縫い針

 日本の栃原岩陰遺跡から、約1万年前の鹿角製の縫い針が発見されました。日本では、縄文時代早期(約1万年前)には、針穴が空いた、骨針が大小さまざま作られていました。同じ頃、ヨーロッパを支配していたネアンデルタール人も、衣服を着ていたことがわかっていますが、おそらくは精巧さが違っていたのではないかと言われています。ホモ・サピエンスは衣服を整えるための「縫い針」を、4万年前には作り出していたのです。細い骨を削って鋭くとがらせ、石器で小さな穴を開け、縫い針にしました。動物の腱をなめして糸にしました。それらで獣の皮を縫い合わせて、体に沿った衣服をつくり上げました。それがあったから、ホモ・サピエンスは寒い中でも外に出て狩りができました。その究極の技は、いまでも極北の地に住むイヌイットが受け継いでいるそうです。

 ホモ・サピエンスは、このように精巧な縫い針によって、活動範囲を拡げたのです。三谷氏は、こう言っています。「最初に針に穴を開けた天才は、どんな人だったのでしょう。女性でしょうか、男性でしょうか? 若者だったのでしょうか、年配者だったのでしょうか? もしかしたら、縫うためではなくて、ただの遊びだったのでしょうか?」

 このような道具が、「ヒトを、世界を変える」と三谷氏は言います。世界の中で、様々な地で生存していたヒト族の中で、このような道具の独創が、ホモ・サピエンスを滅びから救ったのかもしれないと三谷氏は推測します。「3~2万年前の最も急激で厳しい最寒冷期にネアンデルタール人は滅び、ホモ・サピエンスは生き残りました。海水面は今より120mも下がり、アジアとアメリカの間にはベーリング陸橋ができました。ホモ・サピエンスは寒さに耐えて、ここを渡りきり、北アメリカにその版図を拡げました。日本もしかり。北海道と樺太、ユーラシア大陸は地続きとなり、対馬海峡も歩いて渡れる状態になって縄文人たちがその時代を開きました。縫い針が、ヒトを氷河期から救い、その活動範囲を拡げたのです。」

 三谷氏の考察は一理あるかもしれません。氷河期での寒さ対策は、ホモ・サピエンスが最も優れていたようです。しかし、この時代で生き延びるためには、食べ物の減少による対策も練らなければなりませんし、海を渡る力は、一人の力だけではどうしようもありません。

様々な要因が生き延びさせたのですが、確かに、ホモ・サピエンスは、他のヒト族の中で圧倒的な脳の大きさを持っていて、様々な道具を作り出したようです。

 寒冷期には、縫い針を作り出し、より精密な衣服を作ることができるようになり、その後訪れた温暖期には、土器がドングリを食糧に変え、時間と余裕ができたヒトは、装飾に溢れた力強い火焔土器を作り上げました。このような装飾技術は、人類の生活を豊かなものにしました。日本では、室町時代にその装飾センスが発揮され、大ノコギリと平カンナの登場で、力強さから繊細さへと方向転換していきました。

先日、京都を訪れたとき、金閣寺、銀閣寺を作り、究極の桂離宮を生みだした室町幕府の跡地を訪れてみました。asikagabakufuatoそこに立つと、三谷氏が言っている「ヒトが道具を作りました。そして、道具がヒトを救い、拡げ、変え続けてきたのです。」ということが偲ばれ、人類の繰り返してきた歴史を感じました。

縫い針” への9件のコメント

  1. 「細い骨を削って鋭くとがらせ、石器で小さな穴を開け、縫い針にしました」このような作業、実際にしたことがないので想像するしかないのですが、とても私にはできそうにありません。やってみたい気持ちはありますが、発想もさることながら、その発想を形にすることができた当時の人類の凄さも感じます。また、「動物の腱をなめして糸にしました」ともありました。どのようにしていたのかよく分かりませんが、なんだか凄いです。当時の人類にはきっと頭でっかちな人はあまりいなかったのかもしれませんね。とにかく実際にやってみる、手を使う、工夫することの大切さを教えられているようです。頭で考え過ぎずに、目についたものを使って、手を使って工夫し、加工するという身体を使うことは今の時代だからこそ大切なことかもしれませんね(私はその感覚をなんとか身につけたいなと思います。苦手なことなので、いつも意識しないといけません)。道具を作り、道具を作ってきた様々なことを生み出したのが人類なのですね。頭の中だけで消化せずに、形にすること、実際にやってみること、頭の外に出すことの大切さを改めて感じさせていただきました!

  2. 「最寒冷期にネアンデルタール人は滅び、ホモ・サピエンスは生き残り」生活圏を拡大することを可能にした「道具」。前回のブログ「衣服」から今回のブログ「縫い針」へ。縫い針という道具の発明が人類を滅亡から救ったということ・・・あの「縫い針」によって自分の生があるのだと考えると、何とも感慨深いものを感じます。今の「縫い針」は改良に改良を重ねた結果ですが、三谷氏の疑問「最初に針に穴を開けた天才は、どんな人だったのでしょう」はまさに私も抱く疑問です。今となっては当たり前の道具が実はかつて人類を絶滅の危機から救済していたことを考えると、私たち人類が生き延びることを運命づけられているのだとすると、現在も将来の生存を可能にする「道具」が開発されている最中なのでしょう。それが一体何かはわかりませんが、・・・。そうですか、今回の京都では「室町幕府跡」を訪ねられたのですね。「大ノコギリと平カンナ」という道具が日本の文化を「力強さから繊細さへ」と変えていったこと、これもこの時代の業績です。以前のコメントにも記したかと思いますが、「室町時代」の延長線上に今の時代がある、と言っても過言ではないくらいこの時代はインパクトがあったのですね。人は道具を作り、その道具によって人が救われる・・・人と道具の相互関係、人的環境と物的環境の相互関係、子どもたちが自ら物的環境に働きかけられる、どうやらこうした積み重ねが道具をつくる、ということを子どもたちの中に知らず知らずのうちに薫習させやがて人類の生存に欠かせない道具の発明に繋がるのだ、ということが今回のブログからわかりました。

  3. ネアンデルタール人や原人と、ホモ・サピエンスとの違いは、「縫い針」の発明による衣服の精巧さであったのですね。隙間が少なく、体にフィットする衣服は、寒さからホモ・サピエンスを守ったようですね。食事にかける時間が短くなったことで、その分を遊びや芸術といった時間にあて始め、そこで縫い針が生み出されたというならば、もしかすると遊びの結果に“寒さ対策”ができてきたのではと感じました。ホモ・サピエンスにより近い、遺伝子の影響をそのまま感じることができる“子ども”の姿から見てみると、大きな葉っぱで遊んでいるうちに、それを傘にしたり、棒で何かをトントンして遊んでいるうちにトンカチにしたり、木の上にある高い物をとるための道具などにしている印象です。このように、遊んでいるうちに道具としての価値を見いだしていったのではと思いました。室町時代に登場した「大ノコギリ・平カンナ」も、建築を繊細な物にして、芸術や遊び心を可能にするための道具であったのではとも感じました。京町家を見た時は、色といいデザインといい、何とも言えない風流を感じました。折りたたみ式ベンチの「ばったん床几」に、馬のはねる泥や、動物の放尿を防ぐ「犬矢来」。そして、特徴的な「格子」など、室町時代の洗練された建築に酔いしれることができたと同時に、その時代の人々が大切にしてきたものが伝わってきたように思いました。

  4. ホモ・サピエンスとネアンデルタール人では衣服の作り方も違っていたというのはおもしろいです。ただ何かを身にまとっていればいいというのではなく、寒さに弱いからこそより寒さを防げるようにするにはどうしたいいかを考え、そこから新しいものを生み出していった過程を想像すると、なぜかワクワクしてきます。私たちもその流れから生まれた存在であると考えると、工夫することや人生を豊かにしていくことを受け継いでいるはずです。今こそその力が見直されるべきなのかもしれません。保育においても、そのために何をすればいいかといった視点は大切になってきますね。

  5. なるほど、縫い針がホモサピエンスを生存させた大きな要因なんですね。全く思いつきませんでした。確かに、ただ羽織るだけの衣服と、自分の体に合わせて作った衣服と比べると、縫い合わせて作った衣服の方が明らかに寒さに強いですね。また何重にも重ねるなど、工夫次第で寒さ対策は万全でしょうね。寒さ対策だけでなく、土器の発明により食料を確保することができるなど、様々な道具を発明することで生き延び、文明が進化してきました。それは遠い昔だけでなく、今も新たな道具が発明され、人々の生活に潤いを与え、豊かにしています。なんだか歴史を繰り返していると思うと、不思議と感動しました。

  6. 服を着ていたことは理解していましたが、縫い針からとは気づくことが出来ませんでした。確かにまず縫い針を作れたことにに驚かされます。それはやはり不便さからの発明なのでしょうか。羽織るだけでは対応しきれなかったことから精密に作るようになったのは想像できますが針を作るまでの経緯は非常に気になるところですね。グレートジャーニー人類の旅というのを見に行った際に感じたのはやはりゾクゾク感やワクワク感でした。実際の道具が一から作られている様子を見るとその当時がリアルに想像出来ました。なぜか興奮してきたのは本能のようなものなのでしょうか。正直その文明が進化してここまできたと考えると不思議な気持ちになりますね。確かに現在も新たな発明がされています。繰り返し繰り返し進化していっていますが、原点であるホモ・サピエンスの進化は現在も非常に参考になることだと感じます。

  7. 一口に縄文時代といっても、今から約1万6,500年前から約3,000年前。気の遠くなるような長大な時間をかけて日本列島でゆっくり育まれた歴史であり、現代日本人の精神文化の基底部に地層となっているのではないか。その時代にすでに縫い針が使われているということは、縄文人は布製の服を着ていたということだ。

    四季のある日本では当然冬は動物の毛皮を身に纏っていただろう。しかし暖かくなるにつれ、彼らは、麻やカラムシという植物繊維をよって紐を作り、縄や布を作っていたことは遺跡の発掘からはっきりしている。「編み布」と呼ばれる技法である。民俗学では「アンギン」といい、新潟県秋山郷の風俗を書き残した『秋山紀行』にも見ることができる。

    再現された縄文ファッションは今見てもかなりおしゃれである。道具の発明は「おしゃれ」をする心のゆとりも生んだのかもしれない。発掘された土偶の服装は「ハレ」の衣装だという。当時の祭祀の際のシャーマンはこんな格好だったのか。耳にピアスまでしている。縄文時代の最先端のファッションである。

  8. 人が生きていく中で「衣・食・住」は特に重視されるものです。今回の原人やホモサピエンスにもいえるように太古の昔からその重要性はかわらないというのはとてもおもしろいです。その頃から衣服の重要性は変わっておらず、未だにこの発明から自分たちの生活が支えられていると思うととても不思議な気持ちになると同時に人の大切なことの根源的なモノであったり、普遍的なモノは変わらないということを感じます。これからどれだけの時代を経ても「衣・食・住」の重要性は変わらないと思います。しかし、獣の皮から縫い針を使って、服になり、そのうち糸から布になりとその発明は進化し、発展していきます。人のその営みの発展はますます進むことだと思います。その歴史の中にも自分がいると思うとより、次の時代にはどう変わっているのかわくわくしますね。

  9. 「衣類」というと勝手に、現代の服のようなものを想像していました。しかし、最初の「衣類」となると、獣の皮を使った簡単なもので、その中でも、縫い針や糸を使って、獣の皮と皮をつなぎ合わせられるということは、大変高度な技術だったと思います。
    ブログの中でもあげられていますが、「最初に針に穴を開けた天才は誰だったのか」。それは、ホモサピエンスが持つ「分ける」という能力で、いろんな情報を共有できたということも、それだけの大きな技術の発見につながったと思います。
    「ヒトが道具を作り、道具がヒトを救い、拡げ、変え続る」私も今ある道具だけに頼るのではなく、そこから新しい道具・発想を生み出していきたいと思います。

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