料理人の感覚

 人の能力は、どんな科学にも勝るものを持っています。科学的に解明できないものが、まだまだあります。よく、特集で「おいしいラーメン店」という企画がありますが、この「おいしい」という感覚は、科学的には解明できないかもしれません。それは、個人によって好みが違うからです。また、年齢によっても、その日の具合によっても、疲れ具合によってもおいしいと思う基準が違うからです。食は、体調を調節する役目もあるわけですから、体調によって摂取したいものが変わってくるのは当然です。甘いものがたべたくなるときと、塩辛いものがたべたくなるときと、さっぱりしたものがたべたいときと、日によって様々です。

 また、料理は、食材を使うときに必要なのは、その量だけでないいろいろな要素があります。例えば、新鮮さです。特に生ものの時には、それは重要な要素になります。それは、料理法にも影響してきます。古くなったものは、火によく通すとか、生で食べないで煮たりします。また、分量もその時の食べ合わせによって変わってくることがあります。私が、ほぼ毎週「生臥竜塾」という勉強会を行っているのですが、その参加人数は基本的には7人ですが、夕食を食べる時に炊くご飯の量は、その時のメイン料理によってずいぶんと左右します。先週は、3月末ということで一人の職員のお別れ会を兼ねていましたので、手巻き寿司ということで8合炊きました。また、食べる場所によってもその分量は違ってきます。例えば、外で食べる時は多いとかです。全体の量とか、調味料の分量とかは、ずいぶんと微妙なものです。

 そのあたりのことを、「キッチンの歴史」の中で、興味深い書き方をしています。「もともと味の好みは人によって千差万別だ。計量にこだわりすぎるとそれが仇になり、カップ計量がかえって料理を台無しにしてしまうことになりかねない。がちがちの公式に囚われると、料理で最高の尺度は個人の裁量であることを忘れてしまう。」さらに、こんなことも言っています。「どんな料理にも計量は付きまとう。5感も無意識に計算を働かせている。玉ねぎを炒めている時、透明になったか目で見ればわかる。ポップコーンが弾け終わったか耳で聞けば分かる。トーストが焦げそうか鼻で嗅げばわかる。こうした5感の計算に基づいて、たえず評価と決定を下しながら私たちは料理する。容量、時間、温度、重量 ― これは料理を進める指針となる変数だが、優れたテクノロジーを駆使して、より厳密に計算すれば、それだけ料理がうまくなるとは限らない。料理の公式にこだわるとかえって生産性の妨げになることがある。腕のいい料理人の感覚に勝るテクノロジーはない。よくきく鼻、鋭い目、熱いコンロで長年鍛え抜かれた手の感覚、こうした5感はどんな人工の道具よりも雄弁に食物を評価する。」

 まったく、この意見に賛成です。まさに、料理は人間の5感を駆使して行う行為なのです。ですから、料理は、人類しかしないのです。また、それは、子どもクッキングの重要な意味なのです。ということは、子どもにクッキングさせるときに、作ることだけに目が行くのではなく、作る過程で、5感をフルに活用することを働きかけなければならないのです。「いいにおいがしてきたね」と臭覚、「色が変わってきたよ」と視覚、「ぐつぐついっているよ。煮えてきたのかな」と聴覚、「もう少し冷ましてから」と触覚、「ちょっと、味見をしてみよう」と味覚とフル回転です。そして、カップで量ることで、算数の量の体験、そのほか、数、重さ、いろいろな学びが含まれています。