特別な日

日本人は、物事は移りゆくもの、無常であることを言い伝えてきた気がします。それは、平家物語に見えるように「諸行無常」ということが、良いときには戒めとして、悪いときには期待としてその時を受け止めました。それは、時として暮らしにメリハリをつけ、生活の支えともなりました。それを、「ケ」と「ハレ」としたのです。その代表が、まず食事だったのでしょう。ですから、「ケ」の食事が朝餉、昼餉、夕餉であり、「ハレ」の日の食事は、神聖な食べ物である餅や赤飯を食べたり、お酒を飲んで祝ったりして、特別な日であることを示しました。そして、その日は外食をしたりしたのです。

以前のブログでも書きましたが、日本人は、古代から木にも火にも水などいろいろなものに神様が宿っていると感じ、これを「八百万の神」といって大切にしてきました。そして、日常的に身の回りで起こるよいことも悪いことも、人間の力ではどうにもならないこととして、神様のおかげ、神様のせいと考えました。それは、「ケ」が枯れてしまうことで「ケガレ」として、そのケガレを落とすために、人々は祭り(祀り)をつかさどるようになりました。この祭りの華やかさ、行事の晴れやかさにより、ケガレを落とした後の清々しさが「ハレ」なのです。それが、「晴れ晴れ」した気持ちなのです。

激動の時代、戦乱の時代では、平穏な社会、日々変化のない生活を求めたかもしれません。しかし、たとえば江戸時代などは、天下が統一され、政権が安定し、世の中の変化もとぼしく、人口の大多数を占めていた農民などは、毎日が同じことの繰り返しでした。それは、日々の繰り返しだけでなく、毎年も同じことの繰り返しでした。春になれば種まきをし、秋になれば収穫する。変わっていくのは、自分の歳だけだったかもしれません。毎日が「ケ」の繰り返しだったのです。

 しかし、こんな「ケ」の毎日では、生活にメリハリがなくなり、生活リズムがとりにくくなります。保育指針にも書いてありますが、生活リズムは、情緒の安定につながるのです。しかし、江戸時代では、なかなか波乱万丈ということは起きません。そこで、人為的に「ハレ」を作り出す必要があったのです。それが祭り、能狂言、正月などの行事です。それが年中行事であり、こういった「ハレ」の日には農民も毎日の農耕を忘れ、思いっきり楽しみました。日常、変わらずにおこなっている農作業の合間にも、「あと何日で祭りがある」とか言って、退屈な労働にも耐えることができたのです。「ケ」の中に「ハレ」の要素を取り入れて、人間は生きてきたのです。

しかし、本来の「和食」文化が薄れてきた理由に、どうもこの「ケ」と「ハレ」のバランス分化が崩れてきたことがあるような気がします。それは、日常的なことと、特別なことの区別がなくなりつつあります。例えば、少し前に書いたお正月も、生活の中で特別な日の感覚が薄れてきて、餅は1年中食べますし、松の内の間はおせちを食べることも無くなってきました。最近の「ハレの舞台」である結婚式の引き出物も、ほとんどカタログになり、タイヤ赤飯など、「ハレ」の日に食べるものがほとんどありません。

最近は、このように「ハレ」の日にしか食べることのできなかったごちそうを当然のように毎日口にすることができます。服装なども昔なら「ハレ」の日にしか着られなかったようなものを毎日着ることもできます。地方の人が東京に出てきて町の雑踏を見て、「何か祭りでもあるかと思った」というほど、人手は特別な日だけ多いということもなくなりました。東京ではもはや生活の中では、「ハレ」を感じることが少なくなってきました。それでいいのでしょうか?それが、「いいくらし」なのでしょうか?