ドイツ報告2013-18

私が大学を出たかそこらのころに読んだ本に「都市の遊び場」(アレン・オブ・ハートウッド卿夫人著、大村 虔一/大村 璋子 訳)という本がありました。この本が、数年前に多くのひとの要望により復刻版が出版されました。この本の中で、私の脳裏に焼き付いているのは、たき火の上を飛び越えている子どもの写真で、子どもは、危険なこと、危ないことに挑戦ことも遊びにしてしまうというようなことが書かれてあった気がします。もう一度、それを引っ張り出して読んでみようと思っています。

第二次世界大戦のさなか、デンマークの造園家ソーレンセン教授は、専門の造園業から、都会では、子どもたちはどのような場所であそんでいるのかを長年観察した結果、子どもたちは、こぎれいな遊び場よりも、ガラクタのころがっている空き地や資材置き場で大喜びして、生き生きと遊んでいる姿に気がつきました。そこで、彼は、「冒険遊び場」を提案します。彼は、1931年に「都市と農村のオープンスペース」という本を刊行します。そこで提案しているのは、「子どもが古い車や箱や木材を使って遊べる適当な広さの廃材遊び場をつくってみるべきだろう。子どもたちがあまり乱暴に争ったり怪我したりしないように、多少の監督が必要であったが、そんな監督は必要でなくなるかもしれない。」というものでした。
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この提案に基づいて、1943年、コペンハーゲン市郊外に建築家ダン・フィンクがデザインし、初代プレーリーダー、ジョン・ベルテルセンと子どもたちによって、「エンドラップ廃材遊び場」が作られました。そして、大戦直後、未だ戦火の消えないヨーロッパで、幼児教育にたずさわっている人々が、国境を越えて子ども達のために協力する目的をもって、国際機関を創設しました。それが、OMEP(Organisation Mondiale Pour l’〓ducation Pr〓scolaire)と呼ばれている「世界幼児教育機構」です。

この初代会長であるイギリスの造園家アレン・オブ・ハートウッド卿夫人は、1945年に、この「エンドラップ廃材遊び場」を訪れます。彼女はこの遊び場に深く感銘を受けてその思想を持ち帰り、ロンドンの爆撃跡地に冒険遊び場をつくります。そして、ロンドン冒険遊び場協会長として世論を喚起して、冒険遊び場運動を隆盛させていきます。このように、彼女は、造園家としてイギリス造園学会副会長を務めただけでなく、イギリス保育学校協会副会長や、障害児ホリデイクラブ会長を歴任します。また、1944年に施設児童の生活を告発した単独キャンペーンで、1948年の児童憲章を実現して行きます。

このイギリスで力強い大きな流れとなった冒険遊び場づくりは、発祥の地、デンマークに逆輸入され、やがて1950?70年代を中心に、スウェーデン、スイス、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、オーストラリアにも広がっていきました。現在、ヨーロッパ全体で1,000カ所程度の冒険遊び場があり、そのうち半数程度がドイツにあります。また近年になって、香港やカナダで、冒険遊び場づくりの新しい動きが生まれてきています。その一つであるミュンヘン市にある「冒険広場ABIX」に、13日訪れたのです。市内には、4か所の冒険広場がありますが、同じ趣旨で、同じ時期に作られた「モグラの家」という施設には、過去2度ほど訪れていますが、ここは、今回初めてでした。
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