自然保護

私の園の後ろには「おとめやま公園」があります。そこは、谷戸と呼ばれていた地形を残し、その復元に公園の拡張工事を行っています。この場所は、以前紹介しましたが、徳川の狩り場であり、一般の人の出入りを禁止したために、「御留山」と呼ばれ、それが「おとめやま」となったのです。その後この地は荒廃しますが、もともと徳川が人の出入りを規制したために自然が残ったということもあるでしょう。

また、新緑の頃、職員で「ブラヘイジ」ということで高尾山に行きました。ここはミシュランにも登録され、多くの人でにぎわっていますが、都内から近くにありながら自然が豊かに残されています。この地に自然が残されたのも、ここが徳川の御料として、一般の人の出入りを禁止したためです。

このように都会に多くの自然が残されているのは、大名屋敷であったり、大名の庭であったり、明治以後も貴族の庭園であったりと、ある意味で贅沢であったものが結果的に自然を残すことになった場所が多くあります。しかし、それだけでなく、江戸時代は、徳川政権が長く続くための様々な取り組みが、自然の保全のためにも行われていたようです。

ジャレド氏が、来日した時の講演で、最近、「持続可能な社会」ということが叫ばれていますが、「具体的にはどうすればいいのでしょうか?」ということでこんな話をしました。「1600年代の、徳川将軍の江戸時代です。このときの日本は鎖国政策をしていて、自給自足の生活を営み、木材は輸入していませんでした。しかし、城を作るためには多くの材木の消費をしましたし、家は木造だったので江戸では火事が多く、焼失した家の再建にはさらにたくさんの材木を消費しました。近場の森林が伐採されつくした後、徳川の将軍たちは、城や町を作りつづるけるために本州をさらに北上して森林を伐採しなければならなかったのです。

 しかしそれは問題だとわかり、彼らは持続可能性のあるやり方で対応したのです。彼らは、2つのやり方で木の消費量を減らしました。まず、ある種類の木はある目的のために使うものだと決めました。さらに、科学的な森林学の専門知識を使って、森林の再生もしました。1600年から1700年の日本の森林について書かれた書物を読んだ方はいらっしゃいますか? 森林伐採の詳細な手引きについて書かれた書物があるのです。例えば、幹の太さが何センチだったならば何年物の木だから伐採してもよいと書かれています。そうして森林の再生をして、1855年になって鎖国をやめた後には材木も輸入をするようになったのです。」

私も、最近考えていることがあります。それは、地球の自然を使うときに、それを使ったつくられた製品に、その自然が再生するまでの期間と同じくらいの耐久年数がなければ、自然は次第に減っていってしまいます。ですから、木を使って何かを作るときには、その製品を、材料として使われた木の種類が再生する期間使わないといけないと思います。例えば、家を作るときには、柱とか梁に使用する木材は、その木が再生するあいだ使っていなければいけないのです。また、1年ごとに張り替える障子とか、1年ごとに作り替える畳などの材料は、1年生の植物を使うべきなのです。日本人は、こうして自然と共生し、維持してきた気がします。それが、西洋化することによって、再生しない鉱物などを使うようになったのです。

ジャレド氏によれば、現在は、森林だけでなく、アラスカはサーモンなども、ちゃんと持続可能性がある形で管理しているといいます。しかし、寿司ネタとしてよく使われるクロマグロは、その資源量は下がっています。江戸時代の森林のようにうまく管理されていないからです。10年後、クロマグロが寿司で食べられなくなる可能性はあり得ます。「徳川将軍の森林管理の仕方を継承するかどうかは、われわれの選択です。」と警鐘を鳴らしています。

自然保護” への8件のコメント

  1. 徳川幕府は持続可能な森林管理を行っていたのですね。たくさん使えば、その分だけ木は減ってしまいますよね。日本の美しい風景である里山も全くの自然ではなく、適度に人の手が加えられた環境ですね。里山は人と自然がうまく共存できている風景でもあるという意見をよく聞きます。里山も持続可能な社会なのでしょうか。製品を作る際に、使った自然が再生するまでの耐久性が必要ではないかという考え方は、本当にそうだなと思いました。そうでないと、最低限自然を維持していくということは不可能ですね。超消費社会である現代だからこそ、生産もそれなりに必要になるのかもしれません。だからこそ、私たち消費者は安ければいいという姿勢だけではいけないのかもしれないなと思いました。また、「使った自然が再生するまでの耐久性が必要」という持続可能な姿勢というのは、何か簡単な物を作る際にも意識していきたいと思いました。適当に作るのではなく、その後の活用法などもしっかり踏まえて作ることができるといいのかもしれません。私はそれが苦手で、思い立ったらすぐ行動してしまうので、意識したいと思います。

  2. 東京は街中に結構緑を残していると思います。同じ大都市である大阪や名古屋と比較しても多いような気がします。その東京の緑地の多さが実は時の権力者の狩場だったり庭園だったりしたことによる、ということは改めて考えさせられるところです。確かに、世界遺産の建造物などは時の支配者によるものが多く、現代まで残されてきています。そして、観光資源となったり自然保護資源となったりしています。そして、そうすることによって地域社会が保たれ「持続可能な社会」となっていくのでしょう。江戸時代の「森林伐採の詳細な手引き」には驚きました。まさに「持続可能な社会」を築き上げようとしています。それに比べると、今日はなお、消費することを優先しています。木材を他国に依存するようになってから我が国の山林は荒廃しているような気がします。荒廃する前に伐採、ということもできません。なにせコストがかかりすぎます。そして安い輸入材に頼っていく。「木を使って何かを作るときには、その製品を、材料として使われた木の種類が再生する期間使わないといけない」という指摘から伊勢神宮の式年遷宮のことを思い浮かべました。20年毎に社殿を新しくする、ということは「木の種類が再生する期間」を意識してのことかな、と推測します。当たらずとも、おそらく遠からず、でしょう。sustainable, sustainabilityが今世紀に入って強調されてきた気がします。それほど地球全体がfragileになってきた証拠なのでしょう。

  3. 自然保護が必要だという理解は進んでいても、それが自然保護のための具体的な行動に結びつきにくいという面はあると思います。私たちは理解をするだけで、実際に行動に移していることが少ないだけでなく、もっと効率の良いものや、多面的な視野が必要であり、それが、物を使用した期間が、その物の再生期間より長くなくてはならないということであると感じます。また、環境問題を身近な問題として受け止められるように、日常生活における一部分を切り取った場所から、それらと自然との因果関係を把握する必要もありますね。蛇口をひねれば、当たり前のように水が出ることも、スイッチ一つで部屋が明るくなることも、自然エネルギーとの因果はあるように思います。そして、持続可能な社会の創造に、主体的に参加できる人の育成を目指すことが、私たちの使命でもあるのですね。

  4. 森林を守っていくためには書かれているように再生までにかかる期間使い続けるという、単純な話でもあるんですね。そうはいってもなかなかそうシンプルには進まないかもしれませんが、そこから考え始めることをやめてしまってはいけないと思います。使ってダメになったら捨てて、そしてまた次のものを購入する、ということをあまりにも簡単にやり過ぎているんでしょうね。消費行動は経済のために絶対に必要で、とにかく消費を増やすことが正しい行動だと言われ続けているように思うのですが、その中で生産の過程や原材料のことなどがとても見えにくい状況になっているのは問題があると思います。第1次産業にちゃんと目を向け、そこでの取り組みが理解される社会を目指すべきなんだろうと思っています。

  5.  ジェレド氏の著書「文明崩壊」に江戸時代の日本の森林管理について書かれています。その考察として、徳川の時代が末永く続くであろうという確信があればこその取り組みであると、ジェレド氏は分析しています。現在の政治家のように数年ごとの選挙で勝ち残らないと続けられない制度だと、100年単位の将来、未来のことにまで手が回りにくいのも仕方のないことです。また選挙で投票するわれわれにも責任があります。まだ生まれていない未来の世代のために、今の世代が必要な取り組みをする、時には我慢をすることも必要だと思うのですがなかなか難しいです。

  6. 「日本は裕福になり過ぎた」なんて言葉をよく耳にします。欲しいものはすぐに手に入り、身の回りにモノがあり過ぎてモノを大切にできなくなってきているように感じます。記憶が定かではないのですが、日本が年間に捨てている生ごみの量が約2000万tにもなるそうです。捨ててしまう理由としては、腐ってしまったり賞味期限が切れてしまったという理由が多いそうです。木材やクロマグロの例もそうですし、イワシなどもまさにそうですね。昔は捨てるほどあった魚が今では高級魚の仲間入りです。無くなっては次のモノ、また無くなっては次のモノとやっていてはいつかは全て無くなってしまいます。そういったモノの大切さなどを子ども達にも伝えていかなければなりませんね。

  7. 「持続可能な社会」は以前からの課題です。日本だけでなく、世界から見ても人類は資源を無駄に使っているかもしれません。木材もそうですが、石油や石炭、天然ガスなども、大量に生産し各国が輸入し輸出し、見境なく資源を生産しているように思います。ただ少しずつ太陽光パネルや風力、水力など自然の力を頼った物が出てき始めています。江戸時代のように、むやみに森林を伐採しないなど国単位で決まりごとをきめ「持続可能な社会」を実現していることに驚きました。教育に関してもそうですが、外国の文化などを取り入れる事も大切ですが、やはり振り返ることが大切なんですね。

  8. 「持続可能な社会」ということは今の社会にはとても必要な思想かもしれませんね。確かに考えてみれば、ブログの内容にあるように西洋化にともない再生しない鉱物が使われるようになってきました。しかし、再生しないとあるように今あるエネルギーをただ消費するということは将来的にはその資源はなくなっていきます。どこかで私たちは世界規模で輸出入をするあまり、その事実に気づいていても、その対策はどこか他人事です。江戸時代の自然を残す姿勢はまさに今の社会に求められていることだと思います。江戸時代の保育や社会。日本の過去の社会には今の社会に必要なものがたくさんあるように思います。

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