日常

 惣菜と言われているようなものに京都のおばんざいがあることを紹介しました。そして、この「お番菜」の「番」は「常用のもの」をさし、「日常のおかず」のことを言うということを紹介しました。

 食事には、特別な日のためのごちそうと、日常的に食べる食事があります。柳田国男の民俗学について書いた本に、日本人は暮らしの中に、この「特別な日」と「日常的なもの」を上手にバランスを取りながら、生活リズムをとっているということが書かれてあります。それを、「ハレの世界とケの世界の2つを持って暮らしてきた。」と説明しているのです。

「ケ」は日頃の生活そのもののことです。私たちは、普段は基本的に毎日同じような日々を送ります。朝起きて、職場に向かい、仕事が終われば家に帰り、夕食を食べて寝ます。休日は買い物に行ったり、散歩をしたり、そのバリエーションはそれほど多くなく、決まった過ごし方をすることが多いです。こうしたいわゆる日常生活が「ケ」です。「ケ」は生活だけでなく、普段の食事のことを指すこともあります。いつも朝食べる食事を「朝餉(アサケ)」そして、「昼餉(ヒルケ)」「夕餉(ユウケ)」と言いますが、最近はあまりその言葉を聞かなくなりました。

この言葉のように、「ケ」とは本来、食事に関係するものです。大辞泉(小学館)にはこのように載っています。「ケ」と発音するものに、「毛」がありますが、これは、作物のことであり、特に稲の穂の実りを指します。ですから、熟語として「一毛作」「二毛作」とか使いますし、田畑に稲・麦などの作付けをすることや、年貢を決めるため作物の出来具合を認定することを「毛付け」と言います。また、平生着る着物、普段着のことを「褻着(ケギ)」と言ったり、農家の自家食用の穀物のことを、「褻稲(ケシネ)」というように、「褻(ケ)」も、正式でないこととか、日常的なことを指します。また、一日二食だった時代に、朝食と夕食の間にとる間食のことを「間水」と言いますが、その読み方は「ケンズイ」と読みます。他にも、「ケ時」は、食事時のことであり、「ケツケまいり」とは、田植えが済んだことを神に報告し、豊作を祈願することを指します。

こう見てくると、ケとは食物、中でも米や稲に関係する言葉のようです。ということは、ケという概念は、稲作文化とともに日本に伝わったか、あるいは伝わった後で日本独自に変化したものではないかと言われています。その「ケ」という食物が枯れてしまうことを「ケ・枯れ」ということから、「ケガレ」を指し、転じて日常性が破られることを意味します。それが、陰鬱な気持ちや何かよくない力、病気や死など、「ケ」の生活が順調にいかなくなることを、「気枯れ」=「ケガレ」といって忌み嫌い、禊ぎ、清め、祓いなどをしました。「ケガレ」を落とし、何とかして元に戻さなくてはなりません。それがハレなのです。

「ハレ」は晴に通じ、祭りをしたり、正月に晴着を着て初詣にいったり、日常とは異なったことをすることを指します。これによって日常とは違った敬虔な空間、心理状態を作り出すのです。また、「ケ」は普段通りの生活を送る日ですが、単調になりがちな生活に「ケジメ」をつけて、「ハレ」の日を迎えます。そうした物事の繰り返しで暮らしが成り立っているのです。

この「ケ」と「ハレ」は、様々なところで日本人の生活に潤いを与えてきました。もう少し見てみます。