社会の一員

以前、新教育運動におけるイエナプラン校の提案の中で、学校を一つの社会として見るために、異年齢で構成することが当然であると考えていることを紹介しました。デューイも学校を「典型的な仕事によって学校を小型の共同体、胎芽的な社会とする」と述べています。その時の社会とは、「共通の進路にしたがい、共通の精神と共通の目的に関わって働いているがゆえに、結合されている一定の人々からなるもの」であると定義しています。それは、子どもが共通の目標に向かって、協同で活動を行い、主体的に参加するという民主主義の社会です。日本における教育基本法の教育の目的で「平和で民主的な社会」を作るためには、民主的な学校でなければならず、それは、将来、社会の一員になるための準備でもあるのです。デューイにとって、そのような活動が行われている場が「社会」であり「共同体」であるということで、学校そのものを小型の「社会」、子どもの生活の場としての「共同体」にしていくことが大切だと主張しました。

 デューイは1916年に『民主主義と教育』を著しました。その中で、社会の一員になるということはどういうことかを書いています。最初に、個人と社会との関係が書かれてあります。社会も生物学的生命と同じように、歴史の中で生命を存続させていくものです。親から子へと受け継がれるように、社会そのものも歴史の中で存続していくものであるという認識を持ちます。そして、社会が連続していくということは、教育による伝達の結果として社会が維持され、大人から子どもへ文化の伝達による成果であると言っています。では、どのようなものが伝達されていくのでしょうか?それは、人間社会の中に生まれ、大人たちから人間としての文化を伝達されることによって、人間として生活していくことができるというのです。親との共同生活を通して言葉を学び、話すことができるようになるというように、文化が伝達されていくのです。このように、大人から子どもへ社会における文化を伝達されることによって、その社会の一員となっていくと考えます。それによって社会は連続していくとデューイは説明しています。

 しかし、教育とは、文化を伝達するだけのものではなく、もう一つの大切な論点があるとデューイは考えます。それは、子どもたちに社会をつくり直していく能力を身につけさせることだとしています。既存の文化を伝えるとともに、新しい文化を創り出していける力、その新しい文化を創り出して、その新しい文化によって社会をつくり直していく能力を身につけさせることが重要であるとしたのです。これは、とても新しい考え方です。また、その力をつけるための教育も変わってくるはずです。日本の教育の目的である、社会の形成者としての資質は、その一員として、社会の中で共生」する力と、社会に「貢献」する力が必要になるのです。

 それは、社会を存続させる際に大切な活動が教育の中で、「更新(リニューアル)」ということを重要視しました。その新しい文化を創り出す能力が「成長」の証です。社会を取り巻く環境や状況は変わっていきます。しかし、環境や状況が変わっても社会が滅びずに連続していくためには、単に文化を伝えるのではなく、文化を新しく創造していく、あるいは更新していくということが重要なテーマとなると考えたのです。

このことをデューイは、『民主主義と教育』の中で述べています。すなわち、教育の大切な役割は、「大人が子どもに文化を伝達し、子どもを社会の一員とする。」「子どもに新しい文化を創造する能力を身につけさせる」「変動する環境に適応できる力を教育によって育てる。」としたのです。

社会の一員” への6件のコメント

  1. ジョンデューイが提唱する教育論から学ぶべきことがたくさんありますね。そして、同時に私たちが取り組んでいる保育とも大いにつながる部分があります。デューイの提唱については今回のブログの最後に簡潔にまとめられています。教育によって成し遂げられるべきは「社会の一員となること」「新しい文化創造能力を身に着けること」そして「環境適応能力の獲得」ということでした。そして、「学校」は「民主主義」を実現する場である、という提案に心から感動を覚えます。学校の先生になろうとする学生たちは大学時代にこの「デューイ」の提唱する教育論を旺盛に学んだことでしょう。そしてそこからさまざまなインスピレーションを得ながら現場で子どもたちと共なる時間を過ごすことになったのでしょう。是非、デューイから学んだことを実践の場で実現できるよう頑張ってほしいと思います。私たち就学前の子どもの施設で働くものも、同様に、デューイ提唱の教育論就学前版に則って日々の実践を行っていきたいと思っております。私たちが拠って立つ所の理念が「共生」と「貢献」であることに改めて誇りを感じます。

  2. 最近、“アップデート”という言葉をよく聞きます。私のパソコンにも「利用可能なアップデートがあります」という表示がされています。なぜアップデートが必要かと調べてみると、「ソフトウェアには、プログラムの不具合や設計上のミスが原因となって発生した情報セキュリティ上の弱点・欠陥である“脆弱性”が存在しています。脆弱性は日々発見されており、メーカーはそのための修正プログラムを開発し、これを適用することで、ソフトウェアが更新され、脆弱性をなくすことができるのです。」というように、パソコンにも、日々変化していく社会に適応し、更新していくためのプログラムが必要なようです。更新すると使い勝手が変わり、始めは抵抗感があるでしょうが、結果的に安全を守ったり、社会に適応できたりします。物と人を比べるのは違うことかもしれませんが、文化もパソコンも同じ“人”が作っています。どちらも、更新が必要なのですね。

  3. 社会の一員であるという感覚は社会と共に生きることであり、そこから社会に目が向くことで、貢献という行動にも現れていくのかもしれません。子どもの集団の中での共生と貢献、社会との共生と貢献はしっかり繋がっていますし、それを意識した保育をしていかなければいけませんね。新しい文化を創り出していける力のためには、やはり挑戦の場、挑戦できる雰囲気、環境が必要になってくるのかもしれません。何かを創りだす時に、なかなか初めからうまくいくことばかりではないように思います。そういった創り出そうとしている挑戦しようとしている子どもがのびのびとその行動ができるような場を私たちはしっかり作り上げないといけませんね。まだまだ自分の中でうまく話を咀嚼できてはいないので、しっかり私自身も学んでいきたいと思います。

  4. デューイの考え方は読んでいてワクワクしてきますね。このところ語られている民主主義はどこか市場主義と混同して捉えられているのか、いかに効率よく知識を身につけたりテストで高得点をとったりできるかということが重視されてしまっているように感じています。それとは全く違う本来の民主主義の考えが教育の中に取り入れられることは、今の時代にこそ求められていることだと思います。そして自ら新しい文化を創造していく力をつける場でもあるという考えも、ぜひ取り入れてもらいたいことです。子どもは何もできない存在ではなく、自ら育つ力、学ぶ力を持っていると信じることで、それは可能になると思っています。

  5. 最近の藤森先生の話で「発達」と「発展」という言葉を耳にしました。発達というのは自ら環境に働きかけて発達し、発展は物事が勢いよく広がっていくこと、この発達と発展が上手くリンクすることで、遊びがより高度になり、学びが多くなると思います。社会もこれと同じように、人間が発達していくと同時に発展していきます。様々な分野で見ても去年より今年、今年より来年と進化し続けていると思います。そんな社会の中で一員として生きていく為にも、自分で創り出していく力、そんな環境で共生しこ貢献していく力、それらを身につけさせる為の乳幼児教育ですね。

  6. 今、子どもたちが生きている環境は社会の中にあるということを改めて考えていかなければいけないように思います。どうしても、子ども社会と大人社会を切り離して考えているのが今の現状に思います。今回出てきた、「大人から子どもへ文化の伝達」や「新しい文化を創り出していける力」、「社会をつくり直していく能力」は本来はもっと意識されていかなければいけないことであるように思います。そのための「理念」であり、「発達理解」であるように私は思います。どこで順番が変わったのか、足元だけを見るのではなく、広い視野をもってシンプルに本来の部分を見ていかなければいけないように思います。

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