社会的責任

 社員からの信頼と尊敬をリーダーが得たときに、その会社は大きく変わっていきます。「出世のために立ち回る」考え方は影を消します。不要な憶測に費やされる時間も無くなります。いろいろなことが、迅速確実に処理できるようになっていきます。やがて社員は、仕事が成功しているときよりも困難な時も助け合うようになり、社内の協調精神が高まっていきます。社員は安心して責任を担うようになり、自分の仕事に革新的なればるでアイディアがあふれ、仕事の質も能率も上がっていきます。インドのある会社における会長の試みは、いい方向に歯車が回転しはじめます。

 このような雰囲気は、私は本当は誰もが望んでいることだと思います。いやいや、職場に出勤し、職場でも緊張し、委縮し、人に気を使い、それらのことを、金のため、出世のためと割り切り、誰一人心を許して話ができる人がいない、そのような職場をだれも望んでいるはずはありません。しかし実際はそのような職場を見かけることがあります。誰もが、そんな現状を変えたい、心地よい職場にしたいという思いを、まず実現するための第1歩は、リーダーが踏み出さないといけないのです。リーダーが、自ら組織の感情的現実と理想的ビジョンとの落差を認識し、その同調は、職場の人々を深くを巻き込んでいくことから始まるのです。

 しかし、リーダーというのは難しいですね。職場で皆の声に耳を傾け、その意見を参考にし、そのために自由にものが言える環境、お互いが信じあえる環境が大切ですが、その限界を見極めるのも同時に大切です。今年度の初めに、私は少し職員に注意をしました。というより、少し叱ったのです。年度終わりに行事の担当とその総責任者を決める会議がありました。たまたまその時に私はほかに所要があったのですが、行事の趣旨は皆よく知っているし、行事担当は、もう職員同士で決めることができるだろうと思って任せました。帰ってきてその報告を受けたところ、ある大変な行事の総責任者を、みんなの「ノリ」で決めた節がありました。自分がやりたくなかったからか、おもしがって洒落のつもりか、私から見て絶対に無理であろう職員に決まっていたのです。それは、調理担当の職員だったのです。私は、「園の行事を甘くみるな」と注意をしました。園の行事は、とても大切なものです。ふざけて決めることではないと思っています。もしかしたら、ふざけてではないかもしれませんし、いろいろな人に機会を均等に与えようとしたのかもしれないと思って、決める時の状況を何人かに確かめたところ、やはり軽い気持ちだったようです。私は、いくら楽しい職場といっても、専門性を持った職員としての責任があるはずだと思います。その時、職員たちは、すぐに私の言わんとしたことを理解してくれて、きちんと決め直してくれただけでなく、年度初めの保育についてもきちんと見直しをしてくれました。

 紹介したインドの会社の会長さんも、社内に力強く率直な人間関係を育てることに力を注ぎましたが、一方、組織の「パフォーマンスを改善する」という目標にも取り組んだのです。「居心地の良すぎる人間関係は、責任の所在を曖昧にする」と言って、人間関係がなれ合いすぎないよう注意をしたのです。管理職に対して部下との関係を大切にするよう指導する一方で、会社に対する責任、社員同士の責任、自分自身の価値観に対する責任をきちんと自覚することも大切であると指導したのです。

 私は、保育という仕事は、子どもに対してだけでなく、社会に対しての責任があると思っています。