現代文明

 今年、園で「集団給食施設栄養改善知事賞」を受賞しました。これは、病院や企業で集団給食を行っているところに対していろいろな試みを行っているところが受賞するものです。今年度は、新宿では私の園1施設だけで、昨日保健所で賞状の授与がありましたので行っていきました。保健所からの推薦ですが、私の園から提案したのは、食育3本柱「栽培」「料理」「共食」の取り組みについてです。特に、その中の「共食」については、私の保育論にかなり影響を与えた、人類の育ちに必要な行為です。もともと、「家」という形態をとったのは、囲炉裏を囲んで、様々な年齢に人たちが集まり、みんなで話しながら食事をするということで、一家団欒の光景です。その中で、赤ちゃんは他者を理解しつつ自己を確立してきたというものです。

 その場が現在の多くの家庭では、ほとんど見られなくなり、母子間、または両親と子どもだけでの食事がほとんどになり、子どもがひとりで食事をすることも多くなってきたために、その弊害が様々なところに出てきてしまっています。そこで、様々な年齢の子どもたちの集団があり、様々な年齢ののいる大人集団がある保育園で、かつての一家団欒の光景を再現しようと「共食デー」を定期的に設けて、0歳児から大人まで、丸いちゃぶ台を囲んで食事をしているのです。受賞は、それだけではありませんが、今回のポイントの一つです。

 ファン・デグォン氏は、DVDの最後にたき火にあたりながらこんな話をしています。「現代文明は、自然の機能だけを奪い取り、その他は切り捨ててしまう。そもそもヒトは、火とともに人間になっていったと思う。現代世界では、自然と文明は対立関係にある。しかし本来、自然と文明を融合させるものだったはずだ。現代風の暖房は、家全体を温めるので人々が一か所に集まる必要はない。昔は家族全員、多いときには10人もの人が一つの火を囲んで語り合った。昔の共同体にはこの親密なコミュニケーションがあった。そしてそれを可能にしたもの、それが火だ。現代の文明も火によって始まった。だが、人間はその火を誤って使ったため、火によって滅亡へと追いやられている。」

 そういえば、私が子どもの頃は、ちゃぶ台を囲んで、みんなで丸くなって食事をしただけでなく、みんなでこたつにあたりながら、それぞれのことをしていた気がします。もちろん、一緒に同じ番組のテレビを見ていた時間もあるのですが、そう、長い時間は見ていませんでしたら、それぞれ何をしていたのでしょう。最初は、こたつの中は火が付いた練炭でしたから、それぞれの部屋にはなく、一家にひとつですので、みんなで同じこたつに入っていたのでしょう。

 現在、ファン氏はヨンクァンの山麓に仲間たちと食・住、エネルギー、そして教育の自給を目指す共同体を建設中だそうです。そこでまず、若者たちの学校をつくろうと思っているそうです。どのような学校を目指しているかというと、「そこではだれかが生命平和について教えるのではありません、まあ、先生が人間である必要もありません。私が思い描く学校では、若者たちが自立の方法を自ら身につけていく。その過程で、先生を自分で発見することが学生にとって最大の課題です。つまり、先生を見つけることが学びなのです。」と考えているようです。

ひとつの価値観を目指す国家の犠牲になったファン氏は、「多様な個性や、やり方が混ざり合った共同体としての秩序」を作り上げた社会を目指そうとしているようです。

現代文明” への7件のコメント

  1. 様々な社会の問題に対して、新しい法律の整備や制度などで対応するべきだという声を聞きますが、やはりそれでは根本的な対策、対応にはなっていないのではと感じることがあります。藤森先生のお話のように、一家での食事のあり方から考え直していこうということにもっと関心が高まるように私たちも自分たちの持ち場で精一杯に考えて、保育をしていかなければいけません。とある島の住民の方の特集を見ました。人口の少ない島なのですが、みんな仲が良さそうなんです。当たり前のようでもあるのですが、きっとその島の人達はみんなが繋がっていて、仲が良くないと極端な話ですが、生きていけないのかもしれないと思いました。都会では、お隣同士、人同士が繋がらなくても生きていけるのかもしれません。だからこそ、やっぱり人としての大切な部分を見ていかなければいけませんね。日本の住まいについてあれこれ語り合っている本の中に「家は公共空間。20世紀はプライバシーを考えすぎて家が貧しくなったのではないか。家こそが実はパブリックスペースではないのか」という言葉がありました。そんなことを考えたこともなかったのですが、なんだか今日の内容と繋がるような気がしました。なんだかいろいろなことが整理できなくて頭がこんがらがっています。ちょっと落ち着かないといけませんね。私の悪い癖です。

  2. 都知事賞の受賞、本当に良かったと思います。これで、藤森先生の園3園ともが同賞を受賞したことになります。誠に目出度い限りです。私たちの園の「共食」は殊の外重要で、やってみると殊の外楽しいですね。できれば、毎日でもやってみたいと思いました。大家族での一家団欒の機会がなくなりつつありますから、せめて子どものと大人の集団がある園で「大家族での一家団欒」的食事の機会を子どもたちに保障することはとても意味あることだと思います。ところで、私の田舎の家はいまだにコタツは練炭です。まぁ、練炭を熱するなどの手間はかかりますが、この練炭コタツの温かいこと。家族でこの練炭コタツに座りながら、ご飯を食べます。それから、ファンテグォン氏の学校の「先生を自分で発見することが学生にとって最大の課題」ということには心から共感する者であります。私自身「先生」を見つけて現在の職場に身を置いております。「先生を自分で発見する」、これも殊の外重要なことですね。

  3. 昔の暖のとりかたを思い出しているんですが、人がいるところを暖めていたというより、火のあるところに人が集まっていたというのが近い気がします。急速に電化製品が増えていった時期を何となく覚えていますが、それ以前は掘りごたつのあるところ、火鉢のあるところ、数少ないストーブのあるところに集まって何かをしていた記憶がありますね。その火を比較的自由に扱えるようになったことで便利になった側面はありますが、その反対側にももっと目を向けるべき時期はあったように思います。今からでも遅くないので、何を守るべきかを間違えずに行動していかなければいけませんね。

  4. 自然と文明が融合せずに、互いの距離が離れていく事で引き起こされる問題があるとするなら、自然と文明が融合していた頃の環境を、大人が意図的に設定しなくてはいけませんね。暖をとり、結果家族がひとつのところに集まるというスタイルから、家族がひとつのところに集まるための“暖”といった考え方をしなくてはなりません。そして、「先生を自分で発見する」といった価値観は、非常に面白いです。先生ありきの生徒ではなく、生徒があって次に先生が出てくるといった、あくまでも生徒主体で学び方も自らで決められる環境が、自分の興味や関心、そして責任感や尊敬の感情にもつながる気がします。「自立の方法を自ら身に付けていく」というように、自立の仕方はひとつではないことを気づかせてくれました。自立していく方法が、子どもの数だけあるなら、子どもの中に自立を支える“先生”を自ら作ることが重要であるのですね。

  5. 考えてみれば私が子どもの頃父親の帰りもそこまで遅くはなかったのでほぼ毎日家族全員で食事をしていました。そしてその時は必ずテレビは消して食べていました。その頃私は小学生くらいだったと思うのですが、だいたい食事をする時間は7~8時くらいでしたので観たいテレビがちょうど観れなかったので「〇〇君の家はテレビを観ながらご飯が食べれて良いな」と文句を言っていたのを思い出しました。その頃は子どもだったのでわかりませんでしたが、藤森先生の提案されている「共食」の大切さ知ってか知らずか両親は大切にしてくれていたのだとおもいます。最近では母子家庭も増えてきているので、私も子どもたちと一緒に食べることで食事の楽しさやコミュニケーションを大切にしていきたいと思いました。

  6. まずは「集団給食施設栄養改善知事賞」おめ でとうございます!食育の三本柱「栽培」 「料理」「共食」の三つの取り組みが評価さ れたのですね。私今一度しっかりと復習しよ うと思います。ファン氏がたき火にあたりな がら話した内容はまさに共食と同じ考え方で すね。もちろん暖房器具のお陰で、この時期 も快適に過ごせますが、その反面、各部屋に 機器があるため家族がバラバラで過ごしてし まいます。 私もこの時期は実家に戻り久々 の家族と全員で過ごしますが、あえて居間に いて少しでもみんなと過ごし、色々な話をし ます。家族間の会話の中でもたくさんの学び があります。

  7. 今の時代、家族で一緒にごはんを食べるどころか、一家団欒の時間すらなくなっている家も増えてきているような気がします。便利になってきた世の中に反して、人間としての営みはとても薄れていっているというのは、ここ最近のブログを読んでいると毎回思うことです。そうならないためにも大人の価値観も便利になったいまだからこそ、もう一度考える時期なのかもしれません。あくまで道具を「使う」立場であり、今の時代を見ていると道具に「溺れている」ような気がします。もっと広い視野をもって、本来の何を守らなければいけないかを考えていこうと思います。

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