ベビーカー

 私は、日本における三大スキンシップというものも「おんぶと抱っこと添い寝」だったと思っています。しかし、この三つが、育児の西洋化によって少なくなっています。赤ちゃんはベビーカーに乗り、ベビーベッドで、一人で寝ることが多くなりました。それに対して人類はどういう子育てをしてきたのでしょうか。

 ジャレド氏が伝統的社会を調査した結果、たとえばクン族の赤ん坊は、生後1年間の90%を、母親やその他の介護者とのスキンシップに費やしているそうです。クン族の母親は、どこに行くにも子どもを抱いています。母親が抱けない間は、誰か他の大人が子どもを抱っこします。ここで、面白いのですが、当然赤ちゃんは母親と長くいるであろうと思っていたのですが、実際は、クン族の子どもが母親以外の介護者と接する時間の方が、現代の西洋社会の乳幼児と、母親を含む大人とのスキンシップ時間よりも長いそうです。そして、生後1歳半ほどになると、頻繁に母親のもとを離れるようになりますが、それは、他の子どもと遊びたいがための行動であって、親離れのタイミングも、子どもが主導権を握り、自然に決まることが多いようです。

 また、ベビーカーは、西洋社会で乳幼児を一緒に連れて移動する際に、もっとも一般的に使われる道具の一つですが、ベビーカーでは、押し手の大人と乳幼児のスキン司プはほとんどないに等しいとジャレド氏も指摘します。「特に、ベビーカーによっては、乳幼児はあお向けの水平に近い姿勢で乗せられるときには、押し手の大人に顔が向くように、進行方向とは逆の方向に顔を向けて寝かされる。つまり、乳幼児の視界が押し手の視界と逆向きになっていて、ふたりが同じ世界を同時に見ないのである。もちろん、アメリカ社会においても、ここ数十年来、乳幼児を座った姿勢で支えられる、ベビーキャリアやおんぶひも、ウェストポーチ型の抱っこひもといった、一緒に抱いて歩行できる道具が一般的になって来ている。しかし、これらにしても、その多くが、乳幼児と介護者の顔が向き合うように設計されているのである。顔の向きがこれとは対照的であるのが、伝統的に実践されてきた、ベビースリングやおんぶといった方法による移動である。この方法ではふつう、介護者が乳幼児を座ったままの姿勢でまっすぐ抱き上げ、視界を進行方向にむかせ、乳幼児と介護者の視界が同じになるようにして移動する。」

 この指摘も、私がよく主張することで、授乳中は母子が赤ちゃんと向き合い、そのほかの時には「共視」とか「共同注視」というように大人と同じものを見るという経験がいいのではないか、それを可能にしたのがおんぶだったのではないかと思っています。赤ちゃんは遊んでいるときにも、養育者が自分をいつも見ていてくれているという安心感というよりも、自分と同じものを見ていてくれているかという安心感を求めている気がしています。ですから、定期的に振り返って確かめるのは、自分が遊んでいるものを一緒に見てくれているかだと思うのです。それは、自分を見張られているという感覚ではなく、そのものに感動した時、そのものに驚いた時に共感を求めるからだと思います。

 保育中に、赤ちゃんが一人で何かで遊んでいて、振り向いた時、「大丈夫、ここで見てあげているよ!」と声をかけるよりも、「ほんと、それ面白いね!」とか「不思議だね」というように子どもが遊んでいる対象物に視線を向け、その気持ちに共感してあげる方がいいと思います。

ベビーカー” への6件のコメント

  1. 子どもの自発性に寄り添う形での親離れが自然ですね。何歳だからまだ一緒にや何歳だから親離れをという目安のようなものもあれば確かに安心ですが、子ども自身の様子を見て、気持ちを分かってあげられるといいのかなと思いました。確かに進行方向とは逆を向いているものを見かけます。一見、母親の方を向いていた方が安心するからいいと思えるのかもしれませんが、「共感」ということがキーワードになると違和感がありますね。私自身、あまり人に共感といいますか、納得といいますか、をしてもらうことが多くないので(私が変わっているので仕方ないのですが)共感してもらえる嬉しさはよく分かります。共感は本当に嬉しいです。自分自身を認められとような感覚で、自分に自信を持つこともできそうで、肯定感にもつながっていきそうです。子ども達と関わる際にも大切にしておきたい感覚です。明日から、実践していけることを学びました。

  2. ベビーカー、園の駐車スペースに毎日20台くらいは停まっているでしょうか、今度よく数えてみたいと思います。私のご近所さんは、朝、保育園に行くのに、ベビーカーを利用しています。そしてそのベビーカーにのっている子はしっかりと歩けるようになっているのですが、なんと、朝は忙しいため、歩けるようになっていてもその子を乗せて、大急ぎで園に向かうのです。乗っている子も楽ちんなのでしょうかね、ただ乗って園まで運ばれます。お母さんは早足でベビーカーを押して園に急ぎます。こうしたベビーカーの使い方もあるのだなと感心する一方、ゆっくりでもいいから歩いていければいいのに・・・と自分勝手な思いに浸ります。わが子も一時期ベビーカーに乗せたことがありましたが、田舎のことゆえ、移動はほぼ自動車でベビーカーよりベビーシートに気を遣いました。そのせいか、車での長時間移動もわが子は小さいころから苦にしません。やはり、「共同注視」は大事だと思います。わが子も家にいるときは誰かしらおんぶしていました。そして私自身もおんぶしてもらいあちこち連れて行ってもらいました。特に、汽車の停車場へ祖父に連れて行ってもらったおかげで、電車の旅大好き、駅大好き、そして汽車電車自体に大変興味を抱くようになりました。まぁ、私の場合、祖父との共同注視というより自分の観たいところ見たいものに大人を誘導して自分でじっくりと観ていたのかもしれません。しかも、自分の身長よりはるかに高い位置から観れるわけですから。赤ちゃんなのに身長150センチくらいの人の視線でモノが見られていたのでしょう。おんぶの効用は計り知れませんね。

  3. 「自分をいつも見ていてくれているという安心感というよりも、自分と同じものを見ていてくれているかという安心感を求めている気がしています。」という言葉を聞いて、頭をよぎったのが“過保護”についてです。そういった保護者はきっと、子どもばかりを見て、その子の視線の先である、何に興味関心を持っているのかという所が見えていなことで、起こる現象でないかと感じました。定期的に赤ちゃんが振り返るのも、自分を見ているかという確認ではなく、自分が行こうとしている先を共に見ていてくれているかの確認である方が、“指差し”や“みてみて行為”等へのつながりが見えてきます。新たな学びを頂きました。

  4. ベビーカーの向きは親側がいいとか反対側がいいとか、いろんなことが言われているのを聞いて、子育てに関してアレがいいとかコレがいいと言われているものも結構いい加減というか、はっきりしていないことが多いんだなあと思ったことを思い出しました。たくさんの商品が絡んでいることに関しては情報がたくさんあるのに、たいしてそれが絡んでいないことに関しては情報があまり出てこないのも困ったところです。おんぶのよさ、共に同じ方向を見ることのよさや重要性について、もっとメーカーが頑張ってアピールすればいいのにと思ってしまいます。でもそれは別として、保育園の現場はよさをきちんと認識し、実践し、それを発信していく必要があることに変わりはないのですが。

  5.  クン族の子育ては、とても理想に感じます。親離れのタイミングが子ども自身で決めるという事がとても重要です。そして、ここでも重要なのは赤ちゃんが他の赤ちゃんと一緒に遊びたいと思うことができる、やはり集団が重要になってきます。おそらくクン族にはベビーカーのような物はないため、親が赤ちゃんをおんぶや抱っこをして移動したりすると思います。映像でよく見る民族の光景はおんぶが多いような気がします。もちろん作業をしやすいのもあると思いますが、おんぶをすることで共同注視をし、赤ちゃんは親と同じものを見ることで安心感を得る、おそらく、これも赤ちゃんが子離れをする要因の一つのように思います。保育現場でも赤ちゃんは何度も振り返る事がありますが、それは安心感を求めているよりも、一緒に不思議がって楽しみたいという合図なのかもしれませんね。

  6. 子どもが主導権をもっているというのがいいですね。そして、それだけ子どもたちは自分でできる能力を持っているということですね。また、クン族の子どもたちが親離れで他の子どもと遊びたいがために親から離れていくというのは、まさに大人が「安心基地」になっているからこそ、子どもたちの行動が外に向いていくということなんでしょうね。また、そこには「共感」「共同注視」というものが重要になっているということがよく分かります。「養育者が自分をいつも見ていてくれているという安心感というよりも、自分と同じものを見ていてくれているかという安心感を求めている」この二者の考え方はとても考えさせられます。これらは子どもの捉え方を顕著にあらわしているように思います。子どもを一人の人格として認めたとき、そのあり方は前者のように何もできないからこそ子どもを見るより、後者のようにその行動を認めたうえで見ているものを共感するという関わり方に変わってくるように私は思います。

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