神とGOD

 私が日本神話に興味を持ったのは、育児を民俗学的に検証しようとしたときです。それを知る手掛かりに「古事記」がありますが、私にとっては、古事記に書かれてある内容に、その意図が計り知れないものを感じます。普通は、712年に太安万侶が完成させた日本の歴史書と言われ、神代から推古天皇までをその記述対象としていますが、明らかに歴史書ではないと思うのですが。しかし、もともとは、稗田阿礼が暗唱していた口調を重視したものとなっています。

この作成の意図は、天皇と祭神を結びつけ、天皇の権力の正統性を証明しようとしたと見ることも出来ますが、どうも、その序文に書かれた成立過程や、皇室の関与に不明な点や矛盾点が多いので、違う意図があったのではないかとも思われています。また古事記そのものの存在をも疑われているようです。しかし、どうであれ、その壮大な物語は、文学的な価値が非常に高いとされています。そして、この存在が、日本の精神文化に多大な影響を与えていることは事実です。

神話は、どの国においても壮大なスケールを持って語られています。ギリシャ神話にしても、ローマ神話にしても、宇宙を舞台に、神が縦横無尽に活躍します。しかし、日本の神と大きく違っているところがあります。英語で「GOD」と日本語の「神」との違いが別冊宝島「日本の神様のすべて」という本に書いてありました。たぶん、この違いが、日本と欧米のものの考え方に深く関連があるような気がします。それは、人々の生活、育児にも影響しているような気がしています。

「英語における“GOD”は唯一神であり、万物のすべてを生み出し司る絶対神を指すことが多い。しかし、日本の“神”は、“唯一”でもなければ“絶対”でもない。世界の神々のほとんどが、神は最初に生まれ世界を創造する。あるいは、唯一神でなければ、一番初めに生まれた神を最高神とすることが多い。しかし、日本の神が身における最高神である天照大神は、一番初めに生まれた神様ではない。」

ここまで読んでも、不思議な気持ちになります。日本では、神でさえ「絶対」でないのに、教師は、絶対でなければならないのでしょう。また、日本の神は、年功序列ではないのに、社会における年功序列という習わしは、なぜ日本独特なものなのでしょうか。

「世界の神話の多くでは、“GOD”がまず存在し、無の状態から“世界”を生み出すことからはじまる。日本神話で印象的なのは、まず“世界”が存在しているところに“カミ”が誕生する点だろう。」世界を創った神と、世界の一員として神が誕生したということです。日本における神は、世界の形成者の一員なのです。そして、次々に様々な神が誕生します。この神々は、「西洋におけるGODとは異なり、食事をすれば、踊りも楽しみます。結婚し、さらに子どもを産むことも珍しいことではない。そして、高天原という“社会”を持っている。日本の神様は、世界のどの神様(GOD)よりも“人間らしい神様”と言えるのではないだろうか。」

神様に、社会を持たせることで、人間らしさを表わしています。それは、私たちホモ・サピエンスが社会を持つことで生存戦略をとったことを、神を象徴としてあらわしている気がします。ですから唯一神ではないのです。日本の根底にそのような思想が潜在していることは非常に興味深いものがあります。