伝統的社会の人間関係

子どもの遊びには、大人になるための教育的意味が含まれていることが多いのですが、必ずしも、その目的がない遊びも存在します。人類学者であるカール・ヘイダー氏は、ダニ族の子どもの遊びを観察して、そのような遊びが存在することを報告しています。「彼らの遊びの中には、大人の仕事の予行演習を子どものころにさせておくという目的が全く見られない遊びがある。例えば、子どもたちは一人あやとりで、自分で形を作って遊ぶ。草を編んで模様を作って遊ぶ。崖の上から宙返りをして遊ぶ。カブト虫の角にあけた穴に、草の茎を通し、その茎でカブト虫を引っ張って歩かせて遊ぶ。」

ジャレド氏は、これらの遊びは、“子ども文化”と呼ばれる遊びであるとしています。それは、遊びの経験を通じて、他の子どもと仲良くするための遊びなのであって、大人になったら必要な何らかの技術や経験を予行演習的に学ぶための遊びではないと言います。しかし、私は、広い意味でいったら、それも大人になった時のための準備でもあると思います。大人になった時に社会を形成するという演習でもあると思います。また、ジャレド氏も、やはり教育的な遊びとの境界線は曖昧であるとしています。例えば、一人あやとりでつくる形のなかには、二つの輪を近づかせ、男女の「性行為」を明らかに連想させる形などもあるからとしています。また、カブトムシを引っ張る遊びにしても、将来、豚をひもでくくって歩かせるときの予行演習ともいえるからだと言います。

では、小規模な農耕民では、遊びから子どもたちは何を学ぶのでしょうか?私の見解では、日本では男の子が凧揚げで遊び始めるのは、揚げるために持ち手が必要であるということから協力するということを学ぶのだと思っています。日本のような農耕民では、一人の力を強くすることよりも、お互いに協力することを学ぶ必要があるからです。では、そのあたりのことをジャレド氏はどのように観察しているのでしょうか?彼によると、狩猟採集社会や小規模な農耕社会の子どもの遊びは、他人と勝敗を競わないという共通点があるようです。アメリカ人の子どもの遊びは、得点で競ったりしながら、勝つか負けるかの決着を競う遊びが大半のようです。しかし、狩猟採集民のあいだではほとんど見かけないそうです。小規模社会の遊びは、皆で分け合うことを学ぶものなのだそうです。分かち合いを尊び、人より抜きん出ようとしないことに意味がある大人の社会のありようを、子どもに教えるための遊びなのです。

少し、子どもの遊びから離れて伝統社会における人間関係についてのジャレド氏の考察を見てみようと思います。ニューギニアの伝統社会では、西洋化した国家社会よりも社会的ネットワークと個人の関係が重要視され、しかも長期間にわたって関係が有効とみなされます。それは、畑一枚の取り合いで、部族間同士の争いになり、それによって滅びてしまいかねないからです。そこで生まれもって持ち合わせた大事な人間関係を生涯維持していこうとする傾向が強くなるのです。そして、このような人間関係があるので、ニューギニア人は、多くの人に支えてもらえるのです。しかし、それは同時に、多くの人に対して義理があることを意味しているとジャレド氏は言います。もちろん、西洋人にも社会的に生涯にわたる人間関係というものもありますが、彼によると、ニューギニア人に比べればはるかに多くの頻度で自分の人間関係を新たに獲得したり、古い人間関係を捨て去ったりしながら人生を送っているし、他人より少しでも抜きん出て生きようとする個人に報いる社会に生きていると言います。

あらためて自分の人間関係を見直します。