昨日と今日

私は、日本の保育を見直すために、まず、はじめにしたことは西洋における先行事例にとらわれず、人類が長い進化の中で、どのように遺伝子を残してきたのかから育児を振り返ることでした。その育児法は、その時代の環境に影響を受け、その時代の要請を受け、修正されてきました。その修正は、気候や周囲の環境によって行われてきたのでしょうが、それは時代だけでなく、その地域によって独特な方法が行われてきました。その中で、不易と流行を見極め、長い人類の歴史のなかで変わらない共通点をまず見出すことから始めました。

 それは、人類の歴史を振り返ってみるだけでなく、ジャレド氏によって、世界のなかで伝統的社会を形成している民族で行われている育児法を観察し、そこから考察することを知りました。すると、そこで行われている育児は、古代から人類が行ってきた育児と共通なものが多くあることがわかったのです。その点について、ジャレド氏はこう言っています。「現代的行動を共有する人類には10万年近い歴史があり、狩猟採集民の生活習慣は少なくとも、その歴史に耐え抜いた生活習慣なのである。世界のいくつかの地域で農耕が見られるようになる1万1000年より前の時代では、世界中、だれもが狩猟採集民だった。これほどの長きにわたって継続されてきた実験である。そして、その実験結果には、真摯に受け止め、検討する価値がある。」

世界的ベストセラー「銃・病原菌・鉄」でピュリッツアー賞を受けた進化生物学者ジャレド・ダイアモンド氏が書いた「昨日までの世界」のなかの「子育て」について読み進めてきましたが、彼は、この著作のなかで、伝統的な小規模部族社会と、われわれが住んでいる大きな現代社会をあらゆる側面で比較しています。この本の子育ての関する章の他の章では、高齢者、健康と病気、危機とそれに対する反応、紛争解決、戦争、宗教、多くの言語を話すことなどについて比較しています。

その彼が、今年の2月11日、3回目の来日で、「昨日までの世界」の内容をふまえ、日本科学未来館で講演を行いました。その講演では、これからの時代、我々がどうすべきかを部族社会をヒントにして語りました。著作の中でもその手法で子育てについて語りました。その時に比較する私たちの社会について、講演のなかではこう語っています。「大きな先進工業国家に住んでいます。決まった場所に定住し、中央集権の国家が決定を行い、国民は読み書きができ、本やインターネットから情報を取る――そんな社会に住んでいるわけです。このような社会では、ほとんどの人たちが60歳以上まで生きていて、食べ物は自分たちが作らず、他人が作った物を食べて生きていると思います。」

 しかし、忘れてはいけないこととして次のことを挙げています。「こうしたさまざまな習慣は、600万年にもおよぶ人類の歴史の長い進化の中では、ごく最近に起こったものです。先に上げた色々な習慣は、1万1,000年前には、世界のどこにも存在しませんでした。その中のいくつかは――例えばインターネットの登場や、ほとんどの人たちが60歳以上まで生きている状況など――わずか100年、もしくは10年から20年の間に起こった大きな動きです。つまり、われわれの先祖は伝統的な部族集団の中でずっと生きてきたのであり、人類の進化という時間軸を考えれば、ほとんど昨日までそういう暮らしをしてきたとも言えると思うのです。」

彼が取り上げる伝統的社会は、人類の進化から見ると、ほんの「昨日までの世界」のことなのです。

昨日と今日” への6件のコメント

  1. 「こうしたさまざまな習慣は、600万年にもおよぶ人類の歴史の長い進化の中では、ごく最近に起こったものです」ハッとさせられました。確かに自分が習慣としていることを少し想像しただけでもきっと江戸時代にはなかったことですよね。変化のスピードに果たして私たちはついていけているのでしょうか。ついていけていると思っているだけなのかもしれません。はっきりとは見えませんが、もしかすると所々に歪みが生じていたりするのかもしれません。そんな感覚を全く感じないということもない気がします。それは子どもを取り巻く環境も同じということになりそうです。そのことを検証し、こうした方がいいのではないかと示してくださるジャレド氏や藤森先生の姿からしっかり学んでいきたいと思います。

  2. ジャレド氏が言われていることは、長いスパンでものを考えていけば当然のことなんでしょうね。とは言ってもそんなスパンで考える習慣はなかったので、ほんの「昨日までの世界」のこととはまだ言えませんが、そのように考える努力はしていかないといけないことだと思わされました。ジャレド氏は別の本で鎖国をしていた江戸時代の日本を評価しておられました。破壊され続けていた自然を見事に豊かな状態にまで復活させた唯一の国だということからの評価です。鎖国そのものについては置いておきますが、他国に目を奪われすぎず、自国にきちんと目を向けることはやはり大事なことなんだろうなあと思わされた評価でもありました。最近読書が進まなくなって困っているんですが、ジャレド氏からもっと学ばないといけませんね。

  3. 人類の進化というものを、時間軸として考える視点は面白いですね。そう考えると、私たちが生きている数十年はもっと近くにあり、人類の歴史に比べれば、ほんの数分前の出来事のように思えるでしょうね。その数分前の方法を、あたかもそれをすることが当然のように思って行動することには、何の意味があるのだろうと考える視点を持たなければいけないことであり、10万年の歴史に耐え抜いた生活習慣を、実の人間であることで不可能とされてきた“実験”を、普段の生活、そして伝統・伝承されてきた実践からは多くを学ぶべきということでしょうか。今回のブログを読んで、急に昨日の出来事が遠い存在のように思えてきました。

  4. 確かに人類の進化から考えてみると、私が生きてきた29年間は昨日どころか、数分前みたいなものですね。それだけ人類というのは長い長い歴史の中で生き延びてきました。もちろん私たちも、途絶えないように生き延びる必要があります。とは言ってもジャレド氏が言うように、今の時代は食べることも何でも簡単にできる時代です。もちろん時代に合った生活するのは間違ってはいませんが、慣れて大切なことは忘れたくはありません。600万年という長い時間の中で、我々人類はどのようにして生活し、何を一番に優先してきたのか、しっかりと見つめながら、生きていこうと思います。

  5. 確かに、ジャレドダイアモンド氏の指摘通り、人類600万年の歴史の中で、ここ100年間、あるいはここ数十年間の在り様は、「ほとんど昨日までそういう暮らしをしてきた」それまでの時代とは飛躍的に異なる様相を呈しています。このことは一体何を意味するのでしょうか?燃え尽きる前の最後の輝きでなければよいのですが・・・。私たちは今の暮らしをあたり前のものと思って暮らしています。スイッチを押すだけでさまざまな暮らしの支えとなる電気、蛇口をひねればでる水道水(今どきは手を蛇口の下にかざすだけで水道水が出ます)、カチカチと回すとつくガスなど。災害等によって停まることはあってもそれらがなくなることなど考えられない世界に住んでいます。逆に、これらの不存在を言おうものなら、私自身が精神病とみなされる社会に住んでいるのです。こうした社会や世界における「教育」はどうあるべきか?やはり人類の歴史や民俗学的成果、あるいは脳科学や遺伝子学の発見等を十分に踏まえて子どもたちの将来を保障するのが私たち大人の役割でしょう。

  6. 時間軸を人間ではなく、長い地球の歴史や生物の歴史からいくと、今の理論や生活様式、文明といったものはとてもちっぽけなものになりますね。以前、赤ちゃん研究の中で、赤ちゃんの一日は生物の進化でいうと何万年という時を超えているという話を藤森先生の講演の中で聞いたのを思い出しました。「昔は・・」と言われる今の文化ですら、時間軸を変えると数分のことなのかもしれませんね。ただ、言えることはこういった歴史の中で言われている育児と今現在行われている育児、現在に近づくにつれて、どんどん人間の本質である育ちの部分からずれているように感じます。これが進化であればいいのですが、絶滅の序章にならないように常に考えていかなければいけませんね。

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