野菜と歴史

 地元の野菜というと、思い出すのが「京野菜」と言われるものです。京都は、寺社が多く、精進料理が発達していきましたから、その材料として精進料理に合うように改良された野菜が栽培されていたものが「京の伝統野菜」として受け継がれてきました。そして、京の伝統野菜の認定基準をつくって、その保護にあたっています。その一番目の基準は、さすが京都です。「1.京都に都が置かれていた明治維新以前からの生産されていた歴史を有する野菜の品目。」とあります。

 それに対して、東京でも、伝統野菜を復活させよういう動きがあります。昨日の読売新聞に、こんな記事が掲載されていました。「伝統復活34品目」というタイトルです。「都内で伝統的に生産されてきた野菜の復活への取り組みは1989年、JA東京中央会が始めた。2010年6月に都や農家、専門家らと“江戸東京野菜推進委員会”を組織し、“江戸期~昭和40年代前半に品目や品種、栽培方法が確立”“都内で生産”といった条件を満たす野菜を“江戸東京野菜”と定義づけ、これまでに34品目を認定した。」と書かれてありました。

 江戸東京野菜の認定は、京の伝統野菜よりは少し幅が広いようですが、それでも、34品目もあったというのは驚きます。しかし、その伝統は、東京と京都とは若干違うようです。京都では、寺社の精進料理の食材として作られていましたが、東京も場合は、まず、江戸の人口が多かったために、今のように流通技術があまり発展してなかったため、消費地に近いところでの栽培が必要だったこと、また、東京に江戸幕府が置かれていたこと、参勤交代などで、地方の大名の上屋敷や下屋敷が江戸にあり、諸国の大名をはじめ全国各地から多くの人々が集まっていました。それらの人々は、地方から地元野菜の種子を持ち込み栽培し、江戸の気候に合うように品種改良されたものも加わり、さまざまな野菜がいつしか「江戸の野菜」として定着・発展をしてきたのです。さらに、和食が世界無形文化遺産登録をされそうということもあり、盛り上がっています。

 江戸の伝統的ということで消化したのが、練馬大根と亀戸大根ですが、東京では、かつては京野菜にも劣らないほど、さまざまな野菜が栽培されていたようです。その中で、他にも意外と大根が多いようです。伝統大蔵大根は、亀戸大根と違って「尻つまり(しっぽまで身が丸くつまっているもの)」系の大根です。根の長さは約50cmもあり、煮物に最適な大根で全国で食べられていましたが、最近家族が少なくなるにつれてこの大きな大根は食べられなくなってきました。栽培は、世田谷区大蔵あたりで作られていたために名前に大蔵が入っています。現在でも、世田谷区では生産されているようです。

 他に高倉大根というのがあります。八王子市の高倉というところの大根ですが、八王子では、明治末から大正にかけては、サツマイモが最も多く生産され、次いでサトイモ、そしてダイコンが多く生産されていました。昭和初期になるとサツマイモの次にジャガイモ、ダイコンの順になります。それが、戦争が開始されるとダイコンの作付けが急増します。それは、ダイコンが食料、中でも保存食としてつかわれたからのようです。また、八王子は織物工場が多く、そこで働いている人のために漬け物用として売られていただけでなく、葉や根も生食や煮物として食べられていました。八王子市特産の高倉大根は、漬物に適した大根で、すだれ干しの風景は冬の風物詩となっています。

 その地域で育てられていた野菜を調べてみると、その地域の生活まで見えてきます。