偉大な旅8

 人類が世界に拡散していった「偉大な旅」は、その途中で様々な文化を開花させていったようです。特に過酷な環境は、フルに人類が受け継いできた生きる知恵を人々の生活に根付かせたようです。乾燥地帯であるエチオピアのコエグ族も、モノを蓄えない人たちのようです。では、将来に対する備えをしないのかというと、別な形でしているようです。自分たちの親族内ではどうしても食糧が足りないときには、村の同じ年齢集団の中で助け合います。それでも足りないときは、近隣の牧畜民の中にいるベルモを頼ると言います。「ベルモ」というのは、いわば「義兄弟」のような関係だそうです。

 コエグ社会で最も大切なことは、「モノをあげたり、もらったりすること」と「人々が集うこと」だと言います。こうしていつも人々の結びつきを強くしておきます。「人のネットワーク」を強固にすることが、将来の蓄えとなります。コエグ内では、人々は「親族集団」と「年齢集団」に所属しますが、こうした行為によって他の民族ともベルモを介したようにネットワークが作られます。「モノを蓄える代わりにヒトを蓄える」のが、彼らの生きる知恵なのです。

 今回、国立科学博物館で開催されている「グレートジャーニー 人類の旅」の企画者である国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ員である篠田謙一氏は、関野氏が挑んだ日本人への道をこう説明しています。「DNAや化石の証拠から、現在ではわれわれ現生人類であるホモ・サピエンスは、およそ20万年前にアフリカで誕生し、6万年ほど前に出アフリカを成し遂げて世界中に広がったと考えられている。この学説に従えば、地球上に展開したあらゆる人類集団の起源の地はアフリカということになる。私たち日本人もアフリカで誕生したのだ。」

 ほんの10年ほど前までは日本人を含むアジアの現代人は、北京原人など100万年以上前のアジアに棲息した人類から進化したと考えられていました。しかし世界に展開した人類の歴史が従来説よりはるかに短いことが認識され、人類の世界展開のシナリオがDNAの系統が分析によって描かれるようになると、日本人の起源の地を問うことには、あまり意味がないことがわかってきたのです。

 現代では、日本人の成立の経緯を知るということは、その起源の地を探すことではなく、現代の私たちにつながる集団が、いつ、どのような経路を通って、なぜこの列島に流入したのかという問題を解明することだと認識するようになっているそうです。日本人の旅は、アフリカを出発した人類が成し遂げた壮大な旅路を一部を形成していると篠田さんは言います。

 人は、いろいろなことが解明されていくことで様々なことを納得します。それは、その人が携わっている分野から見て、非常に興味深いものでしょう。篠田さんは、人類史という観点から、アフリカから世界へ拡散したルートを知ることから、その民族の形成にどのような影響を与えたかということから、それぞれの文化の形成を知ろうとします。私は、最近、人類の誕生から、ホモ・サピエンスが生存戦略に成功し、誕生の地であるアフリカを出発して世界に拡散していくその途上で根付いていく文化を見ることで、人類本来の遺伝子を知り、その遺伝子を、次世代を担う子どもたちにどう繋いでいくか、何を繋いでいくべきかを考えることにとても興味があります。それは、その人類の遺伝子を、誕生まもない赤ちゃんから、幼児期にいたるまでの行動に直接感じることができるような気がしているからです。

 私にとっても、この人類の旅は、育児、保育を考える旅でもあるのです。

偉大な旅8” への6件のコメント

  1. 「モノを蓄える代わりにヒトを蓄える」というコエグ族の知恵。新鮮な考え方ですね。モノがないからこそ、ヒトを蓄え、補おうとしたのだと思いますが、現代では、モノが溢れているのに、ヒトとのネットワーク(SNS)が求められている傾向があるというのは、長い目で見て、人類の生存に黄色信号が灯ったということでしょうか。一つの切り口から物事を調べ始め、次第に様々な発見や研究、そして視点から、今までにない新たなことが解明されるというのが時代の流れだとすれば、今後も、今では考えられない新たな常識が誕生し続けるということです。これからの人類の生存実践で、次世代にまた一つ選択肢が増えます。その中から選ぶ道や常識は、“人のネットワーク”が道しるべとなってくれるのかもしれません。

  2. ここでも書かれている贈与のシステムは、単に物が行き来するということだけではなく、人と人の結びつきを生むところがメリットであったりするんですね。お金ができたことで物の行き来は非常に盛んになったかもしれませんが、人と人の相互の関係については捉え方が難しいところです。今の社会、人間関係の課題でもあるように思います。あとは旅の途中で開花させた文化が今どうなっているのか、少し気になるところです。様々な文化を守り伝えることが多様性に大きく関わってくると思います。多様性を保つためには、世界中が同じ価値観に染まってしまうのではなく、文化をよりどころとしたその土地ごとの幸福感のようなものをもっていることが大事だと思うからです。国内でも、地域でも、人も、それぞれの文化を大事にし互いの文化を尊重して手をつなぐことが、これからはますます必要になってくるでしょう。うーん、やはり自分はこの度から保育や育児にはたどり着きません。何が足りていないんでしょうね。

  3. 分けなくてもいいほどにモノがある時代に、「モノを蓄える代わりに人を蓄える」という姿勢は感覚として想像しにくいことなのかもしれませんね。全てが利益のための行動というのはあまりいい表現ではないですが、誰かに何かを与えることや人とつながることは自分にとっても全体にとっても割といいことなんだということをこんな時代だからこそ、意識をもって過ごしていきたいものです。人類の起源であるアフリカ。そこから生まれた、我々は大きな一つの集団であり、それぞれの地に拡散していったのは多様性とつながっているのでしょうかね。それぞれが自分の集団が適した地を選んでのことだったのでしょうか。そうなると人類は大きな集団も保育園の集団もなんだか似ているような気もします。よく、分かりませんがそんな気がしています。

  4.  「モノを蓄える代わりにヒトを蓄える」藤森先生がよくブログでも講演の中でも「子どもを社会の中で育てる」と言われます。正しく同じ意味のように思います。コエグ族が食料が足りない時は「ベルモ」という義兄弟に分けてもらうという関係は「社会の中で生きる」という意味にあたると思います。コエグ族にしても人類はやはり人との繋がりをとても重要にしているようです。今は少子化の原因もあり人との繋がりが本当に希薄になってきている現状がある分、こういう行為はとても参考になります。と言うのが大体の人の感想かと思いますが、それを赤ちゃんの行動と結びつき、そこから保育、子育てを考える事で、本来の人間の生き方を考えることが、あまりにも納得するので逆に驚きます。
    いよいよ「偉大な旅」の連載もひとまず終わりになりそうですが、保育と育児が人類の始りから考えることに少しずつですが藤森先生についていけたような気がします。

  5. 「物を蓄えることではなく、人を蓄える」それぞれのネットワークは今よりも密だったんですね。様々な環境で様々な試練を乗り越えることができたのはその根底にこういったネットワークをしっかりと作った上で生活していたからなんですね。今の世の中は「人と生きていく」という考え方よりも「誰の助けも借りず、生きていけるようになる」ということが求められているように感じます。人類の進化の過程を考えていくとそこにはどこか今の社会になくなってきているものを感じますし、警鐘がなっているように感じます。

  6. 「人類本来の遺伝子を知り、その遺伝子を、次世代を担う子どもたちにどう繋いでいくか、何を繋いでいくべきか・・・その人類の遺伝子を、誕生まもない赤ちゃんから、幼児期にいたるまでの行動に直接感じることができるような気がしている」、この点で私たちが乳幼児の集団保育を行っていく上での視座が決まるよな気がします。人類史を紐解くことは同時に、人類の生存戦略について知ることであり、その生存戦略を記録する遺伝子のスイッチをオンにすることでしょう。これまでのグレートジャーニーに関するブログによって私たちが保育の中で大切にしなければならないことのいくつかが示されてきたと思います。多様性しかり、協力しかり、そして今回のブログで紹介されている「モノをあげたり、もらったりすること」と「人々が集うこと」もそうです。私たちは縁あって、次代を担う子どもたちの集う場で働いています。人類の生存に貢献する意味でも、私たちは人類史から学び得たことを実践に活かさなければならないと思うのです。

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