試行錯誤

 赤ちゃんがおもちゃと遊ぶのは、いくつか理由があります。そのひとつは、その時期の発達を促すために必要なことを行います。それは、逆に言えば、その時期における発達にあったことが面白く感じるのでしょう。例えば、積み木を触る、舐めるということは、その時期には触ることによって、舐めることによって、そのものを把握しようとします。その行為自体を面白く感じているのかはわかりませんが、たぶん、遺伝子として持っている好奇心がそうさせるのかもしれません。見ていると、発達して、そのことができるようになったことを喜んでいるかのように、何度も何度も繰り返しそれをやります。それか、そのことが確実にできるようになるための練習かもしれません。

 もう一つは、将来のための準備をしていることがあります。フレーベルが恩物を使うときに、それを積んで何かを作ったり、並べて模様を作る前に、その形をいろいろな角度から認識させようとします。それは、組み立てるために、平らにおけるか、角がどうなっているか、面がどうなっているのかということを知ることをまず行わせるのです。しかし、実際に子どもたちは積み木で遊ぼうとするときには、突然何か始めます。ですから、明らかに積めないだろうと思えるものも積もうとしたり、それは、組合わせないだろうと思うものでも、つなげようとします。それはそれで、試行錯誤することによって、学習しているのですが、その時期を、フレーベルは恩物という教具をつくって、積み木として遊ぶ前に一連の指導の仕方を序列化したのです。

私はそれに少し違和感を感じます。それは、デューイが感じたことに近いかもしれません。試行錯誤は、それぞれの発達の時期に、子どもが自ら働きかけることで行うべきだと思っています。それぞれの年齢において行っているのです。ですから、同じ積み木をどの年齢においても意味があることが必要になるのです。大きくなった時に遊ぶであろう積み木を、まずじっと見つめます。「これは何だろう?」そして、それを確かめるために、触ってみます。それで肌触りを感じます。もっと微妙に調べる?ために、舐めてみます。それらの行為が、本人が意識しているいないに関係なく、私は赤ちゃんが行っていると思うのです。
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そこで、成長展で、積み木による発達を展示したのですが、その最後は学童の子どお立ちが作った船の実物を展示し、この一連の展示では、「この作品は、赤ちゃんの頃に積み木を触り、舐めるところから始まっているのです。」というようなことを言いたかったのです。tumikinogunkanこれは、積み木だけでなく、発達とはそういうものであることも保護者に伝えたかったのです。赤ちゃんがハイハイするのは、将来、歩くために必要なことなのです。ハイハイの時期に、十分とハイハイすることがしっかり歩くことにつながるのです。早く立ち上がることではないのです。積み木を十分に触ることは、積み木で何かを作るときに必要なことなのです。それが、少し大きくなった時に、その時期にあったカプラのような積木で遊ぼうとしたときの力になるのです。

どうしても、大人は積み木で何かを作った時に、その物が成果のように思ってしまいます。積み木を舐めようとした時、積んだ積み木を壊そうとしたとき、「積木は積むものでしょ!」と怒る人がいますが、子どもはその時期時期に、将来、必要になるであろうことの準備をするのです。