子どもが遊ぶ人形と言えば、世界では、「ヴァルドルフ人形」が有名です。この人形には、目鼻がありません。他人の表情は、目鼻、特に目やまゆ毛、口などで表します。しかし、この人形は基本的に目鼻をつけないのは、表情をつけないためです。目鼻をつけるときは、色鉛筆でうすーく小さく描くだけで、やはり表情はあまりつけないようにします。なぜ表情をつけないかというと、その人形で遊ぶときの子どものその時の気持ちを受け止められるようにということからです。これは、シュタイナーの教育理論に基づいて作られているのです。
しかし、かつて子供たちが遊んだ多くの人形には目鼻がついていませんでした。それは、宮本さんの「子供の世界」に書かれてあります。「商品としての人形の入手できないところでは、子供たちは竹・トウモロコシの皮・紙・草などを用いて人形を作る。たいていは姉様人形で、伊豆の島々ではクサノ、東海地方ではオカンジャケといっている。竹を小さく割ったり草で作った人形には、髪形だけで顔はないが、子供たちはそれで十分美しい女を頭に描くことができた。」
顔のない人形は、その時の子供の気持ちを映し出すだけでなく、子供の想像力をかきたて、自分の好みの顔を頭に描いたのです。それは、人形だけでなく、子どもたちが作るおもちゃにはいろいろな創造力が込められていました。それは、多くの有り合わせの材料を用いて作るものが多く、特に自然物を用いることが多いため、それをいろいろなものに見立てて遊んだからです。
宮本さんは、こんな光景を描いています。「麦刈りのころになると、みなきまったように麦わらをとって、それを編んで平たいひも状のものを作り、それを縫い合わせて帽子など作ったり、またカゴのようなものを作ったりする。ホタル籠なども麦わらで作った。わら蛇もこれで作る。」麦は、他にも麦笛などの楽器になったり、「男の子たちは麦わらで水車を作り、流れの上にそれをかけて、くるくるまわるのをたのしんだ。」麦わら一つでもいろいろな遊びに工夫しました。
自然にあるものは、子供たちは何でも遊びにします。「つくしの節のところにははかまがついている。そのある節をぬきはなして、もう一度さしこむと、どこで切れているかわからぬものである。そのきれたところをいいあてるあそびは、つくしつみに行った子たちが申し合わせたように行うあそびだ。」そのほか、ほうずきなど植物を使う遊びの中から、木や草にも深い愛情を持たせる動機になっていると宮本さんは言います。
子どもは、なんでも遊びの対象にします。植物だけでなく、小さな虫などは、子どもにとっては、楽しい遊び相手である者が多かったようです。カブト虫に糸をかけ、牛に見立てて耕作のまねごとをしたり、太郎蜘蛛にけんかをさせたり、せみとりなど遊びは多く、遊んだあとは、たいてい野に放ってくるのが普通だったようです。それは、「いじめたり殺したりするとたたりがあるとか、不幸なことがおこるとか信じられていた。」からのようです。それにしても、「これらの遊びが、子供たちに深い観察眼を与えたことは大きかった。」と宮本さんは書いています。
これらの遊びは、子どもたちにとっての大いなる学習であったことが、大人になって初めてわかります。