ドイツ報告2013-19

私が読んだアレン卿夫人が書いた「都市の遊び場」という本は、1970年代半ばに日本で翻訳・紹介されたもので、その後、日本でも冒険遊び場づくりとして全国で草の根的に広がりました。そして、1990年代後半からは飛躍的に活動団体が増えています。その活動に一躍買ったのは、この本の訳を書いた大村虔一、大村璋子です。大村 虔一は、都市設計家ですが、NPO法人日本冒険遊び場づくり協会代表を務めています。設計家としてしては、「東京オペラシティ」がありますが、宮城県教育委員会委員長、東北大学大学院教授、宮城大学副学長、(財)宮城県地域振興センター理事長などを歴任しています。その中で、冒険広場としては、世田谷ボランティア協会理事として、「羽根木プレーパーク」の区と住民の協働システムをつくったことで有名です。

 一方、大村璋子は、日本への冒険遊び場の紹介者で活動推進者です。彼女は、IPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)初代日本支部長のかたわら、夫とともに地域住民手づくりの冒険遊び場運営をスタートし、世田谷区と協働の羽根木プレーパーク創設、全国の遊び場づくり運動のきっかけをつくりました。彼らの活動により、地域住民による運営が広がっているのは、世界的に見た日本の冒険遊び場づくりの特徴といえます。ただ、私は日本における冒険広場の多くは知りませんが、日本における冒険広場は、「廃材を使って」というよりは、「冒険遊び場」の原点である「子供の遊び場を豊富で自由なものにする」ということを重視しているように見えます。

ドイツの冒険広場は、前回訪れた「モグラの家」同様に、廃材を使って、子どもたちが家を作るということがメインのようです。そのために、働いて、ここで通用する通貨をもらい、その通貨で廃材を買ったり、工具を借りたりするというようなことが行われます。毎日、6歳から13歳までの子どもたちが80?100くらい利用するそうです。彼らは、無料で、とくに届はいらず、いつでも(13時?18時)気軽に来て遊べるようです。全体の敷地は1400平米、雨天時や冬期間使用する建物は約400平米あります。費用的には、企業その他の後援団体が多いそうです。ただし、スポンサーではないということです。

ここのチラシには、こう書かれてあります。「 冒険遊び場は、危険なことができます。 様々な既知および未知の脅威があります。特にあなたが見ている突き出た釘とボード上。 それが濡れている場合は、特に住宅やケーブルカーに注意する必要があります。」日本では、注意書きのトップに「危険なことをしない!」と書くでしょうね。それが、「危険なことができます。」から始まるのです。
bokenmokuzai
また、ここのルールには、「怒って、ほかの子に、それを表わしたり、呪いの言葉はつかわない。」「投げるものと吐くは許可されていません。」「口語言語はドイツ語であるため、我々はすべて、お互いを理解し合わなければならない。」「屋根へのアクセスは禁止されています。」「火は暖炉です。薪を燃やし、紙や段ボールは、照明のためにのみ使用することができます。」「サッカーは許可されていません。」「建設遊び場で頑丈な靴を着用してください! 」「あなたは、1つまたは複数のルールに対して頻繁に違反した場合は、禁止され得ることができます。」「施設に入る営業時間外に禁止されています。」「違反が表示されます。」
abixie
何となく、日本から見ると、禁止する事項と許す観点が少し違う気がします。

ドイツ報告2013-19” への6件のコメント

  1. 何を体験させたくて、何に注意を払うべきなのか、その判断がこれだけ違うんですね。しかもそれが明確になっているのでわかりやすいです。他者とともに活動する上で避けなければならないことを、このような自発的な活動の場で学ぶことができることこそ、私たちがやらなければいけないことだと思います。冒険遊び場は、環境などそっくりそのままとはいきませんが、考え方の部分では見習うべきことは多いです。

  2. 直接的な禁止事項ではなく、してはいけないことの理由をなんとなくこちらに想像させるような印象を受けます。ちょっと立ち止まって「これってどういう意味だろう?」と考えることで遊び方のルールが共有できそうですね。少し方向は違うかもしれませんが、「CM上の演出です」や「イメージ画像です」、「袋の端で手を切らないようにご注意ください」といった注意書きに違和感を持つことがあります。極端な言い方かもしれませんが、想像力というか気持ちを察する力のようなものが関係しているのかなと勝手に思ってしまいます。

  3. ドイツの保育からは、「本物を伝える」という印象を受けます。何事も包み隠さず、ありのままを伝え、そのうえで、自己決定という判断を受け入れる。社会に存在する本物の環境を用意し、自らの力で乗り越えられる能力を培う。そういった“本物”に触れることで、これから社会の一員になる準備をしているのでしょうか。冒険広場では、すべて自由なのかと思っても、しっかりとルールは存在するのですね。そのルール内に“違反”という言葉が出てきていることに驚きです。“してはいけません”より“違反”の方が、社会からの目が感じられますね。ルールに背くことは、他者や自分の自由を奪うことになるという社会の思いを感じます。それを子どもの時から自然と体験できる環境でこそ、自己判断に基づく意思表示ができるのでしょうか。“危険”がわからないことが、一番の“危険”かもしれません。

  4. 日本の冒険広場が実際にどういう物か見たことがないので分かりませんが、イメージとして頭の中に浮かぶものは、一見は壮大で子どもにとっても好奇心を湧きたてるものかもしれませんが、置いてある遊具やおもちゃが完成されており、ただ子どもが完成されたもので、安心して遊ぶ、というイメージがあります。おそらく国民性があるので、提供する側も子どもの安全を配慮した物を用意しないと、もし怪我をした時に、冒険広場自体が廃止になってしまうからでしょうね。それに比べてドイツの冒険広場は全くの真逆です。ブログにも書いてあるように「危険なことができます」という注意書きを日本では見たことがありません。おそらく子どもは瞬間的に興味を惹くかもしれませんしテンションも上がるかもしれませんが、いざ遊ぶときは慎重に遊ぶかもしれません。もちろん怪我をしたくないという気持ちもあるかと思いますが、何よりも一緒に遊ぶ友達のことを意識していると思います。自分ひとりがルールを無視して、大きな怪我や周りに迷惑をかけると、自由の幅がどんどん狭まり、せっかくの広場が規制だらけになってしまう、という意識が子ども達は持っているように思います。

  5. 注意書きのトップに「危険なことをしない!」という部分が、「危険なことができます。」から始まっている。ドイツと日本とでは子どもに委ねる部分の幅が大きく違うことを改めて感じます。それはひとえに子どもの能力を「信じ、見守る」という姿勢が大人のかんがえの中にしっかりと根付いており、そのことに対して、子どもたちもしっかりと「自己責任」を理解しているからなんでしょうね。こういったことは主体的な活動にそのまま繋がりますし、子どもの能力にも大いに影響することだと思います。日本ではどうしても、「子どもたちだけでいると危険なことをするから、大人は見ていなければいけない」というように子どもたちの活動を制限してしまいます。それがより危険なことをすることを余計に助長しているのかもしれませんね。大人の意識はやはりこれからもっと考えていくべきなのかもしれません。実際、ドイツの保育を見たり、ブログを読んでいると、意外と保育の中でまだまだ子どもたちのことを信じきれていない部分が多分にあるということを改めて感じます。

  6. 冒険遊びには「危険」はつきものです。冒険の険と危険の険は同じ険という文字を用いています。日本の屋外遊戯場は「羽根木プレーパーク」のように、基本、「遊園」なのです。「遊園」とくれば当然「遊園地」を思い出すでしょう。「遊園地では、危険なことができます」とはいかないでしょう。日本の場合、公でも私でも、「危険」を前面に出したサービスの提供はしないはずです。「危険」とわかっていればまず親が行かせないでしょうね。「モグラの家」は報告を伺った時も何かカルチャーショックのようなものを感じました。園内で通用するお金を支払って道具を借り、資材を調達して、家を作っていく、金づちやのこぎりの使い方、あるいはデザインなども考えるでしょう。自発的に総合学習が可能になる場が「モグラの家」、そんな印象を受けました。ここで、家づくり等々が好きになれば、やがて建築マイスターを目指す子も現れてくるのでしょう。伝統を大切にするドイツの一事例ではありますが、たんに遊びではない、国家的使命を帯びている施設、のような感じも受けました。

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