箸3

日本は箸文化で、それは、調理方法、食材が影響します。しかし、最近の食のグローバル化が、食道具に変化をもたらしていると言われています。たとえば、今や日本食といわれるほど日本人が好きなカレーは、スプーンを使って食べますし、これも日本文化になりつつある食パンに挟むサンドイッチは手で持って頬張ります。

そうは言っても、やはり日本における箸文化は、その発祥の地である中国の箸文化と違った文化を築いてきています。それは、より繊細に、精神性を持ったものになっています。ということで、この「キッチンの歴史」の本の中にも、日本の箸文化について特別に取り上げています。

まず、形状ですが、中国の箸はその長さはほぼ26cmであるのに対して、日本の箸の長さはほぼ22cmと短くなっています。また、箸の先端が中国では平たくなっているのに対いて、日本の箸は、尖っていて、より細かいもの、より小さなものまでつまみ上げることができると、著者のビーさんは指摘しています。ですから、箸を使って食べることも、椀から飲むこともできない食物は、日本料理ではないと言われたほどだったのです。

 今でも、日本食の料理や食べ方を決めるのは、おおむね箸であるとビーさんは言います。ですから、日本では箸を持つときやってはいけないことが作法となっていると言います。たとえば、相手の顔に向かって箸の先を向けることは禁物であるとか、料理に箸を突き立てるのは、霊前に供えるご飯を連想させるためにやってはいけないなどの決まりがあります。そのほかにも、ビーさんは、細かい作法を挙げています。多分、これらの作法の中に、日本人の精神性を感じるのでしょう。私は、彼女が挙げた項目から、次のようなことを感じました。

 箸の先から料理の汁などを涙のようにぽたぽた落とすことである「涙箸」は、その行為が、箸が涙を流しているようだという言い方をしています。どの料理を食べようかいろいろな料理の上で箸をさまよわせることを指す「迷い箸」は、さまようという言い方で、料理に対する失礼な行為のような言い方をしています。箸をそろえて持ち、スプーンのように料理をすくい上げることをさす「横箸」、スプーンと違うのだというプライドを感じます。同様にフォークに対しても箸としてのプライドを持ちます。フォークのように料理を突き刺して食べる「刺し箸」は嫌います。最後に挙げた箸についたものを口で舐めとる行為である「ねぶり箸」は、日本人は、特に嫌うようです。

 それは、箸を共用することを嫌う日本人の特性に通じ、神道の「けがれ」を忌み嫌うことからきているとビーさんは推測しています。「けがれ」という不潔なものを、洗ったら落とすことができる細菌がついているということではない、洗っても落とすことのできない不潔さであるとしています。

 こんな調査があるそうです。「誰かがあなたが使っている持ち物を貸したとします。その人は、それを使った後、徹底的に洗って返してくれますが、それでももう使いたくないと思う持ち物はなんですか?」という質問を、石毛直道教授がゼミの日本人学生を対象にしたところ、1番多かったひとつは、「下半身に身に着けた下着」だったそうですが、もう一つは「箸」だったそうです。日本人にとっては、知らない人の箸を使うことは、心理的に気持ちが悪いと思うようです。

 それが、日本の「割りばし」文化を作ってきたと言います。

箸3” への11件のコメント

  1. スプーンと違うという箸のプライドというのは考えたことがありませんでした。それぞれにはそれぞれの役割があり、その役割を丁寧に行うことが美しいというような考え方が日本にはあるような気がします。私の好きな人に必ずブログの締めくくりに「各自持ち場で奮闘されたし」という言葉を添える方がおられます。それと関係があるのかどうかは分かりませんが、そんなことを思い出しました。確かに箸の共有は気持ちのいいものではありませんね。それが「けがれ」と繋がるのではという考え方もおもしろいです。私は人が使った箸を断固使いたくないとまではいきませんが(割と使える方だと思います)、やはり使う時には「使うぞ」というちょっとした決意みたいなものはあるように思います。「割り箸」というまたおもしろそうなキーワードが出てきました。そのような所へ繋がっていくのですね。

  2. 箸の使用については、今回のブログで紹介されている不作法が確かにあります。私としては挙げられたほかに、小皿をお箸で動かすことや、お箸を持った手にご飯茶碗などを乗せるのを見るのは嫌ですね。それから、実は、お箸を共有するということもあまり経験がなく、さらに面倒なことは、しかし最近克服してきたのですが、いわゆる「鍋をつつく」、鍋の中のものをめいめいの箸で取って食べる、これも駄目でした。まぁ、こうしたことはおそらく育った環境によって異なるのでしょう。結婚した同士がそれぞれの生活習慣の違いに気づいて面倒なケースになることを俗に「箸の上げ下ろし」がどうのこうの、ということも昔聞いたような気がします。こうしてみてくると、我が国における箸文化は、結構、奥が深いなと思います。もしかすると、箸道、のようなものもあるかもしれません。箸の共有を嫌うところから「割りばし」が生まれたということはなるほどと思いました。

  3. 箸の作法の数に正直驚いています。検索してみると、少なくても20種類はあるそうですね。ひとつひとつを見ていったら、私は6種類の無作法を平気に行っていたこととなりました。恥ずかしい限りです。始めは、その作法の数に対して、作法がありすぎることは良くないのではないか、それを気にするあまり、肝心の食事が美味しく頂けないのではないか、等と思っていましたが、多くの作法は、食材に対して・作ってもらった人に対しての感謝の気持ちがあるからこそなのかなぁと思いました。また、一緒に食べる人への気遣いや、その空間を共有するもの同士が、気持ちよく食事をとるためのルールを守ることで、食事からも日本の精神を伝えていく“日本料理”が生まれ、伝承されていると想像しました。本日、近くを歩いていると住宅街にひっそりと佇む日本料理「季(とき)」という店がありました。門構えや玄関へ行く道からも、日本人の精神を感じました。

  4. 箸の共有を嫌うを嫌うことから始まって割り箸の誕生となるのですね。とてもわかりやすいです。割り箸の誕生により日本の食文化に変化があったことが伺えますが子どもの遊びの幅にも変化をもたらしたように感じます。
    最後の調査での問いがとても面白いですね。下着に関しては当然のように感じますが箸は賛否両論ありそうですね。この問いに対して下着はもちろんとして僕は歯ブラシも共有が難しいです。箸の共有に関しては大丈夫な方ですが。始まりは箸の共有を嫌うことでも今の割り箸の需要理由は他にもあるように思えます。割り箸の存在は現代の日本人の生活からは切っても切れない存在となりました。ただECOの視点から見るとどうなんですかね…

  5. 昨日、嫌い箸のことをコメントに描いたのはフライングでした(笑)。ネタがかぶってしまいました。たまにはこういうこともあります。

    以前、箸は弥生時代に中国大陸から伝来し、とても神聖なものとして扱われていたことをコメントに書きました。祭器として祭祀・儀式で神に食物を捧げる道具として使われていたのです。今のように食事に使われだしたのは、聖徳太子の時代になってから。遣隋使の小野妹子が箸の使い方を伝えたと言われています。

    箸はまた縁起物でもあります。古代出雲神話の中に登場するヤマタノオロチ伝説。スサノオノミコトが天上「高天原」から出雲の地に舞い降り、出雲平野に流れる斐伊川の畔を歩いている時、川面に流れる「お箸」によって導かれた不思議な「縁」でイナダヒメと出会い、ヤマタノオロチを退治して二人は結ばれ幸せになるという有名な「古事記」のお話です。

    そういえば、私の結婚式の時に、師とも慕う方からお祝いに一対の箸をいただきました。箸は1本では役に立たない。2本が仲良くその役目を果たすことで食事の用を足すことができる。夫婦も末永くそうあれかし。・・・う~ん実際はどうだったんでしょう。愛妻に「来世もこの箸のように仲良くしてよ」とお願いしたらきっぱりと断られました(笑)。え~い、こうなったら来世もストーカーになって探しまわって求愛しようかしら。

  6. 箸を洗って返されても使いたくないと思う人が多いのは少し意外でした。そのあたりの自分の感覚が鈍くなっているだけかもしれませんが、あまり気にならないですね。というよりも、みんなで使う物という意識の方が強いかもしれません。今回は箸の使い方についていろいろと紹介をされていますが、同じ箸を使って同じものを食べても、箸の汚れ方は人によって違ってくるんですよね。雑に使う人と丁寧に使う人では、丁寧に使う人の方が圧倒的に汚れは少ないです。当たり前のことですが。その道具をいかに使うかということもありますが、どのように食事に向かうかも問われているようで、日本の食はおもしろいなあと思っています。

  7. 「箸を使って食べることも、椀から飲むこともできない食物は、日本料理ではない」という言葉、色々な食事風景を思い出してみると、確かにその通りかもしれません。これはこれは給食の献立を考える上で、大切な事柄かもしれません。また箸の作法にしても「涙橋」「迷い橋」「刺し箸」「ねぶり橋」をしてはいけない。これは「食育」にも繋がります。ただ私自身、それらの行為を無意識のうちにやってしまう時がありますので、私も勉強になります。日本の和食が世界遺産に認定されましたが、以前のブログでは季節の行事に行事食を食べることが重要と書かれていました。それに合わせて箸の作法、そして箸で食事ができる料理と、もっともっと奥が深いようです。

  8. 先日、お店でハンバーグを食べました。その際に出された食べるための道具はフォークはなく箸でした。ハンバーグを食べる際にも箸が出るのは当たり前というのが日本の文化なんだというのを改めて感じることができました。箸の作法も少しは知っているつもりでしたがかなり多いようですね、更に自分の食生活を振り返ると自然とそういった作法をしていることに気づきます。気をつけなければいけません…。箸を共有するにあたって「けがれ」という言葉が出てきました。話は少しズレましが、「ケガレ」を「気枯れ」すなわちケがカレた状態とし、祭などのハレの儀式でケを回復する(ケガレをはらう、「気を良める」→清める)という考え方も示されている。とハレとケという関係の以前のブログにも繋がっていくことに驚きました。ブログにある調査での箸が洗っても使いたくないとは意外ですね。確かに気持ちは良くないですが。ここから割り箸の文化ができてきたのは納得がいきますね。

  9. どんな動物も食べる時は、無防備になるというのを聞いたことがあります。人間も食事の時は、動物としての素が出そうになるのを、礼儀やマナーで食文化を発展させてきたということもあるのでしょうか。
    いずれにしても「迷い箸」や「刺し箸」、「ねぶり箸」など、何も知らないと思わずやってしまうものばかりに感じます。
    日本人の「けがれ」という考え。「エコ」が言われる中、日本では「割り箸」という文化はなくなりません。最近はなくなりましたが、牛丼などのファーストフードのお店でも、「割り箸」というものはぎりぎりまで残っていた気がします。なかなか今の時代けがれという意識を持つ人は少ないでしょうが、「箸の共有を嫌がる」というように文化の中に精神も根付いているのもなのですね。

  10. 以前何かのきっかけで箸の作法について調べたことがあったので「涙箸」「迷い箸」「刺し箸」「ねぶり箸」といった言葉は聞き覚えがあったのですが、それは神道の「けがれ」から来ていたということに関しては初めて聞き勉強になりました。そして後半にあった「日本人にとっては、知らない人の箸を使うことは、心理的に気持ちが悪いと思う」というのにはうなずけます。外で食事をする際に割り箸を使って食べていた店がエコ対として洗い使いまわす箸を導入した直後は少しだけ抵抗があったことを思い出します。

  11. 今でこそ、エコのために飲食店でも割り箸ではなく、箸が用意されているところが多くなってきましたが、目の前で食べていた人の箸を目の前で洗って、使うように言われても多少躊躇しますね。こういった部分は当たり前と思っていたのですが、それが日本の文化で精神性の部分であると言われると確かに自分の中にそういいった部分は根付いているように思います。日本でもマナーと言われるものはありますが、それはフランス料理のテーブルマナーよりも、より身近で庶民的なイメージがあります。迷い箸や寄せ箸などは母親から学んだ覚えがあります。

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