アロペアレンティング

人類のそれぞれの年齢期のなかで、人類しかない期として「青春期」と「老年期」があると言われていますが、その中で「老年期」は、子どもの世話を両親が狩猟採集や農耕などの仕事に出かけて留守の時にするためにあるのではないかという説が有力です。それは、伝統的社会においても祖父母が子どもを見ることが多いようです。このように親以外に子どもを養育することを「アロペアレンティング」と言いますが、もし祖父母がいなかったりする場合は誰が子どもを見ていたのでしょうか。

そんな時には、おばやおじがアロペアレンティングに関与し、重要な役割をはたしている伝統的社会も多いとジャレド氏の調査では、たとえば、カラハリ砂漠のなかで暮らすバンツー系民族の社会において、少年にもっとも強い影響を与える成人男性は父親ではないそうです。それは、母方の伯父、すなわち母親の長兄なのです。他の狩猟採集社会には、兄弟姉妹が長じて成人し、子どもをもうけたあと、互いの子どもの世話をしあう慣習が多くでみられるようです。子ども同士のあいだでも、年長の兄姉が年下の弟妹の面倒をみます。この傾向は、とくに農耕民や牧畜民のあいだで顕著であり、とくに年上の姉たちは年下の弟妹の面倒をみます。

次の調査も、私が普段話している「共食」についてです。みんなで食事をする「共食」は人類の特徴あり、その中で赤ちゃんは他者理解をし、自己を確立していくと言われています。ジャレド氏によれば、南米ペルーのアマゾン地域で暮らす先住民ヨラ族の子どもの場合、食事をする回数の全体の半分は、自分の両親とではなく、自分の家族以外の家族と一緒に食事をしているそうです。日本でも私の子どもの頃は、一家団欒で食事をしていました。それがいつの間には母子だけの食事になり、しだいに孤食、個食になり始めています。

他にもアロペアレンティングの例があります。小規模社会のなかには、子どもひとりでの外出がしだいに長期間になり、しまいには、あの子は養子縁組をしたことにしよう、と結論づけるような社会もあるそうです。たとえば、アンダマン諸島人の社会では、9~10歳を過ぎた子どもが生みの親と同居している例はめずらしいといいます。たいていの場合、子どもは、その年ごろになると、近隣集団の家族と一緒に暮らしはじめます。そしてその時間がしだいに長くなり、その家庭にいつきはじめたころに、養子縁組の約束が交わされ、ふたつの近隣集団の友好関係の維持に一役買うことになるようです。

またアラスカのイヌピアト族の小規模社会では、養子縁組があたりまえのようにおこなわれているといいます。とくに先住民族イヌピアト族の集団内では盛んである。現代の工業化社会では、養子縁組はおもに養子と養父母の親子関係の絆が大事にされます。ごく最近までは、生物学的な両親と完全に絶縁するためと称し、生物学的な両親がどこのだれであるかさえ、明らかにされることがなかったといいます。イヌピアト族の社会における養子縁組は、現代の工業化社会のそれとは異なり、二組の親をつなぐ絆であると同時に、二組の集団をつなぐ絆としての役割もはたすのです。

この養子縁組は、日本でも最近まで、多く行われていました。それは、家系を絶やさないためということもあったようですが、子どものために親以外の他人に子育てを頼んだということもあったようです。偉人の伝記を読むと意外と養子に行ったという人が多いのに驚きます。

父母以外の養育者

ジャレド氏は、とても興味のあるところに注目しています。それは、父母以外の人間が、子どもの面倒を見る貢献度はどのくらいあるかという調査です。確かに、社会において母親、父親の育児分担は分かるのですが、最近の問題として、保育園に子どもを預けることを含めて、親以外の他人の育児参加を伝統的社会ではどのように行ってきたのか、それは、子どもにとってどのような意味を持ってきたのかを調べることは、とても意味あることのように思います。

狩猟採集民の小規模血縁集団では、赤ん坊が生まれて1時間も経たないうちに、その子のアロペアレンティングが始まるそうです。このアロペアレンティングとは、代理養育と呼ばれ、生物学的な親以外の人間が子どもの世話をやいたり、面倒をみたりする養育スタイルのことを言います。このような養育は、私がブログで紹介したように、人類が誕生したころからも、小さな貝殻を遺跡から発掘した時にも、それは、赤ちゃんをみんなで養育する証であることではないかと考えられているということを書きました。同様に、アカ・ピグミー族やエフェ・ピグミー族は、生まれたばかりの赤ん坊が、焚き火の周りでグルグルと人のあいだを手渡しで回され、大人たちも年長の子どもたちも、みな同じように、赤ん坊を手渡しし、ほおずりをしてみたり、そっとゆすってみたり、歌を歌って聞かせてみたり、理解できるはずもないのに言葉をかけてみたりするそうです。確か、NHKヒューマンでは、アフリカのクン族では、そのように赤ちゃんを手渡しながら首に首飾りを下げてあげます。発掘された貝殻はそのように使われたのではないかと思われているのです。

]赤ん坊が手渡しされる平均回数を実際に数えた人類学者の報告では、エフェ・ピグミー族とアカ・ピグミー族の赤ん坊の場合、一時間に平均八回いろいろな人に手渡されていたそうです。また、狩猟採集民のあいだでは、赤ん坊の世話が共同作業になっていて、母親と父親や親代わりの大人とが育児を分担していたようです。それは、父親や親代わりの大人とは、たとえば祖父母、おば、大おば、他の村人、年長の兄弟といった人たちです。これに関しても、人類学者が実際に人数を数えてみると、数時間という観察時間のあいだに、アカ・ピグミー族の赤ん坊は7,8人に面倒をみてもらっており、エフェ・ピグミー族の生後四カ月の赤ん坊は14人に面倒をみてもらっていたそうです。そして、この面倒を見た仲間のことを「家族」といったのです。この調査報告は、他の報告とも合致します。また、人類の生理学的特徴が裏付けます。

特にその時に大きな役目を担ったのが、祖父母です。ジャレド氏も、狩猟採集社会では、父母と一緒に、乳幼児が食料の調達に同行することはあまりないので、赤ん坊や幼児は祖父母と一緒に野営地に残り、父母が心おきなく食料探しに専心できるようにしているといます。そして、父母が出かけている間は、農耕民族と違って、夜になったら帰ってくるというわけではなく、数日の場合もあれば、数週間にわたる場合もあったようです。親、特に母親から離れて育児された子はどうかというと、こんなデータがあります。子どもの体重増加をみると、東アフリカのハヅァ族では、祖母が子どもの身の回りの世話などをしている場合と、そうでない場合とでは、祖母が養育に関与している子どものほうが体重増加のペースが速いそうです。

これも、以前から主張していることを裏付ける話です。

8年経過

このブログも、コメントで書いてもらったように今日から9年目に入ります。ということは、昨日で丸8年間ブログを書いてきたことになります。8年間というと、随分長い間書いてきたなあとと振り返りますが、じつは、まさに8年とはそういうことなのです。2006年のブログにそのことを書いたのですが、数字そのもののもつ意味があり、縁起がよい数だとか、たくさんの数という意味を表すことがあるのですが、その代表的な数字が「八」なのです。当時のブログにこう書いています。「“八重”ということは、“幾十にも重なった”という意味で、地名の“八雲”などは、幾十にも重なった雲のことを歌った“八雲立つ出雲八重垣…”からとったといわれています。とくに“八百”とか、“八百万”はとても多い数の代表で、たとえば、“八百万の神”(やおよろずのかみ)とか“八百屋”(やおや)とか“江戸八百八町”(えどはっぴゃくやちょう)などに使われています。」

このブログで書いたように8には、たくさんという意味があり、他にも、八十(やそ)、百八十(ももやそ)、八百万(やおよろず)等も「数が大きい」という意味で用いられています。このようなことから考えると、8年間は、たくさんの年月ブログを書いてきたということになります。
また、古代の日本では、8 は聖数とされました。「8」を漢数字で「八」と書きますが、そのことがブログでこう書いています。「下のほうが広がっていて、“末広がり”という縁起のよい数字ともいわれています。また、8を横にすると、“∽”となって、“無限”を表しているということで、使われることがあります。数字は、占いにも使われることがあるなど、神秘的な意味を持つことがあります。」

この聖数ということで使われたものに、八島、八雲、八咫鏡、八重桜があると言われていますが、これも、数が多いということの意味もあると思います。また、8には、数が多いということから「すべての側面」という意味があり、慣用表現では、「八方塞がり」「八方美人」「八紘(=世界)」のように使われています。

そう思ってみると、意外と8という数字が使われています。8という数字ではありませんが、8という量には何か意味があるのでしょうか?儒教において重んじられるものに五つの徳というものがあります。それを五常と言い、仁・義・礼・智・信です。それに君臣・父子・夫婦間の道徳を表わしている「三綱」である忠・考・悌を加えて「三綱五常」言われる八つの言葉があります。それは、仁義八行と呼ばれる人間が生きて行く上で大切な八つの道徳的規範を示したものであると言われています。この文字が浮き出た球を持ち、共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士が、因縁に導かれて互いを知り、力を合わせて活躍する曲亭馬琴の小説「南総里見八犬伝」があります。私は、子どもの頃、その映画を父と一緒に見に行きその魅力に見せられ、その後テレビで人形劇が放送され人気を博しました。

テレビアニメというと「8マン」という漫画が「エイトマン」というタイトルで放映されました。また、八つ墓村という横溝正史の推理小説もあり、それを原作とした映画やテレビドラマが人気になりました。また、8の接頭辞である「octo, oct」は、オクターブ、オクタゴン(八角形)、octopus(タコ(章魚))、October(10月)、八重奏をオクテット (octet)、8倍、8重をオクタプル (octuple) といいます。

8年経ったということは、長いというだけでなく、何となく聖的な意味も感じます。

育児への貢献度

 育児で最近問題になっているのは、父親の育児参加です。生き物のなかでは多くはメスが子育てをしますが、中にはオスが育児をする種とか、オスとメスが協力して育児をする種とか、両親とも全く子どもをかえりみず他の種に子育てをさせる種まであります。その中で、人類はどの種に近いのでしょうか。

 ジャレド氏は、こう分類しています。極端な例としてダチョウやタツノオトシゴをあげています。彼らは、メスが産卵し、あとはすべてオス任せです。一方、多くの哺乳動物と鳥類の一部は、それと対極で、オスは、メスとの交尾をすめば、あとはすべてはメスに任せ、オスはまた別のメスを追いかけ、子どもの養育に関与しません。サルや類人猿にはこの両極端のあいだにおさまる種類が多く、どちらかというと哺乳動物の習性に高いと言います。父親は、母親や子どもたちと一緒に暮らしますが、集団構成の観点からは、母親と子どもたちの集団のなかに父親という存在が加わり、もう一つ大き目な集団が形成されるといった形態に近く、子どもを部外者たちから保護する程度は担うものの子どもの養育や世話への関与はほとんど見られないのです。

 では、人間の父親はどうかというと、子どものよう国関わる程度はダチョウのオスより少ないが、類人猿や他の霊長類のオスに比べれば多いのです。たしかに、父親が赤ん坊の世話に関しては、母親より面倒見が悪いのですが、父親が子どものために重要な役割を果たしている社会が大半だと言います。社会によっては、生物学上の父の死とともに、その実施の生存率も低下するといった現象がみられるくらいだそうです。子どもの存在には、どうも、食事を与えるとか、おむつをかえるとかいうだけでない大きな役割がありそうです。

 同じ人間社会といっても、その生業形態や生活形態によって違うようです。父親が最も子どもの養育に関わるのは、女性が食料の大方を調達する社会であり、女性の時間は食料の調達に割かれている場合だそうです。たとえば、アカ・ピグミー族では、森のなかで食糧を採集するのも、網を使っての狩りに参加するのも、母親の仕事であるため、当然、父親が積極的に子どもの養育に関わるそうです。このように、牧畜民の社会と狩猟採集民のそれとのあいだで、父親の子育てへの貢献度と女性の食糧確保における貢献度の平均値を比較した場合、どちらの貢献度も狩猟採集民の社会の方が高いそうです。また、男は戦士として戦うものであり、それに時間を割くものであるという自負が男性の間に浸透しており、攻撃的な他の男性から家族を守ることこそが男の仕事であると思っているような社会では、父親が子どもの養育に関わる傾向が少ないようです。この社会のように、男と女の役割分担がはっきりと分かれている場合、男性は少年を含めて男性だけで生活をし、女性は女性だけで一緒に暮らすという部族もあるようです。

 このように、伝統的社会における父親の育児への貢献度を見ると、日本では最近父親の育児参加が叫ばれるのは分かりますね。戦時中における男性の戦士としての役割が強かった時代、国を守ることこそが男の仕事であると思っていた時代では、とうぜん父親の子どもへの養育に関わる傾向は少なくなるのは当然でしょう。また、男性だけが働いて、食糧確保の役割を担っていた時代では、母親が中心になって子育てを担うのは当然だったのでしょう。しかし、現代の日本では戦争はなくなり、男性だけが社会とかかわる、食糧を確保するわけでもなくなった社会では、男性も育児に貢献しなければならないというのは当然でしょう。

ベビーカー

 私は、日本における三大スキンシップというものも「おんぶと抱っこと添い寝」だったと思っています。しかし、この三つが、育児の西洋化によって少なくなっています。赤ちゃんはベビーカーに乗り、ベビーベッドで、一人で寝ることが多くなりました。それに対して人類はどういう子育てをしてきたのでしょうか。

 ジャレド氏が伝統的社会を調査した結果、たとえばクン族の赤ん坊は、生後1年間の90%を、母親やその他の介護者とのスキンシップに費やしているそうです。クン族の母親は、どこに行くにも子どもを抱いています。母親が抱けない間は、誰か他の大人が子どもを抱っこします。ここで、面白いのですが、当然赤ちゃんは母親と長くいるであろうと思っていたのですが、実際は、クン族の子どもが母親以外の介護者と接する時間の方が、現代の西洋社会の乳幼児と、母親を含む大人とのスキンシップ時間よりも長いそうです。そして、生後1歳半ほどになると、頻繁に母親のもとを離れるようになりますが、それは、他の子どもと遊びたいがための行動であって、親離れのタイミングも、子どもが主導権を握り、自然に決まることが多いようです。

 また、ベビーカーは、西洋社会で乳幼児を一緒に連れて移動する際に、もっとも一般的に使われる道具の一つですが、ベビーカーでは、押し手の大人と乳幼児のスキン司プはほとんどないに等しいとジャレド氏も指摘します。「特に、ベビーカーによっては、乳幼児はあお向けの水平に近い姿勢で乗せられるときには、押し手の大人に顔が向くように、進行方向とは逆の方向に顔を向けて寝かされる。つまり、乳幼児の視界が押し手の視界と逆向きになっていて、ふたりが同じ世界を同時に見ないのである。もちろん、アメリカ社会においても、ここ数十年来、乳幼児を座った姿勢で支えられる、ベビーキャリアやおんぶひも、ウェストポーチ型の抱っこひもといった、一緒に抱いて歩行できる道具が一般的になって来ている。しかし、これらにしても、その多くが、乳幼児と介護者の顔が向き合うように設計されているのである。顔の向きがこれとは対照的であるのが、伝統的に実践されてきた、ベビースリングやおんぶといった方法による移動である。この方法ではふつう、介護者が乳幼児を座ったままの姿勢でまっすぐ抱き上げ、視界を進行方向にむかせ、乳幼児と介護者の視界が同じになるようにして移動する。」

 この指摘も、私がよく主張することで、授乳中は母子が赤ちゃんと向き合い、そのほかの時には「共視」とか「共同注視」というように大人と同じものを見るという経験がいいのではないか、それを可能にしたのがおんぶだったのではないかと思っています。赤ちゃんは遊んでいるときにも、養育者が自分をいつも見ていてくれているという安心感というよりも、自分と同じものを見ていてくれているかという安心感を求めている気がしています。ですから、定期的に振り返って確かめるのは、自分が遊んでいるものを一緒に見てくれているかだと思うのです。それは、自分を見張られているという感覚ではなく、そのものに感動した時、そのものに驚いた時に共感を求めるからだと思います。

 保育中に、赤ちゃんが一人で何かで遊んでいて、振り向いた時、「大丈夫、ここで見てあげているよ!」と声をかけるよりも、「ほんと、それ面白いね!」とか「不思議だね」というように子どもが遊んでいる対象物に視線を向け、その気持ちに共感してあげる方がいいと思います。

添い寝

 次に、ジャレド氏は、「添い寝」について考察しています。母親と赤ちゃんが一緒に過ごす時間の長さは授乳頻度によります。したがって、間隔をあけて授乳する動物の場合は、乳児は、授乳時などのごくわずかな時間を母親と一緒に過ごすだけです。私は、逆に授乳間隔は、母子の距離を少しずつ離していくことではないかと思っています。基本的に授乳は、母親がするものであり、どんなに母子が離れていようが、畑で仕事をしていようが、授乳のときにはわが子のところに戻ってきて、わが子を抱きしめ、子どもをこちらに向かせ、胸に顔を押し付けて授乳します。どんなに働いていても、授乳のときには唯一母子の関係でいられるのです。そして、その間隔が次第に開き始め、離乳食になると、他の人でも食事を与えることができます。そんなことから、私は、母乳が出ていなくても、せめて離乳期までは赤ちゃんは母親のもとで育てることができる保障をしてあげてほしいと思っています。

 ジャレド氏は、現代の西洋工業化社会における、大人(主に母親)と赤ん坊の時間の過ごしかたは、赤ん坊と母親がいつも一緒にくっついていない、というウサギやアンテロープのパターンを踏襲していると言います。西洋国家社会においては、母親(だれか別の大人)が、ときどき赤ん坊を抱え、食事を与えたり、一緒に遊んだりはするが、母親と赤ん坊が常に行動を共にするわけではないというのです。日中はゆりかごやベビーサークルの中にいることが多く、夜はベビールームのベビーベッドのなかで、一人で眠ることが多いことを憂えています。

 このように、大人と赤ちゃんが添い寝をしなくなったのは、直近の数千年の話ではないかとジャレド氏は思っています。狩猟採集民の母親と赤ん坊は、ふつうは同じベッドやマットの上で隣合せて眠りますが、これは、高等霊長類の母親と赤ん坊の関係において見られる特徴と同じであると言います。実際に90の伝統的境を調査してみると、母親と赤ん坊が同じ場所で寝ていない例は、一つとして見つかっていないそうです。このことについて、ジャレド氏はこう言います。

 「母親と赤ん坊が別の場所で寝る習慣は、最近になって発明された方法であり、しかも、この方法のせいで西洋人の親たちは子どもの寝かしつけに苦労させられているのである。アメリカでは、小児科医の推奨によって、両親と赤ん坊が同じベッドで寝てはいけないとされている。親の寝返りで赤ん坊を押しつぶしたり、親の体温の影響で赤ん坊の体温が上昇したりする危険があるという理由である。しかし、人類の歴史を見ると、ほんの数千年前までは、ほとんどすべての赤ん坊が実質的に母親と一緒に、そしてふつうは父親とも一緒に、同じ場所で寝ていたのである。」

 日本では、数十年前まで、いや今でもほとんど赤ちゃんは両親と同じ場所で寝ている家庭が多い気がします。それは、畳文化ということもあって、いわゆる「川の字」になって寝るというスタイルが普通でした。それが、椅子の生活に変わり、ベッドで寝るようになってから、日本でも添い寝が減ってきているようです。私たちが子どもを育てる時は、いわゆる川の字になって寝ていましたが、押しつぶすなどは決してありませんし、授乳のとき以外は、いくら川の字といっても同じ布団の中で寝るわけでもありませんので、体温が上昇するということもありませんでした。変な理屈を考えたものです。

 そのほかにも、母親と赤ちゃんとの関係で私が常々おかしいと思っていることがあるのですが、それは、日本的な発想だと思っていたのですが、全く同じことをジャレド氏も思っているようです。

授乳間隔

 狩猟採集民のなかには、離乳が遅い部族の人たちクン族以外にもいます。例えば、アマゾン奥地の狩猟採集民ピダハン族では、夜になると子どもの叫び声がよく聞こえてくるそうです。たいていは、離乳したばかりの幼児が泣いているのだそうです。アメリカ人のように離乳の時期が早い地域の子どもでも、離乳の時期が遅い伝統的社会にしても、離乳したばかりの幼児はどちらにしてもそんな感じなのですが、それでも離乳をどのように進めるかについては、社会ごとに違いがみられます。

 そんなさまざまな離乳の時期がある中で、ジャレド氏は、ポフィ・ピグミー族の離乳方法がいいと思っているようです。私も彼の考え方に賛成です。ピグミー族のあいだでは、子どもをいきなり離乳させるようなことはせず、徐々に離乳させるため、子どものかんしゃくもあまり見られないと言います。また、離乳を開始するタイミングも、母親ではなく、子どもが主導権を握り、子どもの成長に合わせて自然に決まっている場合が多いそうです。

 ジャレド氏は、進化論的な観点か狩猟採集民の出産の間隔が長い理由を考えてきましたが、次に、生理的メカニズムの観点から考えています。それは、授乳している間には、生理が起きず、次の子を産む準備をしないという生理的メカニズムについてです。幼児二人の同時授乳の回避を可能にしているという点です。まず、メカニズムとしてジャレド氏が考えているのは、育児放棄、あるいは、頻度は少ないものの嬰児殺しという手段による回避だと言います。狩猟採集民では、先に書いたように二人の乳幼児の育児を同時に行うことがむずかしいということは、母親になるものはだれもが知っており、2歳半以下の長子の授乳中に下の子を妊娠してしまった場合は、新生児の育児放棄や嬰児殺しといった事態が起こり得ます。それを避ける意味があるというのです。

 もう一つのメカニズムは、狩猟採集民の授乳の慣習に関係していると言います。狩猟採集民は赤ん坊が乳を欲しがるたびに母親が授乳します。その関係で母親は、授乳期間中に性行為を再開しても妊娠する可能性が低いと言います。明らかに、伝統的社会の授乳法のどこかに、避妊の効果があるようだと推測します。しかし、それには条件があるようです。排卵を抑制するためには、頻回授乳を継続する必要があります。そのためには、多くの狩猟採集民の集団における授乳方法である、赤ん坊が欲しがるたびに授乳を行う必要があります。しかし現代の国家社会では、母親の都合に合わせて家事や仕事の支障にならないスケジュールに沿う形で授乳の時間が決められることが多いと言います。家事にしろ、仕事にしろ、時間の取られ方によっては、母親と子どもが物理的に一緒に過ごせない時間が数時間は続くからです。その結果、狩猟採集民の母親のそれに比較して、現代の国家社会の母親の授乳回数は極端に少なくならざるを得ず、1回の授乳にかける時間も長くなり、授乳の間隔も長くならざるを得ない状況であると言います。

 哺乳動物の授乳頻度は、種によって異なります。霊長類の大半は頻繁に授乳するそうです。しかし、その他の哺乳動物は間隔をあけて授乳します。以前、アマミノクロウサギの生態を紹介しましたが、1日に1回だけ穴の中に隠しておいた赤ちゃんに授乳します。伝統的社会の人々がいつでも授乳するといった方法は、霊長類の祖先から受け継ぎ、チンパンジーと進化の袂を分かったのち、数百万年の進化のあいだ維持されてきたものであるのです。このパターンが変化したのは農耕が始まり、母親と赤ん坊が四六時中一緒にいない生活スタイルが出現したほんの数千年前のことだとジャレド氏は言います。
このようにして、現代の母親は、他の霊長類と同じ授乳の整理を維持したまま、ウサギの授乳習慣を身につけるようになったというのです。

離乳時期

 狩猟採集社会では離乳はいつごろ行われているのでしょうか。離乳というのは、次の子を産む準備でもありますし、上の子の自立を認めることでもあるからです。最近は、少し見直されていますが、20世紀のアメリカの全般的傾向として、母乳育児の割合は減少傾向にあり、離乳時期も早くなってきていました。1970年代には、生後6か月で母乳を飲んでいる乳幼児の割合は、同月齢児のわずか5%にまで低下しました。

 しかし、狩猟採集民は、母乳に変わる牛乳もなく、粉ミルクもない。離乳食になるような材料である農作物の入手が困難である社会で暮らしています。そこでは、乳幼児に与えることができる栄養価の高い食べ物は母親の母乳以外にはないのです。その結果、授乳期間ははるかに長期庭絶えいます。7つの狩猟採集社会の平均では、離乳時期は約3歳だったそうです。この年齢は、幼児がどうにかこうにか堅い食べ物を咀嚼できるようになり、自分で必要な栄養を摂取できるようになる年齢なのです。

 移動性の狩猟社会であれば、出産の間隔が長いのだろうかという問いが、進化論的な観点から、生理的メカニズムの観点から議論されているようです。その一つの考え方は、簿ぬう量が不足するという問題です。牛乳や穀物の粥がない狩猟採集民の社会では3歳ごろまで授乳が続くので、その間に妊娠しても、両方の子どもを満足させるだけの母乳が出ない、つまり、出産の間隔を短くしたところで、母乳不足でひとりは餓死する可能性が高いのです。もうひとつの考え方は、移動に関わる制約の問題です。狩猟採集民の母親は、野営地から野営地へ移動しなければならないのですが、子どもは4歳前後になるまで大人たちについて行ける速さで歩けません。そのため、母親が抱いていくことになるのですが、野草類と、飲料水、その他身の回りの物を運びながら赤ちゃんを抱っこするということは、移動を考えると、幼児はひとりしか抱けず、調子が大人の足手まといにならずに一人で歩けるようになるまでの期間は妊娠できないのです。

 しかし、定住性の農耕社会や、農耕民と取引をする狩猟採集社会では、離乳の平均が2年にまで短縮されます。農耕民では、幼児に離乳食として家畜の乳や穀物の粥を与えられるからです。また、子連れで移動する負荷もなくなるからです。ここで、離乳期間が短くなることについて考察しています。

 授乳の期間が長く、乳幼児の離乳年齢が高いと、母親が物理的にも心理的にも、より多くのエネルギーをひとりの子どもに傾注でき、子育てができます。実際、このような報告があります。「出産の間隔が長いクン族の子どもは数年間にわたり母親の愛情を独占することができ、幼少期に母親と近しい関係が築けるため、幼少期における情緒が安定しており、結果として政治んふぉの情緒面での安定に良い影響を及ぼしています。」しかし、この報告は、小さいうちは母親が一番という考え方が強い西洋人の報告で、実際は問題が多いようです。

 狩猟採集民の子どものなかには、離乳後にトラウマに襲われる子どもが存在すると言います。一度、離乳してしまうと、母親がたちまちのうちに面倒を見てくれなくなるからです。母乳をもらえず、空腹になるからです。母親の横という寝床の特等席を新しく生まれた幼子に譲らなければならないからです。大人の世界にだんだんなじんでいくことを求められるからです。師乳したばかりのクン族の子どものなかには、このような現実に直面し、みじめな気持ちになって、かんしゃくを起こす子どももいるそうです。そのため、クン族の人々のなかには、離乳の際の辛かった思い出を、70歳過ぎの老人になってからも、はっきり思い出せる人もいるくらいだそうです。

 離乳の適切な時期は、どのくらいなのでしょうか?

出産2

 出産について私がよく講演で話すのですが、人類は直立で立つことによって大きな脳を獲得することができた半面、産道が狭く、楕円形になったために出産に人の手を借りなくてはならなくなったということから、人類は一人では生きていくことができない宿命を背負ったと思っています。しかし、妊婦がひとりで、誰も立ち会いもなく出産を行い、それが文化的に最高の理想的な出産とされている社会があるといます。アフリカ南部のクン族ですが、彼らのあいだでは、産気づいたら妊婦が数百ヤード離れた場所に一人で行って、そこでひとりで出産するのが理想的な出産とされている社会だそうです。

 一人で生きていくことが求められる社会では、「人間というものは、強くあるべきものであり、自力で困難に立ち向かうべきものである」という信念を持つようになるのは当然かもしれません。しかし、その戦略をとったネアンデルタール人は滅びてしまっているのです。ですから、一人で出産するのが理想的と言われているクン族の人たちでも、現実には、特に初産の場合には、部族の女性が付き添い、介助するそうです。また、産屋は、いくら離れといってもそれほど離れて出産するわけではないので、赤ん坊の産声が聞こえてきたら、誰かが母親のもとに駆けつけ、へその緒の切断を手伝ったり、赤ん坊の体をふいてやったり、赤ん坊を連れて帰るといった手助けはするそうです。

 また、ブラジルのビダハン族でも介添えなしの出産が多くみられたそうですが、それゆえに、出産で苦しんでいる若い女性を助けもせずに、ひとりで死なせたことがあることを学んでいっているそうです。しかし、介添えを得ての出産の方が伝統的社会においてはるかに一般的だそうです。出産や月経が「不浄」とされている社会でも、女性は出産時に森の中の出産小屋にいって、そこで年長の女性たちと暮らし、出産します。また、フィリピンのアグタ族のように、出産は公のイベントであり、自宅出産する際、集落中の住民が女性の家に集まり、母親や助産師に向かって、みんなで声をかけて指示するような社会も多いようです。

 やはり、人類にとって、出産は遺伝子を残す大切なことですので、できるだけリスクを少なくするような風習として、皆が手伝うというようなものが結果的に伝わっていったのでしょう。しかし、大人になって、一人で生きていくために、強く、鍛えることが子どものためであるという考え方は、どの時代でも持つような気がします。辛くても、我慢する、人を蹴落としてでも勝ち残る、危険を恐れず突き進む、このような精神論がどの時代でも表れます。しかし、それは、その時代においてのみ適応することができるかもしれませんが、人類の長い歴史を見たときに、それ以上に社会を構成する能力、社会とかかわる能力、社会の一員であるという意識の方が、大人になってからの生きる力になるのだということは明白なのです。

それが、私が長くブログで取り上げたEQ力であり、SQ力なのですが、教育基本法の目的が人格形成と、平和で民主的な社会を築く資質を備えることであるのであれば、早く、教育の方法を見直してほしいものです。特に、その基礎を培う大切な時期である乳幼児期においては、なおさらです。

出産

 ジャレド氏は、研究者の見解が、必ずしも当てはまるわけではないという例を挙げています。「西洋社会では、幼児には愛情と情緒面での支援が必要だと論じる育児理論が一般的であるにもかかわらず、赤ん坊がおっぱいを欲しがるときに授乳させるという、非西洋社会では広く行われていた習慣について説明する段になると、それにフロイト主義の「精神性的発達の口唇期における過剰な満足」などというレッテルを貼り、そういう授乳行為はたんなる「甘やかし」とみなすような説明を行う。しかし、赤ん坊の要求に応じて授乳を行う方法は、昔はほぼ世界中で実践されていた方法なのだ。」

 このような例はたくさんあります。長い歴史の中で慣習として行われてきた育児が、心理学という学問にて説明されただけでなく、否定されてしまったものも少なくありません。もっともっと研究が進むことによって、伝承されてきた子育てが子どもにとっていいことであることが証明され始めてはいますが、まだまだ歴史的に見れば、稀な方法があたかも子どもにとっていい方法であるかのように思っている部分が多くあるような気がしています。

 彼は、学術的に伝統的社会の子育てに興味を持っているだけでなく、一般人の実践的な観点からみても、小規模社会の子育てはさまざまな情報を提供してくれると言います。それは、小規模社会のなかには、西洋国家社会では実験的に試みることが決して許されない子育て方法を実践している社会が存在するからだと言います。子育ては、子どもにとっては、将来に関わる問題なだけに、実験することはできないからです。例えば、最初に例をあげた極端な抑圧的な子育てと、極端に放任主義の子育てを実験することはできないのです。まして、子どもは、火傷することによっていろいろと学ぶと言っても、実験的に子どもに火傷させるわけにもいきません。そこで、それらを考察するうえで、伝統的社会から学ぶ点も多く、また、伝統的社会の子育てを研究することによって、われわれ自身の子育ての選択肢が見えてくるのだとジャレド氏は言います。そこに、西洋的な子育てと異なる方法の中にも、それが子どもの成長におよぼす成果がわかれば、実践してみたいと思われるような慣習が存在する可能性があるのだと言いうのです。

 そんなことから、最近は、子育て研究の専門家が、狩猟採集生活を行う地球最後の人間集団の子どもを本格的に観察調査した知見にもとづく研究がいくつか存在するようです。それら小規模社会における出産や嬰児殺し、授乳と離乳、乳児と大人の物理的な接触、父親や両親以外の介護者の役割、泣く子に対する反応、子どもの処罰、子どもの探索の自由、そして、子どものあそびと教育といった諸側面について考察していきます。これらの観点のなかには、もはや日本における課題がだいぶ遠ざかってしまったものもありますが、多くは、いま行われている保育の参考になる部分が多くある様な気がします。

 まず、人生の出発である出産についてですが、私は、以前ブログで出産が私の時のような産婆による自宅出産から、病院での出産に変わったことは意外とその後の育児、母子の関係に影響があるように思います。自宅出産は、多くは年配者の産婆が、家族の手伝いの中で赤ちゃんを散り上げます。それが、病院出産になると、出産は医療行為となり、男性も多い医師を若い女性が多い看護師が手伝って赤ちゃんを取り上げます。赤ちゃんは、まず、人生の始まる中で初めて出会う他人がどのような人であるかに大きな違いがあります。
ジャレド氏は、出産についてどのような考察をするのでしょうか?