両立

 ドイツから帰ってきて、ドイツでの取り組みを振り返る中で、やはり、日本におけるきちんとした基本的なカリキュラムを作成すべきであるとの思いを強くしました。ニュージーランドが、もう一度先住民族であるマオリ族の子育て観をベースに作ったテファリキのように、私たちも、日本人のルーツから子育て観を見直さなければと思っています。そのために、まず、人類のルーツに私は興味を持ったのです。そのきっかけを作ってくれたのが、NHKスペシャル「ヒューマン なぜ人間になれたのか」という番組でした。その後、様々なイベント、書物によって、人類の起源が明かされてきました。

 それと同時に、私は、江戸時代までの教育に興味を持ちました。江戸時代の寺子屋、藩校、薩摩の郷中教育などです。現在、NHK大河ドラマで取り上げられている「会津藩校日新館」にも訪れ、ブログにも何回か取り上げました。私の部屋には、日新館で買ってきたカレンダーがかかっています。

 次に、昔、子どもたちはどのような場所で教育されてきたかということから、子どもたちはどのような生活をしてきたかという民俗学に興味を持ちました。ドイツに行く前まで、民俗学者の宮本常一が書いた「日本の子供たち」のなかの「子供の世界」「まつりと子供」と読んできました。今回、その続きとして「子供を守るもの」という章を読んでみたいと思います。

 かつて、日本人は、家族ぐるみで働いていました。子育てだけを専門に行うことは許されませんでした。しかし、子どもが子ども集団で過ごせるようになればいいのですが、乳児のころ、育児と仕事の両立は大変だったようです。「日本の子供たち」の中で、宮本は昭和32年1月5日の朝日新聞の記事を転載しています。

 「5月の節句の日、渋民村を歩いた時のことだ。エジコ(赤ちゃんを入れるワラかご)で眠っている赤ん坊の前に、白米でメシがおいてあった。のぞきこむと、赤ん坊は死んでいた。前から熱があったのだが、医者は往診で留守、別の医者を探しているうち、背中の赤ん坊が冷たくなった…。役場まで埋葬許可証をとりにいった父親が、自転車で帰ってきた。酔っていた。家につくと自転車を押し倒して泣いた。“百姓はじえ、働かねば食えねえじえ。食うべえと思えば、ワラス見られねえ。見ないでれば、こっただ(こんな)ことになる…”倒れた自転車のうしろに、トマトとキャベツの苗が泥だらけだった」という岩手県農民の姿を描いたルポルタージュの記事です。貧しい農民の世界は、ほんの前の日本では、こんな状況だったようです。それは、特殊な状況ではなく、日本の農村全体が、ほぼこんな有様だったと宮本は書いています。そして、そのころの子どもの死亡率は極めて高かったのですが、それは決して親が子どもの命を粗末にしたわけではなく、子どものことにかまってはいられなかったからなのです。

 私は下町に住んでいたので、田舎から中学を卒業し、集団就職で上京した子がお子守さんとして、働いている親の代わりに赤ちゃんである私たちをおんぶしてくれました。また、年寄りがいる家では、孫の面倒を見ていました。しかし、子守りも、年よりもいない家では、子どもはほっておかれて、親が帰ってくるまでは、家で一人待っていなければならなかったのです。その時の赤ちゃんの居場所が「エジコ(エズメ)」だったのです。それは、どんな役目をしていたのでしょうか?

両立” への7件のコメント

  1. 何かを考えたり、作り出す際に、いろいろな方向に目を向けることで、本質に近づくことができ、大切なことは何で、どうしなければいけないのかということがはっきりしてくるのかもしれません。藤森先生のあらゆることに興味をお持ちになり、それを理解され、行動される姿からは、自らの行動の浅さを痛感させられます。かつての日本の子育ては、どのようなものだったのかまだまだほとんど知りません。具体的にどのような人数で、誰と、どんな環境で、どのようにして子どもたちは過ごしていたのでしょうか。お年寄りがいたり、地域の共同体があったりする場合は少しだけ、想像することができそうですが、他にも様々な状況はあったことだろうと思います。そんな状況の子どもたちの姿は気になります。

  2. 渋民村での例を、悲惨な出来事として捉える一方、育児と仕事の両立の困難さを改めて感じています。「かつて、日本人は、家族ぐるみで働いていました。子育てだけを専門に行うことは許されませんでした。」という言葉から、昔の“生きること”はどんなことかを考えさせられます。働かないとご飯が食べられないが、働いてばかりいると子どもの世話ができない。歯がゆかったでしょうね…。種類は違うのかもしれませんが現代でいう、子どもが発熱し、園に迎えをお願いされた仕事をしている保護者の心境に似たものを感じます。「エジコ(エズメ)」も、“ズメ”という単語が入っていることから、仕方なくそこに“詰める”といった歯がゆい存在であったのではないでしょうか。

  3. 両立はではなくバランスが大切と藤森先生は言われました。育児と仕事の両立は本当に難しいと思います。私も将来、同じ立場になるのかもしれませんが、その時に両方を完璧にこなそうと思うのでなく、バランス、そして瞬間の優先順位を考えなければいけないと思います。ただ渋民村の話しを聞くと、心が痛みます。子どもを亡くした父親も本当は子どもの面倒を見てあげたいが、仕事をしないと食べ物もあげられない・・・そんな葛藤の中でエジコの中に入れていたのだと思います。今は保育園や祖父母、ファミリーサポートなど親がむずかいい場合は子どもを見てくれる存在がいます。更には近所の人同士で子どもを見合う事もできます。そういうコミュニティが身近にあるのは、本当にありがたいことです。

  4. ルポルタージュの記事、何度も読み返しました。今は子育てが大変な時代だとよく言われますが、その大変さの質が全く違っていますね。命を軽視していたわけではなく、大事にしようと必死に動いていたことによって子どもがたくさん亡くなっていた事実を突きつけられると、今の状況を改善するためにもっと動かなければと思わされます。コミュニティーの希薄さや間違った情報などによって孤立してしまっている親子がまだまだたくさんいるとしたら、社会全体で子育てすることの意味からもしっかりと手をさしのべていきたいと思います。といってもまずは足もとからコツコツと、ですが。

  5. 一昔前まで育児と仕事の両立は難しかったんですね。話で出たルポタージュはとても衝撃的でした。今の時代、専業主婦が減ってきたとはいえ、過保護や過干渉といった問題が出ています。両立が難しかったころとは比べ、生死の問題はなくとも子どもたちに問題が出ているところを見ると、仕事と育児の両立の問題であったり、子どもと大人の距離感のバランスを考えることは大切であるように思います。しかし、大切にしたいのに、できないという気持ちはとても切ないことですね。最近では共働きで子どもになにかあっても保育園に迎えにこれないこともよくあります。コミュニティがなくなってきた昨今、保育園の役割は今までよりももっと求められることが多くなってくると思います。

  6. 渋民村、・・・懐かしい響きのする地名です。そして、エジコに冷たくなった乳児の死体。どうしようもない親子の関係をそこにみることができます。おなかを痛めて産んだ子ども、いつ生まれるかいつ生まれるかと期待されながら生まれてきたに違いない子ども、・・・誰が好き好んで愛しいわが子を失うでしょうか。私の田舎におよそ70年80年前に普通にあった子どもの死。今でこそ、交通事故等の災害によって貴い未来担う命が奪われていくことありますが、「子どものことにかまってはいられなかったから」という親の有様を誰が非難できるのだろうかと思っています。かく言う私も、親は「かまっていられな」かったらしく、様々なことを母親は憂いて私を道連れに自死を選ぼうとしたこともあったと私が成人してから聞いたことがありました。あぁ、今生きていてよかったと思います。“百姓はじえ、”のくだりは、懐かしい言葉なので、単語の発音、文の抑揚、を気にしながら声に出して読んでみました。じ~んときますね。

  7. 衝撃の内容で、現代がどれだけ恵まれているかを改めて知る思いです。今は逆に過保護、過干渉というこの時代とは対極にある現象に子どもたちは苦しめられていますが、それらの中庸をこれからの時代は目指していくということなのでしょう。その具体的な方法を知らずに今尚同じ教育方法、保育方法が中心となっていますが、時代はこの時から比べたら良くなっていると思うと、希望が湧きます。どの時代にも不平不満はあるのでしょうが、必ず良くなっている。必ず良くなっていくのだと思えてきます。

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