感動の出会い

 新宿にある私の園でも、毎朝、鶯の泣き声を聞くことができます。朝出勤すると、まずベランダに出て、鶯の泣き声に耳を傾けます。また、さくらはもう東京では散ってしまったと言いますが、それは、ソメイヨシノという品種の話で、私の部屋の前のテラスの桜は、これから満開の時期を迎えます。berandanosakura一昨日、テレビで自然を感じるようになったら、歳をとった証拠であるというようなことを言っていましたが、日々の何気ない自然の移り変わりに感動するのは、やはり心の余裕がなければ無理かもしれません。そんな時に、もちろん、桜の種類、鳥の種類を知っていること、その名前を知っていることは関係ないかもしれません。しかし、知っていることで、鶯の泣き声も上手になったので、春の深まりを感じることもできますし、鶯が里に下りてくる時期を知っていることで、やはり季節の深まりを感じることもできるかもしれません。ただ、それは、教わって、また、本を何度も読んでではなく、好奇心や興味、感動、そして、経験から学んだことです。

 このようなものが「学び」の土台であるとしたら、乳幼児教育こそ、乳幼児期に育つものこそが、その後の学びの土台となり、その土台はその後の学校教育、さらには人生の長きにわたって影響をしていくものなのです。子どもたちは、様々な環境と出会っていきます。その子どもの出会いが、感動の経験であることで、興味がわき、好奇心が芽生えてくるのです。その感動の出会いを、どれだけ大人が用意してあげられるかが保育の意図かもしれません。さらに、その出会いにおける感動を積み重ね、分厚いものにしていくことが保育かもしれません。そして、感動のひろがりが関わりを充実させていくものであるとしたら、自然は、際限なく広がっていく可能性を持っているのです。

 このような考え方は、建前論のように思われ、現実ではいまだに知能至上主義が日本のみならず、アメリカでも見られるようです。しかし、児童の発達に関するここ数十年の一般通念は誤りで、わたしたちは間違ったスキルを能力に焦点を合わせ、間違った戦略を使ってそのスキルを教え、育てようとしてきたのです。それは、最近の科学者、教育者たちは徐々にお互いを見つけ、学問分野の境界を越えてつながりを築き始めていると言います。彼らの議論は、子育ての方法、学校運営の方法、社会的なセーフティーネットの構築方法を変える可能性を持っているとポール氏は書いています。

 この学際的なネットワークの要となる人物が、私が少し前に取り上げた、シカゴ大学の経済学者ジェームズ・ヘックマンだと言います。彼は、驚異的な知能の持ち主で、特に数学的な頭はとびぬけているそうです。彼は複雑な統計の方法でノーベル経済学賞を受賞しますが、その内容もきわめて難解な統計分析の手法のようです。そんな彼にキャリアの転換が訪れます。その発端が、1990年代後半に行った高校終了同等資格(GED)に関する研究です。

 この資格は、日本で「高等学校卒業程度認定試験」と呼ばれるものと同じものです。日本では、最初は、「大学入学資格検定(大検)といったものでしたが、平成17年度より変わっています。これは、様々な理由で、高等学校を卒業できなかった者等の学習成果を適切に評価し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があるかどうかを認定するための試験です。

この研究が、どう子育ての方法まで変えるような研究になったのでしょうか?