ブラヘイジ中野

 いつの頃か忘れてしまいました、私がよく夜中に仕事か勉強をしていたころ、テレビである俳優の出演映画を一挙放映していたことがあり、すっかりその俳優のファンになりました。その俳優とは、「市川雷蔵」です。正確に言うと、「市川雷蔵8代目」です。今の若い人は、ほとんど彼を知らないようです。それは、彼が、1969年(昭和44年)に、37歳という若さで亡くなったということもあるのでしょう。

 彼の出演代表作というと多くの人が知っているのは、柴田錬三郎の小説が原作である「眠狂四郎」です。中里介山著作「大菩薩峠」の主人公机竜之助に端を発するニヒル剣士であり、転びバテレンと日本人の混血という出自を持ち、その生い立ちを背負い、虚無感を持ちつつ「円月殺法」という剣術を用いて無敵の活躍をしました。この原作の映画化にあたり、初めは、鶴田浩二が演じ、3作つくられました。その後、市川雷蔵主演のシリーズは、全12作つくられ、映画化作品としては最も有名で、雷蔵の当たり役となっています。

 市川雷蔵は、このようなニヒルな役は、自分の出生と合わせてとてもはまり役ですが、一方、私が好きな作品に「好色一代男」があります。江戸文学の最高傑作である井原西鶴原作の映画化ですが、一代の放蕩児として女から女へ、やわ肌の中に永遠なるものを求めてやまなかった世之介の半生を、ゆたかなエロチシズムの中に、強烈に、しかも面白く描きだしていました。勘当されたり、寺に出されたり、駆け落ちしたり、捕らえられたり、最後は、世の中のがめつさをいやというほど知らされ、好色丸に乗り、波のユートピアに向って船出するのです。この徹底したお気楽人生を、市川雷蔵は、ニヒルさと打って変わって、無責任の遊び人でありながら、生活のたくましさを兼ね備えた主人公を演じていました。

 もう一つ、現代劇で印象に残っている作品があります。それは、日本陸軍の諜報員養成機関といわれる陸軍中野学校の実態を描いた「陸軍中野学校」です。この映画では、「大菩薩峠」「眠狂四郎」シリーズで培ってきたクールで無頼な二枚目役の延長線上にあり、まさにハマリ役でした。この「陸軍中野学校」があった場所には石碑が建っているようです。そこは、早稲田通りに面した、中野にある東京警察病院の敷地内のようです。このあたり一帯が学校だったのですが、それ以前は、そこは、「犬屋敷」でした。犬屋敷とは、5代将軍徳川綱吉が設けた幕府の野犬保護施設で、犬を囲って飼育したことから「お囲い御用屋敷」ともいったそうです。ですから、中野4丁目あたりの旧町名「囲町」は、これに由来しているそうです。

綱吉は「生類憐の令」によって殺生を禁じ、特に犬の保護策を強行しました。「中野区の史蹟」によると、江戸郊外の中野に最も大規模な犬屋敷を造らせ、支配役以下多数の役人や医者を置いて、野犬の飼育にあたらせたのです大きさは、約30万坪(100ヘクタール)に及び、5つの犬囲いには、各数百棟の犬小屋・餌場・日除け場・子犬養育場があって、最盛期には8万数先頭もいたそうです。その飼料費は、なんと年額9万8千両にも達したそうです。
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この場所に、「ブラヘイジ」で行きました。涼しくなったので、また、時間を見て出かけようと思っています。

なつかしい銀座

 最近、東京駅周辺、銀座が盛況です。一時、新宿、渋谷、池袋に押されていましたが、かつての丸の内、八重洲、日本橋、銀座がにぎわっています。ただ、多くは私たちの世代が中心ですが。この賑わいは、丸の内側でいえば、数年前から、東京駅周辺のブランド通り、新丸ビルをはじめとした新ビルの建設、東京駅のリニューアル、

KITTEから見た東京駅

KITTEから見た東京駅

そして、最近は中央郵便局が「KITTE」というあたらしいショッピングビルに変わりました。kitteまた、八重洲側でいえば、エキナカのリニューアル、大丸のリニューアルがあります。また、少し足を伸ばして有楽町の方へ行くと、各地のご当地ショップがあります。

 そんなわけで、私は、最近は妻と買い物に行くときはもっぱら東京駅周辺とか銀座へ行くことが多くなりました。そんな時に、ちょっとお茶するとか、食事をするときには、どの店に行っても混んでいます。そこで、少し前に銀座に行った時に、なつかしい風月堂に行ってみました。思った通り、あまり混んではいず、多くの客は年配層が多かったです。

 風月堂は、1753年(宝暦3年)に、初代大住喜右衛門が“大阪屋”を屋号として菓子屋を営んだことが最初です。ここの菓子はよほどおいしかったのでしょう、1789年(寛政初年)には、老中松平定信より「御定用・御菓子調進」を命じられています。定信はよほど気に入ったのでしょうか、1812年(文化9年)に、格別な知遇を以て商号に“風月堂清白”の5字を選授し、その後、屋号を風月堂としました。

もう一店、私が子どもの頃、親によく連れて行ってもらったレストランが銀座「不二家」でした。先日は、久しぶりに銀座不二家に行ってみました。私の子どもの頃、日曜日になると外食をしていました。大体は、浅草の釜めし、焼き肉、両国の桜鍋(馬肉のすきやき)、銀座の不二家でマカロニグラタンでした。どうしてそんなに外食したかというと、家に南京虫(今は、トコジラミといいます)が多く、それを駆除するのに、家の窓に目張りをし、バルサンをたいたのです。バルサンは、火をつけると家じゅうに煙が充満し、その効果が表れるまで家を留守にしなければならなかったからです。各部屋に置かれたバルサンに煙にまかれないように父親が火をつけて回るのをドキドキしながら待っていました。

 不二家で食べたマカロニグラタンは、今のようにチーズがとろけているのではなく、ゆでたマカロニと玉ねぎ、海老、マッシュルームなどを炒めて、色付かない様に炒めた小麦粉のルーを牛乳やブイヨン等の出し汁で溶き延ばして煮詰めた白いソースであえたものでした。それと同時に頼んだのがメロンソーダでした。この「天然ソーダ水」は、不二家から生まれたものです。

もう一つ、不二家というとパフェ、フルーツポンチ類がありますが、アイスクリーム・サンデー、アイスクリーム・ソーダなどのメニューを不二家が取り入れたのは、創業間もない大正時代からだそうです。その中でも、アイスクリーム・サンデー、アイスクリーム・ソーダは不二家が元祖といわれています。そして、ソーダ・ファウンテンで天然ソーダ水を売り出した不二家は、アイスクリームを合わせたアイスクリーム・ソーダを作り出しました。

あたらしい町に生まれ変わった銀座にも、私の子どもの頃に行った店も残っています。

未来

ジャレド氏が言う「昨日までの世界」を見てきましたが、私は、その世界は、国家社会になって久しい日本においては、「数時間前までの世界」の気がします。伝統的社会における文化を、日本はつい最近まで継承してきた気がします。最近まで、ニートなどという言葉などありませんでした。現代うつ病、アレルギー、除去食、アトピー、水最近までそのような言葉ですらありませんでした。それが、あっという間にアメリカ的、西洋的になってしまったのです。

もちろんそれは、現代化であり、発展です。素晴らしい、あたらしい社会を手に入れました。安心で安全な社会に暮らすことができています。随分とありがたいものを手に入れました。しかし、その中で、子育てという遺伝子を子孫に残すという行為までも、西洋化してしまったのです。ジャレド氏は、伝統的社会から学ぶべきものとして、少子高齢化社会を迎えた現代社会における子育てと高齢者の問題をあげているのです。そして、伝統的社会を見直すことによって、今、大きな問題に直面している日本やアメリカなどでは、あと30年か40年のうちに、持続可能なシステムを作らなければならないと警告しています。

彼の言う30年から40年後には持続的社会をきちんと構築しておかなければ、地球という存在自体をも危うくすることになるということは、その時の社会を支える中心的役割をする現在の乳幼児を、もっと大切にするということなのです。その乳幼児の育児を、ただ母親だけに押し付けたり、働いている母親のためのその子の入れものとして考えて数だけを作ろうとしている保育所であったり、保育、育児の仕方を、国家主義の西洋化のなかで考えられた方法を変えようとしなかったり、これらは、持続的社会を構築するうえで見直さなければいけないのです。

ジャレド氏は、これから親になる人に向かって、次のような選択肢に納得するかを考えてみるように言っています。「求められるたびに授乳する(現実的対応であれば)」「離乳を遅くする」「乳児に複数の成人とスキンシップさせる」「添い寝をする(堅めのマットレスかゆりかごを寝室に置き、小児科医と相談することが必要)」「乳児を抱きかかえ、正面を向かせる」「グループ育児を増やす」「子どもの泣き声にすぐに反応する」「体罰を避ける」「子どもに自由に探検させる(子どもから目を離さないように)」「異年齢の子どもと遊ばせる(小さな子どもにも、大きくなった子どもにも効果がある)」「できあいの“教育玩具”やテレビゲーム、その他のお仕着せの娯楽ではなく、自分たちで楽しむ方法を学ぶようにしてやる」

このような育児は、個人レベルではなかなか難しいと言います。近所や地域全体が変わらなければならないのです。評価すべき伝統的社会の特徴を実践するには、個人と社会の取り組みが必要です。しかし、こうした選択肢を真剣に考慮する価値はあると言います。伝統的社会を訪れて子どもたちに接した人々は、その独立心や情緒的安定性、社会的成熟度に感心するからです。

ジャレド・ダイヤモンド氏は、「昨日までの世界―文明の源流と人類の未来」という書籍の最後に「読者個人と現代社会全体が、私と同じように、広範囲におよぶ伝統的社会の人類の経験から、お互いに享受できるものを見つけ、取り入れることを願っている。」と締めくくっています。

昨日

伝統的社会と、私たちの社会との比較はとても面白いですね。それは、一つずつに課題が見えてくるからです。そして、まさに、伝統的社会を学ぶべき項目が並んでいます。そしてその多くは、子育てに関係するものが並んでいるからです。それでは、もう少し残っている指摘を見てみます。

「私は、アメリカの友達に倫理基準が欠けていることにびっくりしました。アメリカのような多元社会では、何が真実で何が正しいのかを確信する拠り所を持つことはまずできません。ニューギニアにおける真実の解釈と適用には、もちろん文化的な影響が見られます。しかし、真実というものが存在し、理解可能なものだという認識は、みんなに受け入れられています」「アメリカの子どもたちや、おそらく一般的なアメリカ人も、物にとらわれすぎです。前回、私たちがカリフォルニアに戻った時に、最新の流行やら“マストアイテム”やらに注意が惹かれました。その時はプラズマテレビでした。あれから半年たったら何が流行っているんでしょうかね?」

「アメリカではみんなが自分の殻の中に閉じこもっています。知り合いのアフリカ人の若者は、世界で何が起きているのかにとても関心があって、地理的な知識もあります。暇なときは、様々な国の場所や世界の指導者層の名前、スポーツ選手などについてのクイズを出し合っていました。彼らはもちろん、ケニアのサッカーの優勝チーム・メンバーの名前や、長距離選手の名前は知っていますが、同じくらい、アメリカやイギリス、ドイツ、ブラジルのスーパースターの名前を知っています。西部劇の“ローン・レンジャー”やバスケットボール選手のウィルト・チェンバレン、モハメド・アリについても知っていて、いつも私にアメリカの生活はどういうものなのかを聞いてきました。アメリカに戻った時、私はアフリカの生活についていろいろと聞かれるだろうと思っていました。しかしすぐに、みんなが自分の日常生活に直接影響がないことに関心を持っていないことがわかりました。世界の生活様式や慣習、出来事などはどうでもいいことで、アフリカについて話すのはやめた方がいいのだとわかりました。アメリカの多くの人は、物的にはあひじょうに豊かです。しかし、他の世界に関する知識と理解に関しては、貧困なままです。用意周到に組み立てた狭い壁のなかに安住し、自分から進んで無知でありつづけることに満足しているように思えます」

このあたりを読んで、私はあることに気がつきました。それは、もしかしたら、保育者の資質とは、伝統社会人と同じ資質を持った人かもしれないということです。それは、子育てこそが伝統的社会から学ぶべきことだからです。それは、人類の進化の中から生存のために遺伝子でつないできたものだからです。

ジャレド氏は、こう言っています。「行動的には現代人と変わらないホモ・サピエンスは、6万年から10万年前に誕生した。“昨日までの世界”は、その歴史の大半の時代であり、そのホモ・サピエンスの遺伝的性質、文化、行動を形づくった時代である。考古学的発見から推測できるように、生活様式や技術的な変化の歩みは、およそ1万1000年前に肥沃三日月地帯で誕生した農耕の発生を受けて加速するまで、非常にゆっくりとしていた。最初に国家政府が誕生したのも、およそ5400年前の肥沃三日月地帯であった。つまり、今日のわれわれすべての祖先は1万1000年前まで、“昨日までの世界”で生活し、多くの祖先もごく最近までそうした生活を送っていたということである。」

現代社会

私は、10年余りドイツの保育施設を訪れています。それは、ドイツから学ぶことが多いからですが、それは、必ずしもドイツの方がいいからということではなく、ドイツの保育を見ることによって、日本の保育がよく見えてくるからです。日本では、当然と思っていることが、海外から見ると特殊であったり、逆にドイツでは当たり前かのようにしていることが、日本ではあまり見られなかったり、両国を比較することで見えてきます。ジャレド氏ら人類学者も、伝統的社会を見ることによって、アメリカの特殊性が見えてきたようです。昨日までの感想に加えて、こんなことに気がついたようです。

「アメリカ人の子どもはニューギニア人の子どもに比べて、創造性がありません。すべてができあいだからです。ニューギニアでは、もし飛行機のおもちゃが欲しいと思ったら、材木や棒切れを使って自分でつくります。それを急降下させたり、騒音を立てたりして遊ぶんです。僕たち兄弟は飛行機を手づくりして、細部にもこだわったフライトごっこをしていました。でも、アメリカ人の子どもは出来合いの飛行機を買ってくるだけで、細部にこだわったフライトごっこなんてやりません」「アフリカではなんでも共有します。たとえば、私が学校に通っていた時、赤いタイヤやチューブを入手したことがありました。ゴムはパチンコを作るために貴重です。その貴重なチューブを他の子どもたちにも分けて、パチンコを作っていました。でも、アメリカでは、何か貴重なものを手に入れたら独り占めにします。それに、アメリカではだれもタイヤチューブで遊ぶ方法を知りません。」

「ニューギニアからアメリカに引っ越して、最も慣れなかったことは、自由がないということでした。ニューギニアの子どもは夫自由です。アメリカでは、私は木登りを禁止されましたが、ニューギニアにいたときにはいつも木に登っていましたし、今でも木登りは大好きです。私たち兄弟がカリフォルニアの今の自宅に引っ越した時、最初にしたのは木登りと、その木にツリーハウスを作ることでした。他の家からは、変わっていると思われました。アメリカでは、訴訟を避けるために規則や規制がたくさんあるので、子どもが冒険をする機会がありません。プールにはフェンスがめぐらされていて、“誘発的危険物”ではありません。ニューギニア人のほとんどはプールなんで持っていませんが、よくいく川にだって、“飛び込みは自己責任で”なんて看板はありませんでした。当然です。自分で結果を引き受けられないなら、どうして飛び込んだりするのでしょうか?アメリカでは、責任がその個人から引き離されて、土地所有者やビルの建設業者に移転されています。アメリカ人の大半は、自分を責めるのではなく、できるだけ他人を責めたいと考えているんです。ニューギニアでは、危険は付き物と考えて、創造的に遊んだり、外や自然のなかで自由に探検をしたりして育ちました。どれほどしっかりと管理されていようとも、リスクはあるのです。こうした遊び方は、リスクを避けようとする平均的なアメリカ人の子どもにはないでしょう。私は、ひじょうに恵まれた教育を受けましたが、アメリカ人にとっては想像を絶するものでしょう。」

「アメリカでのフラストレーションは、働かなくてはいけないというプレッシャーがいつもあることです。午後、ゆったり座ってコーヒーを楽しもうものなら、お金を稼ぐ機会を無駄にしている罪悪感を覚えずにはいられません。ですが、もしコーヒーを楽しむ代わりにお金を稼ぐような人だったとしても、余分に稼いだお金を貯めておくわけではありません。稼いだ以上に贅沢な暮らしをしてしまうので、もっと働き続けるはめになります。アメリカ人は、仕事と遊び、あるいは仕事と休養のバランスをとる能力をほとんど失っています。ニューギニアでは、店は日中に閉まり、夕方近くにまた再開します。これはアメリカ的価値観の対極です。」

これらの感想は、もう少し続きますが、私は、非常にこの内容に興味を持ちます。まさに、子どものおかれている環境の問題点や課題を的確に言い当てているからです。したがって、もう少し続きます。

伝統的社会に見出す価値

ジャレド氏の考え方を、最近の著作や講演の中から学んできましたが、彼が、最後にまとめとして、確認しておきたいことを話しています。「私はなにも、伝統社会のすべてを称賛するつもりはない。近代社会のほうが優れていることは数多くある。医療が発達して感染症で死ぬことが減り、栄養が行き届いて長寿にもなった。人間同士の暴力も減っている。だが、伝統社会の方が良いこともある。それが、“子どもの自立心”や“高齢者の尊厳”という問題だ。わずか5万年前まで、人間はほかの動物とさほど違わない存在だった。人間のDNAの99%はチンパンジーと同じ。人間の変化は、ほんの最近だ。人間は極めて短い時間で、地球の使い方さえも変えてしまった。」

彼は、今の生活や考え方を、小規模血縁社会や狩猟採集社会などの伝統的社会を観察する中で見直してきました。それは、必ずしも伝統程生活を美化するものではないと言います。現代社会には大きな利点があるというのです。したがって、彼らは、現代社会の仲間入りをしようとしているのです。それは、生活を楽で快適にする文明の利器や、学校教育や雇用の機会、保健状態や効果のある医薬品、医師、病院、身の安全、暴力の減少、他の人々や環境から受ける危険の減少、食糧の確保、長寿、子どもの死亡率の減少、といったものです。

逆に、伝統的社会に見出す価値をあげています。その中で最も指摘される重要なものは、一生涯続く社会的結合だと言います。彼らの社会では、孤独を感じることがないのです。親の転勤で子ども時代をニューギニアやフィリピン、ケニアで、過ごした人がアメリカに帰ってきた人の体験からこんなことを比較しています。その内容は、ずっと、日本やアメリカで過ごした人にはなかなか気がつかない指摘です。

「アメリカ人の男の子たちはマッチョで、マッチョな話をして、他の子たちを殴ります。気立てのいい子どもはアメリカではうまくやっていけません」「違いで印象的なのは、アメリカの子どもたちが家に帰ると、ドアを閉めて、テレビゲームをしていることでした。家を出るのは学校に行くためだけです。ニューギニアでは、子どもたちはいつも外で、他の子どもたちと遊んでいました」「アフリカの子どもたちは、いつも誰かと一緒にいます。子どもたちが家にいるのは眠るときだけでした。誰の家に入ってもよかったですし、どこでも歓迎してくれるとわかっていました。でも、アメリカの子どもが他の子どもと一緒にいることはあまりありません。私が育った時代はテレビしかありませんでしたが、最近ではテレビゲームのおかげで、自宅に子ども一人で過ごすという問題が悪化しています」「フィリピンの子どもは、どの大人でも“おばさん”“おじさん”と呼び、村のどの家でも出入りします。夕飯時になると、たまたまその時間にいた家で、他の子どもたちと一緒にご飯を食べていました」「アメリカ人の子どもたちは、ニューギニア人の子どもたちよりも社交性がありません。ニューギニアにいたころ、私はにこにこして通りがかる人たちに挨拶をして、会話をしていました。でも、アメリカ人の子どもたちは通りすがりの知り合いにも他人にも挨拶はしませんし、もちろん、会話もしません。私が笑顔で挨拶をすればそれには応えてくれますが、自分から挨拶をしようとすることはありません」「アメリカ人はもてなしを受け身で楽しみますが、自分で楽しむ方法を知りません」「アフリカでは、何か必要なものがあったら、自分でつくります。そうすれば構造もからくりもわかります。アメリカでは、必要なものは全部買ってしまいます。だから構造がわからないんです」

まだまだ続きます。一つ一つの感想が、私たちがすべきことを物語っている気がします。

自然保護

私の園の後ろには「おとめやま公園」があります。そこは、谷戸と呼ばれていた地形を残し、その復元に公園の拡張工事を行っています。この場所は、以前紹介しましたが、徳川の狩り場であり、一般の人の出入りを禁止したために、「御留山」と呼ばれ、それが「おとめやま」となったのです。その後この地は荒廃しますが、もともと徳川が人の出入りを規制したために自然が残ったということもあるでしょう。

また、新緑の頃、職員で「ブラヘイジ」ということで高尾山に行きました。ここはミシュランにも登録され、多くの人でにぎわっていますが、都内から近くにありながら自然が豊かに残されています。この地に自然が残されたのも、ここが徳川の御料として、一般の人の出入りを禁止したためです。

このように都会に多くの自然が残されているのは、大名屋敷であったり、大名の庭であったり、明治以後も貴族の庭園であったりと、ある意味で贅沢であったものが結果的に自然を残すことになった場所が多くあります。しかし、それだけでなく、江戸時代は、徳川政権が長く続くための様々な取り組みが、自然の保全のためにも行われていたようです。

ジャレド氏が、来日した時の講演で、最近、「持続可能な社会」ということが叫ばれていますが、「具体的にはどうすればいいのでしょうか?」ということでこんな話をしました。「1600年代の、徳川将軍の江戸時代です。このときの日本は鎖国政策をしていて、自給自足の生活を営み、木材は輸入していませんでした。しかし、城を作るためには多くの材木の消費をしましたし、家は木造だったので江戸では火事が多く、焼失した家の再建にはさらにたくさんの材木を消費しました。近場の森林が伐採されつくした後、徳川の将軍たちは、城や町を作りつづるけるために本州をさらに北上して森林を伐採しなければならなかったのです。

 しかしそれは問題だとわかり、彼らは持続可能性のあるやり方で対応したのです。彼らは、2つのやり方で木の消費量を減らしました。まず、ある種類の木はある目的のために使うものだと決めました。さらに、科学的な森林学の専門知識を使って、森林の再生もしました。1600年から1700年の日本の森林について書かれた書物を読んだ方はいらっしゃいますか? 森林伐採の詳細な手引きについて書かれた書物があるのです。例えば、幹の太さが何センチだったならば何年物の木だから伐採してもよいと書かれています。そうして森林の再生をして、1855年になって鎖国をやめた後には材木も輸入をするようになったのです。」

私も、最近考えていることがあります。それは、地球の自然を使うときに、それを使ったつくられた製品に、その自然が再生するまでの期間と同じくらいの耐久年数がなければ、自然は次第に減っていってしまいます。ですから、木を使って何かを作るときには、その製品を、材料として使われた木の種類が再生する期間使わないといけないと思います。例えば、家を作るときには、柱とか梁に使用する木材は、その木が再生するあいだ使っていなければいけないのです。また、1年ごとに張り替える障子とか、1年ごとに作り替える畳などの材料は、1年生の植物を使うべきなのです。日本人は、こうして自然と共生し、維持してきた気がします。それが、西洋化することによって、再生しない鉱物などを使うようになったのです。

ジャレド氏によれば、現在は、森林だけでなく、アラスカはサーモンなども、ちゃんと持続可能性がある形で管理しているといいます。しかし、寿司ネタとしてよく使われるクロマグロは、その資源量は下がっています。江戸時代の森林のようにうまく管理されていないからです。10年後、クロマグロが寿司で食べられなくなる可能性はあり得ます。「徳川将軍の森林管理の仕方を継承するかどうかは、われわれの選択です。」と警鐘を鳴らしています。

高齢化社会

 ジャレド氏の講演では、育児だけでなく、非常に面白い内容がいくつかあります。その中の一つに、「高齢者」の話があります。日本では、儒教の「孝」という考え方の影響もあり、高齢者を尊ぶという価値観があります。たぶん、多くの人に高齢者に対して軽く見るかということを聞くと、多くの人は高齢者を大事にすると答えるでしょう。しかし、ジャレド氏は、こんな調査結果を話しています。

 「ボストン大学の社会学者が、雇用主に履歴書を送り、その対応を比較する実験を行っています。すべての履歴書は偽名で、1つの点以外はほとんど同じ内容を送りました。その1つ違う点とは、年齢でした。半分は25歳から40歳、もう1つは40歳から60歳の年齢を書いたのです。調査の結果わかったのは、25歳から40歳の人に会社側から面接に来てほしいと連絡が来た割合は、45歳から60歳の人の2倍以上だったということです。」

 確かに、もし私たちの職場の採用に高齢者が応募してきたときに、採用をためらうでしょう。その一つには処遇のことが日本ではあります。これは、年功序列のため、高齢者には高賃金を払わなければならないと思うからです。しかし、この調査をしたアメリカはどうかわかりませんが、ドイツなどでは、賃金は年齢が上がるごとに上がっていくということはありません。また、アメリカなどでは、よく成果主義だと言われているので高齢者だからといって給料は高いとは限らないと思いますが、それでも採用をためらうようです。
 しかし、逆にこの成果主義の観点から、若者は高齢者に比べて人生経験が豊かではないにもかかわらず、若者の方が長く生きられるために、社会にとって価値がより高いと思われているからです。しかし、高齢化を迎え、高齢者の価値をもう一度見直すべきだとジャレド氏は提案します。そのためにアメリカにおける「高齢者の生活を改善する方法」の提案は以下のようなものをあげています。

 「高齢者の1つの価値として、子どもの世話をハイクオリティで提供できることです。いまや女性が仕事に出ていて、若い人はなかなか子育てに専念できなくなっています。もちろん、アメリカではお金を払ってベビーシッターに頼んだり、日中に子どもの面倒を見てもらえる保育施設を使うこともできるのですが、祖父母の方がより良い子守をしてくれます。祖父母は、孫を愛しているため、やる気に満ちていて、子育ての経験も豊富です。孫と一緒に過ごしたいと思っているし、ビジネスではないですから、「割のいい仕事が見つかったから、ベビーシッターは辞めます」と宣言されることもありません。ただし、祖父母が孫のベビーシッターをするのが、難しい局面も出てきています。最近、若者が子どもを持つ年齢が上がっているので、孫が生まれるときには70代や80代になっていて、体力的に孫を見るのはきつい状況になってきています。」

 高齢者の価値の2つ目として挙げているのは、「世界情勢が変化して技術が発展したことで、高齢者の価値が失われてきた状況に関係しています。実は、このような状況は、社会における高齢者の価値を上げている場合もあるのです。なぜなら、社会が急激に変化しているがゆえに、社会に稀にしか起こらないけれども、また起こる可能性のある状況というものを、高齢者が経験しているからです。」

 そのほかに、高齢者の方が優れている点をいくつか挙げています。「監督する、管理する、アドバイスする、戦略策定する、教える、統合的に物事を見る」などです。これからますます加速する高齢化社会に向けて考えなければならないことです。

高齢者の役割

 私が、人類学的、民俗学的に育児を探ろうというのは、少なからずジャレド氏と似ている発想があります。500年ほど前に、ヨーロッパ人が世界中に進出していきました。それまでは、すべての大陸の大部分に存在していたのは、部族社会です。その社会では、どうすれば人間社会を運営していけるのかという、ある意味での自然実験を何千回も行ってきた結果、非常に多様性が高い社会運営のノウハウが実践されているのです。したがって、そこから学べることは多いと彼は考えています。

 ブログでもその辺のことは説明しましたが、彼は、講演の中では、こう言っています。「例えば、いまの日本において“子どもの自由がどこまで許されるべきか”を考えてみましょう。そのときに、“自由が少ない、もっと放任するべきだ”と考えていたとします。しかし、ここで日本人たちを自然実験の中に置くことはできません。例えば、47都道府県の中で実験をするとして――火やナイフを与えてもいい16県を選び、別の16県はちゃんと親に従わなければいけない厳しい県にして、それ以外は現状のままと決めて、3つの集団に日本を分けたとします。そして、子どもたちを実験対象にしたとしましょう。そうすれば40年後には、対象の子どもたちが大人になり、その比較から自由を少なくした方がいいのか、与えた方がいいのか、いまの程度でよかったか、という質問に答えることができるかと思います。でも、残念ながらこのような実験はできないのです。」

 これは、私たちが行っている保育についても同じことが言えます。子どもに対して実験をすることはできないのです。そんな時に、伝統的社会を観察してみると、自由な環境で子育てがされている社会や、そうでもない社会というのが、事例としてたくさんあるのです。伝統的社会の実践は、いまの日本やアメリカの社会よりも多様性があるのです。そこから学べる可能性はあるし、実用性も高いのです。そして、われわれがいま心配しているさまざまなことについて伝統的社会から学べるはずだとジャレド氏は言います。

 彼は、育児についてはいろいろと語ってきましたが、高齢者との関係からも育児を考えています。よく私も話しますが、生き物にとって、生殖機能がなくなったものの存在は遺伝子を残すという意味からすれば必要ありません。そこで、社会によっては、高齢者を遺棄する社会が存在します。しかしそうしない社会では、その理由として2つあると言います。その1つ目は、高齢者を有益だと見ているかどうかです。ジャレド氏は、高齢者は伝統的社会においても、現代社会においても、有用な役割を担い続けていると思っています。それが、高齢者ケアの究極的な理由なのです。その役割を、彼は、「食料の獲得があり、孫の子守というのも古くから続くことです。高齢者が孫の子守をしてくれれば、子ども夫婦は育児の心配をすることなく、子どものために狩猟採集に出掛けることができるのです。そのために、子どもにとってはアロペアレンティングが大切になるのです。
 それから、高齢者は物作りの価値も提供できます。熟練の技術で、道具や武器、壺や織物などを作ってあげることもできます。伝統的社会では一般に指導者は高齢者で、一番知識があります。宗教、医療、政治、歌、舞踊についてもよく知っていて、「部族のお年寄り」という言葉が、部族の指導者を意味する言葉になっているほどです。」

もう一つの役割は、文字のある社会に住む私たちには思いもつかない役割です。何かを調べるとき、いまでは本やインターネットを使いますが、文字体系のない伝統社会では、高齢者が生き字引になるのです。彼らは、情報源なのです。高齢者の知識が社会全体の存続の決め手となる場合さえあります。稀にしか起きない危機のとき、過去に同じ経験をしているのが高齢者のみという状況があるのです。」

このように高齢者を考えてみると、少子高齢化社会での対応のヒントになりますね。

昨日と今日

私は、日本の保育を見直すために、まず、はじめにしたことは西洋における先行事例にとらわれず、人類が長い進化の中で、どのように遺伝子を残してきたのかから育児を振り返ることでした。その育児法は、その時代の環境に影響を受け、その時代の要請を受け、修正されてきました。その修正は、気候や周囲の環境によって行われてきたのでしょうが、それは時代だけでなく、その地域によって独特な方法が行われてきました。その中で、不易と流行を見極め、長い人類の歴史のなかで変わらない共通点をまず見出すことから始めました。

 それは、人類の歴史を振り返ってみるだけでなく、ジャレド氏によって、世界のなかで伝統的社会を形成している民族で行われている育児法を観察し、そこから考察することを知りました。すると、そこで行われている育児は、古代から人類が行ってきた育児と共通なものが多くあることがわかったのです。その点について、ジャレド氏はこう言っています。「現代的行動を共有する人類には10万年近い歴史があり、狩猟採集民の生活習慣は少なくとも、その歴史に耐え抜いた生活習慣なのである。世界のいくつかの地域で農耕が見られるようになる1万1000年より前の時代では、世界中、だれもが狩猟採集民だった。これほどの長きにわたって継続されてきた実験である。そして、その実験結果には、真摯に受け止め、検討する価値がある。」

世界的ベストセラー「銃・病原菌・鉄」でピュリッツアー賞を受けた進化生物学者ジャレド・ダイアモンド氏が書いた「昨日までの世界」のなかの「子育て」について読み進めてきましたが、彼は、この著作のなかで、伝統的な小規模部族社会と、われわれが住んでいる大きな現代社会をあらゆる側面で比較しています。この本の子育ての関する章の他の章では、高齢者、健康と病気、危機とそれに対する反応、紛争解決、戦争、宗教、多くの言語を話すことなどについて比較しています。

その彼が、今年の2月11日、3回目の来日で、「昨日までの世界」の内容をふまえ、日本科学未来館で講演を行いました。その講演では、これからの時代、我々がどうすべきかを部族社会をヒントにして語りました。著作の中でもその手法で子育てについて語りました。その時に比較する私たちの社会について、講演のなかではこう語っています。「大きな先進工業国家に住んでいます。決まった場所に定住し、中央集権の国家が決定を行い、国民は読み書きができ、本やインターネットから情報を取る――そんな社会に住んでいるわけです。このような社会では、ほとんどの人たちが60歳以上まで生きていて、食べ物は自分たちが作らず、他人が作った物を食べて生きていると思います。」

 しかし、忘れてはいけないこととして次のことを挙げています。「こうしたさまざまな習慣は、600万年にもおよぶ人類の歴史の長い進化の中では、ごく最近に起こったものです。先に上げた色々な習慣は、1万1,000年前には、世界のどこにも存在しませんでした。その中のいくつかは――例えばインターネットの登場や、ほとんどの人たちが60歳以上まで生きている状況など――わずか100年、もしくは10年から20年の間に起こった大きな動きです。つまり、われわれの先祖は伝統的な部族集団の中でずっと生きてきたのであり、人類の進化という時間軸を考えれば、ほとんど昨日までそういう暮らしをしてきたとも言えると思うのです。」

彼が取り上げる伝統的社会は、人類の進化から見ると、ほんの「昨日までの世界」のことなのです。