若者

 日経の記事の中で、人材コンサルタントの常見陽平氏が、働く凄さを伝えようということを提案しています。現在、としない若者が増える一方で、前向きすぎて空回りする若者も問題になっています。彼らのことを「意識高い系」と呼び、警鐘を鳴らしていま。

 「意識高い系」は、こんな特徴があるそうです。「就職難を受け、就活突破を目指し学生自身が団体をつくる例が増えた。そこにベンチャー起業家が招かれ、熱く仕事を語る。学生はあおられ、感動し、『仕事で自己実現しなくちゃ』『仕事は面白くないとダメ』『いっぱい稼がないと』と言い始める」そんな彼らは、「ビジネス書、歌、漫画や小説と、ただでさえ『自分こそ主人公だ』と若者をあおるものがあふれている。社会人になると自己啓発本や自分磨き系ビジネス誌を買い、デジタル機器をそろえ、異業種交流会や勉強会に足を運ぶ。これでは収入は増えず、仕事ができるようにもならない」

 このような様子は、いろいろなところで若者に見られる、ある種の行動のような気がします。それは、若者らしい、積極的で物おじせず、いろいろなことを学ぼうという姿勢です。しかし、その行動に首をかしげることがあります。どうも、最近あちらこちらにグループで旅をしているお年寄りに似ている姿を見ることがあります。積極的に、見聞を広げようといろいろなところへ行くことを計画します。しかし、その旅の途中では、もう次にどこに行こうかと相談が始まります。まず、出かけて行って、何がしたいのか、何を学びたいのかわからずに、行くこと自体に目的があるようです。ですから、行って満足、計画を遂行して目的達成なのかなと思ってしまうのです。それと同じようなことを若者に感じることがあるのです。研修で何を学ぶというよりも、研修を受けることだけが目的になり、次の研修は何にするかを研修を受けながら考えます。このような就活は効果があまり期待できません。頑張っているのに、なかなか報われません。

 そんな時にこんな助言をしています。

 「すごい人にならなければという幻想が膨れ、不安になっている。(米アップル創業者の)スティーブ・ジョブズにあこがれプレゼンテーション技術を磨くが、実際のビジネスでは地道な商談で受注が決まる。ちゃんと企画書を書けるよう古典を読んで日本語を磨いた方がいいのに」

 このようなことは、多くの知識人が言っています。世界で数人しかいない人に自分もなれると思って目指しますが、もう少し自分らしさを磨いたほうが他から重視される存在になります。英語を必死に学ぶよりも、きちんと日本の文化が語れるようになった方が、外国では尊重されます。しかし、最近の環境が、若者を迷わせているようです。

 「ネットも不安に拍車をかける。ネットでは同世代の活躍が大きく取り上げられる。また、ネット検索では確からしいものが上位にすぐ出る。ふだんからこれに慣れると、常に最短距離で正解を得ようとする癖がつく。実際はまだスマホやフェイスブックを使っていない学生も多い。しかもツイッターもフェイスブックも若者には飽きられ始めているように見える。学食で聞いていると、学生の話題は昔と同じように単位や就活や夏休みだ。ネットを武器に若者が社会を変える、といった話は大人も若者もうのみにしない方がいい」

 若者文化に精通していると、さも知ったようにいう人がいますが、実は、その奥にある物は違うようです。もっと、大人も自信を持った方がいいようです。

若者” への10件のコメント

  1. なるほど、「前向きすぎて空回りする若者」のことを「意識高い系」というのですね。今どきの若者たちへのネーミング、おもしろいですね。「ゆとり世代」と言われる若者たちがいるかと思うと「さとり世代」と言われたり、そして今回は「意識高い系」。いやぁ、実にさまざまなネーミングがあるのですね。確かに、あちこち出向いて話を聴いたり、自己投資と称して、へぇ~と感心するような高価なもので身を固めたり・・・「最近あちらこちらにグループで旅をしている」若者のこと、以前テレビの何かの番組で取り上げていました。ある場所に集まってあちこち歩き回り、やがて適当に解散する、みたいな感じでした。若者たちの集まりを観ているとおもしろいですね。せっかく集まったのにほぼみんな一斉にスマホとにらめっこです。実に不思議な光景です。集団になっても「おひとり様」文化真っ最中。純粋資本主義の申し子。「私は私、みんなの中の私」そのものです。ですから「ネットを武器に若者が社会を変える」とは思えず、むしろネットをうまく活用する「大人」にまんまとはめ込まれる可能性大。ネオネオファシズムのお先棒を担ぐことのないよう願うのみです。

  2. 「前向きすぎて空回りする若者も問題になっています」とありました。前向き過ぎるとは思っていないのですが、空回りする若者という言葉には自分を思い浮かべてしまいます。様々なSNSの普及により、知らなくてもいい情報がどんどん入ってくるようになりました。「ネットも不安に拍車をかける。ネットでは同世代の活躍が大きく取り上げられる」とありますように、ネットにより自分のペースを乱してしまうことがあるように感じます。「意識高い系」の人の姿を見ると、自分も意識高い系にならないとダメなんではないかと感じてしまうのかもしれません。多様な価値観の場であると思っていたSNSの場はもしかすと統一の価値観を自然と作りあげているのかもしれませんね。もしかすると私も「意識高い系」の人間なのかもしれません。周りが見えていないことが多いです。意識高い系の人達は自己実現や自分とはばかりに集中してしまうばかりに、人と人との関係性という部分にはあまり目がいっていないのかもしれません。個人が注目される時代になっているからこそ、この人との関係性の大切さを忘れてはいけないなと感じました。誰かと比較して、誰かより秀でるということばかりに気をとられるのではなく、誰かとの関係性の中での自分を意識していかなければと思いました。こんなことを言っている私こそが意識高い系なのかもしれません。ですが、興味のあることを知りたい!と思う気持ちが目的なので、あまり手段が目的にはなってはいないと思っています…が、もし、そんなことがあればすぐに気づける自分でありたいと思います。あ、周りに人の声ももっと聞かなければいけませんね。

  3. 私の行動を振り返ってみて、行って満足・見て満足・やって満足といった傾向が多いと反省しました。そこで“何をして何を学びたいのか”、その思考が自然にできるようになるまでは、常に意識しておかなければならないと思いますが、まずは目の前の事柄に、意図を考えるところからでしょうか。日常の小さな出来事からでも、自分はこれを目的にこれをしてみるといった考え方を持ち合わせていきたいです。また、「世界で数人しかいない人に自分もなれると思って目指しますが、もう少し自分らしさを磨いたほうが他から重視される存在になります」という言葉が、心に響きました。私も、心のどこかに野心はあったと思います。しかし、そんな野望よりも、目先の人付き合いや小さな日常のひとつひとつに真剣に取り組み、自分が他人に貢献できる分野を探し求めていくといった経験が、将来の自分を支えてくれるようになるのですね。今日のブログを読んでいて、以前言われた「保育を深めなければ意味がない」という言葉がよみがえってきました。一度、未来を考える気持ちを落ち着かせ、目の前の保育に力を注いでいきたいと思いました。

  4. 「意識高い系」という言葉があるんですね。初めて知りました。そして、その「意識高い系」がグループで旅をしているお年寄りに似ているというのに笑ってしまいました。確かに似ていますし、それではいけないんだろうと思います。異業種交流会は今でも盛んに行われているんでしょうか?私はそういった場に参加して何かを得る自信はありません。いろんな人がいるなあとか、すごい人がいるもんだなあで終わってしまうと思います。きちんと目的を持って臨む研修会の方がはるかに学びが大きいです。自分の足で立ち、自分の周りでできることをまずは丁寧に実践していく。そこから自身の課題を見つけ出し、そのための学びの場を探す。そうした意識をもつだけでもずいぶん違うと思います。そんなことがようやく実感できるようになりました。

  5. そろそろ私も「若者」というジャンルから抜けるのか?どうか?という年齢になってきましたが、少なくとも私が学生の頃と今の学生達だけでも、変化があるようですね。まず、それに驚いています。様々な事に興味を持ち、行動しようとするが、やることに目的を持ち、肝心な中身まで備わっていないのは、確かに勿体無いですね。以前、ブログで「夢を持つ」という内容で、明確な夢を持てば、それに向かって具体的に行動できるというように、少なくとも学生の頃に自分の夢を持ち、それに合った学び方をした方がいいですね。

  6. 若者の問題でそんなことが挙げられているのですね。研修や旅行に行ってそれで満足するのは少し私も反省しなくてはいけないなと感じます。ブラヘイジに参加させて頂いた時に「ただ歩いてるだけじゃないんだよ、色々保育に参考になることがたくさんあるからね。」と言っていただいたことを思い出します。そもそもなにをしに行くのか、何がしたくて行くのかなど根本の考えをしっかりと持っていかなくてはいけないと思います。目指す物があるときにそれに向かって全力で行く姿勢はいいと思いますが、まず自分を理解すること自分の基礎となる土台をしっかりと持ってからステップを踏んでいかなくてはいけないなと感じます。そして今自分がとこまでに達しているのか、客観的見ていけたらなとも思っています。

  7. たとえば、ネット検索で「就活、研修」とキーワードを入れてみると様々な就活セミナーの情報が瞬時に入手できる。『面接官はどんなところを見ているのか分からない』等という学生の悩みにこたえ、ご丁寧に『採用の裏側を教えます!』とまで謳っている。就職ジャーナルしかなかった私たちの世代とは大違い。溢れるような情報の洪水に煽られるように右往左往している現代の意識高い系の若者の姿が目に浮かぶ。付け焼刃の就活テクニックは目の肥えた面接官の目はごまかせない。学生時代に学問やスポーツなどでどれだけ自分を磨き鍛えたか。それが就活に勝つ直道だ。

    全国大学生協連の「学生生活実態調査」によると、なんと大学生の40・5%が読書にあてる時間をゼロと答えたとか―。1日の読書時間(電子書籍を含む)は平均26・9分。「0時間」は文系学生で約34%、理系で約44%だった。下宿生の1カ月あたりの書籍購入費は7年連続で減少、過去最低の1820円。学生の本離れもここに極まれり。コラ!学問の徒である大学生が本を読まなくてどうする!今すぐスマホを捨て、哲学書を読め(笑)!かつての旧制高校の愛唱歌「デカンショ節」のデカンショはデカルト・カント・ショーペンハウエルのこと。私も阿部次郎の『三太郎の日記を』を耽読したものだ。こんな話をしてもたぶん今の学生には何のことかわからないだろうが・・・。

  8. 「ネット」や「スマホ」といったものは、便利な反面いろんな不便さを生み出していると思います。「常に最短距離で正解を得ようとする癖」などといったことはまさにその悪いところが出た結果に感じます。ただ正解を得るのではなく、その過程で、どれだけ努力したか、またどんな理由があったなど、気づかなければいけない大切なことが、たくさんあります。「遊び心」といったところも、最短距離ばかりを目指していると決して気づくことはできないでしょう。情報の手に入りやすさに、空回りさせられるのではなく、しっかりと自分を磨き自信を持つことを心掛けていきたいと思います。

  9. 「後ろ向きすぎて、なかなか行動に移せない、意識は高くとも行動遅延系」代表の私としては空回るくらい意識が高いのはうらやましいですが、やはり、空回ってしまうのはもったいないですね。確かに最近の経済情報をみると転々と職を変える人が増えているという話を聞きます。それはキャリアアップということもあるのでしょうが、どうもそれだけではないという話も聞きます。一つの夢や目標にどっしりと見据えて学んでいくことも必要ですね。確かにネットの情報などは手早く最短距離が見えるかもしれませんが、その反面、そこに至るまでの失敗や経験は一緒に学ぶことにはなりません。今の社会、「わかった気」になることや「器用貧乏」になることが多い時代なのかもしれません。そうならないためにもじっくりと物事に取り組むことも必要ですね。

  10. 以前に藤森先生がおっしゃっていた「子どもの散歩は目的地にだけではなく、目的地に行くまでの道にも子どもたちの興味を引くような発見や学びがある」というお話を思い出しました。研修会などに参加をし、そこから目的のために何かを学び活かすのではなく、参加をしたことだけで終わってしまってはもったいない気がします。今の時代はネットで調べればありとあらゆる情報がすぐに手に入りますが、果たしてその情報は正しいのか・・・!?私もすぐにネットで調べてしましますが、答えが一つではなかったりもするのでさらに考えさせられ結局自信をもってその情報が正しいと確信するまでには結構時間がかかってしまいます。

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