少し、ブログがわかりにくくなりました。それは、心理学的用語が出てくるからです。しかし、心理学というのは、他の学問と同じように人の研究ですので、身の回りのよくあることを難しく?説明したものであって、実は、よくある話であることが多いのです。例えば、「確証バイアス」についてですが、これは、「ある仮説を確かめようとしたとき、自分が抱いてきた先入観や信念を肯定的に証明する情報を重んじて追求する」ということであり、そのために、「これに反するような情報は軽んじたり、黙殺したりする」ということをよく人はします。そのような傾向にある現象のことをあらわした心理学用語なのです。
私がよく話をする、いわゆる「刷り込み」によって、物事を判断しようとし、その刷り込みが正しいというような意見の方を重要視する傾向が人はよくあるということなのです。「男女の役割の刷り込み」「しょうがい児の刷り込み」「子どもらしさの刷り込み」によって、判断してしまうことが多い気がします。しかし、それは、「偏見」として形成され、それが社会のいわゆる常識となると、その後、客観的な情報、科学的な知見が現れても、その修正は、なかなか困難になってしまいます。
また、私が小学校に勤務して1年生の時に初めに子どもたちに話した「大人の言うことや本に書いてあることを、そのまま信じるな!」ということは、実は子どもたちから確証バイアスを取り除き、確証と反証による学習を行おうとしたものだったのです。それは、子どもというものは、日常の経験から自然事象に関して自分なりのいろいろな見方や考え方をつくり上げていく存在であり、その見方や考え方をより発展的で適切なものに変えていこうとするのが教師の支援であるという考え方にもとづいていたのです。
実は、チェスのプレーヤーにとってはこの確証バイアスが大きな問題になるのだそうです。いろいろと実験をして見ると、初級者は気に入った手を見つけると確証バイアスの罠に陥りやすいことがわかったのです。勝利につながる可能性だけを見て、落とし穴は見過ごしてしまうのです。これに比べて、ベテランは、隅に潜む恐ろしい結果を見逃さないのです。上級者は、自分の仮説を反証することができ、その結果、致命的な罠を避けることができるのです。
最近、いろいろな面でアメリカは難題を抱えています。その一つは、大学が抱える難題です。「成功する子 失敗する子」の本の中で、その現状をこのように書いています。「20世紀のあいだずっと、高等教育システムの質と、そのシステムを首尾よく通過した若者の割合においてアメリカは並ぶもののない国だった。1990年代の半ばにいたるまでアメリカの大卒者の割合は世界一高く、先進諸国の平均の倍以上だった。しかしいまや世界の教育に関する順位の入れ替わりは激しい。先進国も発展途上国も含め多くの国が前例のない大学教育ブームのただなかにあり、ここ10年だけをとって見ても、25歳から34歳までの人々の4年制大学の卒業率でアメリカは1位から12位に転落している。アメリカが遅れをとっている様々な競争相手になかには、イギリス、オーストラリア、ポーランド、ノルウェー、韓国などが含まれる。」
ここに、日本が入っていないのは少し気になるところですが、この遅れについて、どう考えるのでしょうか?