伝統的社会に見出す価値

ジャレド氏の考え方を、最近の著作や講演の中から学んできましたが、彼が、最後にまとめとして、確認しておきたいことを話しています。「私はなにも、伝統社会のすべてを称賛するつもりはない。近代社会のほうが優れていることは数多くある。医療が発達して感染症で死ぬことが減り、栄養が行き届いて長寿にもなった。人間同士の暴力も減っている。だが、伝統社会の方が良いこともある。それが、“子どもの自立心”や“高齢者の尊厳”という問題だ。わずか5万年前まで、人間はほかの動物とさほど違わない存在だった。人間のDNAの99%はチンパンジーと同じ。人間の変化は、ほんの最近だ。人間は極めて短い時間で、地球の使い方さえも変えてしまった。」

彼は、今の生活や考え方を、小規模血縁社会や狩猟採集社会などの伝統的社会を観察する中で見直してきました。それは、必ずしも伝統程生活を美化するものではないと言います。現代社会には大きな利点があるというのです。したがって、彼らは、現代社会の仲間入りをしようとしているのです。それは、生活を楽で快適にする文明の利器や、学校教育や雇用の機会、保健状態や効果のある医薬品、医師、病院、身の安全、暴力の減少、他の人々や環境から受ける危険の減少、食糧の確保、長寿、子どもの死亡率の減少、といったものです。

逆に、伝統的社会に見出す価値をあげています。その中で最も指摘される重要なものは、一生涯続く社会的結合だと言います。彼らの社会では、孤独を感じることがないのです。親の転勤で子ども時代をニューギニアやフィリピン、ケニアで、過ごした人がアメリカに帰ってきた人の体験からこんなことを比較しています。その内容は、ずっと、日本やアメリカで過ごした人にはなかなか気がつかない指摘です。

「アメリカ人の男の子たちはマッチョで、マッチョな話をして、他の子たちを殴ります。気立てのいい子どもはアメリカではうまくやっていけません」「違いで印象的なのは、アメリカの子どもたちが家に帰ると、ドアを閉めて、テレビゲームをしていることでした。家を出るのは学校に行くためだけです。ニューギニアでは、子どもたちはいつも外で、他の子どもたちと遊んでいました」「アフリカの子どもたちは、いつも誰かと一緒にいます。子どもたちが家にいるのは眠るときだけでした。誰の家に入ってもよかったですし、どこでも歓迎してくれるとわかっていました。でも、アメリカの子どもが他の子どもと一緒にいることはあまりありません。私が育った時代はテレビしかありませんでしたが、最近ではテレビゲームのおかげで、自宅に子ども一人で過ごすという問題が悪化しています」「フィリピンの子どもは、どの大人でも“おばさん”“おじさん”と呼び、村のどの家でも出入りします。夕飯時になると、たまたまその時間にいた家で、他の子どもたちと一緒にご飯を食べていました」「アメリカ人の子どもたちは、ニューギニア人の子どもたちよりも社交性がありません。ニューギニアにいたころ、私はにこにこして通りがかる人たちに挨拶をして、会話をしていました。でも、アメリカ人の子どもたちは通りすがりの知り合いにも他人にも挨拶はしませんし、もちろん、会話もしません。私が笑顔で挨拶をすればそれには応えてくれますが、自分から挨拶をしようとすることはありません」「アメリカ人はもてなしを受け身で楽しみますが、自分で楽しむ方法を知りません」「アフリカでは、何か必要なものがあったら、自分でつくります。そうすれば構造もからくりもわかります。アメリカでは、必要なものは全部買ってしまいます。だから構造がわからないんです」

まだまだ続きます。一つ一つの感想が、私たちがすべきことを物語っている気がします。

伝統的社会に見出す価値” への6件のコメント

  1. 残念ながら、今回のブログの最後に紹介されている文章は、わたしたち日本人にも当てはまります。アメリカを知らず知らずのうちに追随した結果です。68年前に無条件降伏しその後米国の占領下に置かれ、独立した後も軍事面のみならず生活面技術面でも米国による我が国の実行支配は続きました。よって、紹介されている文章は私たちが反省すべきことなのです。お余所のことではありません。「気立てのいい子どもはアメリカではうまくやっていけません」。日本でも同じでしょうね。「アメリカ人の子どもたちは通りすがりの知り合いにも他人にも挨拶はしません」、日本人は「知り合い」には挨拶すると思うのですが、「他人」には決して挨拶しません。むしろ、知らない人には挨拶をするな、と教えられています。「自尊感情」と「自己肯定感」を強調されてきた結果がこれだろうな、と思います。相手を尊ぶ、そして他人を認める、肯定する、をしないで自分のことばかり考える欧米型子どもが我が国でも増えてくる。欧米型保育をしていると、良かれと思ってやっていることが結果として我が国の不利益になるのです。「共生」と「貢献」、これが何にもまして重要なのです。

  2. 現在の状況をしっかり把握して、何が良くて、何が足りないのかを理解していないと、過去や外からうまく学びとることができないのかもしれませんね。ジャレド氏の「伝統的社会の全てを賞賛するつもりはない」という言葉はどちらの社会の性格も分かっておられるからこその言葉のように思います。どちらか一方に傾き過ぎるのでない学びや変化が必要だと今の自分には痛いほど響いてくるメッセージにも思えました。最後の体験談はなんだか寂しくもあります。私の子どもの頃の思い出を少し思い出しても、やはりそこには誰かがいました。誰かが共感してくれて、誰かが笑ってくれて、誰かとケンカして、とそんな思い出も多いです。また、他者に対する見本はやはり大人なのかもしれません。まずは大人が子ども達を受け入れてあげなければいけませんね。

  3. 今の社会を否定して全部変えてしまおうというのではなく、今少なくなってきている社会のつながりを取り戻そうということでもあるんですね。このことは、お金や経済活動を中心に考えてしまうと後回しにされてしまいがちなところです。だからこそ今はそれが少なくなってしまっているんだと思いますが、少しでも早く価値の転換をしなければいけませんね。子ども同士の関係、異年齢の関係、大人や社会との関わり、具体的な体験など、藤森先生から大事にしなければいけないと教わってきたことばかりです。本当に大切なことはどの分野でも同じなんですね。不易と流行、よく考えなければいけません。

  4. 体験談を読んでいると、日本の一昔前と現代との違いのように思えてしかたがありませんでした。私が幼い頃は、友人宅へお泊りし合うことが、頻繁にではありませんが行われていました。友人宅の炊飯器に入っていたご飯を、友人と勝手に食べてしまったこともありました。今考えると、とても非常識ですね。現代では、きっとそういった姿は減ってしまっているのでしょうね。しかし、間違いなく暮らしは豊かになっていますね。携帯電話の普及で、すぐに人とつながることができたり、機械の進歩により“時短”が行われ、他にまわす時間が増えました。現代社会の利点等を最大限に利用し、伝統的社会における“社会的結合”の復活ができれば、素晴らしい世の中になるでしょうね。

  5. 確かに近代社会の方が良い部分話したたくさんありますね。医療が進むことで長寿になれたり、食事に関してもしっかりと、栄養を取れることが可能です。もちろんこりも生きる上において大切なことです。ただ伝統的社会の一生涯続く社会的結合というのは、そもそも生きていく上での根本にあるものだと思います。ブログに書かれてあるアメリカとアフリカを比べた内容も、今の私たちには大切な言葉です。一つ一つの内容をしっかりと、噛み締めながら、何をすべきか考える必要があります。

  6. 今の社会にはないものが伝統的社会の中では息づいているということは今までのブログを見ているととても感じるところです。しかし、その部分は人として生きていくために極めて必要なものであるように思います。いろんなものが発展していく反面、犠牲にしているものは多いのかもしれません。しかし、その反面、その発展はデメリットだけではなく、利点も多いということも忘れてはいけませんね。こういった現在の社会だからこそ、改めて伝統的社会の利点、今の社会の利点を総合して社会を組み立てていけるように考えていかなければいけないと思いました。もとに戻すのではなく、統合していくことで、より深い人間社会になるように思います

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