組み合わせ

フレーベルが積み木としての恩物を考えるうえで基本的な形を取り上げた理由は、子どもに内在する自発性と探究心を導き出すものとして考えられた形ですが、それは、自然の中には存在しない形でもあります。しかし、この積み木は、自然物では行わない、子どもたちの興味を引き出す作用があります。それは、積んだり、組み合わせたりする作業です。それは、積み木独特の目的である、積む、並べる等子どもの単純な活動によって、それぞれの組み合わせを通して、多様な形の物をつくり出すことができるということです。そのために、形だけでなく、その大きさ、また、違う形でも、ちょうど組み合わさるような大きさにしてあります。それによって、子どもの興味を持続的に刺激するので、子どもが自発的に活動し、表現し、創造できると考えたのです。

第三恩物である「立方体」は、形としては、第二恩物で子どもたちは触ったり、経験しています。そこで、その立方体を取り出し、すべての面をニ等分して、8個の立方体にします。それは、立方体を分解することの導入でもあり、分解と統合、部分と全体の関係を知らせます。
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フレーベルの思想の中には、「分離」と「統一」という考え方があります。それは、自然物を恩物として使わずとも、もともと人間と自然は統一されていたものであり、それを再度恩物によって統一を試みたのです。「自然と人間を再び統一までに導くところのこの精神は、もしもわれわれ人間がまず最初に自分自身と、次には相互に、そして個々人として、さらに家族の中において、社会生活および民族生活において、ほんとうに融合すべきであり、またすることを欲するならば、そしてまたわれわれが、われわれ自身を人類のなかにおいて、また人類とともに一個の統一的なものとしてまず第一に感じ、次に認識し、そして最後に意識的に生活すべきであり、することを欲するならば、この統一の精神は、あたかも生暖かい春風のように、子どもの生命の上に広がり、それを統一するにちがいないであろう。 統一のこの精神は、早くから人間の生命を照らし、そして温めるであろう。」と言っているように、恩物によって、具体的に「分離」 と 「統一」を体感するために子どもたちのために考えられたのです。

ですから、恩物を子どもに与える時には、まず、8個の立方体があるのではなく、1個の立方体が分解されて8個になることを気づかせます。また、1つの立方体が前後・左右・上下に分解できることも気づかせます。その全体から1つを取り出すと、全体の形が変化します。そして、たった1つ足りなくても全体はもとの形にもどらないことを知ります。そして、取り出したひとつは、全体は小さいのですが、もとの立方体と同じ形ということに気がつきます。そして、残りの小さい立方体は、みんな同じ形で、同じ大きさであることを知らせます。その小さないくつもある立方体を使って模倣あそびに発展させていきます。初めは、下の4個はそのままで、上の4個を両手で動かしながら、模様を連続的に変化させて遊びます。

このように、積み木において子どもたちが自然とやるであろう行為を、順に子どもたちに提示していくことで、理解させようとすることで、批判が起きたのでしょうね。

組み合わせ” への8件のコメント

  1. 分離と統一という考えから、このような恩物が考えられたのですね。全体の中の一部であるという感覚は様々な場面において大切なことなのかもしれません。個人としての自分も大切にしながら、全体を感じることで、全体の中で自分はどういう位置で、何をするべきなのかということを感じることは自分という個人を知ることにもなるのかもしれません。しかし、1つの立方体が分解され、8つの立方体になることに気づかせたり、上の4個を両手で動かしながら…というように順番に理解させるという手順が決まっていたのですね。確かに、細かくしなければいけないことがあるとストレスを感じてしまうかもしれませんね。ですが、分離と統一という思いのように、こちらが意図した活動をしっかり考え、それを子ども達に自発的に行ってもらえるような工夫は常に考えていたいと思います。ただ、遊んでいればいいではない、思いの部分は大切にしていきたいとことです。

  2. 積木遊びにおいて関係のあり方である分離と統一について体験させるというのはすごいですね。単に子どもたちのおもちゃとして使うのではなく、使い方というか提示の仕方がきちんと決められているのは知っていましたが、ここまでのものとは知りませんでした。この提示からはみ出す遊びが行われた場合はどうなるのかも気になってしまいます。そのまま継続させるのか、それともストップさせて流れをもどすのか。勝手な印象ですが、大人がこの手順で積木を使うことで少し気持ちを落ちつかせたりする効果はありそうなのです。でも子どもがこれらの恩物をどのように使って遊んでいるのか、一度見てみたいですね。興味があります。

  3. 正確な順路で、子どもたちに理解しようとさせていたことは、一種の誘導性や縛りを感じさせますが、恩物の様々な行為や発見を通して「分離」と「統一」を伝えようとした思考の深さ、また、第三恩物の立方体といった形から、こんなにも多くの発見が存在することに驚きを感じます。「もともと人間と自然は統一されていたものであり、それを再度恩物によって統一を試みた」という言葉からは、統一とは“つながり”であることを感じさせます。自然とのつながり、そして、一個の立方体が分解されて八個になるという個体のつながりなど、相互はつながりによって保たれているという印象を持ちました。

  4. 流石フレーベル、全世界に名を残す所以を感じました。「統一」と「分離」という概念を積み木の「立方体」によって子どもたちが経験するだろうという意図のもとでの恩物第三。ひとつの立方体を上下に2等分し、それらをさらに4等分することによって8等分を作り出し、分離と統一の体験という自然の生業、おそらくフレーベルにおいては神の恩寵の体験、を子どもたちに保障したかったのでしょうね。こどもといえども立派な人格者である、というフレーベルの子ども観を認識できます。子どもの中に内在する神性への働きかけとしての恩物、ということでしょう。子どもだから何でもいいではなく、子どもの中の何に働きかけるための遊具なのかが考えつくされた結果でしょう。やはり凄いものを感じますね。それでも19世紀ロマン主義の中にあり、哲学的に絶対精神へと昇華する観念論の申し子としてのフレーベルが子どもと神との結びつきを恩物によって実現させようとしたのですね。関係性についての時代の限界、時代の要請、のようなものがあったのでしょう。批判は批判としながら、フレーベルの時代と地域というものを勘案するならば、それはそれと認めつつ、では21世紀に生きる私たちは?という課題をつきつけられているような感じもします。いずれにせよ、子どものことは、よくよく考えなければならないということを教わりました。

  5. 以前のブログでアメリカでフレーベルの恩物が批判されたと書いてありましたが、そういう理由が裏にあったのですね。確かに大人が子ども達の先頭に立って、本来遊ぶであろう姿を、わざわざ子どもたちに提示していくのは、一斉保育のように捉えられますが、立方体の導入であったり、遊びが発展していくような大人の関わりは必要な気がします。しかしフレーベルの思想の中野「分離」「統一」の考えからの立方体の恩物での遊びが、人類の生活の中で「分離」「統一」に通じているのには感動しました。ますます奥が深い内容です・・・。

  6. とても哲学的な内容ですね。「分離と統一」を実感できるようにするためにこういった恩物を子どもの遊びを見て、思想とを融合し形付くったというのはやはりフレーベルという人のすごさを感じます。しかし、思いが強いからなのか、思想や考えを体験させるための順序や遊び方の提示は子どもの主体性や自発性といった考え方からは少しずれが生じてくるのだと思います。実際に遊んでいる姿を見ることはないので、いったいどういったように提示し、遊んでいるのを見ているのかがきになりますね。実際、自分が保育をしていくにおいても、環境の提供の仕方や思いはしっかりともったうえで、子どもたちを見ていかなければいけないというのを改めて感じます。
    前回の内容であった「子どもの興味関心を引く形」や「今回の分離や統一」といった考えを含め、今の時代に合ったものとなると一番最初のシンプルな立方体の「レゴ」のようなものができるのも納得がいきます。ただ、そこにこれほどの意味合いや理念や情熱が込められているのかは定かではないのですが。。

  7. 「分離」と「統一」その考えの中、子どもに体感してもらうために考えられたというのは奥深さを感じます。子どものために考え、意図的に環境を用意していく姿はやはり忘れてはいけないところです。子どもに内在する自発性と探究心を導き出すものとして考えられた形であるのになぜ順序立てて理解させようとしたのでしょうか。恩物を与える時にはまず…とうい説明の部分は分離の理解など、参考になります。その原点を元に多くの玩具が作られているような気がします。積み木に関わらず、他の玩具にも通ずるものがあるように思うので「分離」「統一」の考えを元に頭を柔軟に幅広く考えてきたいと思います。

  8. 知れば知るほど奥の深いですね。「分離」と「統一」というところから「人間」と「自然」・・・とても哲学的な内容になってきましたね。第三恩物として「立方体」をそのように考えて設定しているのですね。昨年の新宿せいがの成長展であったような、先ずは大人の「意図性」がありそこから「発展」していくといった流れを思い出しましたが、違う点として ブログの最後にあったように「積み木において子どもたちが自然とやるであろう行為を、順に子どもたちに提示していくことで、理解させようとすることで、批判が起きた」というところは少しもったいない気もしてしまいます。

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