ドラマつながり

 私は、毎年妻とNHK大河ドラマつながりの地を訪れていました。そして、それは、ブログのネタになり、かならずその話題を取り上げていました。しかし、孫が生まれてから、めっきりいかなくなりました。それは、一昨年、息子と娘の両方に孫が生まれ、妻はその孫の世話のヘルプに行くことが多くなったからです。もちろん、土、日は孫の両親がそろっているので行くことは少ないのですが、親が、たまに日曜出勤があったり、具合が悪くなったり、出かける用があったりと、いつヘルプの要請があるかわかりませんので、いつでも出動できるように待機をしているために、遠くには出かけなくなったのです。

 しかし、大河ドラマの取り上げる時代はある程度重なっているために、舞台が、以前訪れた場所であることが多いことと、講演などで訪れたことのある場所が、あらためて大河ドラマの舞台になるということで、また以前のブログを読み返したりすることがあります。

 今年の「軍師 官兵衛」では、現在、秀吉とともに毛利攻めをしようと、様々な策略を練るところで、この時代は何回も取り上げられているのですが、知らないことが多く、とても面白くみています。その中で、荒木村重という人物が出てきます。官兵衛が窮地に落ちたときに助けに来た武将です。

 2012年6月27日のブログで取り上げたのですが、講演で伊丹市を訪れたことがあります。その時には、すでに今年の大河ドラマで官兵衛が取り上げられるということは分かっていたようで、そのゆかりの地ということで、伊丹市の子育て課の課長さんが伊丹市を案内してくれました。まず、最初に、この市の名前の由来である「伊丹氏」が、南北朝時代に築いた伊丹城跡を最初に案内してもらいました。その時に、「ここが、再来年、NHK大河に登場する、あの荒木村重の居城だったところですよ。」と言われたのですが、その時はなんだかピンときませんでした。それが、今回のテレビでなんとなく実感がわいてきました。
伊丹氏によって、その本拠の伊丹城はしだいに整備されていきました。しかし、池田城にいた池田氏の家臣であった荒木村重は、織田信長に仕えて信頼を得、天正2年(1574年)、伊丹氏に代わって伊丹城に入城します。そこで、城の名前を有岡城と変えて、摂津国の支配を任されました。ここの市は、伊丹市として痛みという名前が残っていますが、有岡という言葉はあまりなじみがありません。しかし、その城跡には、「伊丹城」ではなく、「有岡城」と書かれてあります。
itamijo-2その後、この城での出来事が、官兵衛の人生において、一つの転機になるのです。NHKたがドラマの中で、前半での大きな山場は、この城での出来事ではないかと思っています。テレビを楽しみに見ている人にとっては、その顛末を話してしまうことは楽しみを奪うことになるので、詳しい話はやめておきますが、息子ともども窮地に陥ります。その窮地から、当時豊臣秀吉の軍師であった竹中半兵衛の起点によって救われるのです。また、荒木村重の行動によって、その後の黒田官兵衛の人生を大きく変えていくことになるのです。

そんな城ですが、この城が落城後間もなく廃城となり、現在は有岡城跡として土塁の石垣などが残るだけになっています。その跡を見学したことを思いだすと、荒木の人生が思い浮かびます。とどうじに、戦国時代の誰を、何を信じればいいのかという過酷さが偲ばれます。