私は、保育という行為は、保育学という学問ではなく、子どもをいかに世話をするかということではなく、どんな社会を作っていくかという課題を持つ、人の生き方であると常々言ってきました。いわゆる人としての「道」ということで、「保育道」と言ってもいいと思っています。また、保育、教育は、子どもをどうするかということだけにとどまらず、国をどうするか、社会をどうするかということであると思っています。ということで、国家論とは、教育論であり、どのような社会を作っていくかということは、そのような社会の形成者としての資質を備えていくことが教育の目的になるのです。
オランダの教育改革は、落ちこぼれ対策から始まりました。しかし、この教育政策は、単に落ちこぼれ問題を解消するための個別化・分化という考え方からさらに一歩進み、初等教育にかぎらず学校教育全体の社会に果たす役割に強い関心を払いました。そのように影響の広がりを示すものとして、リヒテルズさんは、当時の文部科学大臣のもと教育政策の出発点として示された項目を紹介しています。
「社会的文化的に他より遅れている子どもたちに対して教育機会を均等に提供すること」「教育の中に、子どもたちが生きている社会の実情を理解できるような要素をより多く取り入れていくよう働きかけること」「保護者、生徒自身、また教員が、教育に対してより大きな影響力を持つようにすること」「発達段階・テンポ・能力・ニーズに応じた教育の個別化を一層進め、それによってすべての子どもの発達の機会を平等にすること」「全日制の教育のほかに、すべての年齢層のための教育施設(成人教育・生涯教育)を充実させ、動機づけの高い人々への教育の機会を広げていくこと」「教育の目的を明らかにすることでより統合的に組織された、また、財政面でも目的意識の高い計画や制度を作ること」
よく、縦割り行政と言われ、なかなか他とは連携を持たず、それぞれの場で話し合われることが多いのですが、教育は、うまれた瞬間から死ぬまでの人の人生に影響していきます。それを横断的に議論をしていかなければなりません。オランダでは、教育改革をしようとしたとき、「画一を排して、可能な限り個々の子どもの適性とテンポに応じた教育を行うための制度づくり」という一貫した目標に向けて、初等教育審議会、中等教育審議会、勤労青年のための教育審議会、教員養成審議会という四つの審議会をもうけました。そして、審議の持ち方として、上意下達の一方的なやり方を排し、時間をかけて各界に意見を求め審議に参加してもらう方策をとりました。このプロセスを経ることで、ゆっくりと、しかし確実に国民の理解と合意を得ていったのです。
このような経過を得て、オランダでは「教育の自由」が保障され、それがのちのオランダの教育を伝統的に特徴づけられていくのです。しかし、これには、今回、私がオランダで危惧したことのリスクを伴います。それは、日本において、「建学の精神」とか「独自性」を重んじるということで、規則はできるだけ簡潔に、大綱化されているため、どのような保育をしてもいいのだと思ってしまいかねないリスクがあります。オランダでもこんなことが危惧されました。「時代が何を要請しようと、世論がどういう方向に進もうと、それぞれの学校は、自ら信じるところにしたがって、教育の内容や方法を選択できる」ということです。もし、画一教育が効率的でよいと信じる限り、その学校はその方法で教育を続けることができます。中央政府がどんなに言葉を尽くして個別の子どもの最大限の発達ということを主張しても最終的にどんな方法を選択するかは、学校の理事会や教育者の判断にかかってくるからです。それを、どう防いでいったのでしょうか?