社会4

 私は、保育を考えるうえで、様々なアプローチから検証することにしています。そのアプローチは、時として難しく、直接保育に結びつくかはわからないときがありますが、それを試みよとするのは、純粋に興味が湧いてくるからで、自分の中では何となく考えていることと結びつく部分があり、納得してしまうことも多くあります。研究者たちも、社会間の相違を理解しようと、様々なアプローチを使っています。しかし、それらのアプローチは、一部の社会間で見られる一部の違いを理解する際には役に立つのですが、その他の現象にまで用いるのは適切とは言えないとジャレド氏は語っています。

 今まで考察してきたのは、進化論的アプローチと呼ばれているものです。このアプローチから社会の形態を見たときには、人口規模や人口密度が異なる社会では差を描き出すことができるほか、人口規模や人口密度が似た社会同士でも共通する様々な特徴を描き出すことができます。そして、社会の拡大や縮小に伴って現れる変化を推論し、ときに直接観察することができると言われています。そして、この進化論的アプローチに関連するものとして、適応主義的アプローチというべき手法があるようです。それは、社会の特徴の一部には適応性があり、その社会特有の物質的条件や物理的・社会的環境、人口規模や人口密度のもとにおかれた時に、その社会がより効率よく機能できるような変化するという考え方だそうです。この適応主義的アプローチでは、社会にはそれぞれ独自の歴史があり、おのおのがユニークな存在だと考えます。そして文化的信条や習慣は、環境条件に左右されない、かなり独立した変数だとみなします。

 社会間の違いを理解するためのアプローチには、もう一つあるそうです。それは、ある地域で広く普及している文化的信条や習慣の中から、局地的な条件とは明らかに関係ないにもかかわらず、歴史的にその地域で広まったものを見極める方法だそうです。このアプローチの例としてジャレド氏は次のようなことを挙げています。ヨーロッパではほぼどこでも一神教と非声調言語が普及しているのに対し、中国や隣接する東南アジア地域では多神教と声調言語が多いということです。私は、声調言語のことはよくわかりませんが、確かになぜ、日本を含めて中国や東南アジアの環境では一神教が本質的になじまなかったという点は疑問に感じます。

宗教や言語、その他の信条や習慣は、次にあげる二つのいずれかの方法で広まったと思われています。ひとつは、人々が自らの文化をたずさえて各地に進出する方法です。南北アメリカやオーストラリアに移住したヨーロッパ人が、ヨーロッパ言語やヨーロッパ風社会を現地で構築したことがいい例だと言います。もう一つは、人々が他の文化の信条や習慣を取り入れる方法です。たとえば、現代の日本人は西洋風の衣服を取り入れ、現代のアメリカ人は寿司を食べる習慣を取り入れたが、これは西洋の移住者が日本を乗っ取ったわけでも、日本の移住者がアメリカを乗っ取ったわけでもないのだとジャレド氏は言います。このことから、最初に書いたニューギニアの進化が少しわかります。その進化は、環境に適応していったわけでもなく、また、その地を他国が占領し、その国の文化に強引に変えさせたわけでもないのです。しかし、その変わってきた文化を考察してみても、伝統的文化に関する知識を獲得することはできません。そこで、ジャレド氏は、四つのカテゴリーに分類した情報源から得ることを試みています。

社会4” への6件のコメント

  1. 私たち保育に携わる者が今回のブログで取り上げられているような社会論について知る必要があると私は思っています。なぜなら、子どもの成長発達及び子どもの不易を保障しようとするならば、時代による社会の変化、地域による社会の特性、ということを度外視することはできないと考えるからです。せめて運営管理や児童処遇を管轄する施設長は、厭わずに、社会論について敏感になるべきでしょう。西洋の一神教と東洋の多神教については当ブログでも時折言及されてきたことですが、今回のブログにはジャレド氏の論証の一部として「非声調言語」と「声調言語」という対比を出されています。インドの古い言葉にサンスクリット語という言語がありますが、これは「非声調言語」です。サンスクリット語を用いる民族あるいは現代欧州人が用いている言語は総称して印欧語族として括られます。一方中国語やチベット語、タイ語、ビルマ語他は「声調言語」で、俗に「四声」のむずかしさが強調されますね。どうしてこうした違いが生まれてきたのか、興味関心はつきませんね。我々が使っている「日本語」とうい言語は東アジアにありながらも「声調言語」ではないような気がします。音節をどこに置くか、など微妙な問題がありますがまるでヨーロッパ諸語に似ている不思議を感じます。今後紹介されるだろう「ジャレド氏の四つのカテゴリー」は注意してみていきたいと思います。

  2. 社会間の違いを理解するためのアプローチが、こんな多く存在することに驚きを感じています。保育でも「〇〇アプローチ」という言葉が多く聞かれますが、保育を理解するために、様々な視点から考察・検証・実践しているということでもあるのですね。社会には、その場の環境で「より効率よく機能できるような変化」をする面もあり、「文化的信条や習慣は、環境条件に左右されない、かなり独立した変数」という環境に染まらない一面もあるということでしょうか。その微妙な環境と社会との駆け引きというか、バランスとかいったものの奥深さを理解しようとしても一筋縄ではいきませんね。ニューギニアの進化過程において、現地人の意図する要素がどこまで入っていたのか、また、外界からの占領でない、どのような影響があったのか、今後も読み進めていきたいと思います。

  3. またまた自分にとっては難解な内容になってきました。この難解な内容を考え続けていくうちに自分自身の中で保育につながっていけばいいのですが。一見関係なさそうに思えることでも、ずっと考えているうちにあっ!と何かがつながったように感じることがあります。そうしたものを自分自身でつかみ、そして積み重ねていくことができればいいんでしょうが、それにしてもここのところの内容は難解です。進化論的アプローチや適応主義的アプローチなどを活用することで社会の変化をどう読み取っていくかですが、社会の違いが保育や教育の違いにも表れていると思うので、どのように社会が形作られていったかという中には保育を考えるヒントがたくさんあるんでしょう。考えることをやめてはいけないということです。

  4. 難しい内容です。なかなか自分の中でイメージができていません。様々なアプローチから検証していくという、視野を広げるというようなことの大切さを教えていただいています。視野を広げるというのはおもしろいことですね。また、それが保育というものに繋がっていくのが、保育のおもしろさであり、奥の深さなのかもしれません。誰にでもきっとある視野を広げたいという願望のようなものが、仕事に繋がっていくというのは幸せなことなのかもしれません。一神教が日本に馴染まなかったというのは私も気になります。一神教を否定するつもりはありませんが、それを持たない日本人などは良い意味で柔軟に様々なことを受け入れることができるのかなと思ったりもします。その姿勢が日本を作り上げていったのですかね。と、話がそれてしまいました。伝統的社会について、そう簡単に理解できるものではないと思いますが、何か少しでも学びが得られるようにアンテナを張りながらブログを拝読させていただきます。

  5. ブログの内容からこれは保育には全く関係ないかな?と思っていた内容でも、藤森先生の解説や考えを聞くと結局は保育にとても繋がるっていることが多くあります。確かに今回の内容は難しいですが、様々な地域で宗教、言語、などが広がっていきます。今日の日本でも独自の文化もあれば、海外の文化も入り混じっているのが現実です。ただ日本の場合は戦争が大きく影響しているのではにかと思います。あとは、もっと遡ると戦国時代でヨーロッパの文化や宗教を取り入れていました。そういう歴史を聞くと日本は海外の文化を受け入れるだけの技量というか興味関心があったと思います。ジャレド氏が4つのカテゴリーに分類した情報源がとても気になります。

  6. 人の歴史や進化を考えていくうえで、ブログに出てきたようなアプローチの方法は当然出てくるでしょうね。進化論的アプローチと適応主義的アプローチ、どちらも人間の進化においてなされているような気がします。その中で廃れてきた文化も多いことでしょう。こういった取捨選択を行いながら、人間の叡智は磨かれてきたのだと思ます。しかし、ヨーロッパなどは一神教で非声調言語であって、日本や中国などのアジア圏は多神教であって声調言語があるというのはとても特徴的なものだと思います。その大昔にあった選択や進化が今日の思想にも影響があるというのはとても面白いことです。そう考えると変わるものと変わらないものは太古の昔から脈々と紡がれているというのを感じます。進化論のブログをよんでいるととても自分という存在が不思議に思えてきます。

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