和食の形成

 今回登録された「和食」の内容である「社会的慣習」は、どの時代からどのように根付いてきたのでしょうか?今回の登録対象は、どの時代のものかということに対して、農水省の担当者はこう言っています。「今回の申請は、特定の時代を指定したものではありません。概念的には、江戸や明治は含まれます。ただ、江戸時代の食生活が栄養学的にバランスがよかったかというと、必ずしもそうとは言えない。栄養学を意識することができるくらい安定したころをイメージしてもらえればいいと思います」

 日本独特の食べ物というと、当然、気候に関係してきます。狩猟採集民族では、その地域に生きる生き物の狩猟、その地域に自生している植物から採集したものを食べるわけですから、当然、その地域独特の食文化が築かれます。そして、その時代からすでに人間は火を使っていたようですから、調理法も独特のものが生まれます。しかし、だからといって、それが「和食」というわけではないでしょう。しかし、弥生時代になって、大陸から稲が伝来し、本格的な水田稲作が始まると、日本人の基本であるコメを主食とする植物型食体型が確立されてきます。それは、現在の「和食」の基であることには間違いないでしょう。

その後、隋や唐との交流によって、各種の文化が輸入され、食についても支配階層は唐風を取り入れようとしましたが、仏教の伝来によって鳥獣肉類の食用を禁じます。そんな食文化ですが、一般庶民は質素でした。その後、平安時代中期に入ると遣唐使は廃止され、上流階級の食生活は豪華になり、和風文化が形成されていきます。そして、しだいにこのころ日本料理の基本形が形成されたとも言われています。

戦国時代に入ると、武士の世になります。武家では質素倹約を旨とし、玄米を主食としながら武芸に励み、一方で狩りで得た鳥獣肉類を摂取する機会が多くありました。一方、禅宗風の精進料理が取り入れられ、茶道も形づくられ、今日の和食が完成していきました。そして、織田信長により全国統一が行われると、茶の湯文化が生活に定着し、それに付随する懐石料理が発達していきました。また、南蛮貿易により、海外の食品や調理法が輸入されました。それらは、富裕な商人たちの食生活を豊かにしていきます。

こうしてみてくると、どうも江戸時代までは、現在私たちが思い浮かべる、懐石料理を代表とする「和食」文化は、一部の裕福な人たちのものだったようです。それが、一般庶民まで広がってくるのは、江戸時代になってからのようです。しかも、日本独特の文化が形成されていくのは、鎖国のために、海外のものが大ぴらには入ってこなくなるからです。それでも、やはり一部の経済的に豊かな有力町民の食生活においてのようです。

やはり、一般農民は、厳しい倹約のもとにおかれ、雑穀を食べることが推奨されています。次に大きな変化を見せたのは、明治維新です。その大きな変化は、何といっても、今まで鳥獣肉類は積極的に食べていなかったのが、肉食は文明開化のシンボルとしてもてはやされたからです。また、ムギや雑穀を主食としてきたのが、一般庶民がコメを常食とするようになります。食文化の中心にコメが据えられてくるようになりました。

このように見てくると、食文化は、かなり時代によって変化してきます。私たちは、その変化を受け入れるだけでなく、食は生きること、体に影響するものですので、もう少し、食を見直すことも必要になってきています。