惣菜

世界遺産に登録された「和食」が、和食そのものではなく、季節を感じながら和食を食べる時を含めての文化だとしたら、ある記事にこんなことが書かれてありました。例えば、「春に桜を見ながらお酒を飲んだり甘いものを食べる」という文化は「和食」といえそうですが、最近日本の家庭で多く行われているような、「12月24日にクリスマスケーキを食べる文化」は「和食」になのだろうかという疑問が書かれてありました。そこで、農水省の担当者にそれを聞いたところ、「確かに定着しつつありますが、今の時点では、和食には該当しないと思います。でも、子の世代、孫の世代と、次の世代に移り変わるにしたがって、和食の文化と考えられることもあるのではないでしょうか。……個人的には、『それは和食じゃないんじゃないかな』と思うんですけど」と答えたそうです。

 そう考えてみると、「和食」という伝統的な日本の料理は、食材のそのものの味を大切にし、その素材の持ち味を尊重して調理されたり、おせち料理のように年中行事や季節と関わったりしているものを指していると思います。そうした特徴から、和食を、自然を尊重する日本人の精神を現す「社会的慣習」として登録されたのです。同じように、過去に登録された「フランスの美食術」や「メキシコの伝統料理」なども、料理そのものより、地域の人々の生活や伝統との関わりが評価されたものなのです。今回、そのような観点から、和食以外にも韓国の「キムチ作りの文化」や「古代グルジアの伝統的な発酵ワイン作り」「トルココーヒーの文化と伝統」の登録も決まりました。
 しかし、最近の傾向として、素材を大切にする「和食」文化が危ういと思われるような記事が、数日前の日経新聞に「食品、素材より総菜」というタイトルで掲載されていました。そこには、

 「日本の食卓が様変わりしている。生鮮食品の購入量が大きく減る半面、弁当などの調理食品の2012年の購入額は1990年に比べ3割も増えた。旬の素材を自宅でじっくり調理する時間を持ちにくい人たちが、安くておいしい総菜に向かう。「そざい」から「そうざい」へ。一文字違いの変化は所得の低迷や医療費の増大など経済の構造問題も映し出す。」

 もちろん、惣菜が悪いわけではありません。総菜(そうざい) とは、その字のごとく「家族総(すべ)ての人に供するための菜」の意味で、惣菜とも書きます。江戸時代中期から使われていることばで、そのころは平日の副食物の意味でつかわれ、おかずのことを指していました。それは、日本では、米飯を中心とする主食を副食と区別して考える伝統があるからです。京都のおばんざいも、京都の方言で、漢字では「お番菜」と書き、「番」は番傘や番茶と同じく「常用のもの」をさし、「日常のおかず」のことを言います。

ですから、惣菜は、「おふくろの味」とも言われる家庭料理を指すことが多く、食卓には、それぞれの惣菜が別々の食器に盛り付けられます。また、家庭料理ですので、素材は、その土地独自の野菜(江戸野菜・京野菜など)や海産物など、地域の食文化を背景にしたものが使われ、その地域ごとの料理文化を形成していました。例えば、江戸では、江戸前や地の野菜などの素材を使用して、佃煮や天ぷら、漬物などを作りました。海に遠い盆地の京都では、寺も多く、漬物、乾物、精進料理を取り入れたおかずが発展し、独特の食文化が育ちます。また、大陸との行き来の歴史を持つ福岡、長崎、また、琉球文化の影響を残す沖縄などでも、独自の日常の惣菜、郷土料理を見ることができます。