ドイツ報告2013-21

 今年で、ドイツに行き始めて11回目になります。その前の年に、下見でローマ、フランクフルト、ミュンヘンと視察した結果、ミュンヘンに決めたので私は12回目となります。よく、他人から「どうしてドイツなのですか?」と聞かれることがありますが、「どうして毎年同じ場所に行くのですか?」ということはあまり聞かれません。それは、参加者は、特に毎年行くわけではないからでしょう。毎年行くのは、私だけですので、私はあるとき「たまには、いろいろな国に行ってみたい」と妻に行ったことがありました。その時、妻に「観光じゃあ、あるまいし、きちんと一つの国に決めた方がいいんじゃないの?」と言われました。確かに、いろいろな国に行きたいと思うのは、いろいろな国の実態を知りたいというよりも、単にいろいろな国に行きたいという観光に近い理由があるかもしれません。

 というのは、いろいろな国によく行く園長の園が、どのように保育が変わっていったかというと、部分的に、参考にしているという程度で、一貫性が見られないことが多い気がします。それは、先方の受け入れ方も違ってきます。私の園にも見学者が来ますが、毎年、見学に来る園への対応は緊張します。見学後、1年間で実践し、それがほぼ理解できた時にまた次にまた来るからです。ドイツで、毎年行く園は違うのですが、それをコーディネーターしてくれる教育局の人は、ドイツでは、異動がないのでずっと同じ人です。そこで、毎年訪れることをとても評価してくれ、篤いおもてなしを受けます。

 6月12日の午後視察した「森の学童クラブ」のホームページに、「日本からの訪問者」という記事が集合写真入りで掲載されていました。
「エバーズベルグの「森の学童」が、様々な分野の人々に大きな関心を呼び起こしています。「子どもたちには物事の決定に参加することができます。森の中のどの場所に行くか、そこで何をするか、あるいはたとえば何を創造するか、どんな経験遊びをするか、あるいはオタマジャクシを観察するのかを子ども自身で決定することができます。」とエバーズベルグ「森の学童」の教育指導員Karen Brummerさんが説明します。子どもたちは、「森の学童」の中で、経験豊かな教育者がそっと付き添うことで、自分自身のイニシアチブを育て、自分自身の考えを実行していきます。こうしたことが、「なんでも与えられすぎる今日という時代でどれほど大切なことでしょうか。」と彼女は強調します。

この説明に、日本から視察に訪れた教育者たちはうなずき、熱心にノートを取ります。時折、少し驚嘆した声が聞こえてきます。多数の本を著し、日本の中で高く評価されている教育者の一人である藤森氏を中心とした日本全国から来た20人の代表団が、4日間ミュンヘンとその周辺に滞在しています。メンバーには、多くの保育施設の園長さんや二人の建築家もおります。その建築家は日本で施設の建設を計画しています。彼らは様々な乳幼児施設を訪ね、さまざまな概念に触れます。ミュンヘン市「陶冶スポーツ局」の教育者ベルガ―有希子さんが代表団の調整世話役をします。エバーズベルグの「森の学童」の概念は、日本からの視察団にとって特別な関心をもったようです。

強調されることは、教育的雰囲気と子どもの環境の創造です。学童の発達史、部屋の刷新、財政コンセプト、ケアのポイント、宿題のケアのような「ハードな事実」の多くのことが明確になった後、グループ全体で森の中へ出かけていきます。エバーズベルグの森の様々な場所で子どもたちが午後の時間、創造的活動をする場所を体験し、自然から学んでいます。視察団の皆さんは森を通過するだけでなく、適切に見学していました。子どもたち自身で上手に作った倉庫や小屋、木の手紙受け、素材を集めて作った自然の芸術作品の形状をカメラにおさめていました。日本からの視察団の皆さんは、非常に新鮮な森の空気を肺いっぱいに吸い、たくさんの豊かな印象を得ることができ、心からここにずっと居続けたくなったようです。
フィリードリケ シュメルツ、エグゼクティブ 」

ドイツ報告2013-20

 一昨年、ドイツで「森の幼稚園」を視察しました。ドイツに行くと言えば、「森の幼稚園に行きますか?」と聞かれるほど有名です。2001年時点では、その数はドイツ全土で300以上にものぼり、バイエルン州だけでも30の森の幼稚園があるそうです。しかし、視察してみてわかったのは、日本が持っているイメージと大きく違うことでした。まず、森の幼稚園は、園舎がなく、森が園舎だということですが、そのような園は日本にもあるのですが、日本では認可されません。ドイツでは、認可されています。それは、どうしてかというと、ドイツでは、森の中で、バイエルン州の陶冶プログラムである「バイエルン」に沿って、きちんと保育しているからです。領域である、数も、科学も、メディアもやるのです。日本では、森の中で身体を使ってアスレティクのようなことをすることが中心ですが、そんなに崖をよじ登ったり、高いところから飛び降りたり、丸太を渡ったりするようなことはしません。そして、園舎がないと言っても、全くないのではなく、一昨年訪れた「森の幼稚園」では、トレーラーハウスを園舎代わりに使って、室内活動もしていました。もちろん、素材は自然物が多くを占め、五感を使っての森の中での自由遊びが中心ではあるのですが。

 今回のドイツ視察では、「森の学童クラブ」を訪問しました。ここは、小学校1年生から4年生まで16名を、3名のスタッフでみています。長期休みになると、子どもたちは25名になるので、スタッフはあと2名増員されるそうです。設立はとても新しく、昨年の2012年2月に作られました。「森の幼稚園」を卒園した子どもたちの保護者の要望で、設立されたそうです。ここでは、基本的に、雨の日も雪の日も森の中で過ごします。ただし、宿題をやるときと雷雨の時だけ建物内で活動します。
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 日課は、学校(地域の4校)が終わると、スクールバス(利用料2ユーロ)かタクシーでこの森に来ます。そこは、きちんとした建物でした。そして、宿題をやり、ケータリングの昼食(スープ、サラダ、メイン料理で1食3.5ユーロ)です。食器を自分で棚から出して、食べ終わると、食器を食器洗浄機の中に入れます。そして、森に行く服装(長袖・長ズボン)に着替えます。次に森の中の様々なポイントである写真を見て、自分が行きたい場所の写真の上に石を置きます。そして、17時?17時30分に帰宅します。

 ここにおける子どものイメージは、「子どもは、独自開発の俳優です。」ということで、「それは創造的な演技をする人で、活動的な人です。」そして、「すべての児童は、ユニークで、個人的な責任を負います。」「子どもたちは本質的に興味津々です!」などが書かれてあります。 そして、基礎として「安定した自己のアイデンティティを開発する 」「正の自己概念、自尊心と自己認識の獲得 」「自信、自己愛と喜び 」「自分の倫理観と信念を開発する 」「好奇心、開放性、想像力、創造性と創意 」「自信を持って、自分の感情や自分の体を使う」「性別特定の役割行動への対処」「フラストレーションへの抵抗と寛容」「メディアにより、有意義な余暇時間を開発するためのスキル」「シェーピングおよび社会的変化との積極的な参加 」が揚げられています。そのほかにも、「社会的スキル」や「財産や自然スキル 」も身につけることが目的とされています。

 日本でも、これから学童クラブがいろいろと課題を抱えてきます。託児ではなくある教育機関としての役割を考えていかなくてはならないでしょう。

ドイツ報告2013-19

私が読んだアレン卿夫人が書いた「都市の遊び場」という本は、1970年代半ばに日本で翻訳・紹介されたもので、その後、日本でも冒険遊び場づくりとして全国で草の根的に広がりました。そして、1990年代後半からは飛躍的に活動団体が増えています。その活動に一躍買ったのは、この本の訳を書いた大村虔一、大村璋子です。大村 虔一は、都市設計家ですが、NPO法人日本冒険遊び場づくり協会代表を務めています。設計家としてしては、「東京オペラシティ」がありますが、宮城県教育委員会委員長、東北大学大学院教授、宮城大学副学長、(財)宮城県地域振興センター理事長などを歴任しています。その中で、冒険広場としては、世田谷ボランティア協会理事として、「羽根木プレーパーク」の区と住民の協働システムをつくったことで有名です。

 一方、大村璋子は、日本への冒険遊び場の紹介者で活動推進者です。彼女は、IPA(子どもの遊ぶ権利のための国際協会)初代日本支部長のかたわら、夫とともに地域住民手づくりの冒険遊び場運営をスタートし、世田谷区と協働の羽根木プレーパーク創設、全国の遊び場づくり運動のきっかけをつくりました。彼らの活動により、地域住民による運営が広がっているのは、世界的に見た日本の冒険遊び場づくりの特徴といえます。ただ、私は日本における冒険広場の多くは知りませんが、日本における冒険広場は、「廃材を使って」というよりは、「冒険遊び場」の原点である「子供の遊び場を豊富で自由なものにする」ということを重視しているように見えます。

ドイツの冒険広場は、前回訪れた「モグラの家」同様に、廃材を使って、子どもたちが家を作るということがメインのようです。そのために、働いて、ここで通用する通貨をもらい、その通貨で廃材を買ったり、工具を借りたりするというようなことが行われます。毎日、6歳から13歳までの子どもたちが80?100くらい利用するそうです。彼らは、無料で、とくに届はいらず、いつでも(13時?18時)気軽に来て遊べるようです。全体の敷地は1400平米、雨天時や冬期間使用する建物は約400平米あります。費用的には、企業その他の後援団体が多いそうです。ただし、スポンサーではないということです。

ここのチラシには、こう書かれてあります。「 冒険遊び場は、危険なことができます。 様々な既知および未知の脅威があります。特にあなたが見ている突き出た釘とボード上。 それが濡れている場合は、特に住宅やケーブルカーに注意する必要があります。」日本では、注意書きのトップに「危険なことをしない!」と書くでしょうね。それが、「危険なことができます。」から始まるのです。
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また、ここのルールには、「怒って、ほかの子に、それを表わしたり、呪いの言葉はつかわない。」「投げるものと吐くは許可されていません。」「口語言語はドイツ語であるため、我々はすべて、お互いを理解し合わなければならない。」「屋根へのアクセスは禁止されています。」「火は暖炉です。薪を燃やし、紙や段ボールは、照明のためにのみ使用することができます。」「サッカーは許可されていません。」「建設遊び場で頑丈な靴を着用してください! 」「あなたは、1つまたは複数のルールに対して頻繁に違反した場合は、禁止され得ることができます。」「施設に入る営業時間外に禁止されています。」「違反が表示されます。」
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何となく、日本から見ると、禁止する事項と許す観点が少し違う気がします。

ドイツ報告2013-18

私が大学を出たかそこらのころに読んだ本に「都市の遊び場」(アレン・オブ・ハートウッド卿夫人著、大村 虔一/大村 璋子 訳)という本がありました。この本が、数年前に多くのひとの要望により復刻版が出版されました。この本の中で、私の脳裏に焼き付いているのは、たき火の上を飛び越えている子どもの写真で、子どもは、危険なこと、危ないことに挑戦ことも遊びにしてしまうというようなことが書かれてあった気がします。もう一度、それを引っ張り出して読んでみようと思っています。

第二次世界大戦のさなか、デンマークの造園家ソーレンセン教授は、専門の造園業から、都会では、子どもたちはどのような場所であそんでいるのかを長年観察した結果、子どもたちは、こぎれいな遊び場よりも、ガラクタのころがっている空き地や資材置き場で大喜びして、生き生きと遊んでいる姿に気がつきました。そこで、彼は、「冒険遊び場」を提案します。彼は、1931年に「都市と農村のオープンスペース」という本を刊行します。そこで提案しているのは、「子どもが古い車や箱や木材を使って遊べる適当な広さの廃材遊び場をつくってみるべきだろう。子どもたちがあまり乱暴に争ったり怪我したりしないように、多少の監督が必要であったが、そんな監督は必要でなくなるかもしれない。」というものでした。
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この提案に基づいて、1943年、コペンハーゲン市郊外に建築家ダン・フィンクがデザインし、初代プレーリーダー、ジョン・ベルテルセンと子どもたちによって、「エンドラップ廃材遊び場」が作られました。そして、大戦直後、未だ戦火の消えないヨーロッパで、幼児教育にたずさわっている人々が、国境を越えて子ども達のために協力する目的をもって、国際機関を創設しました。それが、OMEP(Organisation Mondiale Pour l’〓ducation Pr〓scolaire)と呼ばれている「世界幼児教育機構」です。

この初代会長であるイギリスの造園家アレン・オブ・ハートウッド卿夫人は、1945年に、この「エンドラップ廃材遊び場」を訪れます。彼女はこの遊び場に深く感銘を受けてその思想を持ち帰り、ロンドンの爆撃跡地に冒険遊び場をつくります。そして、ロンドン冒険遊び場協会長として世論を喚起して、冒険遊び場運動を隆盛させていきます。このように、彼女は、造園家としてイギリス造園学会副会長を務めただけでなく、イギリス保育学校協会副会長や、障害児ホリデイクラブ会長を歴任します。また、1944年に施設児童の生活を告発した単独キャンペーンで、1948年の児童憲章を実現して行きます。

このイギリスで力強い大きな流れとなった冒険遊び場づくりは、発祥の地、デンマークに逆輸入され、やがて1950?70年代を中心に、スウェーデン、スイス、ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、オーストラリアにも広がっていきました。現在、ヨーロッパ全体で1,000カ所程度の冒険遊び場があり、そのうち半数程度がドイツにあります。また近年になって、香港やカナダで、冒険遊び場づくりの新しい動きが生まれてきています。その一つであるミュンヘン市にある「冒険広場ABIX」に、13日訪れたのです。市内には、4か所の冒険広場がありますが、同じ趣旨で、同じ時期に作られた「モグラの家」という施設には、過去2度ほど訪れていますが、ここは、今回初めてでした。
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ドイツ報告2013-17

 現在、旧石器時代の洞窟に書かれた壁画が発見されていますが、そこには、いつ、どんなものを描いているかということは分かりますが、一番重要な「何のため」に描いたかがわからないことです。それが、実用品であったり、生活に直接関係のある物であったならば、推測は容易かもしれませんが、芸術となると、現在でも「何のため?」と言われても答えられないものがあります。しかし、昔は、基本的には意味がなく描いているはずはないのです。しかも、様々なところから発見されているので、「趣味のため」とか、「芸術心が心の中から湧き上がってきたから」というような理由であるわけはないのです。

 それでも、現在では、研究者の間では意見が一致している点が一つあるようです。100年前に壁画の古さが確認されて以来、研究者たちは長い間、壁画が描かれた唯一で普遍的な理由を探してきました。しかし実際には、そういうものは存在しないということで意見が一致しています。壁画を描いた理由は決して一つではなく、個々のケースによって、様々な背景があったと考えられています。

 最近の研究は、洞窟内の空間や壁面の形状、光、そして音響などが、描く対象、技法、使う色などの選択にどう関係したのかといった、新しいテーマのもとで進められています。壁画は、土地の自然環境や文化を背景にもつ多面的なものとして捉えなくてはならないというのが、現在の専門家たちの認識です。

 壁画を描く動機に、洞窟内の空間や壁面の形状、光、音響などが影響しているとは面白いですね。空間が、行動を左右しているのです。ドイツの陶冶プログラム「バイエルン」には、「学びの環境」として、「園の建築、内装などすべてが子どもの感覚養成に関係してくる。」としています。以前のブログでも、ドイツでは「第二の教師は建物である」と言われていることを紹介しましたが、その建物の形状、建物内の空間、建物の内装、すべてが子どもの感覚に訴え、子どもにとっての学びとなっているというのです。日本では、どの園でも方形の何の工夫もない空間の中で、子どもの感覚に訴えるどころか、感性を壊してしまうような装飾、または、全く味もそっけもない空間のなかで、子どもたちに生き生きと活動するように促しても無理なのです。

 バイエルンには、「美学的な陶冶は子どもの全人格に働きかける。頭(知識)心(感情)手(運動)」としているものの、「型紙や作り方の例などは、創造的な活動の邪魔をする。」とし、あるものを見てその通りに描くとか、例えば、七夕の飾りを作るからと言って、作り方を示し、その通りに作らせるような活動は、創造的な活動の邪魔をするといって排除されています。また、「上手にかけた絵が目的なのではなく、その絵にたどりつく創造的な活動にこそ意味がある。」としています。私の園でも、出来上がった絵や作品を展示するような作品展をやめて、子どもがどのように成長したかを絵を通して保護者に伝えるというような趣旨の成長展を開催することにしています。

保育というものは、デジタルなものではなく、過程が大切であるアナログの世界です。どうしても、保護者は、例えば泣いているという子どものある瞬間の姿を見て判断することがあるのですが、どうして泣いたか、どうやってそこから立ち直ったかが大切なのです。

ドイツ報告2013-16

 保育士の資格は、現在、試験でも取得できます。その中で実技の試験科目は、「音楽」「絵画制作」「言語」の中から二つ選ぶようになっています。この内容は、子どもたちに指導する内容でしょう。そうすると、ドイツでの領域の考え方からすると、考える部分があります。

 まず、日本ではかなり重視する「絵画制作」が領域の中にありません。それは、どうしてでしょうか?その分野について、「バイエルン」にはこう書かれてあります。「芸術に積極的に取り組む子どもたち」の中に分類され、そこに、「美学、芸術、カルチャー」と「音楽」が位置付けられています。日本では、絵画制作や音楽は「表現」に位置づけられています。ですから、「感じたことや考えたことを自分なりに表現することを通して, 豊かな感性や表現する力を養い, 創造性を豊かにする。」ことが目的になります。ドイツでは、まず、「五感を通しての学びは小さな子供にとっては陶冶の基本である。」としています。ということから、「最初の芸術、美学的経験はまさしく手でつかむことが、観念上の把握という形につながっていくことである。」として「美学、芸術」をとらえます。

 人類は、どうして「芸術」を生み出すようになっていったのでしょうか?また、赤ちゃんには芸術を生み出す力はあるのでしょうか?ゲオ術の存在が確認されたのは、旧石器時代の芸術作品があります。それは、1万8000年前の壁画で有名なスペイン北部の「アルタミラ洞窟」です。ここには、岩の凹凸を巧みに利用して洞窟の天井に何頭ものバイソンが描かれています。この壁画は、地元の地主親子によって発見されたのですが、あまりに芸術的なため、旧石器時代のものとは認められませんでした。それは、当時の学界では、はるか昔の原始人に、これらの現代美術とそん色ない絵を描くだけの知能はなかったという考えが支配的だったからです。

 しかし、その後様々な洞窟から同様な壁画が発見されたのですが、ここに書かれてある動物が遠い過去に絶滅した動物であること、旧石器時代の遺物を含む地層に覆われて存在していることなどから、旧石器時代のクロマニョン人による洞窟壁画であることがほぼ確定しています。

 では、クロマニョン人は何を描いたのでしょうか?動物、ヒト、抽象図形などのようですが、人に関わる壁画として圧倒的に多いのは、「手形」だそうです。これは、ドイツで多くみられた手形による装飾とは関係はないかもしれませんが、なんだか不思議な気がします。

 他には、数はそれほどないそうですが、ヒトと動物が合体したような半人半獣の絵や、いくつかの動物が混ざっているものがあります。それらは、動物のマスクをかぶったシャーマンとみなされていましたが、今は、想像上の生き物を描いた可能性が考えられています。

 この人類が芸術を表わし始めたころに関係はないと思いますが、ドイツの幼児における絵画は、まず、「子どもは頭の中に絵を描いて考える。」という「Kinder denken in Bildern」が重視されます。それは、「好奇心、自分で創造することの楽しみや意欲は子ども時代の人格形成のモーター(原動力)となるものである。」ということに根拠を持っています。

 ドイツにおけるバイエルンは、人類の成り立ちからは考えていない気がしますが、私は、何となく、そんな気がするのです。

ドイツ報告2013-15

 日本と領域の考え方で大きく違うところがいくつかありますが、その一つに対象年齢があります。日本では、保育所保育指針の中では特に対象年齢は書かれてありませんが、3歳児以上を対象とする幼稚園教育要領と全く同じ文言であるところを見ると、領域の対象は3歳以上であることがわかります。それは、以前の保育指針でははっきりしていました。それに対して。ドイツの陶冶プログラム「バイエルン」にはこう書かれてあります。

 「新生児は『能力のある乳児』としてこの世に生まれてくる」とし、「子どもは誕生の瞬間から自分の陶冶と発達について積極的に働きかけている」とあります。ここには、子どもは生まれながらにして教育される権利を持っているという精神が貫かれています。それは、生まれながら「能力ある存在」として尊重されます。それは、決して情緒的なことではありません。この「バイエルン」の背景には、「脳科学、発達心理学の間では、乳幼児期の学びの大切さが自明の理である。乳幼児期は、発見の喜びや、興味、新しい経験に対して一番敏感である。そして、その敏感期は、大人が適切な学びの機会を与えないと、その扉は閉じてしまう。」と書かれてあるように、きちんと科学的根拠も考察しています。

 また、この「バイエルン」は、「モンテッソーリやシュタイナー、レッジオ、世界の様々な、いいところを取り入れ、自分の国にあったものを作りました。」というように、いろ位ソロ参考にしています。こんな、孔子の言葉も引用しています。「説明してもらったら、わたしは忘れるであろう。見せてくれたならばわたしは思い出すであろう。わたしに実際にやらせてください。そうすればわたしは理解するであろう」そして、この言葉は、脳科学の新しい事実である「実際の体験がシナプスをつなぐ」ということであるとしています。その意味から0歳児からいろいろな体験をすることができるような環境を用意しています。それは、コープなど0歳児から6歳児までの異年齢で過ごしていれば当然0歳児でもいろいろなものに触ることができますし、体験できます。また、キンダークリッペという0歳児から3歳児までの園でも、全く同様な環境、ゾーンが用意されています。

 ドイツでのこのような事情が分からなかった昨年は、乳児保育園でも難しい科学教材が置かれていたことにびっくりしました。というのも、領域の中で、「言語領域」や「音楽教育の領域」「身体表現、スポーツの領域」などは、乳児からその発達に合わせた課題があるのは分かるのですが、「数学の領域」や「科学技術の領域」や「メディア教育の領域」では、乳児に対してどのような環境を用意すればよいかのイメージがわきにくい領域です。それは、ドイツでも同じような事情があるようです。ですから、これらの領域についての具体的な取り組み方や、その教材が開発されていました。

 例えば、「数学の領域」では、「“人形は椅子の上に寝ている”とか“ドアの向こうにかくれて”“まずズボンをはいてそれから靴をはいて”などという日常の言葉の中にも数学の秩序という概念が入っている。」というような例が書かれてあります。そこには、「最近の数学の学習プロセスで重視されるのは、数や形の概念というよりも、むしろ数学的考え方の獲得、発展であり、問題を解決しようという能力である。」とあります。また、「乳児がはじめて数学に出会うのは、形である。」ということで、きちんと乳児からの教育を研究されています。

 日本でも、もっと乳児からの数、科学、メディアなどの領域の研究もされていかなければならない気がします。

ドイツ報告2013-14

 幼児教育では、具体的に子どもたちは何を学ぶのでしょうか?それは、どこに書かれてあるのでしょうか?もし、幼児教育が「学校教育」であるならば、その基本は、学校教育法に書かれてあります。そこには大きく分けて三つ書かれてあります。その一つ目は、「身近な社会生活、生命及び自然に対する興味を養い、それらに対する正しい理解と態度及び思考力の芽生えを養うこと。」であり、その2は、「日常の会話や、絵本、童話等に親しむことを通じて、言葉の使い方を正しく導くとともに、相手の話を理解しようとする態度を養うこと。」です。 そして、3は、「音楽、身体による表現、造形等に親しむことを通じて、豊かな感性と表現力の芽生えを養うこと。」です。

 また、幼稚園教育要領と保育所保育指針には、教育内容として5領域が書かれてあります。5領域とは、「子どもが、乳幼児期に身につけることが望まれる心情、意欲、態度などです。」と書かれてあり、「健康」(健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、自ら健康で安全な生活を作り出す力を養う)、「人間関係」(人とのかかわりを促し、その中で人に対する愛情と信頼関係を育て、人間尊重の心を培う)、「環境」(自然や社会の事象についての興味関心を育てる)、「言葉」(言葉への興味関心を育て、話したり、聞いたりする態度や豊かな言葉を養う)「表現」(表現活動などの体験を通して、豊かな感性を育て、創造性の芽生えを培う)の5領域です。

 ドイツの「バイエルン」にも具体的に子どもたちが学ぶべきことが領域として書かれてあります。それは、「陶冶保育プランの中心となる陶冶保育領域」として書かれてあります。その領域は、「言語領域」「数学の領域」「科学技術の領域」「メディア教育の領域」「音楽教育の領域」「身体表現、スポーツの領域」の6領域です。これらを、日本の領域と比べてどう思うでしょうか。その違いがはっきり分かるのは、保育指針解説書の、日本の領域が五つに分かれている観点を読むとよくわかります。そこには、「教育に関わる領域は、保育士等が、子どもの発達をとらえる視点として5つに区分されています。」と書かれてあります。全く違いますね。

 このように、ドイツでははっきりと子どもたちが学ぶべきことが領域に書かれてありますが、その方法は当然、「バイエルン陶冶保育プランの基本方針」に書かれてあるように、「子どもの遊びの中での発達支援を中心に」ということになります。いくら「幼児期の教育の重要さが強調される中でも、遊びが教育学的基本」ということで「遊び」が強調されているのです。そして、「遊びと学びは、コインの表と裏」とし、「子どもが興味をいだき、答えを導き出せるように」という基礎を子どもに与えることができれば、新しい視界が将来開けると「バイエルン」には書かれてあります。

 そこで、ドイツの各園には、領域ごとのゾーンが設置されていて、子どもたちがそこにおいてある教具を子ども自身が自由に取り出し、自由に使い、それを使って遊ぶ中から学んでいきます。また、その領域の中から、各園で地域性、園児の家庭状況などから重点項目を決め、それを重点的に取り組むことにより、各園の独自性、特徴が出ているようです。

 そして、プランの要となるのは、幼児施設でも、保育者でもなく、子どもであるとし、各園がやるべきことは、保育内容の論議ではなく、常に保育のプロセスについて刺激を与え続けることが重要であるとしています。日本では、各園が保育内容まで独自性を出そうとしていますが、少し違うようです。

ドイツ報告2013-13

 ドイツをはじめとして、海外の保育室の装飾には写真を多用します。その代りに、クマさんや犬などが擬人化された装飾は少ないようです。それらは、例えば昨日紹介したアメリカのテルマ氏らが著わした「保育環境評価スケール」における評価項目を見ると、日本と少し違うところが見えます。それは、ドイツで見た環境が同じ考え方であることがわかります。この評価の「乳児版」で見てみます。

 「日常のケアのための家具」の項目に、「とてもよい」という評価項目に、「子どもに接するのに快適な大人用の椅子がある」そして、その説明には、椅子に変わる例えば大きなブロックなどに座り、それを保育者が具合が悪いと感じていなくても、そのような間に合わせのものではなく、きちんと大人用の家具が求められるとあります。それは、今回のブログでも取り上げた「保育者の人権」を守るということです。

 また、ドイツのどの部屋にもある「くつろぎ空間」についても、「安心して落着ける空間」の項目の「よい」に、「1日のうちほとんどいつも使える特別のくつろぎの場所がある」とあります。日本の保育室には、なかなかこの「くつろぎの場所」を見ません。しかも、この項目の「たいへんよい」という評価は、「特別のくつろぎの場所以外に柔らかなものに触れる場所がいくつかある」とあります。部屋のいろいろな場所に柔らかいものが必要とあります。それは、おもちゃだけでなく、柔らかい家具やクッションや敷物などが必要で、それにいつでも触ることができるようにすることが大切であるとしています。ドイツでも、マットとかソファーが置いてあるくつろぎの場所の他にも、いろいろなところにクッションが散らばっています。
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 また、「とてもよい」に「くつろぎの場所は本を読んだりその他静かに遊んだりするときに使われる」があります。多くのドイツの絵本ゾーンには、椅子とテーブルは置いておらず、マットが敷き詰めてあったり、クッションが置かれてあります。日本から訪れた保育者は、図書ゾーンにいすが置かれていないのを見て、「どうやって本を読むのだろう?」と思っていたようですが、私が、「ゆったりと座りこんで読むことが多いのですが、時によっては、寝っころがって読んだり、うつぶせになって読んだりしています。」というと、少しびっくりします。絵本を読むというのは、知識を得るというよりも、リラックスするという効果が大きいのでしょう。
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 保育室内の展示、装飾についてもドイツやアメリカでの基準は少し違うようです。アメリカの評価スケールの乳児版には、「最低限」として、「少なくとも3枚の色鮮やかな絵やその他の教材が子供のみ安いところに展示してある」とあります。どうも、日本人は、パステル調とか、淡い色遣いが好みのようです。特に乳児においてはそのような傾向がありますが、実は色鮮やかな色の必要があります。ですから、「よい」環境は、「たくさんの色鮮やかですっきりした写真やポスター、絵が部屋全体に展示してある」となります。昨年のドイツで鮮やかな色で統一された園を思い出します。
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 また、ドイツでは、壁面装飾以上に、天井からのつるし物が多くみられます。アメリカの評価でも「よい」環境に、「モビールやその他つるすものが、子どもの見えるところにある」とあります。それは、壁面装飾の多くは平面のものが多いことと、つるしたものは動きがあるからだと言います。アメリカの評価スケールを見ても、ドイツでの保育室の意味が解ってきます。
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ドイツ報告2013-12

 ドイツに行くと、全体の取り組みのほか、細かいところでも参考になるところがたくさんあります。書類にしても、先日紹介した指導計画や保育日誌などのように、保育者自身のためのものや、園のためのものの書類は非常に少なく、保護者に対しての書類はいろいろとあります。他には、発達経過記録のようなものです。子どもたちの発達を園が記録をしておくというよりも、保護者に子どもの発達を伝えるような書類です。それは、最近、よく言われる「ポートフォリオ(portfolio)」というものです。
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ポートフォリオとは、もともとは「紙ばさみ」を意味する英語です。「持ち運びができるように書類を入れるもの」をさし、一般には「書類カバン」「携帯用書類入れ」「折りカバン」などをいいます。また、「画家・写真家・デザイナーなどが自分の作品を整理してまとめたもの」「モデルなどが売り込み用の自分の写真を入れるもの」もポートフォリオといいます。経済・金融分野では、もともと株式用語で「有価証券一覧表」をさしますが、「資産一覧表」「顧客リスト」などの意味でも用いられます。

日本では、学校においても、総合的な学習の評価方法として近年注目されています。このポートフォリオ評価は、たとえば「学習活動において児童生徒が作成した作文、レポート、作品、テスト、活動の様子が分かる写真やVTRなどをファイルに入れて保存する方法」と定義されています。そして、ポートフォリオは、残す意味があるものを選んで子ども自身の目の前でファイルすることを通して、1)子どもが達成したことが何であるかを子ども自身に明確に伝え、2)どうしてそれが高く評価されることなのかをわからせ、3)子どもの達成感や自尊心、あるいは自己効力感を高め、そして4)次の課題が何であるかを示して自分の学習活動をコントロールするためのメタ認知を育てることを意図するものです。

これを幼児教育に応用しようということで、子どもの発達経過を保護者に伝える手段として利用され始めています。園児が、保育の中で作成した作品や、活動中の写真、活動内容などを個人別に作成し、いつでも保護者が見ることができるようになっています。当然それは、保護者のためだけではなく、保育者も園児一人一人の発達を確認し、次の活動への参考にするものです。
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他に面白い写真を見つけました。それは、家族が写っている写真で構成された用紙です。この用紙は慣らし保育中に、保護者の方に作ってもらうものだそうです。子どもが園の体験をする中で、保護者は家から持ってきた写真で家族のパネルを作ります。園長先生は、よく子どもたちはここに家族の写真を見に来るそうです。ドイツを含め、海外の園には、家族の写真がよく掲示されています。アメリカの「保育環境評価スケール」には、「子どもに関係する展示」という項目で、「とてもよい」という評価内容に、「グループにいる子どもの自分、家族、ペットその他親しんでいる顔の写真が目の高さに貼ってある。」とあります
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また、今年の流行なのか、子どもたちの手形を使った装飾がどの園にもみられました。上記のアメリカの乳児篇の評価の中に、「子どものなぐり書きとか手形などが展示されている。」という項目もありました。
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