守ろうとする意欲

 戦争というものは、一番弱い子どもが後まで犠牲になります。戦後、子どもの栄養問題ばかりでなく、一般家庭の貧しい者への保護も大きい問題であり、とくに、戦争の痛手を受けたものを救助する目的から、昭和21年、生活保護法が敷かれたのです。しかし、宮本氏は、「その法のみをもってしては、子供たちに対する給与や保護は十分でなく、25年には、法改正を行って教育扶助もなされることになり、義務教育に必要な教科書や学用品、学校給食などについて教育扶助を行っている。」このような教育扶助を受けている子どもは、とうじ56万人にもぼっており、いかに多かったかですが、それでも必要な子どものほんの一部だったようです。

 そして、昭和26年5月5日に、「児童憲章」が制定されたのです。これは、子どもたちの権利を子どもたちにかわって、社会に対して認めるように規定したものであり、「すべての児童は人間として尊ばれ、社会の一員として重んじられ、よい環境の中で育てられる」ことを12の条文に明記したものであるが、宮本氏は、「こうして子供たちの社会的な地位は確立したわけだが、さて子供たちの世界への目を向けてみると、その社会的な環境は、必ずしも恵まれたものではなかった。児童憲章制定当時、社会的保護を必要とする子どもの数は700万人と確定された。それは、満18歳以下の子供の数の20%にあたる。」

 しかし、当時の状況を宮本氏は、「子供たちを守ろうとする意欲がこんなに強くもりあがった時代は、過去にはなかったのである。そしてそれは、単に政府や識者だけの首唱ではなくて、子供の一人一人の親たちの目ざめも大きかった。そしてほんとに子供たちのために幸福を促進しようと実現したのでは、市井のあるいは農村の親たちであった。」このあたりの取り組みは、今の私たちも見らなうべきことがあるかもしれません。ただ、政府、研究者だけに頼り、その取り組みを批判し、歎き、不安になっているだけでなく、もう少し現場の私たちは何ができるのか、何をすべきかを考える必要があり、実際に行動に移さないといけないと思います。現在、アンケートのよると、日本人は政府を信頼してない割に国に依存しよう、国のせいにしようとしている率が高いそうです。

 宮本氏は、長崎県五島列島のひとつである小値賀という島のこんな取り組みを取材しています。「この島は、玄武岩からなっている低い台地状の島で、島のところどころには、椀をふせたような山がある。この島は、玄武岩の崩壊土であるために、雨が降るとひどくぬかるむ。海の中の島だから、雨の降るときは風が伴う。学校は島の真ん中にあって、どの部落からも遠い。子供たちは、雨が降るたびに、このぬかるみの道のために苦しめられた。しまの南海岸にある笛吹きでは、見かねた母親たちが集まって相談し、この子たちのために、学校までの道をコンクリート張りにしようと決議した。女手では不可能だというものもあったが、女の力でもできないはずはないと、作業に乗り出した。男たちは笑っていた。しかい女たちはひるまなかった。資金を集めて材料を買い、バラスは浜から運び、土木作業は、すべて女がやった。笑っていた男たちも、そのままですまされなくなった。そして協力するようになったのであるが、とうとう女手で立派なコンクリート道を学校までつけた。町の人たちは、誰というとなく子の道を愛情道路と呼んだ。このようにして、子供たちは、大人と共通した広場へ出てくるようになった。」

 今であれば、すぐに陳情でしょうね。そして、なかなか取り組まない自治体に非難するでしょうね。もちろん、これらは、自治体がやるべきことと思います。しかし、自分たちの手でも子どもたちのためにはやるんだという決意が必要な気がします。しかも、この時代、女性を仕事など忙しかったであろうと思いますが、その忙しさを言い訳にしていません。この思いが、日本中の端々までいきわたっていたのでしょうね。

守ろうとする意欲” への9件のコメント

  1. 「日本人は政府を信頼してない割に国に依存しよう、国のせいにしようとしている率が高いそうです」これは私自身も振り返ってみても、反省するところです。様々な不満を政府や時代のせいにしてしまっている言い方や考え方が癖のようになっている部分もあるのかもしれません。全てにおいてそうですが今いる所で、どう工夫するかという考え方はもっていたいなと思っています。周りが変われば全てうまくいくというのは自分の気持ちは全く変わっていないことにもなるのでどこまでいっても不満足になるのかもしれません。五島列島のお母さん達の姿はすごいですね。手段が目的になっていないということを強く感じます。子ども達が歩きやすいようにという思いが強かったからこそ完成した愛情道路ですね。この思い、目的の部分が独りよがりや自分勝手という自分のためだけのものになっていないかということは日々、注意しておかなければいけないことだなと思っています。

  2. 小値賀での、母親たちの姿にはとても感動しました。そんな母親の姿を見て、子どもたちは何を感じていたでしょうね。すぐには分からなくても、成長して大きくなってその道を見た時、母親の愛情を感じることができるでしょうね。愛情は、近くにいる時よりも離れている時の方が強く感じることができるのかもしれません。あくまで推測ですが、「子どもがどう思うか知らないが、母親として自分はこうやって生き方を示していきたい」等と、思っていたかもしれません。そんな思いを抱きながらの作業は、まさに“無償の愛”であったのではないでしょうか。忙しさという理由にも負けない、子どものために自分ができることを懸命にする姿からは、人間が本来持っている力強さのようなものを感じます。

  3. 国を頼ってばかりいてはダメだと言われ、でもことを起こすべきなのは国なのだから…とうまく整理をすることが出来ずにいましたが、誰もやらないけど必要なことであるなら自分がやればいいだけなんですよね。一人でやっても出来るわけがないと考えて何もやらないのではなく、たった一人でもやらなければ何も変わらないと行動することが大事なんだと、ようやく分かるようになってきました。陳情行動を見る機会が増えてきましたが、陳情して趣旨採択という回答をもらい、また次の年に同じようなことを陳情して…といった繰り返しだけではやはり自分は満足できません。現場での地道な取り組みを続けることを基盤とし、輪を広げていく活動に力を注ぎ続けたいと思います。
    戦争のことについて。戦争は絶対にいけません。平和な時代が続いて、戦争体験を語れる人が少なくなったとしても、何とか語り継ぎ、想像し、戦争は避けなければいけません。安易に煽ったりすることが簡単に行われてしまう流れも絶対に反対です。

  4. 米国に住んでいた頃、マクドナルドの店員は英語もあまりうまく話せないヒスパニック系の人が多く、店員が注文内容を正しく理解しているのかを自分で確認しながらハンバーガーを買う、という流れが当たり前でした。そして帰国後に驚いたことの一つが日本のマクドナルドの店員の対応の丁寧さでした。背景にマニュアルがあるとはいえこの対応の差は当時の私にとって衝撃的でした。しかし、日本での生活が長くなるとお店で店員が感じ悪いとそれに少なからず腹を立てるようになっていることにある時気づきました。昔なら全く気にならなかったはずなのにです。こうして「やってもらえること」が当たり前になっていくと「やってもらえないこと」に不快な気持ちを抱くようになっていくのだな、と感じました。政府にやってもらうことが当たり前になるとやってもらえないことに腹を立て、自分でできることすらもどうにかやってもらおうとするようになる。改めて個人の目指すべきものの一つは自律なのだな、と感じました。

  5. 少しブログの内容からずれるかと思います。そろそろ保育園で夕涼み会や夏祭りが始まると思います。その時に何を優先にするか考えてみました。おそらく保護者の為と考える人もいるかと思いますが、私はやはり子どもの為に考えた行事を行いたいと思います。綺麗事かも知れませんが、行事にしろ普段の保育、そして雑用でも子どもの為と思えば、どんな大変な仕事でも平気です。保育園内であれば保育士が何とかできるかと思いますが、保育園外の事となると難しいです。小値島のような道路の舗装など今は役所か自治体に言うと思います。ただ藤森先生が言われるように自分達で子どもを守るんだ!という強い気持ちは大切だと思います。

  6. 「愛情道路」名前も含め、とても感銘を受ける話ですね。とても感動しました。いつのまにかどこかで他力本願になっているところはあるのだと思います。そこをやはり打開していくためにはそれだけの行動力がいります。小値賀の女性はあくまで「子どものために」という真摯な姿勢が勢いをつけ、「愛情道路」ができあがりました。今の保育の中でも、役所の対応や保護者の対応など保育をするうえでの歯がゆさはやはり出てくるものです。とはいえ、「いったいそれは誰のため?」ということを常々考えていかなければいけません。そう思うともっと保育園も現状を変えることはできる部分はありますし、もっと積極的に取り組んでいく必要もあります。それぞれの子どもを取り囲む人々が子どもたちのためにできることや意識を変えることは必要なのだと思います。小値賀の方々の姿勢をもっと学んで、そして、見習っていかなかければいけないと思いました。

  7. 五島列島・小値賀島のお母さんたちと同様の行動は当時あちこちにあったのだと思います。私の母も若い頃、地域の青年団として保育園の整備を行ったり、荒地の開墾を行ったり、奉仕活動に専念していました。子どものためであったり、自分たちが暮らす地域のためであったり、行政を頼りにせずに、自分たちのことは自分たちで行っていたようです。そうした時代、役場勤める公務員さんたちの給与は漁師として生計を立てていた人々のそれに比較して相当低く、漁家で成り立つ組合や網元などお金をもっているところが出資してさまざまな事業が行われていたのでしょう。ともかくも地域共同体が機能していました。やがて、時代が個人主義核家族の時代になると、協働という観念が薄くなると同時に、公的なことは全てお役所となってしまいました。一軒一軒が立派なお家に住み始めると同時に、みんなで地域のことを考える、あるいは子どもたちのことを考える、ということをしなくなったような気がします。はたしてそれは幸せなことか?

  8. 長崎五島列島の小値賀の女性の方の行動は、自分たちが見習うべきものであると思います。
    そんなお母さんたちの姿を見ていた子どもたちはどんなことを感じ、どんなことを考え、どんな学びを得たのでしょう。それは、机に向かってする授業では到底学ぶことのできないもの、ですが、大切なことをそのお母さんたちの背中から学びとることができたに違いないと思います。
    忙しさにも重たいものにも男たちからの冷ややかな目にも負けない姿は読んでいるだけで感動します。
    〝〟

  9. すいません。途中で間違えて『登録』を押してしまいました。続きです。

    〝日本人は政府を信頼してない割に国に依存しよう、国のせいにしようとしている率が高い〟ということと正反対のことをやってのけた女性の強さ、愛情を感じました。

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