不要なものは捨てる

エステー化学の会長である鈴木喬さんが、みんなの反対を押し切って社長に就任したのは、それまでどうにもならなかったという切羽詰まった状況にあったからです。ですから、就任当初は、何を提案しても否決されます。それは、今まで自分たちがやってきたことを否定されるわけですから当然ですが、とにかく一刻も早く変わらなければ生きていけないと鈴木さんは改革を進めます。そんなときに鈴木さんは、そんな役員にこう言います。「君、最近、疲れているようだから休んでいてくれないか。」「どのくらいですか?」「うーん。とりあえず俺が言うまで家で寝ててくれ」もちろん、こんなことを言うのは身を切るほどいやなことです。しかし、そのいやな役目をやるのは社長しかいないのです。

この強引な手立てで少し社内に緊張感が生まれました。そして、再建にあたって「コンパクトで筋肉質な会社になる」という旗印の下、五つあった工場を三つにしたところ、これは本気だと社員は感じたのでしょうか、リストラもしていないのに「あのバカ殿、だめだこりゃ」とやめっていったそうです。「従業員には従業員の言い分があるのだから、そんなもの、いちいち説得していたら時間もかかるし、こっちが病気になりますよ。」と鈴木さんは振り返ります。

鈴木さんは、工場を整理するだけでなく、160種類もあった商品をとにかく削らせます。単にコンピューター上になるだけで、実際に商品として流通しているのは三分の一もなかったのです。そんなもの痛くもかゆくもないのに、営業は一つでも削ると売り上げに響くとか、ものすごく抵抗したそうです。このようなことはどこにもあるような気がします。幼稚園や保育園でも、長い間やってきたことで、現在は何にも子どものためにならず、それどころか子どもだけでなく職員も負担になっていることをやめようとすると、入園する子どもが減るのではないかと抵抗することがあります。または、自分ではやらないのに、人がやめようとすると抵抗します。

鈴木さんは頑として「不良在庫は全部捨てろ」と指示します。しかし、半年たっても誰も捨てません。仕方ないので、鈴木さん自ら車を運転して物流センターに行って、「こんなほこりをかぶった商品、売れるか!全部捨てちまえ」と毎月1回やり取りしていたそうです。そうして、1年目は一つも減らなかったのが、2年目に三つか四つ、3年目に一気に減ったそうです。なかなか整理できなかったのは、売れもしない商品をだれが作ったかという責任問題になるのが嫌だったからだと言います。鈴木さんは、一切責任は問わないと言い続け、それが、3年目にはやっとわかってもらえたと言います。私も、その時としては子どもにとって最善のことを考え、取り組んできたので、それを否定することはすべきではないと思います。しかし、時代の変化によって、それが意味なくなったというだけですが、どうも自分のことを否定されていると思ってしまうことが多いように思います。

これらの改革が功を奏したのは東北大震災の後のことです。多くの国民が、テレビに流れるACのCMに少しうんざりしていたころ、「この時期だからこそCMをやるべきだと思います。」という社員の言葉にいま日本中を覆っているくらい空気を明るくしたいということで、傷ついた心をいやしてくれるのは子どもの歌声だろうということと、1955年に大地震があり、大津波に襲われ、市民の三分の一に相当する6万人が亡くなったにもかかわらず、立派に復興し、美しい都市として残っているリスボンに行き、作られたのが、あの「しょうしゅうりきー」というCMで、商品も登場しないにもかかわらず、大反響を生むことになったのです。

不要なものは捨てる” への7件のコメント

  1. あのCMにはそんな意味が込められていたのですね。知りませんでした。そんな思いがあったことを知ると、なんだか見方が変わってきそうです。それに、そんな思いをもってCMを制作してくださったことに感謝というかなんだか嬉しい気持ちにもなります。何かを削るという作業はそろそろしっかりと考えなければいけないなと思っています。削る、無くすということに抵抗がある人は多いように思います。削る、無くすということが目的ではなく、検討し、考えた末に削る、無くすという結論になったとしてもなかなか動けないこともあるような気がします。しかし、それを実行していくということが大切だと自分にも言い聞かして、行動していこうと思います。思い当たること、考えなければならないことがいくつかあります。ちなみに私自身は物を捨てることがあまり得意ではありません。この辺りからも意識していきたいと思っています。

  2. 「リーダーは孤独だ」という話を聞いたことがあります。まだ、深くは理解できていませんが、相手が思っているのとは違う選択を迫る回数は、他の人より多いと思います。その選択を迫られた人は、自分の想像が及びもしないところを他者につかれた時というのは、いい気はしない人が大多数でしょう。そもそも、どうしていい気がしないのでしょうか。これまでの努力が、無駄に感じてしまうのでしょうか。変えないことが顧客のためと思っているのでしょうか。などと、このような思いとの葛藤、そして、厳しい決断をしなくてはいけないと感じてしまう事が、リーダーを孤独にさせてしまうのかもしれません。鈴木氏の「コンパクトで筋肉質な会社になる」は、まさに「量から質へ」ですね。質を追求すると、大切なものに気づける印象です。無駄が多いと大切なものを見つけるのに時間がかかり、あきらめたいと思う機会が増えてしまいます。これが、現状維持を唱えるスパイラルでしょうか。鈴木氏に「不要なものを捨てろ」と、もし自分が言い渡せれた時、おかげさまで“不要なものに気づけます”という『感謝』の心へ直接意向し、質を追求し、常識を疑う自分でありたいです。

  3. 「不要なものは捨てる」何かを整理するときによく聞かれる言葉ですが、程度に違いはあるにしても覚悟が必要なのは間違いないですね。鈴木喬さんの気持ちを自分なりに想像してみたんですが、それはもうすごい覚悟だったんだろうと思います。捨てることや変えることに抵抗する人たちの「自分の責任にされるのは嫌だ」という気持ちに対して「そうではないんだ」という思いをしっかりと伝え続けることなんかは、とても勉強になりました。他者の気持ちをちゃんと理解していくことはやはり大事なんでしょうし、自分にはそこが足りないこともよく分かりました。ただ、その気持ちを理解することと、その人たちの言うとおりにすることは、全く意味が違うということも押さえた上で、何をどう進めていくかを考えていくことが重要なんですね。保育の世界の話ではないのですが、とても参考になります。

  4.  エステー化学の社長の鈴木さんの行動は確かに強引なように見えますが、それだけ会社を立て直したいという強い気持ちがあるからこその行動かもしれません。人が嫌な役目をすすんで自分が行うことは、本当に大変なことだと思います。しかし、まずは自分が行動で表していかないと、社員からは信用も得られないし、会社としても成功しないという思いがあるからでしょうね。私には、まだこういう部分が足りないように思います。どうしても回りの目を意識してしまい、思い切った行動や発言が出来ていません。と言うのは、まだ自分自身が仲間を信用していない気持ちが少しでもあるのでしょうか・・・。

  5. 民主的に変えていくリーダーが前回出てきましたが、今度は逆に強烈なインパクトのあるリーダーですね。しかし、聞いている分にはとてもスカッとします。そういった選択に至るまではとても葛藤や悩みが尽きなかったことと思いますが、ときとして組織の長は苦渋の選択を求められる時がありますね。今ある環境を変化させるためにはその変化する部分を見極めなければいけません。時には今までのものであったり、通念・方法に至る部分を捨て、新しい考えで動くことが必要になることがあります。そのなかで行動を起こす時に、社員にだけ問題点や変更点を向かわせるのではなく、時に社長自身も行動を起こすという姿勢はとても重要になります。エステーが最終的に改革は成功し、職員が自分から行動に移す行動力や会社の姿勢や信念をしっかりと受け止めるような企業になったということはその社長の背中を見て、働いていた社員たちにその考えが浸透していた証拠ですね。保育界においても、今は転換期であり、リーダーシップということが求められている時期なのかもしれません。多くの考えを踏まえて、自分自身が成長できるよう、取り入れて、参考にしていきたいと思います。

  6. 3.11の大津波災害を私の地元が被ったと知って以降、テレビとネットはなくてはならないものでした。一人一人の安否が気にかかりました。民放の報道番組の合間に流れるACのCMには確かにうんざりした覚えがあります。そして、エステーのCMで男の子が歌の最後に「しょうしゅうりきー」と歌います。確かに、心にぽかんと開いた穴を通り抜けるような美しい声でしたね。その時はただ見ていただけでしたが、昨年今回のブログをリアルタイムで読んで初めて「1955年のリスボン大地震と津波」がその背景にあったんだと知り、何だかそのエステーさんのCM演出に改めて胸を打たれたことを1年経って思い出しました。そのエステーさんの社長さんの改革は大胆ですね。そして誰かにやらせるのではなく、率先垂範。リーダーとは、こうした存在なのだと見せつけられます。すでに出来上がったところを変えていくことの大変さは身近では自分たちの園、広く大きくみれば、我が国の保育界全体に関わってよくわかります。大変でもやらなければなりません。私たちの将来は目の前にいる子どもたちが作り上げていくのですから。

  7. CMの込められた意味にそのようなものへの繋がりがあることを知りませんでした。一つ一つに興味をもち、好奇心を持つことで、色々なことへ目を向け、知ることができますね。エステー化学の会長である鈴木喬氏の一歩の踏み出す勇気というものは、時代の流れを知った上での一歩だと感じられるものがあり、そして、ワンマンに見えるものが、実際は社員の業務の手間や無駄をはぶくことができる、より、効率を求めたものだったのをいうことだったのですね。この事には、信念やそれに対する熱い思いが裏付けされていたことがあるように感じられるます。
    そして、過去から続いているからそのまま続けているという考え方を見直し、どうしてこのように続いているのかを考え、最善のものとして、変化していくことの必要性を感じています。

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