女児のままごと

 子どもは、2歳になるころから盛んにままごとをするようになります。それは、大人の所作を真似るということがあります。ですから、ままごとは家庭で行われる家事を真似しますから、多くはお母さんを真似ます。そこで、ままごとをする子の多くは、女の子であることが多いのです。しかし、最近は、父親も料理をしますし、父親が配膳をすることもありますし、ほんの最近でしょうが、父親が化粧もするようで、その真似をするのは男の子も多くなりました。

 しかし、外国ではあまりままごとをする子たちは見かけません。ロールプレイングコーナーというのはあるのですが、そこでは、ままごとはそれほど人気がなく、例えば、郵便屋さんごっことか騎士ごっことか、いろいろな職業になりきる場合が多いようです。「こども風土記」のなかでは、「女児のままごと」ということで柳田さんは書いています。柳田さんのころは、やはりままごとは女の子の遊びだったようです。しかも、日本で発達したものであると書かれてあります。

 「この遊びが日本では特別によく発達しているということを、皆さんは多分まだ心づいておられぬだろうが、同じ年をとった人たちの所作を真似るという中でも、ままごとのお手本はそう手近いところにはないようだ。そうして男の子の鳥追いやもぐら打ちと同様に単なる遊戯という以上に、まだ一部分は村の公務といってもよい状態が残り伝わっているのである。」

彼は、男の子でも、大人のやることを真似て遊ぶのは、ままごとと同様であると言います。そして、その役割は、子どもの遊びというよりは、村の公務を学習する機能を持っていたと指摘しています。しかし、その手本となるものは、子どもの身近なところには少ないと言います。そこで、こんなままごとはどうかと提案しています。

「これを発見するには最初にまずこの遊びに、季節または機会があるかどうかを注意して行くのがよいかと思う。カマクラと称する秋田県の雪小屋などは、以前の鳥追歌や御火焚棒がまだ残っているにもかかわらず、今では女の児が火鉢なんか持込んで、静かに煮炊きをして楽しむ場所になっている。他の地方の正月小屋でも、餅を焼いて食べ、または世話をする宿があって、子どもばかりの食事をするのが彼らにとっては重要な事務であった。ただしこれだけは女の子を入れない。」

異年齢の子ども集団の中で、子どもたちの自治で行われていた活動は、やはり大人になるための学習であったようです。その多くは、男の子の活動でしたが、女の子の集まりもあったようです。
「天竜川筋の雛送りのように、三月節供の日に川原に蓆(むしろ)を敷き、火を焚いて飲み食いを中心にした少女の集まりがあるが、もとは東京の近くの馬入川筋の村にもあった。ままごとの地方色はいろいろある中に、若狭の常神村などでカラゴトというのが、やはりその川原事であったらしい。ただし三月の雛遊びの日に限らず、盆に川原に出て川原粥・川原飯を炊いて食べる方が、むしろずっとひろい風習であった。」

このような風習は、地域の中の様々な場所で行われていたようです。そして、「屋外で食べるだけでなく、調理までをするというのが一つの特色で、それによって辻めし(美濃)、門飯(五島)、門まま(紀州)などの名があり、またたいていは中元の行事であったゆえ、全国を通じて盆かまど・ボンクド・盆飯・盆粥という例が多いのである。食べ物を野天でこしらえるということは、大人でも興味を持つほどの珍しい事件なのに、ましてやこれに携わった者がいつの世からともなく女の童であった。」

このようなことをどうしてするのか、彼らにはわかっていないようです。「ただその面白さを忘れることができなくて、折さえあればその形をくりかえして、おいおいと一つの遊びを発達せしめたのである。」と柳田さんは言っています。

女児のままごと” への6件のコメント

  1. 村のような共同体が一つの単位であった日本だからこその姿なのかもしれませんね。その共同体に様々な年齢の幅があったからこそ、大人のすることを真似るということが自然だったのでしょうか。村の公務を学習する機能というのはおもしろいですね。そうやって年月が過ぎてもその村の公務を努める人間がでてくるから村というものを維持していけたのかなと勝手に想像してしまいました。また「ただその面白さを忘れることができなくて、折さえあればその形をくりかえして、おいおいと一つの遊びを発達せしめたのである。」という言葉も大切にしたいです。大人になるための学習であることをこの言葉のように夢中になってできることが大切で、決して、なんでも自分でできるようになるとか、言われたことをする子に育てるというようなことが大人になるための…ではないんだということは考え続けていきたいことです。

  2. 女児も屋外で火を焚いて飲み食いをしていたというのは新鮮な感じです。ちょっと想像してみました。河原では、石を集めかまどを作ります。木切れを集め火を焚き、その木を研いで箸をもこしらえたかもしれません。食糧を山や川から調達していたかもしれません。それらはきっと役割分担のもと進んでいったことでしょう。(…まさに、現代の“河原でBBQ”のもととなった活動かもしれませんね。)
    女児は、大人のどんな姿からそのままごとをしていたのでしょうか。どんな大人になりたかったのでしょうか。大人とはどういう人だと思っていたのでしょうか。当時の女児に、いろいろ質問してみたいと思いました。日常を、いつもとは違ったやり方・道具・集団で行うというのは、ただでさえワクワクするものです。「ただその面白さを忘れることができなくて…」という言葉のように、理由は面白さにかき消されていたかもしれません。天竜川筋の雛送りのような“行事”という視点で見るならば、“伝承”という意味合いと共に、“面白さを経験を通して伝える活動”でもあるべきということですね。

  3. ままごとが外国では少なく、主に日本で発展していったという点に少し興味を持ちました。家庭の生活の一部や村の公務は当然外国でもあったことだとは思いますが、個々のスキルをいかに高めていくかが課題の中心であった民族は個の職業を模倣する遊びが多く、個のスキルよりも集団の力をいかに高めていくかが課題に中心であった民族は生活の真似や特に村の公務の真似を多く行ってきたところが特徴であったりするのかも、と考えてみました。うーん、あんまり的を得ていない感じですが。どちらにしても社会の形態によって子どもの遊びは少なからず影響を受けると思うので、子どもの姿を見ることで社会の姿も捉えることができるということは、そう間違っていない気はします。子どもの遊びから私たち大人の生き方を振り返る視点を持つことも大事なのかもしれません。内容とは関係ないことばかり考えてしまいました。

  4. ままごとのその始まりは、「村の公務」に近いものだったんですね。どちらかというと「お手伝い」の延長といった感じでしょうか、そこには少なからず大人の意図が入っていたのだと思います。しかし、子どもたちからはそんなことは関係なく、「ただその面白さを忘れることができなくて、折さえあればその形をくりかえして、おいおいと一つの遊びを発達せしめたのである。」という形になっていたというのは、まさに今の教育に求めるところに近いように思います。子どもたちはそこでは「覚えさせられる」という感覚ではなく、自然と「身についていく」感じなんでしょうね。自然とこういった活動が子どもたちのコミュニティーの中で発展していく様子、そこでの大人の意図と距離感をもっと考え、見習い、参考にしていくことは今の時代に必要なことなのかもしれませんね。

  5.  外国とのごっこ遊びを比べると、日本のようにままごとをするよりも、色々な職業になりきるごっこ遊びの方が、人気があるのが面白いですね。文化の違いというかおそらく外国の子ども達も親の家事や仕事をしている姿を見ていると思いますが。少し不思議な感じがします。幼稚園の頃にままごと遊びのスペースがありましたが、やはり女子に人気でした。男子は外で遊んだり、体を動かしている方が多かったように思いますが、こうしてブログを読んでみると女子も随分ワイルドに遊んでいたのですね。おそらくままごと遊びの延長線上で、屋外で火を使って食べ物を作るという行動に発展したのかもしれません。遊びの中で、自分たちでどうしたら面白くなるのか?考えながら遊ぶ事で多くの事を学び、大人になるための準備をしていたのでしょうね。

  6. 今回のブログ「女児のままごと」を読みながら、「ままごと」、これは自分も子どもの頃やったことがあると記憶の彼方を探ってみました。どんな「ままごと」をしていたか。思い出すのは、土地の境界を明確にするためのコンクリートの構築物の上面にできたくぼみにヨモギの葉っぱを入れて石ころですりつぶし、おかゆ状になったものを小さなお椀に入れて、はいどうぞ、と友達に出して遊んでいました。粘土質の土をうまく丸めてお団子状に作り、それも一緒に添えて。子どもたちが遊びの中に取り入れる生活模倣の中で、最も楽しいのは、調理と食事でしょう。一日の生活中でも睡眠と並んで基本的に楽しいことは「食べること」だと思います。子どもたちにとっても「食べること」は「楽しいこと」。だから見立て遊びが「ままごと」すなわち「飯事(ままごと)」になるのでしょう。食べることは楽しいことなのに、保育園や学校の辛い苦い思い出の一つが「給食」、というのは何とも考えさせられることです。

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