グローバルということ

最近は、企業も教育でも「グローバル」という言葉を聞くことがあります。「グローバルな人材」「グローバルな仕事」「グローバルな活動」ということも簡単に言います。若い人に将来を聞くと「グローバルな活動をしたい」ということも言います。もともと「グローバル」とは、グローブ(globe)からきていて、球体としての地球の意味です。この言葉が広く使われるようになったのは、1970年代、地球環境が人類的課題だという意識が生まれたことなどからだと言われています。ある意味では、IQからEQという考え方が重要になったことだともいえます。机上の知識では、地球規模の課題は解決できないということです。

しかし、この「グローバル」という意味も時代によって、その時代の課題によって使われ方が変わっています。冷戦期には、東西分断を超える人類的視点をグローバルと呼び、世界平和を志向する用語として使われましたし、地球温暖化などの環境問題や、絶滅種保護や生物多様性についての課題が多い現在では、地球規模で取り組まなければならないということでこの言葉が使われることが多くなりました。

これらから視点で見ると、「グローバル」の意味は、「これまで存在した国家、地域などタテ割りの境界を超え、地球が1つの単位になる変動の趨勢や過程」という意味になり、もっと広くとると、最近私が、乳幼児教育を考える時に、人類の始点から、人類の進化から考えるということも「グローバルな視点」ということになります。その視点から、「グローバルに考えて、ローカルに行動する」という標語も広まりました。

しかし、最近グローバルのこんな捉え方があると坂本義和氏(東京大学名誉教授)と中村研一氏(北海道大学教授)は、説明します。「90年代には、経済のグローバル化が強調された。各国が金融自由化を進め、また旧ソ連圏が崩壊し、情報通信システムの統合が加速した。その結果、巨大企業が世界を市場や投資先として苛烈に競争を展開し、半面、政府は資本への規制力を弱体化させ、短期の資本移動や為替の投機的取引に対する統治能力が弱まった。また地球の1カ所の経済破綻が、通貨危機や世界同時不況として波及する事態が相次いだ。さらに、国民経済は構造調整が迫られ、広範な倒産や失業が広がった。これら経済のグローバル化は、実質的には米国の経済的優位に重なることが多い。その中で、グローバル化は資本の支配の貫徹であり、貧富の差を拡大し、環境と固有文化を破壊するという反グローバリズムの主張が力を増している。こうして、むしろマイナスの価値を示す言葉としてグローバル化が語られることも多くなり、言葉の二面性が強まっている。」

このような動きから、「グローバル=英語が話せる」ということになったようです。そこで、全世界に現地法人をもち、全世界を進出戦略を持つ企業では、英語の話せる職員を必要とするのでしょう。楽天では、’12年7月から社内公用語を英語に完全移行し、’13年入社の新入社員にも、入社の必須条件としてTOEIC750点(990点満点)を課しています。また、ユニクロでも英語を社内公用語にし、会長兼社長・柳井正氏はインタビューに対して、優秀であっても英語ができない学生は「いらない」と断言しています。

しかし、どうもこのような採用によって、「グローバル」な考え方が誤解されているようです。私から見ると、英語が話せることでグローバルな考え方ができなくなっているような気がします。グローバルは、「国家、地域などタテ割りの境界を超え」ていろいろなことを考えることが大切であるということなのです。