年齢別

 日本では、民俗学者である柳田国男の「こども風土記」の中では、子どもたちが、地域のなかで、小学校などの年齢別制度と比べて、異年齢で遊ぶ子どもたちの姿が生き生きとえがかれています。同様に、民俗学者である宮本常一による「子どもの世界」の中でも、子どもの異年齢児集団における遊び、生活が描かれています。家庭のなかでの兄弟、地域のなかでの子ども集団は常に異年齢でした。また、江戸時代までの学校である寺子屋や藩校でも、おおむねの入学年齢はあったものの、基本的には異年齢で学んでいました。江戸時代までは、学ぶときも、遊ぶときも、生活する時でも、どこででも異年齢集団でした。

 では、たとえば、アメリカではどうだったでしょうか?もちろん、アメリカでも子どもたちが遊ぶとき、家庭内でも地域でも子ども集団は異年齢でしたが、学校ではどうだっだのでしょうか?ジャレド氏が、その流れを紹介しています。まず、西部開拓史時代のアメリカでは、広大な土地をあちこちに、まばらにわかれて暮らしていました。そして、学校の校舎には教室が一つ、というのがごくごく普通の光景だったのです。家から学校までの距離が遠く、自分の家が毎日学校に通える範囲の中にある子どもも少ししかおらず、全校生徒の数も少なかったために、大きな子どもも小さな子どもも、ひとつの教室の中でみんな一緒に、一人の先生から教えを受けていたのです。このあたりの様子は、たとえば西部開拓時代のアメリカを舞台にした、インガルス一家を描いたテレビ番組である「大草原の小さな家」を見るとわかります。そのほかにも、その時代を描いた映画やテレビ番組にもそのような学校が出てきます。

 このような学校は、日本でも過疎地における「複式学級」と呼ばれているような、二学年以上の異年齢で行われる学校でも見られる形態です。しかし、あまり化では、今日の都市部では、学校内での、子どもの学習形態は、同年齢学習形態であり、遊戯形態もまた同年齢形態であるとジャレド氏は言っています。この形態は、人口密度が中程度の地方の田舎の市町村においても同じであると言います。学校の教室も年齢別の教室が普通であり、同級生間の年齢差は最大でも12か月未満であると言います。

 それに比べて、家の近所の遊び仲間の年齢構成は、大都市の人口が稠密な地域においても厳密な年齢別にはなっていないと言います。しかし、自分の家から歩いていける距離の範囲の地域に様々な年齢の子どもが住んでおり、12歳の子どもの遊び相手がいつも3歳児だけというような偏った状況にもなっていないと言います。なお、同年齢主義が見られるのは、現代の国家社会においても、前国家社会においても、年齢が近い子どもが同一地域に数多く住んでいるという人口学的要因が存在します。たとえば、アフリカの首長制社会のなかには、同年齢集団を社会的な節目の行事や、制度上の仕切りとの対象とする社会が過去に存在していたし、現存もしているそうです。それらの首長制社会では、近年齢の少年たちが同時期に割礼を受けたりします。また、ズールー族の社会には、同年齢の少年たちによる同年齢軍団といったものも存在していたようです。

 ジャレド氏の報告によると、自然に遊ぶときには、どの国でも異年齢児集団のようです。それが、儀式をするとき、特に、ある年齢に達した時の儀式をするとき、日本でも、成人式などは、当然同年齢児集団で行っていたというのは判ります。