工夫

「ダイヤモンド・オンライン メールマガジン」に、K.I.T.虎ノ門大学院主任教授の三谷宏治氏による、興味深い記事が掲載されていました。そのタイトルは、「なぜヒトだけが氷河期を生き延びたのか?~道具の起源はアイデアの宝庫」というものです。

ホモ・サピエンスが、中央アフリカで誕生して以来、世界中に広がっていくにつれ、環境に適応するように進化をしてきました。寒い地方では寒さに耐えうるように、高地ですむ人は、酸素が薄くても大丈夫なように、砂漠に住む人たちは、その環境に適応していきました。しかし、その環境に完全に適応した人たちは滅びてしまったと聞いたことがあります。なぜなら、その環境に完全に適応してしまうと、工夫なり、道具を産みだしたりする知恵を使わなくなるからだと言われています。環境と、適応とのギャップを人類は知恵で埋めるのです。ある不便さ、あるストレスが、発展には必要なようです。

三谷さんは、「日本の建築様式は15世紀 室町時代を境に大きく変容しました。「力強い重厚さ」から「繊細な様式美」へと。重厚さの代表が7世紀創建の法隆寺であり、繊細さの極致が17世紀造営の桂離宮(書院造り)でしょう。 この大きな変化を後押ししたのは、実は中世における、建築資源の枯渇と技術的進歩でした。」と書いています。
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その時代、材料が豊富に容易に手に入っていれば、あれほど重厚な法隆寺は生まれなかったと言います。それは、法隆寺で使われる部材はみな、とても太くて厚いもので、ヤリカンナ(穂先が曲がった槍のような形の道具)で少しずつ削り取るように加工してあり、それらが建物自体の重厚さを生んでいるわけなのですが、これは同時に、とてつもない資源と労力の無駄だったと言います。それなのに、どうしてそんな大きく分厚い部材を使っていたかというと、当時、「製材技術」の未熟さゆえだったというのです。

薄くて、丈夫な木材を使うためには、加工技術が未熟な時代では、そのような木を使うしかありませんでした。それは、樹齢1000年を超えるようきれいに割りやすいヒノキを、使うのがいいのですが、その数には限りがあり、15世紀までには、ほとんど使われてしまっていました。そこで、どうしたらよいかということから、「大ノコギリ」という道具が発明され、薄い板をつくることを可能にしたのです。この新技術は一気に採用され広まっていきました。それは、薄い板に仕上げて組み合わせた方が、扉を作るにせよ何にせよ、圧倒的に省資源だからです。その上、うまく組み合わせることで反りや歪みも防げます。さらに、薄い板の表面を仕上げるための平カンナ(鉋)が登場します。この二つの道具によって、単に構造体であった気が、木目の美しさを追究する方向に向かっていきます。そしてそれらが遂には桂離宮へとつながっていったと三谷さんは言います。すなわち、「道具の進化が建築や資源、そして美意識の在り方をも変えたのです。」

このような経緯は、人類の進化の中で多くみられます。例えば、石器を使用していた人類が、1万数千年ほど前に手にした道具は土器でした。三谷氏は、こう言います。「その基本的な用途は、狩猟でも装飾でもなく「調理」でした。しかもそれは新しい調理法を生み出しました。土器という、熱に耐え、水を溜められる器ができて初めて、われわれはものを「煮炊き」することができるようになったのです。」

まさに、食育3本柱の一つの誕生です。