの数字を実験者に見せて法則をあてはまるかどうか確認することによってこれを行います。

 この実験は、とても面白いと思います。みなさんも一緒に考えてみてください。

実験者は「2-4-6」という三つの数字を示し、その三つの数字のあいだにはどのような法則があるか予測してもらいます。そして、自分の予測が正しいかどうかを確認するために実験者に次に違う三つの数字を渡します。「8-10-12」実験者は、「そう!その数字も法則に当てはまります。」と答えます。被験者はぐっと自信を持ち、自らの頭の冴え具合を確かめようと、適切な注意を払いながらまた別の可能性を試します。「20-22-24」またもや、「あてはまります!」という答えに、被験者は、誇らしげに自分の推測を口にします。「法則は、二つずつ増える数字であること。偶数」であるといいます。しかし、実験者が考えた法則とは、「増える数であること」です。被験者の考えた法則は間違っていることになります。このトリックに気がついたでしょうか?

 ウェイソンの研究では、法則を正確に推測できたのは被験者の5人にひとりだったのです。私たちが皆こうしたゲームが下手なのは確証バイアスのせいだそうです。本当だと思うことを裏付ける証拠を見つける方が、間違っている証拠を見つけるよりもずっと気分がいいのです。なぜわざわざ失望の種を探す必要なないのです。ここに問題があるのです。

チェスの名人

 「成功する子 失敗する子」の中で、3章ではチェスをする子たちを通して「考える力」を考えています。それは、心理学者たちは、長い間チェスの上達に必要なのは知能だけではないのではないかと予測をしてきたのです。では、他にどんなスキルが需要なのかというと、長い間研究を続けてきている今でもよくわからないそうです。たしかに、よくコンピューターと対戦しているのは、将棋の場合と同様、人間の仕組みを研究するためであるのですが、勝ち負けはその都度どちらかにつくのですが、人間の思考にはそれだけでは測れないものがあるようです。

 この研究を熱心にしたのは、フランスの心理学者であるアルフレッド・ビネです。ビネと聞くとピンと来る人がいると思いますが、彼は、知能検査の創案者の一人です。ビネ式知能検査の説明には、こう書かれてあります。

 「ビネは、初め『知能』を生得的素質によって規定される『判断力』と同義な能力と考えたが、実証的な知能研究を進めていく中で知能を判断力のみで定義することは不可能であると気づいた。そこで、知能を構成する要素として『判断力・理解力・批判力・方向付け・工夫する力』を想定するようになった。現在では、知能とは何であるかについて一義的にずばり定義することは困難であると考えられていますが、あえて知能を定義するならば『学習能力・記憶能力としての結晶性知能』と『問題解決能力・環境適応能力としての流動性知能』の複合体を知能の一般的理解として定義できるだろう。」とあります。そして、「結晶性知能」とは、意識的な学習行動の結果としての知識・技術を蓄えるストックとしての知能であり、「流動性知能」とは、変動する環境や所与の課題にその場その場で対応して問題解決するフローとしての知能です。ここで、「フロー」という用語が出てきました。ここでは、そのような知能は、「しなやかな心」「柔軟性」に通じるようです。

 このビネは、目隠しチェスの名人の並はずれた能力の奥にある認知的スキルについて究明しようとしました。彼が立てた仮説は、「目隠しチェスのできる名人たちには直観像記憶の能力があるのではないか」というものでした。その能力とは、盤上の様子を正確な映像として捉え、その映像のまま記憶する能力です。しかし、ビネが取材しはじめると、仮説が完全に間違っていたことが判明します。別に、記憶は映像にとくに結びついているわけではなかったのです。彼らがおぼえていたのは、パターンでありベクトルであり、雰囲気だったのです。時にこの中の「雰囲気」を「感情、イメージ、動き、情念、変化し続ける心象風景などによって沸き立つ空気」と説明しました。それは、1890年代の頃でした。

 その50年後、オランダの心理学者のアドリアン・デ・グロートがビネの調査を引き継ぎました。そこで、またまた長い間信じられてきた「チェスの上達に不可欠な要素は素早い計算である」ということを覆す結果が出たのです。それまで、それぞれの動きがどんな結果を生むかについて、最強のプレイヤーは初心者よりも多くの可能性を考えることができるのだと思われてきました。しかし、実際は、そう変わらなかったのです。これは、以前のブログで将棋について羽生の能力を調べた時にも同じことがわかったということを書きましたが、チェスの世界でも同じだったのです。

 では、デ・グロートは、どんなことを発見したのでしょうか?

創造的な心理状態

 チェスの選手であり、子どもたちにチェスの指導をしているスピーゲルは、自分の体験から、子どもたちがひとつのことに夢中になる体験についてこんなことを話しています。「彼らは今、ずっと後になっても忘れない。ものすごく大事な経験をしているところなの。子どものころを振り返った時に、退屈しながら教室に座っていたり、家に帰ってテレビを見たりっていうぼんやりしたイメージしか浮かばないのは最悪だと思う。少なくともチームの子どもたちが振りかえれば全国大会の思い出があるし、あるいは個人的によかった試合とか、アドレナリン全開でいちばんの難題に取り組んだ瞬間のことを思い出せる。」

 ポジティブ心理学が提唱され始めたころに、セリグマンと共同研究をした心理学者にミハイ・チクセントミハイという人がいます。彼は、人が日常の雑事から開放され、運命を掌握し、完全に一つのことに没頭する稀有な瞬間を「最適経験」とし、その研究をしました。そして、この高度な集中状態を著書「楽しみの社会学」の中で「フロー」と名付け、その概念を提唱しました。

 「フロー体験」は「こんなんでやりがいのある何かを達成しようとする自発的な努力によって心や体が限界まで引き伸ばされたとき」に起こることが多いとチクセントミハイは書いています。ハンガリー出身のチクセントミハイは、戦後混乱した社会に直面し、「生きる事とは何か」「幸せとは何か」を自ら問いかけるようになったと言います。アメリカに渡った後も、「人生を生きるに値するものにするものは何か」を問い続けます。収入が増えることでは、または物質的な充足だけでは、幸福感が増すことがない。この事実に気付き、創造性の高い人々にインタビューをすることを思いつきます。彼ら彼女らに共通するものは何か。芸術家や音楽家、科学者やスポーツ選手が何をもってその人生を費やすに値すると感じるのか。たとえ名声や金銭の見返りがなかったとしても。

すると、創造的な活動や高い技術力を必要とする仕事などに没頭しているとき、人々は疲れをしらず、時間の過ぎるのも忘れ、活力と喜びと永続的な満足を体験することがあることがわかりました。千人を超える人々にインタビューをする中で、この共通した創造的な心理状態を見いだします。それを博士は「フロー」と名付けました。彼らの一人は、ピーク状態にある間は、「集中することは息をするようなもので、考えなくてもできる。たとえ、屋根が落ちてきても当たらなければ気づきもしないだろう」と言いました。しかし、何か熟達しているものがないかぎり、フロー体験することはありません。ポールは、スピーゲルに、「チェスの上達のために生徒たちが多くのものを犠牲にしていると思ったことはないか?」と聞いたところ、彼女はこう答えました。

 「チェスをプレーすることがどんなに…そう、素晴らしいかわかっていないからそういう発想になるのよ。そこには喜びがある。チェスをしている時がいちばん幸せで、いちばん自分らしい自分でいられて、最良の自分を実感できる。“逸失利益”みたいなことも考えられなくはないけれど、彼らは、チェスの代わりにやりたいことなんてないと思う。」と答えました。

 このフロー理論は、後に経営や組織開発の分野でも活用されることになります。このフロー体験は、ゾーン体験と呼ばれます。そこで、私は、まさに、子どもが遊びに夢中になっているときには、このような体験をしている時であり、そのような体験をすることを意図して環境を構成することが必要ではないかと思ったのです。その環境に「ゾーン」と名付けたのです。

ゾーンとフロー

 私が、保育室を「遊びのミュージアム」にしようとし、そのミュージアムには、様々なゾーンが用意されていて、子どもたちはその場でゾーン体験をしようと自発的に遊びを選ぶというイメージを持ちました。ミュージアムには、「自然体験ゾーン」とか、「歴史ゾーン」というようにゾーンが使われています。そこで、保育室にもゾーンという遊びの場を考えたのです。

 また、ある時、「お城まつり」が開催されている会場を訪れた時、会場図に「喫茶コーナー」と、「遊びのゾーン」という場があることから、「コーナー」というのは、囲まれた用途が決まった場所で、「ゾーン」は、創意工夫によって変化する場所として区別されているのを見て、保育室内には、後者の役割があるということで、「ゾーン」と名付けた方がしっくりイメージに合うと思って使うことにしました。

 その後、スポーツ界で多く使われている「ゾーン体験」を知ることになりました。スポーツで素晴らしい結果を出すことができた試合やプレーの最中に持つ、こんな感覚を、遊びに夢中になっている子どもたちにあてはめてみました。「リラックスしているのだけど、ものすごく集中している」「体と心が完全に一体化していて、自然に体が動いているような感じ」「体の調子も良く、気持ちもワクワクしている」「なにもかもうまくいって最高の気分。絶好調」などです。まさに、子どもたちが何かに熱中しているときの気持ちです。他の思考や感情を忘れてしまうほど、遊びに没頭しているような状態を体験する特殊な感覚のことです。この「ゾーン」体験は、子どもたちの力を最大限に引き出してくれますが、それだけでなく、この体験は子どもたちにとって、遊びの喜びと生きる喜びが一つになる、とても幸福な体験でもあります。その幸福感、充実感は、結果以上に、「遊び素晴らしい!」、「もっともっと続けたい」と思えるモチベーションとなります。

 この体験を「フロー体験」とも言います。「フロー」とは、コップからあふれこぼれす様子を言います。遊んでいる最中に、興味、関心が子どもたちの心からあふれ出るさまをいいます。この「フロー状態」を、「成功する子 失敗する子」の本の中で見つけました。それは、チェスを子どもにやらせるときに考える時のことでした。もし、幼児のころにもしかしたらチェスの天才かもしれないと思った時に、毎日4時間チェスの勉強をするとしたら、代わりに逃してしまうものがあるのではないかと感じる気持があります。それは、子ども時代を、あるいは人生全般にわたって、たくさんのものに少しずつ興味を持って過ごしたほうがいいのか、それとも一つのことに多くの関心を注ぐ方がいいのかという迷いです。

 この本の作者のポールは、たくさんの物に少しずつ興味を持って過ごしたほうがいいと思うのですが、チェスの選手であるスピーゲルは、一事に集中することの利益を主張します。その言い分には、ダックワースのやり抜く定義に根拠があります。やり抜く力とは、一心に一つのゴールを目指す行動と深く結びついた自制心のことです。スピーゲルは、「何かに夢中になることで、子どもたちは夢中になれると思う」と説明します。

 この議論は、子どもが、いつも同じことしかしないときに、それをどう考えるか、また、ゾーン体験は、子どもたちにどのような力をつけることができるかを考えるうえで参考になります。どのように議論が展開していくのでしょうか?

卒業生のサポート

 ただ、アンチ・メッセージを子どもに送るよりも、知能は改善できるとメッセージを送り、それを信じている生徒の方が良い結果を出せるというドゥエッグの考え方は性格にも応用できるといいます。少なくとも、性格の通知表の根拠はここにあるようです。変えることのできない特徴ではなく、常に発展しつづける特性として性格を提示することで、その特性を改良しようという気持ちを引き出すことができるのではないかと考えたのです。

 「いい教師になろうと思ったら、知能は伸びると信じるしかありません。そして、同じように性格も伸びます。性格に注意を払うように教えれば、生徒たちは変わります。」と、KIPPの教師の一人が述べています。そのために、生徒が性格に関心を向けるようようにいろいろな取り組みをしています。その一つに、「二重目的教育」と呼ばれている授業があります。教員はどの授業でも、わざとわかりやすいように性格の強みについての話を組み込みます。また、レヴィンは、数学の教師には、文章問題の中に性格の強みに関する言葉を入れてもらいたいと伝えました。歴史の教師には、ハリエット・タブマンと地下鉄道の授業で、強みの話を使ってもらいたいと伝えました。このように、様々な切り口から性格について考えてもらおうという意図です。

 このような取り組みは、保護者の理解がなくてはなりません。そのために保護者会が開催されるのですが、この保護者会には、親たちは出席を強く促され、教員もほぼ全員出席します。最初は当然不安を持ちます。生徒が初めて通知表を受け取るとどうなるかは判らないからです。もともとの計画としては、性格の成績表はブランゼルや彼の同僚からの批判を受けて取り入れた課題だったためになおさらです。最終的に保護者に理解をしてもらうのは、この性格の通知表は、成功につながる指標として研究の末に決定された資質を表わすものであること。つまり、大学に行ける可能性が高いとか、いい仕事が見つかる可能性が高いとか、そういったことがわかるということです。さらにもっと驚くことは、たとえば結婚する可能性が高いとか、家庭を作る可能性が高いなどということまでわかるということを伝えることです。そして、このメッセージがさらに成績も伸びることになるのです。

 このような試みは、現在も進行形で続けられているのですが、それを援助するほかの試みも生きてきているようです。各生徒の最初の性格の通知表が、性格とその改善に関する生徒とKIPP側の対話の始まりを表わす出来事だとすると、KIPPの卒業生をサポートするプログラム「KIPPスルー・カレッジ」という試みが行われています。この組織の目標は、KIPPのミドル・スクールの卒業生の75%が、高校卒業後6年以内に4年制の大学を卒業できるように支援することだといいます。この数字は、2003年、レヴィンが最初に持ったクラスの6年以内の卒業率が21%だったことを見れば、かなりの支援が必要となります。しかし、2005年のクラスでは、46%に上がっているそうです。

 この支援の根底には、「素晴らしい知力を持ちながら、必ずしもそれを正しい方向に向けられない生徒たちがいます。課題を終える能力はあるのに、先延ばしにする癖のせいで苦闘している子どもがたくさんいるのです。あるいは、深刻な対人関係の問題、精神面の問題を抱えている子どももいます。」と子どもを信じることにあるようです。

もちろん、成功を後ろから支援することは複雑で難しいものです。しかし、家族や学校からのサポートのような社会的なセーフティネットを持っていない子どもには、成功するためのやり抜く力や社会的知性や自制心が必要です。そして、こうした性格の強みを伸ばすことは労力がかかることですが、子どもたちには必要な支援なのです。

小言

「知能とは限定された資質ではなく、こころの訓練によって拡張できる能力である」というようなメッセージを送ることでしなやかな心を作り、成績もアップし、それに比較して、「薬物の使用は、成績にも悪影響を及ぼす」などといったありきたりのメッセージが与えられ続けると、成績が下がるという実験があります。

最近、こんな記事を見ました。「マンガばかりを読んでいる子は、本当に就職できない人になってしまうのか 」というものです。「まったく、この子はマンガばっかり読んで――」という言葉は、寝転んでマンガばかり読んでいる我が子に対して、イライラしてしまい、つい、投げかけてしまいがちな言葉です。また、「漫画ばかり見ていないで、、少しは本を読みなさい!」とも言ってしまいそうです。しかし、本当にマンガばかり読んでいる人は、就職もできないような人間になってしまうのでしょうか?この調査は、内定を3つ以上獲得した100名と、内定0個だった100名に対して、就活前や就活中の生活習慣について質問してみたものです。

まず、「小中高生の頃、マンガをよく読んでいましたか?」という質問を両者にしてみたところ、その差はほとんどなかったそうです。次に、一般的な本の「読書量」について聞いてみたところ、「読書は好きですか?」と両者に質問したところ、こちらもマンガと同じように差は見られなかったということです。この結果からも分かるとおり、内定獲得者と非内定獲得者では、読書の好き嫌いでは差がほとんどないといえるようです。読書量は、情報量と知識量に比例すると思われますが、こと就活に関しては、その差が出ていないようです。
他にも、「ゲームは好きですか?」「ペットは飼っていましたか?」という日常生活に関する2つの質問を両者にしてみた結果、やはり、マンガや読書量と同じように、両者に差は見られなかったといいます。つまり、マンガを読んで、ゲームばっかりやっているからといって就活に不利になるわけでもなく、かといって読書がスゴイ好きで、ペットを可愛がる優しい子が就活に強くなるというわけでもなかった結果だったそうです。

しかし、例えば、中高生の間に体育会系の部活動を体験した人が、圧倒的に就職が有利だったようですし、父親との会話数が少ない子が、就活には不利になるという結果が、今までのアンケート調査でも明らかになっていたようです。しかし、今回のマンガや読書量の調査では、両者に差はほとんど見られなかったのです。ですから、親は子どもに対して、就活中の日常生活の過ごし方については、あまり口出しをしないほうがいいだろうと提案しています。「ゲームばっかりやっていて、就活は大丈夫なの?」「マンガなんか読んでいる場合じゃないだろ」「遊んでばっかりいて、就活はちゃんとやっているのか」というような「生活習慣に関する干渉は、子どもを無駄に苛立たせるだけではなく、就活にはまったく影響がないことなので、無駄な会話になってしまうと考えた方がいいだろう。」

さらに、就活生は、そのような干渉をただでさえ嫌う年齢でもあるために、無駄な争いごとで子どもを追い詰めるよりも、日常生活に関しての小言はほどほどにして、黙って見守り続ける方が、親の行動として適切といえると提言しています。また、この言葉がけは、かえって心を頑なにし、成績が下がる原因にもなるようです。

しなやかな心

 スタンフォード大学の心理学者であるキャロット・ドゥエックは、人々には二つのタイプがあると考えました。それは、知能やほかの能力は本質的に生まれつき変わらないものであると思っている「凝りかたまった心」の人々と、知能は改善できると信じている「しなやかな心」の人々です。彼によると、生徒の心のありようを見れば、成績の伸びがだいたい予測できると言います。知能は伸ばすことができると信じている生徒は、実際に成績も延びているのです。

 知能そのものが変わろうと変わるまいと、心のありようは確実に変えられるといいます。ドゥエックやほかの研究者たちの示すところによれば、正しい対策によって、生徒の心のありようを凝り固まったものからしなやかなものへ変えることはできるし、結果としてその方が成績があがることになると言います。この正しい対策とはどんな対策なのでしょうか?私の実感では、この心を変えるのは非常にむずかしい気がしています。凝り固まった心を変えることができるのであれば、もう少し改革が進むのにと思うことが多くあるからです。しかし、それは性格的なこともあるでしょうが、年齢的なこともあるようです。

 「ステレオタイプの脅威」という現象を突き止めたスティールとたびたび共同研究をしているジョシュア・アロンソンは、心のありようを変えるための対策の効果を二人の同僚とともに比較研究をしました。研究対象として選んだのは、主として低所得層の7年生です。1年の間、対象の生徒それぞれに大学生の助言者を一人つけます。生徒と助言者は一度につき90分、2回顔を合わせた後、定期的に電子メールで連絡を散りあいます。無作為に選ばれた一部の生徒には、しなやかな心のありようを作るためのメッセージが助言者から与えられます。どのようなメッセージかというと、たとえば、「知能とは限定された資質ではなく、こころの訓練によって拡張できる能力である」というようなものだそうです。もう一つのグループには、「薬物の使用は、成績にも悪影響を及ぼす」などといったありきたりのメッセージが与えられます。

 学年のおわりに、この二つのグループをこの州の標準学力テストのスコアで比較しました。その結果、しなやかな心を作るメッセージを聞いた生徒の方がアンチ・ドラッグのメッセージを聞いた生徒よりもはるかにいい成績を上げていたのです。最も顕著な効果は、女子生徒の数学のスコアに見られたのです。いままで、女性の数学のスコアにはとくにステレオタイプの脅威の影響が失われやすかったのです。女子は数学が苦手であるという典型をなぞる結果になったらどうしようと心配している生徒が大勢いるようでした。この実験では、アンチ・ドラッグのメッセージを受けていた女子生徒の平均点は74点、同じメッセージを受けていた男子生徒の平均よりも8点低かったといいます。しなやかな心を作るメッセージを聞いた女子生徒の平均点は84点、男子生徒との差に完全になくなったというのです。

 この実験は、いろいろな意味で参考になる気がします。子どもたちに注意をしたり、励ましたり、奮起させようとしての言葉がけに、アンチ・ドラッグのメッセージのような内容なものが多いかもしれません。それでいて、相手が少しも変わらないことを歎くことが多いのですが、実は、それはこちらの問題のようです。

ステレオタイプ

 以前、せいがの森保育園で見学者が、自分で遊んだおもちゃを片付けている子に向かって、「えらいわねえ、ちゃんとお片付けができて!」と言ったところ、園児の一人が、「だって、ここはせいがの森保育園だよ!」と答えたという話を聞きました。

 KIPPでは、いたるところでメッセージを送っているのは、レヴィンが、強力は校風をつくろうとする意図からでした。「自分たちは違うんだ」「自分たちはKIPPの生徒なんだ」という感覚を浸透させるためにポスターや標語や掲示やTシャツを使ってきたのです。ダックワースも、帰属意識を持たせるというKIPPのアプローチは効果的な学校教育を行うための要だと思っているようです。「KIPPがやっているのは、子どもが完全に気持ちを切り替えられるようにするための社会的役割の転換です。」と説明をしています。「イングループとアウトグループの心理を利用しているんです。“よその人たちはSLANTがなんなのかを知らない、私たちは知っている。わたしたちはKIPPの生徒だから”というわけ」

 集団の一員であるという認識は、業績に、よくも悪くも大きな影響を及ぼすことがわかっています。スタンフォード大学教育学大学院の学長で心理学者のクロード・スティールは、「ステレオタイプの脅威」という現象をつきとめました。それは、知的な、あるいは身体的な能力を試すテストの前に帰属する集団に関係する事柄をほのめかされると、テストの結果に大きく影響するということです。このような効果を、研究者たちはいくつもの異なった状況で立証してきたのです。

 その研究の中で、面白いものがあります。それは、60代、70代、80代の人々が年齢とともに記憶力は低下すると書かれた記事を読むように指示され、その後に記憶力のテストを受けた時には、テストに出てきた単語のうち44%しか覚えていませんでした。しかし、テストの前にその記事を読まなかった同様の構成グループでは、58%の単語を覚えていたそうです。それは、数学の難題を解く大学のテストでは、女子学生たちは自分が女子であることを指摘されただけで、なんのほのめかしも受けなかった女子学生よりも成績が悪かったということと同様な「ステレオタイプの脅威」の事例だそうです。

 これらの事例は、KIPPの実践とは逆に、ほのめかされた認識が逆の作用に動いたということです。しかし、このステレオタイプの脅威に関するいいニュースは、かすかなほのめかしが引き金になりはしますが、それと同程度のほんの小さな対策で脅威を無効にできるという点です。もちろん、その研究は現在もあらゆる状況で調査が行われていますが、最も効果的なテクニックの一つは、ステレオタイプの脅威にさらされている生徒たちに、「知能は様々な影響を受けやすいものである」と種明かしをすることだとあります。そのこと自体を理解した生徒は自信を持ち、テストの得点やGPAがあがることもたびたびあるそうです。

 この研究が、心理学者や神経科学者の間で議論も的になっているようです。それは、学力テストのスコアは、様々な訓練によって左右されますが、知能そのものはそんなに変わるものではないと思われたことに対して、知能が影響を受けやすいということだからです。その議論の中で、同じスタンフォード大学の心理学者キャロル・ドゥエックが目覚ましい発見しました。ここでは、「しなやかな心」というキーワードが出てきます。

性格について

 HCIIといわれる精神的対照は、人が目標を設定する時に用いる有効な戦略ですが、それはまた、自分のためのルールを作る方法のひとつとも言われています。最近、「過食にさようなら」を書いたディヴィッド・ケスラーは、誘惑に負けないために、なぜルールが機能するかというと、ルールを作ると前頭前皮質を味方につけることができるからだと言います。つまり、本能に突き動かされて反射的に働く脳の部位に対抗できるというのです。ルールは意志力と同じものではなく、メタ認知を利用した意志力の代用品であると言います。ルールを自分の中に作ることによって、決意と誘惑、欲求とその欲求に抵抗する固い決意との間に起こる厄介な葛藤を回避できるのです。

 アメリカの哲学者で、心理学者でもあるウィリアム・ジェームズは、私たちが「美徳」とよぶ特質は単なる習慣であると言います。その言葉を取り上げ、ダックワースは、KIPPの教員に、「よい子どもと悪い子どもがいるわけではなく、よい習慣を持った子どもと悪い習慣を持った子どもがいるのです。そんなふうにいえば、子どもたちにも理解できるはず。なぜなら習慣を変えるのは大変かもしれないけれど、不可能ではないと子どもたちにもわかっているからです。わたしたちの神経系は、一枚の紙のようなものである、とウィリアム・ジェームズは言っています。繰り返し折れば、折り目が付く。KIPPで皆さんがしているのもそういうことだと思います。生徒たちがKIPPを出ていくとき、あとの成功につながるような折り目が彼らについていることを確認してください。」と説明します。

 このルールについての考え方は、まさに日本語で、しつけ糸と使われるように、「しつけ」なのでしょう。折り目を付けることが「しつける」ということであり、後で、その糸を抜いても、形がそのまま維持されることが「しつけられた」ということになるのでしょう。そして、それが「習慣」となるのでしょう。

 KIPPでは、性格にまつわる様々な用語が飛び交っているようです。子どもたちは、「無限大の性格」というロゴの入ったトレーナーを着ていますし、Tシャツには、自制心に関するロゴが入っています。壁にも、「自制心はある?」とか「自ら進んで参加する!」というような標語で覆われています。掲示板のてっぺんには、「性格が大事」とあり、掲示板には「発見!」カードやメモカードが貼り付けられています。このカードは、友だちの強みを示す行動に気づいたらいつでも書き込もうというものだそうです。

 私の園の学童クラブの部屋には、「ひらめきの木」という掲示版があります。hiramekiその端にはカードがつりさげられており、子どもが何かやりたいことを思いついたら(ひらめいたら)、そのカードに何がしたいかを書いて、掲示板に貼り付けます。それを他の子が見て、自分の同意した場合には、そのカードに画びょうをつけ、賛成を表明します。賛成者が多いカードに書かれてあることを、みんなで話し合って、次の月の月案に反映します。このカードのほかにも、いろいろな子どもへのメッセージが壁や掲示板に張り出してあります。それは、少しうるさいくらいです。

 KIPPでも、そのような状態について、ちょっと行きすぎではないかという問いに対してレヴィンは、「これを成功させるためには、人の口に上る言葉から、授業計画、認められ称賛される様子、壁の標語まで、校内のすみずみまで行き渡らせなければだめなんです。組織のDNAに組み込まれるくらいにしないと、小さなインパクトしか与えられない。」と説明しています。

 私の園の職員も同じようなことを考えたようです。